スーサイド:10ミニッツ

秋野てくと

”無”にされる前に死ね!!!

急いで生きないと。

死に追いつかれないように。

――ジェームズ・ディーン


◇◇◇


「とりあえず受けてみればいいでしょ?

 人生の時間は有限なんだし。

 当たって砕けろ、よ!」


「駄目駄目、レベル上げてから挑戦した方が絶対いいっす。

 せめて召喚獣が使えるくらいになったら……」


「でも、召喚獣って召喚士が戦闘不能になったら消えちゃうし。

 頼りにならないんだよねえ」


「それでも召喚獣なら、消滅してもまた召喚すればいいじゃないすか。

 人間は死んだらおしまいなんすよ!」


「……死んだらおしまい?」


 あれ。

 このやりとり、前にもしたことなかったっけ?


 王都グリフィス──城下町の酒場にて。

 一杯を銅貨2枚で飲める安物のエールで喉を焼きながら、相棒であるソーマとD級クエスト『ゴブリンの洞窟』を受けるか否かで軽い口論をしていた時のこと。


 唐突に、あたしは


「そうだ!

 死んだらおしまい、じゃなかったんだった!」


「は?」


「ごめん、ソーマ。

 あたし行くね」


 あたしは立ち上がった。

 一目散に出口に駆ける。

 食い逃げの気配を察知した店主のおじさんに「ちょっと、お代!」と背中越しに声をかけられたので、小銭を出す時間も惜しくなり、あたしは振り返ると手持ちのアイテム袋を丸ごとソーマにぶん投げた。

 中には全財産が入っている。


「それ、あげる」


「姉御はどこに行くんすか!?」


「あたし、死ぬから!

 クエストもキャンセルで!」


 あんぐりと口を開けたソーマは、まだ何かを言おうとしたが──その返答を待つ間もなく、あたしは酒場を後にした。

 悪いがコトを説明している暇はない。

 なにしろ、制限時間はあと10分しかないのだから。


 急いで死なないと。

 『奴』に追いつかれる前に。


 飲み屋街を抜け、迷路のように入り組んだ路地をあたしは走った。

 走る、

 走る、

 走る!

 目当ては王都の外に通じる道だ! 王都の敷地内で死んでも意味がない。

 ここから最寄りの外門は──と、あたしが脳内で巡らせていた思索は、ここでいきなり断ち切られることになった。


 ぞわり。


 足元を底冷えするような瘴気が流れていく。

 はぁー……と、生臭い吐息が肩にかかったのを感じる。

 足を止めるな。

 気づいていないふりをしろ。

 早まる心臓の鼓動を、無理矢理に手で抑えつける。

 あたしはこれまでの転生で得た経験をもとに、背後で感じている邪悪な気配から、必死で気持ちを逸らすようにした。

 黒目を動かずに注視すると、視界の隅をちらちらと黒い布きれのようなものがたなびいているのがわかる。

 間違いない──『奴』だ。

 それでも足を止めるわけにはいかない。

 叫び出したくなるような恐怖と戦いながらあたしは走る、が……。


「きゃあっ」


 角を曲がったところで、突然現れた岩に頭を打ちつけてあたしは倒れた。

 いや違う、岩じゃない。

 それは岩のように身体を鍛え上げた筋骨隆々の冒険者の男だった。

 B級か、それともA級か──いずれにせよ、高ランクの上級冒険者と一目でわかる強者だ。

 男の傍らにはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた取り巻きたちがいる。


「おいおい、嬢ちゃんよぉ。

 目ん玉ついてんのかよぉ」


「へへっ、ずいぶんと顔が赤いぜ。

 酔っ払ってんじゃねえの?」


 くそっ、こいつらの言うとおりだ。

 安物とはいえ、エールを10杯も飲んでいたバチが当たったようだ。

 あたしが急な飛び出しに対応できなかったのは、どうやら体内にアルコールが回ったことによる酩酊感も作用していたらしい。


「おい……小娘……」


 これまで黙っていた上級冒険者の男が口を開いた。


「冥府の川の……渡し賃は……持っているか……?」


 男の声はモゴモゴして聞き取りづらい。

 なんか、お金……とか言ってる?


