第2話「僕ら」

十一月。コンテスト当日――。


俺こと、大冷千明とその幼馴染である温井恵。俺たち二人は今、コンテストの結果を待ちながら互いに別の場所でそれぞれの時間を過ごしていた。


俺たちが投稿したコンテストは大手企業がオンラインで開催している物であり、その結果が今日の午後に参加者全体にメールで知らされるらしい。


……金賞は賞金と、漫画家デビュー。


俺はそんな心揺さぶられるであろう時、行きつけのカフェに来ていた。

カフェの名前は『レストネスト』。

昔、意味は何ですかと興味本位で聞いてみると『憩いの巣窟』とそのまんまを返されたのが印象深く残っている。


俺はそのカフェでイヤに苦いコーヒーと甘ったるいはちみつパンケーキを注文し、ゆっくりとその二品の味を楽しむように交互に食す。

苦味の後に来る過剰な甘み、それをまた苦味で流す。どこか空虚な食事中、外では小雨が通っていた。


メールの通知がポケットの中で震える。

ズズッ――。

「……苦っ」

カチャ。

「あっ……」

いつの間にか、パンケーキを平らげていた事に気付く。


外では小雨が過ぎ、大雨が降り注いでいた。


恐る恐る――腰ポケットに手を伸ばし、スマホを取り出す。

高まる鼓動、滲む汗。不快な緊張が俺を包む。


スマホの画面を見ると、確かにコンテストの選考結果が届いている。

時間は午後十七時。バッテリーは50パーセント。

パスワードは0 5 0 5。

温井からの連絡も来ていた。

十中八九、自慢の連絡だ。そんな事より――。


ふと、メールの通知を押す指が止まる。


ザアァ――。

机上のスマホを見つめる。


結果を見るのが怖いわけじゃ、無かった。

送った作品に自信が無かったわけでも、無かった。

なら何故、俺は結果を見ることが出来ない。

なぜ、なぜ。


結局、理由にはたどりつけず。口に苦みを残したまま、その日は土砂降りの中で自転車を漕いでびしょ濡れのまま帰宅し、温井からの連絡に鳴るスマホを手に取ること無くベッドの中で眠りについた。


翌日、月曜日の学校。


「おはよぉ千明~」

昇降口、上靴に履き替えようとする俺に、やけにテンション高めでへらへらとした気さくな声が掛けられる。

「あんたさぁ~、昨日なんで無視なんかしたんだよ~?」

温井はそう言うと、ぐりぐりと肘を俺の二の腕に押し付けてくる。

痛い。

「……っなんだよ。朝っぱらから、嬉しい事でも?」

「え? ……まあいい! フッフッフ聞いて驚け、我が幼馴染よ」

アタシ、金賞だった。

「アタシっ、金賞だった!」

知ってるよ、温井。成れたんだろ漫画家に。

「これでアタシも漫画家! 漫画家だよ、千明っ!」


嬉しそうな温井を見て、俺はただ只管に『おめでとう』としか思えなかった――はずだった……。


「千明は! どうだった!?」

その一言に、緊張が奔る。

「あぁ、いや……実はまだ、見てない」

「えっ――それって……」


と、そこまで温井が言うとHRのチャイムが鳴り響いた。

「あっ」

そのチャイムに、安堵の声が意味も解らず漏れだした。

「な、なぁ、チャイムもなったし、もう行こうぜ」

俺は下履きを下駄箱に入れ、温井の横を通り過ぎようとするが咄嗟に腕を掴まれ、俺の脚は止まる。

「……授業なんてどうでもいいよ千明」

「……」

「千明がなんで結果を見てないのかとか、なんでそんなに急いでどこかに行こうとしているのか、アタシはそこが気になる」


二人の間に、静けさが張り詰める。


頭の中で数人の俺が叫んでるような感覚、俺はこの状況に分かり易く混乱していた。

違うよ、温井。

俺にもわからないんだ。

なんで結果を見なかったのかも。

なんでお前から逃げようとしたのかも。

なんで、漫画を描くのが楽しくなくなっちまったのかも。

なんで――『おめでとう』が『悔しい』に変わっちまったのかも。

俺には何一つ、わからないんだ。


「……ははっ、いや、なんだ、なんだろうなぁ」

「千明?」

「自信が無かったんだ……ただ、それだけだよ」

違和感は在った。或いはそれを感じた時点で、この口を縫い付けておけば少しは良かったのかもしれない。


「……お前は、良かったじゃねえか。金賞だったみたいだしな」

何、言ってる?

「え……」

違う。

「お前の漫画なら取れて当たり前だよ……うん、面白れぇもんな」

「そんな、千明のだって――」

「いやぁ~俺のは無理だよ、だってさ――」

言うな、頼むから。

「俺、お前みたいに才能ないしな」

違うと、誤りだと言えたならどれだけよかったのだろうか。


「…………は?」

威圧的な声。明らかに不機嫌な豹変を見せる温井の前で、俺はそれに気づきながら愚かしくもそのまましゃべり続けた。

「なんで……なんでそんな面白く描けるのか、教えて欲しいぐらいだ!」

「ッ……!」

パンッ――!

「え」

人生で、初めて女子から平手打ちを食らった。本気で叩いてきたのが伝わる痛みと衝撃だった。にも関わらず、俺はその意図を組めずにいた。

「な、なにす――ッ!?」

勇んで、そいつの顔を見ると俺を睨む目には涙を浮かばせ、歯を食いしばり、眉間に皺が寄っている。明らかな怒りの感情に俺はさらに混乱した。

「アンタ、自分が何言ってるか分かってないの!?」

「はぁ!? 叩くことないだろーが!」

俺は、頬の痛みと理不尽から恵に対して愚直に怒りをぶつけていた。

「……アンタは、アタシがなんで漫画描いてるかなんて覚えてないよね……アタシはっ――!!」

「……? なんだよ!?」

温井は言い切らなかった。

「もういい、じゃあアタシはもう行くから」

息を荒げながら俺を横切ってクラスの方向に歩いていく恵。俺の手は中途半端に伸びただけで、あいつの震える肩には届かなかった。

だから――掛けるだけの声を掛けた。

「ちょ、おい待てよ! なぁ、恵!」

「五月蠅い!! 三ヶ月は私に話しかけてこないで! …………バカ千明――」

いつ聞いたかも忘れる程に、久しく聞いたあいつの怒号。その号に俺は肩を竦めて縮こまってそれ以上、あいつに何も言えなかった。


「……なんで」

沈殿する不可解に、過去最高のフラストレーションが俺の中で弾けた。

「……でだよなんでなんだよっ、クソッ! ア――――! モ――――!!」

バァンッ!!


――俺にはお前が怒っている理由も、なんでそんなにもその夢がお前にとって大切なのかも何一つもわからない、わからないんだ。


あぁ、下駄箱を叩いた手が痛い。

……その日は誰とも喋らず、帰宅し、ペンも握らず、寝た。


それからの展開は速かった。

次の月も、次の月も、次の月も、俺がペンを握ることは無かった。


――気付いたら……漫画を描くのも、考えるのも、辞めていた。

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いつかの カガヤキアキラ @kagayaki-akira

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