カラフルレイン

うさみち

カラフルレイン

 僕には両親がいる。

 ――でも、両親はいない。


 この矛盾した問題を抱えながら、交通量の多い車道脇を歩くことは、もう、慣れた。


 ――ポタ、ポタポタ……、ザーッ。


 雨が降ってきた。


 通学鞄から折り畳み傘を出し、留め具を外して傘をさす。――この作業に、思考はない。


 二車線の道路を急くように間を縫い、抜きつ抜かれつする車たち。


 白、黒、灰……。


 僕の心も、視界もいつの間にか三色だけになってしまった。


 ……あ……れ……?


 なんだか、視界がぼやける気がする。

 そういえば、最後に食事をしたのはいつだったろうか。


 『このお金でしばらく生活してちょうだい 母』

 という書き置きに添えてあったお金も、そういえばしばらく手をつけていなかったことを思い出す。


 互いの恋人の家へ行って帰ってこない父と母。

 ――僕には、両親がいない。



「あっ……」


 高校の門まで後数歩。

 視界が急に歪み、画面が灰から白になる。



 ――ガシッ!


 急に力強く、右腕を掴まれた。


 ――そうか、倒れそうになっていた僕を誰かが支えようとしてくれたのか。


 傘の角度をずらし、片膝を突きながら顔を上げる。


「ありが……


 ……………………………………!」


 立ちあがろうとした瞬間、立ちくらみしてしまった。すかさず支えようと手を差し伸べてくれたのは、女の子だった。


 ポニーテールに結われた毛。

 首元のリボン。

 トップスとプリーツスカート。

 僕の三色の世界ではどんな女の子なのかは鮮明にわからないけれど、同じ高校だっていうことだけはわかった。


「君、大丈夫? 顔色、とっても悪いよ。保健室、連れて行ってあげる。何年生? 名前は?」


「佐藤……麗音レインです……。一年生」


「レイン、かぁ。素敵な名前ね。私はね、藍堂あいどう彩愛さや。二年生だよ。よろしくね」


「ありがとうございます。藍堂先輩」


 大丈夫だよ、と言いながら肩を貸してくれる藍堂先輩は、傘からはみ出て灰色の雨で濡れてしまった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 ――見知らぬ、真っ白な天井。


 いつの間にか、僕は横になっていたようだ。

 保健室かもしれない。

 左右を見渡すと、カーテン越しに人影が見える。


 僕の物音で気がついたのか、「あ、目覚めたのね。開けるわよ」と断りがあってカーテンが開く。


「気がついたのね。良かったわ。先程藍堂さんが連れてきてくれたのよ。貴方、貧血状態だと思うわ。ご飯、食べている?」


 養護教諭の先生だった。

 僕の世界では先生の顔色がよくわからないから、先生の眉間の影の色で、心から心配してくれているだろうことを推察する。


「ご飯……はい。昨日……たしか、昼に学食で」


「昨日の昼⁉︎ 昨晩と今朝は?」

「……いいえ……。大丈夫なので、両親には連絡しないでください」


 先生は困ったふうに片頬に手を当ててから、僕の右肩に手を置いた。


「困ったことがあったら、いつでもいらっしゃい。私にできることなら、なんでも協力するわ。授業中でもいいから、とりあえず困ったらすぐここへ来るのよ」


 今日の昼食は……と、先生が話を続けようとしたところで昼のチャイムが鳴る――と同時に、バタバタと廊下を駆ける音が近づいてきた。


 ――トントン! ガラッ!

「失礼しまーす! レインくん、大丈夫ですか?」

「藍堂さん、先程はありがとうね。……ちょうど今、目覚めたところよ」


 空いたカーテンから顔を覗かせた先輩。

 灰色の雨で濡れてしまった制服ではなく、学校のジャージを着ている。


「良かった。レインくん、さっきより顔色良さそう」

「先程は、ありがとうございました」


 僕の言葉に、先輩はクスリと笑う。


「やだなぁ、たった一学年差なのに、そんなにかしこまらないでよっ。タメ口でいいの、タメ口で〜! 実はね、レインくんと一緒にお弁当食べようと思って。持ってきちゃった」 


 先輩は、何故かお弁当袋を二つ持っている。

 本当は別の人の分ではないんだろうか。


「先生、保健室で食べて良いですかっ?」

「いいわよ。後は藍堂さんに任せようかしら。先生は職員室で食べてくるわね。一時前には戻るから」

「はーいっ」


 先生は、僕たちに気を利かせてくれたのか、にこりと微笑んで保健室を出て行った。


 先輩は、手慣れた様子で保健室の壁に寄せてある長机と椅子をセッティングし、僕を手招く。


「食べよ!」

「……でも、それ、誰かのじゃ……」

「ああ、これ? 二つとも、私が食べようと思ってたやつだから」


「ええっ⁉︎」


 ――その、小柄な体で?