「ごめんなさい、持ってないです。

 さっきソーマに全部あげちゃったので」


「「はぁ?」」


 取り巻きたちは目を丸くした。


「これ、カツアゲって奴ですよね……?

 信じてください。

 お金なら本当に持ってないんですよ」


「バッカかテメェ!?」


「お前、遠回しに死ねって言われてんだよ!」


 遠回し……? 死ね……?

 ああ。そういうことか!


「そういえば。

 人が死んだらこの世とあの世のあいだに川があって──そこを渡るのにはお金が必要──みたいな迷信があったような。

 すっかり忘れてた!」


 ここで言い訳させてもらうが──あたしは断じてアホの子ではない。

 転生者としての記憶を取り戻した今となっては、あたしには「あの世」など存在しないことがわかっているので、ピンとこなかったのだ。

 人は死んだら、次の世界に行くだけなのだから。


「つまり冥府の川の渡し賃を持っているか、というのは──お前はこれから死ぬぞ、という脅しにウィットを込めた表現だったんですね。

 ……なんか拾えなくてすみません」


「滑ったギャグのフォローしてるみたいになってんじゃねーか!」


「マジでこの御方を怒らせるつもりか?

 死にてぇのかテメェは!?」


 取り巻きたちは慌てて上級冒険者の男をなだめる。

 が、時すでに遅し。

 彼はその山の如き巨躯を、噴火寸前の活火山のようにわなわなと小刻みに震えさせていた。


「貴様……死ぬか」


 はい、死ぬのはいいですが、ここでは意味がないので、とりあえず王都を出てから──と言う暇もなく。

 男が振るうグレートアックスの一撃であたしの頭部は砕かれた。


 意識が暗転する。

 これであたしは死ねたのだろうか?


 いいや──だ。


「目覚めなさい、目覚めなさい。

 あなたの魂が聖霊と共にありますように」


 美しい声が奏でる聖句と共に、あたしの意識は覚醒した。

 来世……ではない。

 通常、転生者は自身が転生者であることを思い出すまでは前世の記憶を失っているはずだからだ。

 きれいな女性があたしに語りかけてくる。


「おはようございます。

 どうしたんですか、王都で死んだりするなんて」


「あー、サティさん。

 いつもありがとうございます」


 聖女サティ。

 目の前にいる清楚な美女は、王都グリフィスの神殿で働く神官だ。

 どうやらあたしはサティさんの手によって蘇生されてしまったらしい。


 この世界では死んでもすぐに死ぬわけではない。

 外傷や毒によって命を落とした場合、遺体を回収して神殿に運べばこのように神官の聖句によって蘇生することができるのだ。

 ただし、そのたびに代金を支払わなければならないのだけれど。

 さらに王都グリフィスの市街では、敷地内で住民が殺害されたときに備えて、自動的に遺体が神殿に転送される術式が組み込まれた結界魔法が展開されている。

 普段は冒険者にとって、とてもありがたいシステムだ。

 ありがたい、のだが。


「蘇生してしまっては意味がないーっ!」


「ど、どうしたんですか!?」


「あたしね、今すぐ死ななきゃいけないの。

 なのに蘇生してどうすんの!」


「ダメなんですか!?

 殺された人を蘇生して怒られること、普通あります?」


 普通はない。

 でも、今は普通じゃないんだよ。


 あたしにはこうなることがわかっていた。

 この世界における完全なる死は難しいということを知っていたからこそ、遺体の自動転送が働かない王都の外で、かつ、遺体が見つからないような死に方をしなくてはならなかったのだ。

 あたしは神殿の燭台からロウソクを外すと、尖った台の先端を自身の首筋にあてる。


「サティさん。

 あたし、今からもう一度死ぬ。

 今度は蘇生しないで!」


「そういうわけにはいきませんよ!?」


「あたし、お金ないわよ!

