ザシキワラシ白雪
オボロツキーヨ
蔵の中
(一)
「旅の学生さん、こんな山奥の村へ一人で迷い込むなんて。どうされましたか。え、東京の大学の先生ですか。そりゃ失礼しました。お若いから、学生さんかと思いましたよ。失礼ですが、おいくつですか。ほお、
へえ、ザシキワラシを調査されているんですか。なるほどなるほど。この辺は旧家が多いから、きっとたくさんいますよ。屋敷によって、ザシキワラシも色々です。男の子や女の子。子どもらしく無邪気で可愛いのやら、狂暴なのやら、いたずらっ子やら、家に富をもたらしてくれる、ありがたいのやらね。ま、いずれも神様には違いない。尊い者たちです。
おとなりの城のような屋敷は、この村の代々の
北国の夏は短くて、もう冷たい風が吹いてきましたね。日も落ちてきましたな。もし、お困りだったら、空き部屋がいくつかありますから、今宵の寝床と朝夕の食事をご用意しますよ。
え、ザシキワラシの話をお聞きになりたいのですか。承知しました。でも、その代わり、一夜の宿の恩義を感じてもらえるのなら、今から話す事は決して誰にも言わないでください。そのほうが先生のためです。もし先生がこの村を出てから、当家のことを誰かにお話しになったら、
当家のザシキワラシは白雪様と呼ばれています。どこから来たのか。遠い村から、あるいは遠い異国から売られてきたのか、流浪民か旅芸人がこの村に置きざりにしたのか。とにかく雪のように白い肌の美しい
立ち話も何ですから、どうぞ門の中へお入りください。ご案内します。ごらんのとおり△家もなかなか広い敷地でしょう。白雪様はあの林の奥にある蔵で暮らしていて、時々庭へお出ましになりました。そのお姿は風に揺れる白菊か
フフフ、お察しのとおり、わしら△家の仕事とは、白雪様の身の回りのお世話と、世間から遠ざけること。つまり監禁でした。
夏の終わり頃、十五歳になった白雪様は、自由に蔵から出入りすることができなくなりました。蔵の二階の狭い
さあ、先生どうぞ。この部屋です。庭に面した縁側のある良い部屋でしょう。あそこに白雪様の蔵の黒い屋根が見えますな。自由におくつろぎください。今、女中に茶を持ってこさせます。夕食までにはまだ時間がありますからね。
残念ながら、この離れの部屋にはザシキワラシは来ませんよ。蔵の中に封じ込めていますからね。実は、わしは白雪様に幼い時に一度だけお会いしたことがあるんです。たぶん白雪様だと思うんです。あの時、どういうわけか蔵の中へ入れた。使用人が鍵をかけ忘れたのか。蔵の一階に祭壇があって、毎日お供え物をしていたからね。ええ、お供え物は今でもしてますよ。
すると二階からふわっと白い煙のようなものが下りてきて、それはだんだんと人の姿に変わりました。髪の長いきれいな少年だった。その少年と楽しく蔵の中で鬼ごっこをして遊びました。そのことを親に言ったら、ひどく叱られて殴られました。わしの言葉には、あんまり土地の訛りがないでしょう。実は、東京の大学を出てから、ずっと新宿のデパートに勤めてました。でも、白雪様のことが忘れられなくて、五年ほど前に帰って来てしまいました。ここにいれば、またいつか白雪様に会える気がしてね。
そろそろ、失礼しますよ。わしはこれからたくさんの
(二)
泣き叫び過ぎて喉を枯らした少年の引きつった息が、暗闇の空気を揺らす。
「優しかった皆がどうして、ぼくをこんなに酷い目に合わせるんだ。お腹すいたよう。寂しいよう。六郎兄さんはどこだ。兄さんに会いたいよう」
△家の大人たちによって、体の隅々まで執拗に洗い清め磨かれた。しなやかな肢体に、薄い白絹の襦袢を一枚だけ着せられた白雪は、震えながら座敷牢の真新しい畳に突っ伏して泣き濡れていた。
白雪が兄として慕っている六郎は、白雪より二つ年上で、△家の使用人の
六郎はいつも自分に甘えてくる白雪を、可愛い弟だと思うことにしていた。その高貴な姫君のような美しい姿に見とれるばかり。白く柔らかい手を握ると胸が高鳴る。時々、押し倒してめちゃくちゃに
しかし、美しく成長した白雪の悲惨な運命を、初めて
ギシギシギシと蔵の
「雪、かわいそうに。大丈夫か。生きてるか。おれだよ。六郎だよ」
「あっ、光がまぶしい。兄さん、来てくれたんだね」
「金庫から蔵の鍵を盗んだ。だから、これから毎晩ここに来るよ。ほら、水と食べ物も持って来たぞ」
水の入った竹筒と握り飯を手渡す。
「わあ、嬉しい。兄さん、ありがとう」
「雪、ここから出してあげたいけど、ごめん。どうしても座敷牢の鍵が見つからない。でも必ず見つける」
「そんなことしたら、兄さんが叱られる。逆さ吊りにされて半殺しにされる」
「おれは、おまえを連れて、こんな村から逃げ出したい」