 と、思わず失礼な発言をしそうになったところで、僕は言葉を途中で止めた。


「ふふふ。冗談だよっ! こんなに食べられるわけないもん。せっかく作ったのに、お兄ちゃんが忘れて行っちゃって。もったいないから本当に二個食べようかと思ったけど……無理したらお腹壊しちゃいそうだし良かったぁ」


「ふふふ……」


「あ、やっと笑ってくれたね」


 先輩は、小首を傾げてニコリと微笑んだ。


 ――笑う? 僕が?


 そういえば、今……笑った気がする。

 最後にいつ笑ったか記憶にないのに。

 僕は自分が信じられなくて、思わず片頬をさすりと撫でる。


 ――本当に僕の顔が、笑ったんだ……。


 改めて思い返せば、笑えていた気もする。


 先輩は心配そうに眉尻を下げた後、お弁当を一つくれた。

 包みを開けたお弁当は、見事に片側に寄ってご飯とおかずの境目がなくなっていた。


「あぁ……。ごめん、寄っちゃったね。……んー、でも、お腹に入れば一緒だからっ。食べて食べてっ」


 ――きっと、お兄さんのために、心を込めて作ったんだろう。


 人を想って作ったご飯は、冷えていても心が温まる。


 僕は、一口、また一口と。

 口に運ぶたびに、涙が出た。

 先輩の前だというのに恥ずかしいけれど、止めることができなかった。


「あ、ごめん、美味しくなかったかなぁ……?」

「いえ、違うんです……。……誰かと一緒に食べること、誰かに作ってもらったご飯を食べること……こんなに美味しいんだなって思ったら、涙が……」


「そっかぁ……」


 先輩は僕にそれ以上聞くことは無かったけれど、このままだと無言の空間になってしまうことを気遣ってか、身の上話を始めてくれた。


「うち、両親がいなくてね。お兄ちゃんと二人暮らしなの。……小さい時に、交通事故で亡くなっちゃってね。相手は、飲酒運転だった」


 先輩は、泣きもせずに言葉を続ける。


「ずっと、お兄ちゃんが私のこと育ててくれたの。お兄ちゃん、社会人なんだよ。感謝してる……」

「はい」


 僕はやっとのことで、相槌が打てるようになった。


「……でもね、聞いてよ〜! 最近彼女ができたみたいで、浮かれちゃってさ! 今日も私が作ったお弁当、忘れてっちゃったんだから! も〜! ひどいでしょ?」


 と言いつつも、お兄さんの幸せを心から喜ぶように、笑う先輩。


 先輩の話で、凝り固まった僕の心は、少しずつ緊張の糸がほどけていくような気がする。


 ――僕も、ポツリ、ポツリと身の上話を始めた。

 誰にも……養護教諭の先生にすら、話す気はなかったのに。



 僕の話を聞き終わった先輩は、優しく僕の頭を撫でてくれた。


「つらかったね……。よく、頑張ったね……」

「うっうう……。は、はい……」


 僕はしばらく泣いた。

 恥ずかし気もなく。


 それでも先輩は僕が泣き止むまで、ずーっと、いいこいいこし続けてくれた。


「なんだか……私と、似てるね。私もね、お兄ちゃんに彼女ができたことは嬉しいけど、なんだかんださみしい。……一緒だね」


 優しい先輩。

 どこまでも、僕の心に寄り添ってくれる。

 そんな先輩の頬には、ほんのり赤みがさしていた。


 ……あれ……?


 ……『赤』………………?


 先輩の顔を改めて見た途端、

 ――――僕の世界は唐突に、


 カ ラ フ ル に 色 づ い た。


 目の前にいる先輩。


 ポニーテールに結った、栗色の毛。

 髪留めの、淡い黄色のリボン。

 襟には3本の白ラインが入った、学校指定の紺のジャージ。

 彩度の高い茶色の瞳に、淡いピンクの頬。


「あ、雨だよ……」


 先輩は立ち上がって、保健室の窓ガラスへと駆け寄って行った。


 先輩の背後、ガラス越しに校庭へ降り注ぐのは、たくさんの――七色の雨。



 ――カ


  ――――――ラ


     ――――――――フ


      ――――ル


  ――――――レ


 ――――イ


    ――――――――――ン



 僕の心のしがらみのほぐれとともに、

 僕の世界に色彩が戻った。



「なんて……綺麗な世界……」



「……ん? なにか言った?」

「いいえ、なにも……」


「そうだー! お弁当、二個作るのも三個作るのも一緒だから、明日から一緒に食べよう?」

「……嬉しいです」



 それから、僕と先輩は保健室で。

 時に養護教諭の先生と一緒にお弁当を食べることになった。


 ……先輩のおかげで、僕の世界には、再び色が戻ってきた。

 



 ――まるで優しい七色の雨カラフルレインが、僕の凍った心を、溶かすように。



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カラフルレイン うさみち @usami-chi

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