 蘇生しても代金払えないから、蘇生損だよ?

 それでもいいの!?」


「えっ。

 そういうことなら……うーん」


 お、悩み始めた。

 神殿なんていっても所詮は営利団体よ。


「お金ならあるっすよ!」


 そこにアイテム袋を掲げたソーマが入ってきた。


「ソーマ!

 どうしてあんたがここに」


「さっき死ぬとか言って酒場を出ていったじゃないすか。

 だから、蘇生されてるんじゃないかと思って来てみたんすよ!」


 ソーマはうるうると泣き出した。


「お願いっす姉御、自殺なんてバカなことやめてください!

 死んだらおしまいっすよぉ!」


「あー、もう!

 ソーマのわからずや!」


 死んだらおしまいじゃなくて、死ななきゃおしまいなんだってば!


 と──ここで、背中に冷たいものが走った。

 『奴』が来ている。

 転生者の気配を感じた、『奴』が。


「ねぇ……ソーマ?」


「何っすか?」


「あたしが酒場を出ていってから、何分くらい経ったかなあ」


「そうっすねぇ。

 ちょうど、10分くらい前っすよ」


 タイムリミットだ。


 あたしの背後から瘴気が膨れあがる。

 視界をただよう黒い布切れのようなものが実体を持ち始めた。

 それは漆黒のローブに、魂を刈り取るような鋭利な鎌。

 闇よりも深い無限の暗黒の彼方から、「死」を象徴するようなドクロを模した仮面が浮かびあがり、虚無そのものである頭部を覆い隠すために装着される。

 『奴』の名をあたしは知らない。

 しかしその姿はまさに──死の、神だ。


 身体の震えが抑えられない。

 あたしが顔色が悪くしたことで、傍にいたソーマとサティさんは怪訝な顔をした。

 そう──背後にいる『奴』は、転生者の自覚を持つ者にしか見えないのだ。


 『奴』の目的は一つ。

 転生者に、真の死を与えること。


 人間は死ぬと次の世界に転生する。

 魂の使い回し、とでも言おうか。

 ただし、前世の記憶を持ち越すことはできない。


 その理由はあたしにはわからない。

 推測するなら──これは世界を維持するための安全弁のようなものだろうか。

 仮にすべての人間が、あらゆる世界の記憶を持ち越すことができたとしたら、あらゆる世界の発見が、あらゆる世界の技術が、あらゆる世界に拡散することになるだろう。

 そうなれば個々の世界ごとの文明レベルを一定に抑えることができなくなる。

 あっという間に世界と世界をわたる技術も確立されてしまうに違いない。


 ところが、ごく稀に前世の記憶を思い出し、転生者としての自覚を取り戻す者がいる。

 今回のあたしがそうであるように。


 そうなった場合、現れるのが『奴』だ。


 『奴』はそういった魂が次の世界に行けないように真なる死を与えるために出現する。

 抵抗は無意味だ。

 どんな攻撃であろうとも『奴』には無力である。

 これはあたしがこれまでの前世で学んだ知識だ。

 こういった知識を持たない転生者の多くは、自分が転生者であることを思い出すと共に『奴』によって消去される。


 消去の先にあるものは「無」だ。


 『奴』から逃れる手段はただ一つだけ。


 『奴』が出現してから、真の死が与えられるまでのタイムリミットは最大でも10分間。

 そのあいだに自ら死んで、次の世界に行くしかないのだ。

 行くしか、ないのに……。


 完全に実体を手に入れた『奴』は、あたしの背後で鎌を振りかぶる。

 間に合わなかった。

 思わず目をつぶり、覚悟を決める。

 すべての世界からあたしが「無」へと帰されようとする──そのとき。

 乱暴な音を立てて、神殿の門が吹き飛んだ。

 瓦礫がまき起こした煙を払い、一人の人影が現れる。


「貴様……ここにいたか」


 それは、先ほどあたしを殺したばかりの上級冒険者だった。

 ソーマが呟く。


「あの人って──そんな。

 いや、まさかっすよ」


「ソーマ。

 知っているの?」


「知ってるもなにも。

 王都の生ける伝説こと、S級冒険者『“豪風“のスカンダ』じゃないっすか!

