短編【マサキ先輩の話】

ボンゴレ☆ビガンゴ

【マサキ先輩の話】


 マサキ先輩と二人、夜空を見上げていた。

 星なんて数えてみても数個しか見当たらないような都会の空だ。

 ここが田舎だったら、夜空に浮かぶ星なんて数えきれないほどあって、輝き方が違う星や少し色が違う星が浮かんでいたところで、気にもとめないのにな。


「ま、他所と比べたってどーしようもないからな。他人の鍵でおまえのドアは開かねーよ」


 マサキ先輩はつまらなさそうに言った。


 オレとて、二十数年の人生においてそれなりに色々な人間を見てきた。どんなにミスしてもへこたれない奴、努力もしないでなんでもこなしてしまう天才肌の奴、法螺吹きだけど憎めない奴、ビシッとキメるとこキメる奴、バッチリ決めてても外す奴。

 そんなオレが出会ってきた人間の中で「黙っていればモテる奴」といえば、一番最初に頭に浮かぶのが、このマサキ先輩だった。


 マサキ先輩は二つ学年が上の先輩だ。

 スラリとしていて程よく筋肉のついた一八〇センチ超えの長身。切長の瞳にスッと通った鼻筋。整った眉に薄い唇。

 真剣な顔をしていれば凛々しく男らしいし、笑顔を見せれば女子たちの母性本能をくすぐるような可愛らしさもある。

 あまりオシャレに興味はなかったが、モデル体型のおかげで何を着ても良く似合った。ファッション雑誌の街角スナップに高校指定のダサいジャージで掲載されたことがあるくらいなんでも似合った。

 そんな外見のおかげで、高校の女子の大半はマサキ先輩に憧れていた。いや、女子だけじゃない。男子からも憧れの的だった。野球部のエースで甲子園にも行き、イケメン投手としてワイドショーにちょっと取り上げられたりもしたのだから、皆から一目置かれるのも無理はない。 

 だけど、マサキ先輩はそういう外野の声は、邪魔なノイズとしか思っていなかったようだ。

 幾人もの女子から告白をされていたが、「流行り物に飛びつく女が一番嫌いだ」と吐き捨て、寄ってくる女子を学年一の美少女だろうとも相撲部のメスゴリラであろうと同じようにまとめて投げ捨てた。


「だってよ、あいつら俺の中身なんてこれっぽっちも知らねーんだぜ。みんなが欲しいって言うものを自分も手に入れたいってだけで、自分が本当に必要なものが何かって何も考えてねーんだよ。馬鹿すぎ。そんなクソみてーな奴に俺の『初めて』はささげられねーよ」


 そんなことばっか言っていた。

 結果、マサキ先輩は二十代半ばになっても女性経験がなかった。学生時代には恋人ができたことも何度かあったようだが、深い関係になる前に別れてしまうのが常だった。

 それはマサキ先輩がぜんっぜん女の子に優しくないからだったり、気分屋で俺様気質で相手に合わせるということを全くしないからだった。


「付き合ったり結婚したりしておいて相手の文句とか愚痴を言ってる奴とか見ると馬鹿じゃねえのって思うんだよな。好きで好きでたまらないから一緒になるんじゃないのかよ。自分の全てを曝け出して、相手の全てを受け入れて、それで二人で生きていくってのが愛だろ。俺はそう思ってるし、そういう相手を愛したいから、無理に相手に合わせたりはしねえし、取り繕わないし、だりいと思ったらすぐ別れるし、簡単にセックスはしねえんだよ」


 なんて偉そうに言ってる。ただのわがままなのに。馬鹿みたい。


「うるせえ、誰が馬鹿じゃ。お前だって早く恋人の一人でも作れや。いっつも暇してるじゃねえか」


「余計なお世話です。それに、マサキ先輩に誘われる時が毎度たまたま空いてるだけで、暇してるわけじゃないので」


 マサキ先輩とオレは昔からこんなふうに軽口を叩きあう仲なのだが、こんな様子を高校時代の友人達に見られると驚かれたものだ。

 部活にも入らず、インドアでゲームばかりしていたような青白くて地味で特徴のないオレが、学校一のイケメンで俺様気質のマサキ先輩とフランクに話しているのは不思議に見えただろう。