「それは無理だよ。こうして兄さんに会えれば、ぼくはそれだけで幸せだよ」
二人はこれまで心に秘めていた炎の熱さに気づき、夢中で格子越しに体をすり寄せ抱き合う。何度も口と口を重ねる。肌の下を流れる熱い血潮、首筋の匂い、吐息や唾液。すべてが互いの体に流れ込む。蔵の中は二人の聖域。恍惚の光に包まれた。
次の夜から二人で心地良く過ごすために、六郎は懸命に蔵の掃除を始めた。白雪の体から出るものはすべて、座敷牢の中にただ一つ置かれた物、陶器の壺に入っている。六郎は毎夜、嬉々として壺を洗う。二階の小窓を開けると冷たい夏の夜風が心地よい。湿った緑の木々の香りが蔵に満ちる。深夜に台所から食べ物を盗む。野山や田畑から食べられそうな物を探し回る。それでも、たいした食べ物は得られないから、自分の食事を蔵に運ぶ。野良仕事で鍛えられていた六郎の
(三)
我が息子の六郎が幽鬼に見える。父母は悪いキツネが憑いたのだろうかと心配していた。兄弟たちは六郎が毎夜床を抜け出していく姿を見ている。毎夜どこへ行くのだろう。月明かりの下、二人は気づかれぬように後をつける。そして、六郎が蔵に入っていく姿を確かめた。
「なんと、白雪の蔵へ行くのか。いつの間に蔵の封印を破ったんだ。血迷ったな六郎」
父は皮ひもに付けて首から下げている鍵を握り締めて天を仰ぐ。
父は常に金庫の鍵を首から下げていた。六郎はそれを、眠っている間に奪った。金庫を開けて蔵の鍵を盗みだす。蔵を開けてから、鍵を金庫に戻した。父の首の金庫の鍵も戻す。△家の者たちは、白雪を封印してから一年間は蔵に近づくことを禁じられている。誰もまさか、蔵の三重の扉の鍵が開いているとは思わない。
六郎の両親は入り口の外側に土を厚く塗った重い観音扉を開く。次に漆喰を塗った片引き土戸、最後は木製格子の引戸を静かに引いた。気づかれないように灯は持たずに手探りで行く。幸い二階から灯がもれている。音をたてぬように梯子階段を途中まで上り、首を伸ばして座敷牢の様子を覗く。座敷牢の前に置かれた手燭台が、妖しい光景を映し出す。
叱り飛ばして連れ帰るつもりだったが、幸せそうな二人が
ヒソヒソと話し合った後、父母は重い足取りで屋敷へ戻り金庫を開ける。そして、三種類の蔵の鍵を取って来た。涙を野良着の袖でぬぐいながら、蔵の三重の扉に一つずつ鍵をかけていく。
「さらばじゃ、六郎」
二人は蔵の前で、いつまでも手を合わせた。
「兄さん、さっき下で変な物音がしたよ。誰か来たのかな」
「まさか。気のせいだろう」
「そうだよね。いつもたくさん食べさせてくれてありがとう。でも、ごめんね。兄さんは痩せて、ぼくは太っちゃった。この格子から兄さんのように出入りできないよ。それに、体が重くて歩けない。だから、ここから逃げられない。それに逃げたって、ぼくたちはきっと連れ戻されて、引き離される。だから、もうこのままでいいんだ」
「そうだな。雪よ、ここにずっと一緒に居よう。誰も来ないし、二人きりでいられる」
その夜から、二人は食を絶った。
(四)
「おはようございます。先生よくお休みになれましたか。昨夜はすみません。お約束していましたが、疲れて寝てしまいまして、お話に伺えませんでした。朝食をお持ちしましたので、ふすまを開けますよ」
おや、いない。布団の中は空っぽだ。朝早くからどこへ行ったのかな。荷物があるから、出発したわけではなさそうだ。ということは、さては、あそこへ行ったな。
△次郎は庭を横切り林の中の白雪の蔵の前に立つ。
「おや、蔵の二階の鉄格子付きの小窓が少し開いているぞ。こんなことは初めてだ」
蔵の周りはきれいに草が刈られている。小窓の下の草の上に何か黒いものが落ちている。
「ん、あれは、おお、黒縁メガネか。アハハハハ」
よしよし、わしの思うつぼ。罠にかかったな。昨夜はわざと、蔵の鍵をすべて開けておいたのだ。腹をすかせて待っている、二人組のザシキワラシの元へ向かわせるために。あの若い先生は好奇心に駆られて、梯子階段を上り座敷牢を見たのだな。よかったよかった。
蔵の一階は日々拝み、供え物をしている△家の者なら害は無い。だが、よそ者には厳しいかもしれん。ましてや邪気の強い二階の座敷牢など見ようものなら、絶命する。白雪様はお優しいザシキワラシだが、座敷牢を見られると邪神に豹変するようだ。白雪様と六郎の二人の仲を裂くものが来たと思い、お怒りになるのだ。
今年は白雪様が神として祀られてから百年目の秋。先生には気の毒なことをしたが、若い男の
(了)
ザシキワラシ白雪 オボロツキーヨ @riwa
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