 しかも、なんかめちゃくちゃキレてるっぽいっす!」


 スカンダは肩を怒らせながらこちらに向かってくる。


「あー、そっか。

 あの人、キレてあたしを殺したはいいけど……

 よくよく考えたら、遺体転送システムで神殿に送られるのを忘れてたんだ。

 感情的になったら人間おしまいだよね」


「……殺す!」


 グレートアックスを構えたスカンダは殺意を全開にして走り出した。


 まさに前門のスカンダ、後門の死神である。

 その絶体絶命、最大級のピンチの中で──あたしはふと、気づいたことがあった。

 猛スピードでこっちに向かってくるゴツい顔を、以前にもどこかで見たことあるような?

 

 あ。


韋駄天いだてん!」


 あたしが叫ぶと、スカンダは急ブレーキをかけるようにして眼前で止まった。


「……何?」


「あんた、韋駄天いだてんってトラックに乗ってなかった?

 あの趣味の悪いギンッギラギンの奴!」


 あたしがそう言うと、スカンダは凍りついた。

 その場の空気が静止する。

 固唾を飲んで見守っていたソーマとサティさんも、首をかしげた。


「サティさん。

 姉御、何いってんすかね?」


「さぁ……?

 もしかしたら、臨死体験による精神錯乱でしょうか?」


 そんな中で、あたしは手応えを感じていた。

 ひょっとしたら突破口を見つけたかもしれないと。


「もしかして……あのときガキを庇っていきなり飛び出してきた女か!?」


 ビンゴ!

 やはり、こいつも転生者だった!


 スカンダは目を見開いた。

 その視線はあたしの背後に釘付けになっている。

 なぜかと言えば、それは彼が自身の転生者としての前世を思い出したからだ。

 つまり……。


「な、なんじゃこりゃあっ!」


 まさに今、あたしの魂を「無」に帰すべく顕現していた『奴』の姿を、スカンダが見ることができるようになったわけだ!

 『奴』はあたしに振りかぶっていた鎌の動きを止め、スカンダに向き直る。


「モンスター如きがぁ……!

 このスカンダ様にガン飛ばしてんじゃねえぞ、くおらっ!」


 スカンダが得意のグレートアックスを『奴』に振るう。

 しかし、無駄だ。

 『奴』には一切の攻撃は効かないのだから。


「クソが、生意気にも物理無効かよ。

 そんなら……切り裂け中級風属性魔法・単体!」


 詠唱省略の一工程シングル・アクションでスカンダが唱えた攻撃魔法により、大気から生じた真空の斬撃が『奴』に叩きつけられる。

 中級程度の魔法とはいえ、S級冒険者のステータスで放たれた攻撃である。

 相手がモンスターであるなら無傷であるはずもない、が……。


 これも無意味。


「バカな……」


 スカンダは絶句した。

 弾かれたわけでもない。避けられたわけでもない。

 ただ、無意味に終わっただけ。

 恵まれた天性の才覚によって、これまで敗北を知らなかったスカンダは──この世界で初めて、根本的に仕組みが異なる敵と相対することになった。

 スカンダはいくつもの攻撃魔法を展開していくが、いずれも効果はない。

 自身の常識がまったく通用しない存在を相手にしたことで、スカンダの顔は汗にまみれ、その表情は焦りに染まっていく。

 『奴』の方も、完全に標的をあたしからスカンダに移した。

 複数の転生者がいる場合、『奴』に気づいている方から襲っていく。

 これもこれまでの前世の経験からあたしが学んだ『奴』の習性の一つだ。


 あたしは嘆息する。

 『奴』はすべての世界に共通するルールの体現者であり、そもそも戦いが成立するような相手ではない。

 存在の成り立ちからして異なるものなのだ。

 おそらくは『“豪風“のスカンダ』という異名を持つほどのあの男でも、『奴』には傷一つ負わせることはできないだろう。

 が──。

 これでいい。

 うんうん、特に“豪風“ってのがいい!


