第5話
たるひの目には、樵の顔が苦痛に歪むのが映っていた。
「どうして、どうしてだ」
樵は枯れ木のやうな手をその顔に押し当てて、憚りもせずに泣いた。
ごほごほと咳が混じるのも厭わず、彼はわんわんと泣いていた。
「旦那さま、ひとつ、どうしてもお聞きしたいことがございます」
すうと息を吐くたるひの口元からは、白い煙が立ち昇ったやうに見えたが、顔を覆う樵にそれが見えるはずもない。
「なぜ、此のやうな陸奥の山奥に来てまで、そのやうな昔噺をされたのでしょう?」
それは——。樵が呟き、顔を上げる。
そこはもう、小屋の中ではなかった。
白い、白い、雪景色。遠く吹雪く風の奥に、霞んだ満月が見える。
「儂はもう長くはない。子らも十分に大きくなり、皆それぞれ子を持ち暮らしておる。妻は、陸奥の山奥が故郷と話してくれておった。最期に——愛する妻にひと目でいい、もう一度逢いたかったのだ」
例え、その名を口にして殺されようとも。
儂は十分にお前の云い付けを守ったぞ。今度こそ。
大切に、大切に、子供たちを育て上げたのだ。
儂の命を奪って構わぬ、だから、どうか。
その掠れんばかりの独白に、束の間であろうか。
吹雪がしんと凪いだ気がした。
はぁ——と、たるひが長い息を吐く。その息は白く、まるで雪の舞う風のやうであった。
「ヒトは愚かで約束も守れぬと、そう思っておりましたが」
そこには愛があったのですね——。
そう囁くたるひの眼前には、雪の風が人の形を成して樵に寄り添っていた。
それは美しい女の姿であった。
「お雪おねえさま、
樵の姿は凍りつき、やがて吹雪がどうと戻ってくると。その姿は粉々に砕けて山の頂の方へと流れてしまったと云ふ。
然し、樵——巳之吉の最期の表情は。とてもとても幸せそうであった。
ヒトを愛してはならぬ、雪女。
けれども刻に、ヒトに寄り添い、身を焦がしてしまうものもいると云ふ。
「いつかはわたくしも、そのやうな方に逢えるのでしょうかね」
そう微笑みつつも、彼女の姿はやがて。小屋とともに雪の嵐の中霞んで視えなくなっていった——。
たるひ。それは遠野の地方の言葉で「つらら」の意である。
小正月、又は十五夜。雪の降る満月。
そんな夜には雪女が出ると云ふ。
されど雪女を見たりという者は少なし。
どーんと、はれ。
【了】
ゆきおんなの噺 すきま讚魚 @Schwalbe343
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