ザシキワラシ白雪

オボロツキーヨ

蔵の中


(一)


「旅の学生さん、こんな山奥の村へ一人で迷い込むなんて。どうされましたか。え、東京の大学の先生ですか。そりゃ失礼しました。お若いから、学生さんかと思いましたよ。失礼ですが、おいくつですか。ほお、三十路みそじですか。まだまだ若い。青年ですな。わしはもうすぐ還暦かんれきですよ。ああ、黒縁くろぶちのメガネが良くお似合いですね。

 

 へえ、ザシキワラシを調査されているんですか。なるほどなるほど。この辺は旧家が多いから、きっとたくさんいますよ。屋敷によって、ザシキワラシも色々です。男の子や女の子。子どもらしく無邪気で可愛いのやら、狂暴なのやら、いたずらっ子やら、家に富をもたらしてくれる、ありがたいのやらね。ま、いずれも神様には違いない。尊い者たちです。


 おとなりの城のような屋敷は、この村の代々の名主なぬし○○家で、うちは分家の△家です。わしはここのあるじの二男坊で、△次郎と申します。○○家には昔からあがたてまつる神様がおりましてね。○○家のために△家がその神様のお世話をするというわけです。お供え物をしたり、拝んだり。

 

 北国の夏は短くて、もう冷たい風が吹いてきましたね。日も落ちてきましたな。もし、お困りだったら、空き部屋がいくつかありますから、今宵の寝床と朝夕の食事をご用意しますよ。

 

 え、ザシキワラシの話をお聞きになりたいのですか。承知しました。でも、その代わり、一夜の宿の恩義を感じてもらえるのなら、今から話す事は決して誰にも言わないでください。そのほうが先生のためです。もし先生がこの村を出てから、当家のことを誰かにお話しになったら、孫子まごこの代まで深くお恨み申し上げます。恐ろしいたたりがありますから。そのおつもりで。


 当家のザシキワラシは白雪様と呼ばれています。どこから来たのか。遠い村から、あるいは遠い異国から売られてきたのか、流浪民か旅芸人がこの村に置きざりにしたのか。とにかく雪のように白い肌の美しいわらべだったので、○○家と△家の者はそう呼んだのです。△家の屋敷内で、それはそれは甘やかされて、蝶よ花よと大切に育てられました。艶やかな黒髪のおかっぱ頭で市松人形みたいな子です。キラキラ光る無垢な瞳に見つめられ、ニコリと微笑みかけられると、誰もが骨を抜かれたように、メロメロになって倒れました。ハハハハ、本当ですよ。悪魔的とも言える可愛らしい童です。


 立ち話も何ですから、どうぞ門の中へお入りください。ご案内します。ごらんのとおり△家もなかなか広い敷地でしょう。白雪様はあの林の奥にある蔵で暮らしていて、時々庭へお出ましになりました。そのお姿は風に揺れる白菊かいにしえの姫か、巫女のようなたたずまいでしたが、白雪様は男の子です。まばゆいばかりの美少年に育ちました。上品なお顔立ちと愛くるしい笑顔。緑の黒髪が膝裏まで伸びていました。白雪様は成長されても学校へ行きませんでした。

 

 フフフ、お察しのとおり、わしら△家の仕事とは、白雪様の身の回りのお世話と、世間から遠ざけること。つまり監禁でした。


 夏の終わり頃、十五歳になった白雪様は、自由に蔵から出入りすることができなくなりました。蔵の二階の狭い座敷牢ざしきろうに入れられた。ひのきで作られた頑丈な、一畳ほどの座敷牢の扉には錠がかけられ、蔵の扉と小さな窓も閉じられました。二度と外には出られません。水も食も断たれた。花ならつぼみの十五歳で暗闇の中、絶命させられた。遺体はそのままにして、蔵を封印しました。それが○○家の守り神となるために育てられた、白雪様の宿命だったのです。残酷ですな。でも昔のことです。


 

 さあ、先生どうぞ。この部屋です。庭に面した縁側のある良い部屋でしょう。あそこに白雪様の蔵の黒い屋根が見えますな。自由におくつろぎください。今、女中に茶を持ってこさせます。夕食までにはまだ時間がありますからね。

 

 残念ながら、この離れの部屋にはザシキワラシは来ませんよ。蔵の中に封じ込めていますからね。実は、わしは白雪様に幼い時に一度だけお会いしたことがあるんです。たぶん白雪様だと思うんです。あの時、どういうわけか蔵の中へ入れた。使用人が鍵をかけ忘れたのか。蔵の一階に祭壇があって、毎日お供え物をしていたからね。ええ、お供え物は今でもしてますよ。