吐き出せ創出流れろ魔力形成・固有定義固まれ術式制御始動生じよ術式展開逆巻け固有定義・追加付与回れ威力強化回れ威力極大化回れ結界貫通……」


 おっと。

 スカンダが長々と詠唱を始めた。

 この局面であいつが繰り出すのは、おそらくは風属性の魔法使いにとって最大の奥義である、風属性極大魔法だろう。

 これは──チャンスだ。

 あたしは吹き荒れる風に声量が負けないよう、精いっぱいに息を吸い、叫んだ。


「おーい、スカンダ!」


 スカンダの注意がこちらに向く。


「……あぁ!?」


「あーはっはっは!

 どうやらあたしの召喚獣『“死の神“ デス・ゴッド』には、君すらも敵わないみたいだねぇ!」


「なんだと……!

 お前みたいなクズがこの化け物の召喚士だってのかよ!」


「そのとおり!」


 嘘だけど。


 でも、ちょうど出現したときに『奴』があたしの背後に出てきたおかげで、スカンダから見たらあたしが『奴』を従えてる感がすごいはずだ。


 そう、


 ならば、ここでスカンダが取りうる戦術は手に取るように読める。

 すなわち……。


 バカが、塵になりなァ!」


 スカンダの攻撃魔法は、あたしに向けて撃たれることになる!

 魔法の焦点となったあたしに手を伸ばし、ソーマが叫ぶ。


「姉御ぉー!」


「じゃあねー、ソーマ。

 サティさんもまた会えたらよろしく!」


 さらば命、よろしく来世!

 とはいっても。

 また記憶を取り戻しちゃったら10分しか話せないのだけれど、ね。


マハーセイナ・チャクラヴァルティーン風属性極大魔法・単体‼︎」


 S級冒険者『“豪風“のスカンダ』の魔力が解放される。

 間近で炸裂した極大魔法とは、すなわち大爆発だった。

 その威力を一身に受けたあたしは、豪風に吹き飛ばされて神殿の壁をぶち破り、王都グリフィスの空へと吹き飛んでいく。

 あたしの肉体は極大の魔力の一撃で分子以下の素粒子へと分解され、さらに吹き荒れる風の勢いに乗って彼方へ、さらに彼方へと飛行していった。

 王都に仕掛けられた遺体転送システムの影響が及ばない、遥かな空へ。

 この世界であたしが蘇生することは二度とない。


 こうして、あたしは死んだ。


◇◇◇


 あたしの名は冒険者ハリハラ。

 ついさっきまでは、だけど。


 ある世界ではDr.ハリハラだったし、悪役令嬢ハリハラ、ハリハラ大佐、あるいは魔少年ハリハラと呼ばれた時期もあった。

 スーパーヒーロー・ハリハラマンだったこともあったっけ。

 あれは楽しかったなぁ。


 ……思い出せる前世で最初の記憶は、あたしが針原はりはら歩良子ふらこだったときのこと。


 学校帰りの通学路で、ボールを蹴ってる小学生くらいの男の子がいた。

 邪魔だなぁ、と思った。

 公園とか、空き地でやればいいのに。

 あ、でも最近は空き地とかないし、公園も球技はダメなとこ多いよね。


 なんて考えていると……けたたましいクラクション音が鳴った。

 思わず振り向くと、ちょうどボールが道路に転がって──それを追いかけてさっきの子が車道に飛び出すところだった。

 笑っちゃうよね。

 漫画かよ! って。

 こんなこと本当にあるんだぁ、と冷めた気持ちで観察している自分と──なぜかわからないけど、走り出してる自分がいた。


 意識が消える前に見た光景は、ギンッギラギンの趣味が悪いトラックの正面に大きく書かれた「韋駄天いだてん」という書き文字と、引きつった顔でブレーキを踏むゴツいおじさんの顔だった。


