性癖に目覚める吸血鬼

海沈生物

第1話

 うちには吸血鬼が勝手に住み着いている。ただ住み着くだけなら私も許すことができたが、住み着いてやるついでに「吸血させること」を要求していた。「そんな吸血鬼なんて、さっさと家から追い出してしまえば良いのではないか?」と思うかもしれないが、私には彼を追い出すことができない「理由」があった。


才血さいけつ、今日は吸血していいか?」


「はっ? 嫌ですよ!」


「もうその言葉、今月で二十九回目だが? このままだと、”血液ネグレクト”を疑われても仕方ないぞ!」


「そんな吸血鬼とずぶずぶな政府が作った”法律”なんて、私が”理由”はないですよ! そもそも――――」


「――――自分のような吸血鬼に、血を飲ませる”理由”なんてないって言いたいんだろ? でも、あるんだよなぁ。才血には、絶対に”理由”ってやつが」


 「クックックッ……」と嘲笑する姿に心の中で唾を吐いた。私がわざわざこいつの鼻の中に市販のチューブのニンニクを流し込んだり、あるいは寝ている間に心臓へ杭を刺したりしないのは、その厄介な「理由」が原因だったのだ。

 ずっと引っ張っていても仕方ないので言ってしまうが、その「理由」とは――――


「――――ほら、才血は俺の吸血のなんだろ? 正直理解できる気がしないだが……ほらっ、さっさと吸わせやがれ」


 右腕を押し入れの中にいる彼に突き出すと、普段は「灰色」に沈んだ目を透き通った「真紅」に変化させた。彼は口を大きく開けると、その鋭い「犬歯」で私の右腕へとかぶりついてきた。その瞬間、「はぁ……むっ」と呼吸をする「音」がする。

 私はその「音」の「フェチ」だった。その「音」を聞くと、思わず「あっあっ」と声が漏れるし、「トランス状態に入っているのか?」と思うぐらい、フワフワと心地良い気持ちになるのだ。

 それはただの「人間」に甘嚙みされるような「状況」や、あるいは性欲に満ちた「黒い」目で濃密なキスする瞬間の「呼吸音」ではダメだった。「吸血鬼」に噛まれるという「状況」、好奇に満ちた「真紅」の目、そしてかぶりつく時の「音」。それらが同時に起こった上での呼吸の「音」にしか、私のフェチには響かなかった。


 つまり、私の精神的な支柱……「狂信」の対象が彼の「音」なのだ。だからこそ、どれだけ理不尽な要求をされたとしても、決して彼を追い出すことができなかった。


 そんな彼との日々も数ヶ月が経つと、ある「問題」が発生した。うちはかなり裕福な家庭だったのでまともに暮らしていれば一生涯困らないであろう貯金があった。しかし、「なんか心が満たされねぇ……」と吸血鬼が毎晩クレカで豪遊三昧をしているせいで、貯金は以前の半分になってしまったのだ。

 私も馬鹿じゃないのでクレカや財布を秘密の場所に隠すのだが、この吸血鬼は変に頭が回るやつらしい。軽いトランス状態の、あの噛む瞬間に「焦らし」の一環として「おい……お前、財布はどこに隠したんだよ」と財布やクレカの場所を聞いてくるのだ。その瞬間に言われると私はとても弱い。つい「押し入れの中です……っ」と毎回応えてしまっていた。

 そんな風にして、私は少しずつ「破滅」へと近付いていった。しかし、そんなある日のことだ。うちの郵便ポストに吸血鬼宛の手紙が届いた。私がその手紙を吸血鬼に渡すと、彼はその手紙の中に目を通し、溜息をついた。


「”実家に帰ってこい”、みたいな手紙でも来たんですか?」


「よく分かったな。……どうせ帰っても、”結婚相手探せ”とか”子どもはまだか”とか親戚に言われるだけだし、帰りたくないんだよなぁ。なぁ、才血さいけつ


「絶対にやりませんよ! どうして好きでもない相手と”息子さんの呼吸音に興奮している同居人です!”とか挨拶しにいかないといけないんですか!」


「いやでもほら、実質俺らって”仲良く”同棲しているようなもんじゃん? だったら」


「”人の金使い込んでこのペースだと一年足らずで同居人の貯金を使い果たして破産させそう”なやつとの”関係性”を”仲良く”って呼ぶのは詐欺とか詐称の類ですからね? 吸血鬼だから許されているけど、貴方が人間だったら今すぐに窃盗犯とか不法侵入とかで逮捕してもらってますよ、本当に」


「でも不法侵入以前に才血さいけつの両親殺しているんだし、”同じ”じゃないか?」


 どんな「思考」していたら「同じ」なんて言葉が出てくるんだよと思う。その時、ふと吸血鬼のことをなった。そうすれば、もう二度と私の財布やクレカを勝手に盗むような酷い真似はしない気がしてきた。ついでに両親――――割とネグレクトしてくるような人たちだったのだが――――を殺された「復讐」もできるわけだし。このまま「破産」して死ぬぐらいなら、最期に「復讐」ぐらいして死んだ方が清々する、というものだろう。

 とはいえ、私は普通の感性をしているのだ。「誰かを殴る」ことには抵抗があった。そこで吸血鬼本人に「殴っても良いですか?」と許可を取ってみると、意外にも吸血鬼は頭を縦に振ってくれた。


「良いんじゃねえか? 俺は暴力によって死ぬことはないし、お前の暴力ぐらいなら幼児が親に八つ当たりをするようなものだ。大して痛くない。、下等生物から殴られる”シチュエーション”ってやつも……」


 一瞬いつものクールな表情が崩れて「何か」が垣間見えたような気がした。それはどこか「共感」できるようなもので、自分でも自分がその訳の分からない「何か」に「共感」を抱いているという「状況」に対して変な気分になった。

 

 暴力といっても、さすがに相手に対する過度な暴力は抵抗があった。いくら許可を取って暴力を振るうにしても、やはり私もそれなりに「常識」のある人間である。そこで、最初は頬を軽く一発殴ってみることにした。「ごめん」と思いつつ一発殴ってみると、ガコッと吸血鬼の顔が右に動いた。青痣とか付いていないかとひやひやしながら確認したが、全く付いていないし痛そうにしていなかった。それどころか、吸血鬼の表情はとろけていて、私に「もっと!」と懇願してきた。

 求められたのでもう一発頬を殴ってみると、今度はガコッと吸血鬼の顔が左に動いた。「痛くない?」「大丈夫?」「痛くない?」と執拗しつように尋ねたが、その好奇に満ちた目からは「もっと!」という感情が溢れていた。私には「殴られて喜ぶ」なんて「性癖」がないので理解はできないが、それでも、吸血鬼の姿を見ていると「喜んでいる」ことは分かった。

 その後も「もっと!」と「もっと!」と求められたので、不本意ながら何度も何度も殴り続けた。その内に吸血鬼がよだれを口から垂らしてはじめた。さすがにこれはやりすぎたかも? と思って、キッチンから氷袋を持ってこようとしたが、吸血鬼は私の手を掴んで引き止めてくる。


!」


 目を好奇で「真紅」に光らせる彼に対して、私でもさすがにここまで「狂信」的には求めない。さすがの私もここまでくると、その「欲望」に対する「際限の無さ」……のようなものに対して、「共感」することができなくなっていた。これが人間と人外の「共感」できる「境界線」なのか、と思いながらも、その「狂信」を持つ吸血鬼という存在を、前より好きになっているような気がしていた。

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