 すると二階からふわっと白い煙のようなものが下りてきて、それはだんだんと人の姿に変わりました。髪の長いきれいな少年だった。その少年と楽しく蔵の中で鬼ごっこをして遊びました。そのことを親に言ったら、ひどく叱られて殴られました。わしの言葉には、あんまり土地の訛りがないでしょう。実は、東京の大学を出てから、ずっと新宿のデパートに勤めてました。でも、白雪様のことが忘れられなくて、五年ほど前に帰って来てしまいました。ここにいれば、またいつか白雪様に会える気がしてね。


 そろそろ、失礼しますよ。わしはこれからたくさんのまきを割らなければならんのです。え、話の続き聞きたいですか。お好きですねえ。それじゃ夕食後にでも、また来ます。えっ、白雪様に会いたいですと。ハハハハ、それは無理ですな」




(二)


 泣き叫び過ぎて喉を枯らした少年の引きつった息が、暗闇の空気を揺らす。


「優しかった皆がどうして、ぼくをこんなに酷い目に合わせるんだ。お腹すいたよう。寂しいよう。六郎兄さんはどこだ。兄さんに会いたいよう」


 △家の大人たちによって、体の隅々まで執拗に洗い清め磨かれた。しなやかな肢体に、薄い白絹の襦袢を一枚だけ着せられた白雪は、震えながら座敷牢の真新しい畳に突っ伏して泣き濡れていた。


 白雪が兄として慕っている六郎は、白雪より二つ年上で、△家の使用人のせがれ。数少ない歳の近い友だった。野山を元気に駆け回る六郎は、どこにでもいる純朴な田舎の少年。白雪は暗闇の中で、初めて六郎が恋しいと思い、涙を流す。


 六郎はいつも自分に甘えてくる白雪を、可愛い弟だと思うことにしていた。その高貴な姫君のような美しい姿に見とれるばかり。白く柔らかい手を握ると胸が高鳴る。時々、押し倒してめちゃくちゃにいじめたくなる。白雪が初恋の相手だった。だが、白雪の境遇はあまりにも奇妙きみょう奇天烈きてれつ。決して恋してはいけない相手。だから、想いを告げることなど一生無いと思っていた。


 しかし、美しく成長した白雪の悲惨な運命を、初めて一月ひとつき前に父親から聞かされた。心乱れてふさぎ込む。急に無口になり、暗く虚ろな目でため息をつくばかり。白雪は六郎の背に無邪気にしがみつきながら、不思議そうに顔をのぞき込む。そして、優しく微笑みかけるのだった。


 

 ギシギシギシと蔵の梯子はしご階段が音を立てる。


「雪、かわいそうに。大丈夫か。生きてるか。おれだよ。六郎だよ」

手燭台てしょくだいの、今にも消え入りそうなあかりが揺れる。


「あっ、光がまぶしい。兄さん、来てくれたんだね」

「金庫から蔵の鍵を盗んだ。だから、これから毎晩ここに来るよ。ほら、水と食べ物も持って来たぞ」

水の入った竹筒と握り飯を手渡す。


「わあ、嬉しい。兄さん、ありがとう」

「雪、ここから出してあげたいけど、ごめん。どうしても座敷牢の鍵が見つからない。でも必ず見つける」

「そんなことしたら、兄さんが叱られる。逆さ吊りにされて半殺しにされる」

「おれは、おまえを連れて、こんな村から逃げ出したい」

「それは無理だよ。こうして兄さんに会えれば、ぼくはそれだけで幸せだよ」


 二人はこれまで心に秘めていた炎の熱さに気づき、夢中で格子越しに体をすり寄せ抱き合う。何度も口と口を重ねる。肌の下を流れる熱い血潮、首筋の匂い、吐息や唾液。すべてが互いの体に流れ込む。蔵の中は二人の聖域。恍惚の光に包まれた。


 次の夜から二人で心地良く過ごすために、六郎は懸命に蔵の掃除を始めた。白雪の体から出るものはすべて、座敷牢の中にただ一つ置かれた物、陶器の壺に入っている。六郎は毎夜、嬉々として壺を洗う。二階の小窓を開けると冷たい夏の夜風が心地よい。湿った緑の木々の香りが蔵に満ちる。深夜に台所から食べ物を盗む。野山や田畑から食べられそうな物を探し回る。それでも、たいした食べ物は得られないから、自分の食事を蔵に運ぶ。野良仕事で鍛えられていた六郎の溌溂はつらつとした体は痩せ衰えていく。


 

(三)

 

