三幕 検分 けんぶん

 御領ごりょうの代官一行は、御山みやまに向かう山路を進んでいるところだった。

「お代官様、もうすぐでございます」

「うむ」

 山路の険しさと夏の日差しに、代官はそれしか答えられなかった。

 汗がしたたり落ちる。土用どようの暑い日であった。

 それでも、この地は平地よりは涼しいはずだ。


(しかし、朝早く支配所を出立してから、もはや夕刻)

 人も馬も疲れていた。

 痩せぎすの書記官などは、だいぶ前から、もう一言もしゃべらない。


此度こたびの検分、御山みやま伐採ばっさいが事実であれば、幾人の処罰になるか)

 代官は気が重かった。

 見せしめの意味もある。刑は軽くはできない。そもそも、お上に支持を仰いだら、軽いものになるわけがない。



  きぃ一本、首一つ



 見渡す山々が、そう唄っているようであった。

 

(過ちであれ、沙汰さたを下さねばならない)

 それが代官の役目であるから。


 そうして、ようやく、代官一行は御山みやまの端に辿り着いた。



「おおお代官様、おお待ちしておりました。みみ御山みやまの向こうの村の者でごございます」

 どもりまくっている鈴の音のような声がした。


 御山みやまの入り口に、白装束に、ほんのり浅黄色あさぎいろの帯の子供と、同じく神官のような見目好みめよい若者がいた。

 子供は手に素焼きの瓶子へいじを抱えている。


「御一行におかれましては、のどが渇かれたことでしょう」

 若者が白いおもてで微笑んだ。

 子供は持たされた瓶子へいじから、若者が低く持った茶碗に注意深く水を注いだ。

 若者は膝をつき、代官に茶碗を両手で捧げた。

 代官は喉の渇きにはあらがえず、茶碗を受け取った。水はトロリと光を反射した。


此度こたびの検分を見届けに参ったか。したが、そなたたちだけか」 

村長むらおさたちは、検分後に御一行に立ち寄っていただきたいと、もてなしの準備をしているのです」

「それは感心なことじゃ。――、もう一杯いただけるか?」

 代官は水の甘さに驚いて、思わず、お代わりを所望した。


「お連れの方たちも、ささ、どうぞ」

 若者に水を勧められて、一行の者たちも、わっと子供と若者を取り囲んだ。

 若者はたもとから茶碗を出してくる。

 一行の人数分の茶碗など、どうやって、その薄い着物の袂に入れておけたのか。

 子供の持つ瓶子へいじの大きさより、なみなみと水は注がれるのだが、そのときは誰も、その異常に気づいていないようだった。


「うまいら~」

「冷てぇ~」

 一行は、のどを鳴らして水を飲んだ。


満願成就マンガンセイジュ

 若者が聞こえぬ声で云ったのは、そのときだった。



 一転にわかに掻き曇り、日差しがなくなった。

 そのあとから、空からこんこんと降って来たものがある。


「雪」

 まさか、と一行は誰もが目を疑った。

 しかし、火照ほてった肌で雪は解けた。

「雪、雪だ」


 灰色の雲に覆われた空から、きりがなく雪は降ってきた。

 寒い。見る間に雪は積もっていく。

 みるみる積雪はしゃくを超すほどになり、一行はうろたえた。

 代官は何歩か歩もうと試みた。しかし、ずっぽり腰まで雪にうずもれて従者に二人がかりで雪から引きずり出された。


「死んでしまいますッ。われら死んでしまいますッ」

 痩せぎすの書記係がカン高い声で叫んだ。


「えぇい、仕方がない。この場で検分いたすぞ」

 そう言って、代官が眺めた辺りは、積もる雪で真っ白だった。

 証拠の切株は、どこにも見えない。



「雪じゃ」

 子供は、スガヌマ君の側で空を見上げていた。

「お前、雪が見えるのか」

わしえるのか』の変形型でスガヌマ君は尋ねた。

 

(どうやら、あの水を飲んだ者と同じ幻惑がえるものらしい。ヤバい状態、継続中)


 まぁ、時間が経てば醒めるとスガヌマ君は知っているから、気にしない。

「どうじゃ、子供。わしの手際は。見事、切株を隠したぞ」




 その幻惑を寺守りの村の者たちも遠目でていた。

 御山みやまの上だけに雪雲が広がり、見る見るうちに山が白くなっていったのを。


「――南観世音菩薩なむかんぜおんぼさつ観音かんのんさまのお慈悲」

 村人たちは皆、涙目で手を合わせた。




「夏でも、このように御山みやまは雪深いとは。これでは、村人も立ち入れぬ」

 雪まみれの代官は、パンと膝を打った。

「――この件については証拠不十分な為、無かったものとする」

 代官は言い切った。


「えっ」

 一行は震えながら、それでいいんかという顔をした。

 でも、一刻も早く、この寒さから逃れたい。

 このままいたらとお、息をする間に凍え死ぬと誰もが思ったから。

「御意に」

 そう言って、すたこら御山みやまを下りることにした。



 村人たちは観音さまのおかげと、その年、歌舞伎を奉納して以来、今なおそれを続けているという。

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