和尚は見た

 時間は少しだけさかのぼる。


 寺のおつとめが終わり、陽が沈んだばかりでそれぞれが休息を取る頃のことだった。少し早めに時間ができた和尚は、芳一の琵琶を聴きながらずいぶんと上手くなったと思っていた。霊から教わるなどあまり良いこととは思えなかったが、教えている者が良いのだろう。

 もちろん、人に害をなす怨霊なら良くないことだった。ただ源平合戦はもう何百年も昔のことで、阿弥陀寺で供養していた甲斐もあり、怨霊の出現はめっきりと減っていた。阿弥陀寺ではずっとずっと供養していた。

 和尚が来るずっと前から。


(芳一は不思議な子だ。これまで琵琶が聴きたいと言って怨霊が出てくるような弾き手はおらんかった)

 和尚は縁というものを感じていたから、芳一が霊に会うことを止めるようなことは考えなかった。


「和尚様」

 芳一の声がする。

「今日はこれで部屋に戻らさせていただきます」

 それまで和尚の部屋で琵琶を弾いていた芳一が、部屋の入口で頭を下げている。芳一が寺に置いてもらっているのは、和尚に時間がある時に琵琶を聴かせるためでもあった。芳一を寺に置くための言い訳のような物だったが、和尚は芳一の琵琶がだんだん上手になるのを楽しみにしていた。


 平家の怨霊には気を付けるようにと言いたい。

 でも、口に出すことははばかられた。


「お休み、芳一。明日も琵琶を聴かせておくれ」

 和尚のために付けられた明かりの元、和尚は笑顔で芳一に言った。

 明日も芳一の成長した琵琶が聴きたい。そう思っていたことも嘘ではない。

「はい」

 笑顔で芳一は答えた。


 そしてしばらくすると、芳一の部屋の方から琵琶の音が聴こえてきた。

(いつもの芳一が自分でやっている練習とは少し違う感じだのお)

 琵琶の音が弾んでいるようにも聞こえる。


(平家の霊が芳一の部屋を訪れているのか?)

 芳一の話を聞き、和尚は興味を持っていた。


(ちと霊に心を許しすぎではないか?)

 小難しいはずの平家物語が、飛んで跳ねるような楽しい物語のように聴こえた。


(どれ、かわやに行くついでに、覗いてみようか)

 尿意もあったので、和尚は明かりを用意して席を立つ。


(いくら盆とはいえ、生者と死者が関わるのはほどほどにせにゃいかん)

 それは和尚の建前だった。本心は自分も仲間に入れてもらえないだろうかとちらっとだけ考えてもいた。


(ここは、これまでにも経を読み、数多あまたの霊を鎮めてきたワシの腕の見せ所でもある)

 そう思いながら厠に行き、芳一の部屋の方へ向かう。

 近づくにつれ、琵琶の音だけでなく、笛や太鼓や鐘なども聞こえてくるような気がした。


(思っていたよりも多く来ていないか?)

 和尚が聞いていたのは小さな師匠と大きな師範代までだった。


 和尚は持っていた明かりを置き、芳一の部屋の襖を少しだけ開けて覗く。

 中は真っ暗だった。芳一は目が見えないので明かりがいらない。

 しかし、目が慣れてくると、ぼんやりと青い鬼火が飛んでいるのが見えた。


「ひっ」

 思わず小さな声が出た。

 しかし、バレてはいけないと、和尚は両手で口を押さえる。呼吸の音が聴こえないようにゆっくりとして中を見つめる。


 部屋の中央には、笑顔で琵琶を弾く芳一。

 それはいつも見る景色だった。


 しかし、鬼火の光が芳一の顔を下から照らし、芳一の顔も青く輝いている。だから芳一が笑っているのもわかった。芳一は本当に嬉しそうに琵琶を弾いていた。

 その周囲に楽器を奏でているらしい数個の鬼火。これはその場をゆらゆらと揺れている。芳一の琵琶の音に合わせてその場で揺らめいている。


 そして何より和尚が肝を冷やしたのは、芳一の部屋の中を勢いよく飛び回る鬼火だった。これが部屋から飛び出さんばかりに飛び回っている。数も多い。和尚が見たこともないくらい、たくさんの鬼火が集まっていた。


 見つかっては一大事と思い、和尚はそっと襖を閉めると自分の部屋に戻った。

「見なかったことにしよう」

 和尚はそう思い、寝ることにした。


 いちおう、和尚は次の朝に

「霊に喜んでもらうことをするのも供養になる」と芳一に伝えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

みみなしほういち 玄栖佳純 @casumi_cross

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