 ……ふたたび意識が戻ったときには、すべてが終わっていた。


 地面に倒れている。

 身体の感覚がない。

 まるで映画か何かを見ているみたいに、目は動かせるけど身体は動かない。

 指は動く……が、動かした途端に激痛が走った。

 目を向けると、腕と、足が、変な方向に曲がっているのがわかった。

 痛いのはイヤだから、動かさないでおこうっと。


「お姉ちゃん……ごめん、なざい。

 ごめんなさい、ごめんなさい」


 その声が聞こえたとき、それまで音がない世界にいたことに初めて気づいた。

 どうやら耳もバカになってたみたいだ。


「……うるさいなぁ」


「お姉ちゃん!」


 首をわずかに動かす。

 さっきの少年があたしに跪くようにして、目からぽろぽろと涙をこぼしているのがわかった。


「静かにしてよ……なんか耳痛いから」


 つい悪態が出てしまった。

 少年の涙は止まる気配がない。


 あーあ。


 子供に悪態飛ばして、子供を泣かせて。


 あたし、なんだかめちゃくちゃ悪い奴みたいじゃん。


「うっ……ぐすっ……」


「泣かないでよ」


「……え?」


「あたし、いいことしたって思ってんだからさ」


 誰かが救急車とか呼んでるんだろうか。

 近くにさっきのトラックの気配はない。

 ひょっとしたら轢き逃げかな?

 元々は飛び出したあたしが悪いんだけど。

 いや、悪いのはこの子か。

 まぁいいや。


「死んだらおしまい、なのかな」


 やりたいことがいっぱいあった気がする。

 頭がうまく働かなくて、思い出せないけど。


「ねぇ、死んだらおしまいだと思う?」


 問いかけたつもりはない。

 自然とこぼれた言葉だった。


 死後の世界なんて信じてない。

 人が死んだら、骨になって埋められるだけだ。

 わかっていることだ。


「……わかんない」


「はぁ?」


「で、でも……多分、死んだらおしまいっす。

 だから……ごめんなさい」


「ふふっ、なにそれ」


 自然と口元が笑みをつくった。


 話合わせるくらいしなよ。

 人が死んでんだから、さぁ……。


◇◇◇


 という顛末だったのだけれど。


 まぁー、死んでみないとわかんないこともあるもんだね!


 そういうわけで冒険者の人生は終わり、その魂は次の世界へ。

 新たな人生の話をしよう。

 気づくとあたしは私立探偵をしていた。

 輪廻転生にまつわる伝説が残されているここ、転生館で起きた凄惨な殺人事件もいよいよ大詰めである。

 果たして館の主である韋駄天いだてん熊吉を殺害した犯人は誰なのか!?


「探偵さん!

 旦那様を殺した犯人がわかったって本当っすか!」


「探偵さま。

 お願いです、見つけてくださいまし。

 主人を殺した犯人を……」


相馬そうまくん、茶庭さてい夫人。

 落ち着いてください。

 これから真相をお話しますから……」


 名探偵、みなを集めて「さて」と言い。


 いよいよこの私、名探偵・針原がすべての真相を解き明かす段階となったところで──唐突にあたしは


「あ」


 顔面蒼白になったあたしを見て、茶庭夫人が訝しげに問いかけた。


「……探偵さま?」


「あ、あのー。

 つかぬことを確認しますが、凶器になりそうなものってどこにおきましたっけ」


 あたしの質問に答えたのは相馬くんだ。


「なに言ってんすか!

