epilogue◇嘘つきは恋を始めない


「今日は飲むねぇ小野寺ちゃん。ちゃんと帰れるか?」

「潰れたらかじさんが連れて帰ってくれる」

「こら、上の階に住んでるだけだろお前は。連れて帰らせるな、というかその為に俺の店で飲むのやめなさい」

「いいじゃないかあ、梶さん仲良しだしゲイだし安心じゃないかあああ」

 それとこれとは別! としっかり叱ってくれる優しい友人に甘えて、私はカウンターにべちゃりと体を伏せた。ああ落ち着く。素晴らしきかな花の金曜日。大好きなお酒。スナックなんて最初は抵抗があったけれど、今ではすっかり常連客だ。

 梶さんの不思議な採用基準で集まった楽しい店員さんに、明るく歌う馴染みのおっちゃんたち。最近まで女子高生に戻ったりなんかしていた私には、帰ってきたという感じすらするのだ。

「はー、いつも内側にいる自分がカウンターの外で座るなんて、いつまで経っても新鮮」

「おいおい。図書室と酒場を一緒にしちゃ駄目だろ」

 何杯目かの梅酒をあおった。実はソーダ割りが一番酔うという話も聞く。でも私はこれが好きで、ついつい頼んでしまう。

 後ろからおっちゃんに「小野寺ちゃーん」と呼ばれたので、振り返って手だけ振っておいた。今日は梶さんとおしゃべりしたい気分だから動かないぞ。まあ梶さんの方が動いて行っちゃったけれど。待っとくけれど。

 出してもらっていたチョコレートをつつく。伊澄くんってお菓子好きかな。金平糖食べてくれたのかな。そもそも甘いもの好きじゃなかったらどうしよう。

(子供にピアノを教える先生になってみたい、かあ……)

 宣言されたのはもう先月の話だ。なのに今も余韻が引かない。まだ少年みたいな歳の彼が一瞬ぐっと大人びて、輝いていた。あんなことを言われてしまっては、私も負けてはいられないというものだ。

「そうそう、家まで送るといえばさぁ。こないだ小野寺ちゃんが高校生っぽい子に送り届けられてたの見ちゃってマジでウケたんだけど。あれ何だったわけ」

 会話のタイムロスなど感じさせないノリで、ひょいと梶さんが戻ってきた。手元にはちゃっかりグラスが握られている。今ご馳走になってきたな。

「み、見てたのか……。たまったま生徒と帰りが一緒になったんだけれど。奇遇だな僕もこっちだ、奇遇だな僕もこっちだ、奇遇だな……って乗る駅も降りる駅も出口もその後ずーっと繰り返してきてだな」

「今の面白いな、それモノマネ? ちょっともう一回やって」

「奇遇だな僕もこっちダー」

「その棒読み加減にリアリティ感じるわ。で、のこのこ送られたんだ」

 ん! とグラスを差し出すと、梶さんがおかわりを作ってくれた。秋も深まってきたのが嘘みたいに、お酒と暖房で体が温かい。

「最初は信じていたよ。でも家の近くまで来たらさすがに気付く。こんなに生活圏が被っているならもっと早く会ってるだろとお説教したさ。君は生徒で私は教師、むしろ送られてしかるべきは君だ! ってね」

「あっはっは、可愛い子だこって。随分と懐かれてるなぁ」

 懐かれている。そうだ私はあれからすっかり伊澄くんに懐かれている。

 伊澄くんといえば塩対応の代名詞だったはずなのに、先生、先生と周りをちょこまかされると可愛くて仕方がない。しかもちょこまかするくせに基本姿勢は塩。塩分過多。かと思えばうっかり真織って呼んでくる。唐突な砂糖。一瞬で糖尿病。

