終幕 夢現 ゆめうつつ

「――御山みやまに雪が」

 年を取った男は、床でうつらうつらしていて目を覚ました。


「……夢か」

 かつて、男が代官であった頃の摩訶不思議な出来事であった。

 あのような美しい雪を見たのは生涯、ただ一度だった。



「お前は噓つきだのぅ」

 いつのまにか、男とも女とも知れぬ美しい者が、男が横たわるとこの端に座り込んでいた。

「本当に雪を見たのかのぉ」

「見ましたとも」

 不思議なことに、男は、そこにいる美しい者を不審に思わなかった。久しい知己ちきのように二人は話した。

「見たいとする心が見たのではないかのぉ」

「それはそれで、かまいませぬのでは?」

 おかげで村人を一人も罰せずに済んだ。

 あな、ありがたや、観音かんのんさまの御慈悲。


「スガヌマくんの術も、まだ甘いぃ。だまししおおせぬぅ」

 美しい者は、ゆうらりと笑った。

 

「あの若者」

 横たわったまま、男は若者を思い出していた。

 今では顔立ちもおぼろな、あの若者のたもとから、いくつもの茶碗が出てくるのは、ほんにおもしろい光景だった。


「ずいぶんと態度がでかいから、どちらがあるじかわからぬであろぉ」

「かつて、菅沼すがぬまという一族が、あの山國にあったはず」

 それは、初代将軍さまがお若かった頃の話だ。


「そうよ、われが守ってきた一族よ、今はどこに行ったやらぁ」

「聞きたいものですな。興味深い」

「来るかぁ? 来るなら聞かせてやらんでもないぃ」

「是非にと。――さて、あなた様のお名前は」

御前立おまえたての観音よ、カンノンと呼べばえぇ」


 いつの間にか、その美しい者はいなくなっていて、布団の端には蓮の花を生けた細長い花瓶だけが残されていた。


「もし。お忘れですよ」

 何とも愉快な気持ちに、男はなった。

 それから、すうと最後の息を吸って、そして、男から、その息が吐き出されることは、もうなかった。






 了

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観音さまと夏の雪 ミコト楚良 @mm_sora_mm

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