 一日目の時点で、探偵さんがこれ以上の殺し合いが起きないようにって言って、手当たり次第に集めて庭に埋めちゃったじゃないっすか」


 そうだったーっ!?

 まずい。

 まずいまずいまずい。

 10分以内に死なないといけないのに、凶器がないのだ。

 人間、なかなか素手では死ねないものである。

 別の人生で舌を噛んだことがあるが、めちゃくちゃ痛いだけだった。


 あたしは申し訳なさそうな顔をつくり、相馬くんと茶庭夫人に切り出した。


「すみません……急用を思い出したので、失礼してもいいですか」


「探偵さまが私たちを集めたのに!?」


「こんなときに、いったい何しにいくんすか!?」


 まぁ、それはそうなるよね。


「何をしにって、それはちょっと言いづらいんですけど。

 その……埋めた凶器を掘り返しに行きたくて」


「なんで!?

 ひょっとして探偵さんが真犯人だったんすか!?」


「なるほど……だから私たちをここに集めたんですね……!

 一気に皆殺しにするために……!」


 いや、そういうわけじゃない。

 そういうわけじゃないんだけどなー。

 と、そのとき──。


 ぞわり。


 あたしの背後から冷気が漏れ出した。

 来たよ、『奴』がきたよ!


「茶庭夫人!」


「な、なんですか」


「こうなった以上は巻きでいきます。

 犯人はあなたですね!」


「えぇ?

 まぁ……はい」


 あたしの名推理を受け、茶庭夫人はしぶしぶと頷いた。

 相馬くんが茶庭夫人へと振り返る。


「そ、そうなんすか?

 本当に?」


「一応、そうなのですけれど。

 ……こういうのって段取りが重要じゃありません?」


「そんなこと、あたしにとってはどうでもいいのです!」


 重要なのは犯人ではなく、凶器なのだから。


「茶庭夫人。

 あなたはこの転生館の庭の植物に精通していました。

 あったんですよ、ここの庭には……猛毒であるトリカブトが!」


 トリカブトは即効性の毒物として知られている。

 経口摂取すれば数秒で死に至ることもある、大変に危険な毒なのだ。


「ご主人の死因は毒によるものだった。

 これが動かぬ証拠です!」


「残念ながら探偵さまの言うとおりですわ」


 茶庭夫人は観念したようだった。


「すべて主人が悪いのです。

 忘れもしません、あれは10年前の雪が降り積もる冬の日のことでした……主人はあの日」


「あー、そういうのはいいです。

 もうあと5分くらいしかないんで」


「そういうのってなんですか!

 これがなければ終われないでしょう!」


「もうオチは読めてるんですよ」


 あたしはそう言って、茶庭夫人の前に置かれていたお茶を取り上げた。


「それはっ……!」


「あなた、死ぬつもりでしたね」


 一同のあいだに衝撃が走った。


「万が一、探偵に罪を見破られたときのために──あなたはトリカブトをこのお茶に入れていた。

 それで罪を償うつもりだったのでしょう。

 この……危険極まりないトリカブトの毒によってね!」


 相馬くんは目に涙を浮かべた。


「そんなこと、間違ってるっす。

 死ぬことが償いなんておかしいっすよ!」


「……そうね。

 相馬くんの言う通りかもしれない。

 私のやったことは、死ぬことで許されるようなものではないわ」


 どうやら、相馬くんの説得が茶庭夫人の心に響いたようだ。


「生きて……罪を償うことにします」


 こうして、転生館の殺人は幕を閉じた。


 死は決して救いなどではない。

 生き続けることで拓ける道もあるのだから。

 あたしはこの事件を通して、なにか大切なものを守れた気がする。


「探偵さま、ありがとうございました」


「本当にありがとうっす! 探偵さん」


 あたしは深く頷く。


「それでは。

 使い道もなさそうですし、この毒はあたしがいただきますね」


「「え」」


 あたしはグイッと一気にお茶を飲み干した。


 さらば命。

 よろしく、来世!


<了>


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