最終話 いつまでもこの青い空の下で

 「じゃ、先輩達、撮りますよーー!」

スマホを向けているのは、ひいらぎ夏人なつとのインターハイでの活躍に刺激され入部した、後輩達だ。

秋月あきつき先生も入って下さいよ!」

側で見ていた秋月に斗真とうまが声をかける。

「え?いいんですか?」

「当たり前じゃん」「秋ちゃんセンセは俺らの顧問でしょ?」「っていうか仲間?」「そうだよね、仲間だよ」

5人に手招きされた秋月は少し照れながらも、笑顔でその輪の中に入った。




 柊祐介ひいらぎゆうすけ椎名夏人しいななつと吉澤斗真よしざわとうま城之内巧じょうのうちたくみ上野樹うえのいつき。5人は今日、青華せいか高校を卒業する。

 

 式典も、各々のクラスで最後のホームルームも終わり、青華高校水泳部員は晴れ渡った青空の下、まだ肌寒いプールサイドに集合していた。

5人は最後のミーティングの場所を部室ではなく、この思い出のプールサイドを選んだ。


 「吉澤くん、柊くん、椎名くん、城之内くん、上野くん。卒業おめでとう!」

そう言った秋月に、5人は「あざっす」と深々と頭を下げた。

「2年という短い時間だったけど、最高の君たちと、最高に素晴らしい時を共に過ごせた事は僕にとって一生の宝物です。本当にありがとう」

頭を下げる秋月に、斗真が笑顔で言う。

「お礼を言うのは俺らですよ。先生がいなかったら、競泳がこんなに楽しいものだったなんて知らずに卒業してました」

他の4人も大きく頷いた。



 「初めての事ばかりで頼りない顧問だったと思いますが、最後にそう言ってもらえるなんて。僕は幸せ者です」

満面の笑みを見せた秋月のその目には、光るものが見てとれた。

「これから君たちは思いや夢を持って、それぞれ違う道を歩いて行きます。その道のりはもしかすると平坦ではないかもしれません。泣いてしまう時や、挫折することもあるかもしれません。そんな時は、どうか青華高校で過ごした3年間、そしてここで仲間と泳いだ時間を思い出して下さい。この場所は君たちの原点です。もし壁にぶつかって動けなくなったら、ぜひこのプールを訪れて下さい。一度原点に戻ると、意外と簡単に答えは見つかるかもしれませんよ」

そう言いながら秋月は、少し離れた場所に居た1年生を見た。


「君たちに後輩たちの活躍が耳に入るよう、僕も顧問としてもっと努力します。だから君たちも母校の水泳部を誇りに思って、これからの人生を謳歌して下さい。そしてぜひ大人になった顔を見せに来て下さいね」

5人は黙ったまま秋月の話を聞いていた。

 


 『卒業』

その言葉を今、5人全員が改めて実感していた。

勉強してきた教室も。昼休み遊んだ体育館も。友人たちとサッカーした校庭も。そして3年間泳いできたこのプールも……。

今日で高校生活が終わりであることが、急に寂しさとして込み上げてきた。


 

 「ありがとうございました!」

秋月と後輩たちに向かって、5人が揃って頭を下げた。今にも溢れ落ちそうな涙を必死で抑えながら、大きな声で最後の挨拶をした。



 「さてと、最後に思い出のコンビニ行きますか!」

いつもの調子に戻った巧の提案で、コンビニに寄り道することになった。

「そういえば、柊と夏人は東京のアパートは決まったのか?」

不意に斗真が聞いてきた。

「おう、決めたよ。東京はやっぱ家賃が高いわ。お互いの大学から少し離れたとこになったのは仕方がないかな」

「でも、割と駅に近いから悪くないよ。ちょっと築年数は古いけどね」

そう言った夏人は嬉しそうだ。

「東京で同棲かよぉ。羨ましすぎるわ!」と言った樹は、夏人のその顔を覗き込んだ。


 「で、夏人は何科の医者を目指してるの?」

今度は少し前を歩いていた巧が、振り返って聞いてきた。

「外科医」

即答する夏人に、巧も斗真も樹も「あーーー」と声を揃えて納得した。

「やっぱ、柊の事故がきっかけ?」

立ち止まった巧に「うん」と夏人は頷いた。


 「俺、柊くんの事故の時、自分の無力さをすごく痛感したんだ。俺は競泳から離れるけど、柊くんはこれからもっと厳しい環境になるでしょ?俺が出来ることは何かって考えた時、彼の心身のケアをしてあげることかな、って思って……。その為にはたくさん知識が欲しいし、外科医になれば万が一ケガをした時にも役に立てると思ったんだ」

堂々と話す夏人の、その清々しい顔に思わず全員見入っていた。

「え?俺変なこと言った?」

4人の視線を感じた夏人は、狼狽した様子を見せる。


 「柊。最高の嫁だな」

斗真が柊の肩を叩く。

「柊。嫁、大事にしろよな」

巧も柊の肩を叩き、樹は「そうだな」と頷く。

顔を赤らめた夏人の肩を、柊はぐっと引き寄せた。

「もちろん大事にするし、ずっと一緒に生きて行く。俺は夏人を愛しているから」

そう言い切った柊の目は、何の迷いもなく、一点の曇りもない。まるで少年のような澄んだ瞳だった。

その瞳に吸い込まれそうになった夏人は「俺も」と、はにかんだ。



 校門を出た所でふと夏人が立ち止まり、校舎を振り返った。

「夏人?どうした?」

柊が声を掛ける。

校門ここで初めて柊くんと出会ってから、俺の時間が動き出したんだよな、って思い出しちゃって」

「え?俺らが初めて会ったのって校門ここじゃないだろ?プールだろ?」

それを聞いた夏人はクスクスと笑った。

「柊くんは覚えてないだろうけど。あの日、俺教室にプリント忘れちゃってさ。戻ろうとした時、柊くん達とすれ違ったんだよね」

「え?そうだったか?」

「うん。柊くんの横を通り過ぎた時、プールの匂いがして。あ、水泳部の子たちだって思ったら、あんなに嫌いだったプールなのに、どうしてか無性に泳ぎたくなって……」

「それでプールに浮いてたお前を俺が見つけたってわけか」

「うん。だからもしあの日、俺がプリントを忘れなければ」

「俺も更衣室にスマホを忘れなければ」

2人は顔を見合わせた。

「柊くん、これって……」「運命の赤い糸ってやつだな!」



 ケラケラと笑う柊と夏人に「おーい!お前ら先行くぞ!」と横断歩道の赤信号で待っている巧が大声で声を掛ける。

「おう!今行くよ!」

柊が応えると、「ほら」と夏人に手を差し伸べた。

夏人は、その手を勢いよく掴み、こう言った。

「これからもよろしくね!祐介!」



 突然、『祐介』と名前を呼ばれた柊は驚いたと同時に、夏人と繋いでいた手に思わず力が入った。

「俺こそよろしく夏人!これからはずっとこの手を離さないから、覚悟しておけよ!」

柊と夏人はその手を繋いだまま、2人を待っている斗真、巧、樹の元に走って行った。



 春先の少し冷たい空気を運んでくる澄み切った空は、どこまでも高くそして青かった。

                              

                                 −完−

  




                                  









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただ君に空を見せたかったんだ 姫川楓 @kumahime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