結局、二人が署に戻れたのは夜半だった。

 黒コートの男は緊急治療処置を受けていたが、残念ながら程なく死亡した。

 監視カメラの確認や受付担当への聴取から、彼は治療を求めて病院へやってきたことがわかった。しかし、男の支離滅裂な言葉に受付が対応できず、苛立った男が激高し、傷害事件に発展したのだ。

 

 病院での事件は、野次馬が撮影した映像がネットに公開され、大きな話題となった。

 おぞましい姿に成り果て、暴れ狂う男は、まさに妖怪や怪物というに相応しく、メディアは挙ってこの“眼球男”を報道した。

 男が姿を変えた原因は何か?

 身体のそれは本当に眼球なのか?

 彼は何者なのか?

 メディア上で飛び交う怪人に、やがて、誰かが名前をつけた。

 ”百々目鬼どどめき

 全身に目玉のある妖怪の名だ。


「結局、あの人が原因だったんでしょうか?」


 山田が見つけた二件の被害者との共通点。

そして、病院で起きた傷害事件から、世間も署内も、あのホームレスの男が全ての元凶だったのではないかと疑っていた。

 しかし、


「俺は違うと思っている」

「え、どうしてですか?」

「お前も同じ考えだろ、橘」

「え?」

「お前もあの監視カメラの映像を見て、”黒コートが女性”だって見抜いてただろ。画像は荒いし、顔も見えないのにな」

「私…そんな事、言いましたっけ…?」

「ああ、言ってた。どうやらお前にも刑事の勘ってやつが芽生えてきたみたいだな」

「うーん…それは喜んでいいのかなぁ…」

「なんでだよ」


 国元も、監視カメラの映像の人物は女性だと考えていた。僅かに判別できる所作に女性らしさを感じたのだ。そして、橘も映像の人物を女性と断じたことで、彼は映像の人物を女性だと確信していた。

 だが、もし犯人が女性ならば、黒いコートを着たホームレスの男は何なのか?

 きっと、あれは”目眩まし”だ。国元はそう考える。

 犯人が自身への容疑を逸らすための囮。その為に、何の罪もない者に濡れ衣を着せたのだ。

 しかし、確たる証拠はない。

 あの眼球が一体何なのか分析できれば――そう、例えば、あの”症状”を薬物や何らかの条件によって発症させられると証明できれば――…


「…――輩! 先輩ってば!」

「っと、すまん。考え事してた。なんだ、橘」

「今日はもうご飯食べて帰りましょうよー」

「ん、あ、ああ、そうだな」


 時計を見れば、既に0時に近い。


「終電無くなっちゃいましたよ…。先輩、家まで送っていってくださいね!」

「えぇ?」

「何ですか、嫌なんですか? 私に歩いて帰れって言うんですか!? 女性を自宅まで送るんですよ? ワンチャン期待したりしないんですか!?」

「分かった分かった…」


 マシンガンのように捲し立てる橘を宥めながら、国元は椅子の背に預けていた上着を手に取った。



 翌日、国元刑事は署に現れなかった。

 橘を送り、彼女に部屋へ招かれ、しばらくして別れた後、彼は帰路に着いたはずだった。しかし、自宅にも彼が戻った形跡はなかった。


 数日後、彼は荻原峠の崖下に転落した車内で発見される。

 転落車を確認した捜査員が見たものは、”百々目鬼”となった国元刑事の無惨な姿であった。

 現場検証から、国元は走行中に”変異”し、パニックを起こして崖下に転落したと推測された。

 そして、その推測を裏付けるように、”眼”の被害者達から驚くべき検死結果が出た。

 彼らの体内から、新種の真菌が発見されたのだ。


「先輩…」


 深夜、橘は帰宅することなく、空のデスクを見つめていた。


「私、先輩のこと好きだったんですよ」


 この真菌はカンジダ真菌に近いDNAを持ち、人の粘膜から感染。体内で真菌が活性化した場合、短時間で眼球に似た嚢腫を全身に作り出し、非常に強い痒みと痛みを伴う重篤な皮膚真菌感染症を引き起こすことが分かった。

 世間は騒然となった。

 幸い、粘膜を介しての感染であること、感染者が免疫低下状態であるか、真菌の活性状態(嚢腫発生前の兆しとして、肌にシミが生じる状態)でない限り重症にならないこと、そして既存の坑真菌薬が有効なことから、パニックは程なく収まった。

 一連の事件は新種の真菌感染症に依るものと結論付けられ、荻原市では市民全員に抗真菌薬の投与が行われる運びとなった。


 以上が『荻原市連続眼球怪死事件』の全容となる。






「――でも、仕方ないですよね。先輩とも”合わなかった”んだもの」


 だが、最初の被害者らにはもう一つ共通点があった。

 最初の被害者と2人目の被害者には、婚活マッチングアプリのユーザーという共通点があったのだ。

 この国内シェア最大の婚活マッチングアプリには、二十代から四十代までの男女、約3000万人が登録している。

 そして、ここにも一人、そのアプリを登録している者がいた。


「あーあ、いつになったら、私に合う人が見つかるんだろ」


 橘はスマートフォンの画面をスワイプし、映った男性の写真を選んでいた。

 彼女の両眼は、次々と流れる男性の顔写真に目移りしていく。

 ふと、画面の光に照らされる彼女の白い顔に、うっすらと眼球にも似た”シミ”が浮かんだ。


「おっと」


 真菌の活性化状態を示す徴は、彼女の意に従い、直ぐに消える。


「次の人とは、上手くいくといいなぁ」


 なお、確認されたこの感染症の事例は全て男性の感染事例のみであり、女性が感染した場合の影響は、未だ確認されていない。

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メウツリ 荻原市連続眼球怪死事件 ささがせ @sasagase

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