 色々な方面からあらぬ誤解や妄想などを生んでしまったオレたちであったが、別段、特別な関係があったわけではない。

 大したことはないのだ。


 単にマサキ先輩はオレの小学校時代からの友人の兄なのである。


 幼い頃からよく一緒に遊んでいた。だから、先輩はオレのことを舎弟感覚で小突くし、何かと連れ回すのである。オレも昔はマサ兄と呼んでいたし、マサキ先輩が小五でウンコを漏らして号泣した時も一緒にいたくらいの関係なので、高校の奴らのような憧れ方はしなかった。


 マサキ先輩の弟、つまりはオレの直接の友人だったカオルはオレやマサキ先輩と違い秀才だったので私立の進学校に進み、塾だ予備校だと忙しくて遊ぶ頻度は減ってしまったのだが、マサキ先輩とは高校も一緒だったし、オレが通学で使う自転車の荷台は先輩の専用座席みたいに扱われたので、何かと一緒に行動することが多かった。

 マサキ先輩にしてみたら、パシリのように使えて、文句も言わないし、変にゴマスリなどしないオレが気楽で扱いやすかったのだろう。

 オレも「マサキ先輩に呼び出されてるからごめんね」なんて理由を使って友達の面倒な誘いを断って家でゲームができたので、win-winの関係であった。

 そんな関係は互いに社会人になっても、あいも変わらず続いていた。


「アサヒくらいだよ。あんなワガママな兄貴に付き合ってやってるの」


 マサキ先輩の弟、カオルは苦笑して言った。


 マサキ先輩は体育会系なだけあって、上下関係や仕事での人付き合いなどはしっかりしているのだが、プライベートになると気分屋でワガママで、歯に絹着せぬ物言いをするから煙たがられるし、遊びに誘っておいて待ち合わせ時間ぴったしに「やっぱダリぃから今日ナシな」とかメール一本でキャンセルするような人だった。

 そんな人だから、段々と友達も愛想を尽かしていなくなってしまったようで、いつの間にかオレばかりを誘うようになった。


「兄貴もいい加減、恋人くらい作ってくれりゃいいんだけどな」

「黙ってればモテるのにね」

「外面だけはいいから、寄ってくる女はいくらでもいるんだけど、中身はアレだし、兄貴自体も選り好みが激しいからな。……結局いまだに童貞だろ」

「初体験は最高の女って決めてるんだってさ」

「バカだよな。アサヒの知り合いでいい子居たら紹介してやってよ」


 そんな話題は学生時代から定期的に出ていた。

 それで、今夜もマサキ先輩のために、彼氏と別れたばかりという後輩の女の子を連れて一緒に飲みにきたのだ。

 まあ、こうして夜空を見上げてマサキ先輩と二人で歩いているということは、今夜の回も失敗に終わったということなのだが。


「またダメでしたね」


 二軒目も行く予定だったのに、「明日、仕事早いんで、今日はこれで」と、後輩はそそくさと帰ってしまった。明日は遅番だから深酒しても大丈夫って昨日は言ってたはずだけど、マサキ先輩の自分勝手トークに愛想をつかしたのだろう。まあ、よくあることだから驚きはしなかった。 


「マジで? ダメだった? 結構盛り上がってなかった?」


 振り向いたマサキ先輩は心外って感じで目をぱちくりさせている。


「嘘でしょ。めちゃくちゃ引かれてましたけど。マサキ先輩全然気づかなかったんですか?」


「あれー、そうか。どこら辺から?」


 全然自覚がないマサキ先輩。オレは周りに人がいないことを確認しつつも、声を潜めた。


「……オナニーの話からですよ」


「俺のテクノブレイク未遂事件な! 結構良いネタだと思ったんだけど」


「面白いのは面白かったですけど、女の子の前で『連続でどれだけオナニーできるか試してたら心臓が止まりかけた』なんて話をしたら引かれるに決まってんじゃないですか」


 呆れつつも笑いながら指摘すると、マサキ先輩は憤慨って感じで眉間に皺を寄せた。


「んだよ、誰だってオナニーくらいするだろ。それを爆笑トークに昇華させた俺のユーモアについてこれねえなんて、つまんねー女だ」


 これだよ。いつもこれ。自分のせいで場の空気を悪くしても、反省しないどころか相手が悪いと言い出す。まあ、確かに後輩も「わたし下ネタもいけます」なんて余計なことを言ったのが悪いんだけど。


