第3話
「あなた…誰なの…?まさか…あなた…。」
玄関を開けると、その音を聞きつけ駆け寄る老婆がいた。
誰?とはこちらが言いたい台詞だというのに老婆はこの家の住人のような口ぶりをする。
しかし…老婆はどことなく他人には思えなかった。
母方の祖母に似ているが祖母ではない。
祖母の親族の誰かなのだろうか?
僕が思案していると。今度は中年に男がやって来た。
「誰か来たのか?」
男は僕の顔を怪しむようにジロジロと見つめてくる。
この男は父に似ているが父ではない。
老婆も男も僕がよく知る身近な誰かを思い起こさせる。
僕の脳裏に残酷な予想が一瞬よぎった。
(信じたくない…。)
その時、老婆がせきを切ったように喋り出した。
「あなた…じゃないの…。家を出たきり行方不明になった…。」
「おい母さん。あいつが行方不明になったのは…もう20年くらい前になるぞ。年が合わないだろ。いや…でも…。」
老婆を落ち着かせようとする中年男は再度僕の顔を見つめた。
「でも…あいつそっくり…だな…。」
目の前の二人のやり取りで僕は予想を認めざる得なかった。
(浦島太郎……。)
僕は20年近く前に家を出たきり行方不明となっていた。
それは僕が動物たちのおもてなしを受けている間のことだった。
老婆と男は僕の母と長兄であった。
僕の帰宅は世界中で注目されることとなったのだ。
20年も前に行方不明になった少年が年を取らず姿も変わらず帰って来たのだから。
マスコミに追いかけまわされた。
連日ワイドショーの話題となった。
意味不明な陰謀論、オカルトめいた風説が囁かれた。
世間がどう騒ごうと僕は何も語らなかった。
動物たちとの「話さないで」の約束。信じてもらえるはずのない出来事。
これが僕のめでたしめでたしなのだろうか…。めでたくない結末だ。
その時、僕はお土産の小さい袋を思い出した。
まだ袋の口は開けていない。帰宅してからの騒ぎ続きでそれどころでは無かったからだ。
浦島太郎の展開が続くなら僕は老人になるはずだ。
しかし、乙姫なる人物に「絶対に開けないで」と言われたわけでない。
まだ望みを絶たれたわけでない。
このお土産は僕とあの世界を結ぶ唯一の物なのだから。
僕は袋を開けた。
「最近さあ…。裏山で変な声が聞こえるんでけど。『おいでおいで』って。」
「あっ俺も。低い声で聞こえてくるんだよな。」
はっとして顔を上げた。
いつもと変わらない夕食の時間に戻っている。
目の前で食事でなく会話に口を動かす兄二人…そして注意する母の声。
「何それ。しばらくの間は裏山に行っちゃだめだからね。あんたも約束だから。」
「はあい…。」
力の抜けた声で返事をする。
母との約束は守るだろう。僕にはその気力が無かった。
これにより「むかしむかし」「今は昔」と物語は始まらない。
でも…めでたしである。
昔話のお約束 桐生文香 @kiryuhumi
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