 我が息子の六郎が幽鬼に見える。父母は悪いキツネが憑いたのだろうかと心配していた。兄弟たちは六郎が毎夜床を抜け出していく姿を見ている。毎夜どこへ行くのだろう。月明かりの下、二人は気づかれぬように後をつける。そして、六郎が蔵に入っていく姿を確かめた。


「なんと、白雪の蔵へ行くのか。いつの間に蔵の封印を破ったんだ。血迷ったな六郎」

父は皮ひもに付けて首から下げている鍵を握り締めて天を仰ぐ。


 父は常に金庫の鍵を首から下げていた。六郎はそれを、眠っている間に奪った。金庫を開けて蔵の鍵を盗みだす。蔵を開けてから、鍵を金庫に戻した。父の首の金庫の鍵も戻す。△家の者たちは、白雪を封印してから一年間は蔵に近づくことを禁じられている。誰もまさか、蔵の三重の扉の鍵が開いているとは思わない。


 六郎の両親は入り口の外側に土を厚く塗った重い観音扉を開く。次に漆喰を塗った片引き土戸、最後は木製格子の引戸を静かに引いた。気づかれないように灯は持たずに手探りで行く。幸い二階から灯がもれている。音をたてぬように梯子階段を途中まで上り、首を伸ばして座敷牢の様子を覗く。座敷牢の前に置かれた手燭台が、妖しい光景を映し出す。

 

 のこぎりおので牢の格子の一部が壊されている。そこから六郎が座敷牢の中に出入りするらしい。楽しそうな笑い声が響く。狭い座敷牢の中が白く輝く。なぜか、そこだけ雪が積もっているようだ。でも、よく見るとそれは、ふくよかになった白雪の裸の背中。二人は抱き合っていた。六郎は心地よさそうに、波うつ白雪の大きな体に埋もれている。

 

 叱り飛ばして連れ帰るつもりだったが、幸せそうな二人が不憫ふびんに思えて涙が止まらない。六郎の両親は無言で階段を下りる。


 ヒソヒソと話し合った後、父母は重い足取りで屋敷へ戻り金庫を開ける。そして、三種類の蔵の鍵を取って来た。涙を野良着の袖でぬぐいながら、蔵の三重の扉に一つずつ鍵をかけていく。


「さらばじゃ、六郎」

二人は蔵の前で、いつまでも手を合わせた。



「兄さん、さっき下で変な物音がしたよ。誰か来たのかな」

「まさか。気のせいだろう」

「そうだよね。いつもたくさん食べさせてくれてありがとう。でも、ごめんね。兄さんは痩せて、ぼくは太っちゃった。この格子から兄さんのように出入りできないよ。それに、体が重くて歩けない。だから、ここから逃げられない。それに逃げたって、ぼくたちはきっと連れ戻されて、引き離される。だから、もうこのままでいいんだ」


「そうだな。雪よ、ここにずっと一緒に居よう。誰も来ないし、二人きりでいられる」


その夜から、二人は食を絶った。




(四)


 「おはようございます。先生よくお休みになれましたか。昨夜はすみません。お約束していましたが、疲れて寝てしまいまして、お話に伺えませんでした。朝食をお持ちしましたので、ふすまを開けますよ」

 

 おや、いない。布団の中は空っぽだ。朝早くからどこへ行ったのかな。荷物があるから、出発したわけではなさそうだ。ということは、さては、あそこへ行ったな。


 △次郎は庭を横切り林の中の白雪の蔵の前に立つ。

 

「おや、蔵の二階の鉄格子付きの小窓が少し開いているぞ。こんなことは初めてだ」


蔵の周りはきれいに草が刈られている。小窓の下の草の上に何か黒いものが落ちている。


「ん、あれは、おお、黒縁メガネか。アハハハハ」


 よしよし、わしの思うつぼ。罠にかかったな。昨夜はわざと、蔵の鍵をすべて開けておいたのだ。腹をすかせて待っている、二人組のザシキワラシの元へ向かわせるために。あの若い先生は好奇心に駆られて、梯子階段を上り座敷牢を見たのだな。よかったよかった。

 

 蔵の一階は日々拝み、供え物をしている△家の者なら害は無い。だが、よそ者には厳しいかもしれん。ましてや邪気の強い二階の座敷牢など見ようものなら、絶命する。白雪様はお優しいザシキワラシだが、座敷牢を見られると邪神に豹変するようだ。白雪様と六郎の二人の仲を裂くものが来たと思い、お怒りになるのだ。

 

 今年は白雪様が神として祀られてから百年目の秋。先生には気の毒なことをしたが、若い男の生贄いけにえを捧げるようにと○○家から言われて、どうしたものかと困っていたのだ。フフフこれで、やっかいな仕事が一つ片づいたわい。      

               (了)

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