「可愛いが大渋滞している。伊澄くんはお姉さんをどうするつもりなの……」

「名前で呼んじゃって、やぁらしい先生だな。何、こっちの方がメロメロ? 面白すぎるわー。どんな子か会ってみたい」

「やらしいってなんだ。というか梶さん、未成年たぶらかしちゃ……や、梶さんは可愛い系好みじゃないから大丈夫か。なんだっけ、やや男くさい年上サラリーマン?」

「を、組み敷くのが大好物。って何言わせんだよ小野寺ちゃんのえっち。まあ俺の嗜好はいいとして、生徒に惚れられるとか禁断の恋じゃん。燃えちゃうねぇ」

 ひゅっと喉が詰まった感覚がして、一気に咳き込んだ。

 水分を求めてグラスを勢いよく傾ける。……ソーダのキツい炭酸で余計にむせただけだった。涙で潤んでしまった目で精一杯強い視線を梶さんに向けて、呼吸を整え終わってから、叫んだ。

「誰が惚れられとるかー!!」

 でも同時に後ろのテーブル席から盛り上がった歓声が大きく響いて、私の声なんて大して目立つこともなかった。くそう。梶さんも別段驚いた様子がない。むしろ私が愕然としている間に、サラッと他の客から注文を取って飲み物まで用意する落ち着きっぷりだった。

 伊達に店を切り盛りしていない。梶さんは強い。

「じゃあ小野寺ちゃんがその子に恋してるとかじゃねぇの」

「……恋なんてしてないに決まっているじゃないか。相手は高校生だぞ」

 あの純真な少年を、それこそ私がたぶらかしてはいけないんだから。澄ましているくせに情熱的で、ちょっと負けず嫌いで。本当はとても繊細な心の持ち主。だけど努力する大変さと、それが報われない辛さも知っている強い子だ。

 幸せな恋をしてほしい。誰か、隣に立っていてもおかしくない人と。

「……やっぱり今日は酔い潰れる! 梶さん連れて帰って、鍵の隠し場所教えるから!」

「それはお互い老後まで独り身だった時にって約束! 守れっ」

 なんでどうしてと駄々をこねる私に、梶さんはため息をつくとカウンターから出てきた。私の隣にどかりと腰を降ろす。

 なぜか少し男の人っぽい顔に見えた。男の人だけれど。

「確かに俺が小野寺ちゃんを襲うことはあり得ないけどな、押さえつけて好きにすることは出来ちまうんだぞ。わかるか、腕力で勝つからだ。ナアナアにして男っていう存在への危機センサーが死ぬと、アンタの女としての価値が下がるんだよ。だから駄目」

「~~梶さん! 好き! そういうところ好きだよ! なんでゲイなの! でもゲイじゃなかったら梶さんじゃない! ずっと友達でいて!!」

「……あのな。いくら俺が隠してないからって人の性癖連呼するのは失礼だぞ」

「好きだあああ……ぐぅ」

「あ、コイツ寝やがった。しばらく転がしとくか」

「んふふぅ……ふぃがろぉ……むにゃあ」

 ちょっと、調子に乗って、梅酒を摂取しすぎた。

素晴らしきかな花の金曜日。二日酔いなんて恐くない。明日は仕事じゃないのだから平気だもんね。仕事じゃないなら伊澄くんにも会わないし。

 伊澄くんも大人になったら、梶さんみたいなイイ男になるのかもなぁ。背だってまだ伸びるかもしれないし。その頃にはおばさんになっちゃう私のことなんて、構ってくれなくなるのかな。それは、寂しいな。

「恋なんてしてない、ねぇ。……嘘つき」

 梶さんが何か言った気がしたけれど、ふわふわとした心地で睡魔に身を委ねた私にはよく聞こえなかった。

 夢の中で私は魔法使い。金平糖の星屑が散る空を軽やかに飛んで、紫色の大きな帽子を被っているんだ。服はそうだな、セーラーでいいや。

 どこかでフィガロが流れている。それだけで胸がドキドキと高鳴る。

(大丈夫、恋じゃないよ)

 これは呪文さ。小さく唱えて、私は私の心に

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嘘つきは魔法使いの始まり 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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