 マサキ先輩は男とか女とか関係なく、話したいことを話す。特に仲が良くなったり関係が近しくなるとそういう傾向が顕著に現れる。男女分け隔てなく同じような態度で会話をするというのは、とても素敵なことなんだけど、内容に関してはクソオブクソ。男同士でやってりゃ笑える話を女の子の前でするんだから嫌われるよ。


「もし、付き合うことになるなら互いに隠し事は無しでいきたいじゃん。互いの全てを認め合ってこそラブだろ」


 理想は良いけど、それで出てくるのが自慰の話って、ひどすぎるでしょ。

 こんなんだからうまくいかないのだ。女の子は夢を見たい生き物なのだ。汚い現実はいらないのだ。


 ……とはいえ、正直、話自体はめちゃくちゃ面白かった。相手が女子じゃなくて野郎ばかりだったら盛り上がったろうに。そこだけは少し残念だった。


「マジで本当に心臓が止まるかと思ったからな」


「もうやめて下さいよ。その話は」


 思い出しただけでも頬が緩むほど、馬鹿馬鹿しくてアホらしい話だった。


「だって、マジだぜ。ビビったよ。パソコンの電源コンセントを間違えて抜いちゃった時に画面が真っ暗になってブーンってハードディスクが止まる感じ? あんな感じになったんだよ、イッた瞬間に俺が、全身が。やばかったよー。死ぬんか? って思ったよ」


 嬉々として語り出すマサキ先輩。耐えられず吹き出して笑ってしまう。


「やめて、苦しい。もう良い年齢なんですから気をつけたほうがいいですよ」


「もうアラサーだからな。嫁さんまだかって母ちゃんもうるさくてさ」


「なら、もう少し女の子に気をつかった方がいいですよ」


「んー。気をつかってでも付き合いたいような極上の女だったらそうするけど、そんな良い女いねーじゃん。なら、はじめっから気を遣わないで、俺の態度に不満がない奴を探す方がよくね? 取り繕って付き合ったってストレス溜まるだけだしな」


「だから、彼女できないんすよ」


「ははは。そうなんだよな。でも、ぶっちゃけ、そこまで彼女とかいらねーからな。正直、女と遊んでも楽しいことあんまりねえし。お前とかとつるんでる方が楽でいいや」


 真っ直ぐな目で言われると、オレはなんだか照れ臭いし、恥ずかしいし、とてもうれしい。

 なんてことを気づかれないように軽口を叩きながら歩いて行くと、マサキ先輩の家が見えてきた。


「あら、マサキ。遅かったわね」


 電信柱の影から声をかけられてギョッとした。

 マサキ先輩のお母さんだった。深夜なのに家の前を箒で掃いていたらしい。

 昔から少し神経質なお母さんだったけど、最近、ちょっと顔つきが変わってしまっていた。心の調子が良くないようだ。それでマサキ先輩は実家に戻って世話をしている。


「あら、アサヒちゃんも一緒なのね。こんばんは」

「おばさん、こんばんは」


 どこか遠くへ行ってしまったようなおばさんの姿を見ると心が痛む。


「母ちゃん、なんでこんな時間に掃除なんかしてんだよ」


 マサキ先輩はケラケラ笑って、掃除は朝にしたほうが気持ちいいよ、とおばさんの背を優しく押して家に入れようとする。しかしおばさんはイヤイヤをするようにその場から動かなかった。


「それよりあんた、いつまでもふらふらしてないで早く結婚して孫の顔を見せておくれよ」


「なんだよ急に。またその話かよ。俺なりに頑張ってっからよ」


 最近は話もあまり噛み合わないとマサキ先輩が言っていた。いたたまれない気持ちになる。


「そんなこと言って、彼女の一人くらい連れてきなさいよ。……そうだ、アサヒちゃん。よかったらマサキ貰ってくれない?」


 おばさんの爛々と光る瞳がオレを捉えた。

 おばさんにとっては何気ない一言だ。わかってる。けど、やっぱり、少し体が硬直してしまう。

 そんなオレに気づいてか、マサキ先輩が間に入る。


「何を突然、馬鹿なこと言ってんだよ。アサヒは弟みたいなもんだろ。いいか母ちゃん。俺は良い女としか付き合いたくねんだよ」


「まあ。そんな酷いこと言ったらアサヒちゃんが可哀想でしょ。アサヒちゃんだってお化粧とかちゃんとしたら絶対可愛いわよ。私にはわかるわ」


 オレはできるたけ顔が引き攣らないように愛想笑いを浮かべた。


「私は二人が一緒になってくれたら嬉しいわよ。アサヒちゃんのことは昔から知ってるし」


「はいはい。そういうデリカシーないことは言わないの。ほら、早く家に入って」


 マサキ先輩は優しい顔でおばさんの言葉を制して、玄関の扉を開けると、おばさんの背中を押した。


「もう、じゃあアサヒちゃんおやすみなさい。またね」


「……はい、おやすみなさい」


 おばさんを家に押し込めて、マサキ先輩はドアを背に夜空を見上げた。


「はあ。アサヒ、わりぃ。母ちゃんも悪気はないからな。許してやってくれよ」


「うん、大丈夫。慣れてるし」


 少し黙る。


「ま、俺にとっちゃお前は本当に弟みたいなもんだからな」


 マサキ先輩はカラッと笑って、オレの頭をぐしゃぐしゃっと乱暴に撫でた。自分の弟にも良くしていた彼なりの愛情表現だ。


「お前はお前だよ。男とか女とかカンケーなくて、お前はお前。少なくても俺にとってはな」


「……うん。マサ兄だけは昔からそう言ってくれたよね」


「俺だけってことはないだろ。みんなお前のこと理解しようとしてんだろ。知らんけど」


「頭ではね。でも、やっぱり変だと思われてる。態度でわかるんだよ」


 社会的にもオレみたいな存在を認知しようとしているのはわかっている。色々な人が声を上げて、誰でも生きやすい社会にしようとしているのはわかってる。けど、やっぱり嫌悪感を抱かれたり奇異の目で見られることは多い。でも表面上は理解しようとしてますって態度だから、オレのもやもやは行き場がない。


「そうか? ならそうかもな。ま、他人からの目なんて気にしたってどうしようもねえじゃん。俺だって変人扱いされてるもん。自分らしく生きるしかねーじゃん。ま、辛気臭ぇ話はだりいから、今日は帰ろうぜ」

 

 マサ兄は面倒臭そうな態度を隠そうともしなかった。


「……うん。そうだね。ごめん」


「じゃあ、またな。気をつけて帰れよ」


 そう言ってマサキ先輩はさっさと部屋に入っていってしまった。 

 いつものマサ兄だった。自分勝手で人の悩みなんかどうでもいいって思ってるのだろう。


 でも、それが心地よかった。


 オレがカミングアウトした時も、「へえ。そうなんだ」の一言で片付けて、何一つ態度が変わらなかった。

 親との関係だってギクシャクしたのに、マサ兄だけは本当に何も変わらなかった。

 それだけで、オレは涙が出るほど嬉しかったのだ。


 バタンと扉が閉まり、オレは星のまばらな夜に取り残された。


(自分らしく生きるしかねーじゃん)


 マサ兄のぶっきらぼうな言葉が、なぜかとても温かく心に残った。


 自分らしく生きるしかないもんな。


 自嘲気味に呟いて、オレは夜道を歩き始めた。




 おしまい。



 

 



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