人はなぜ天狗と聞くと空飛ぶ円盤を思い浮かべてしまうのか

秋野てくと

陰謀の天狗史

 天狗といえば空飛ぶ円盤であることは説明するまでもないだろう。

 では、なぜ天狗は円盤として現れるのか。


 昭和22年。

 民間航空会社のパイロットである安納 毛根津は相模大山を飛行中に奇妙に発光する天狗を目撃した。天狗は全部で八体いたという。相模大山といえば、天狗信仰の霊場として知られている。このときの安納の証言が「天狗 = 空飛ぶ円盤」というイメージに一役買ったのは事実である。


 この証言が世間に広まる過程で、ある誤解が生じていたのをご存じだろうか。


 安納は新聞記者たちに「天狗は水平に投げた円盤のように、ゆらゆらとたわみながら一直線に飛行していた」と証言した。ところが、これを聞き間違えた記者により「天狗は空飛ぶ円盤だった」と報じられてしまったのだ。


 安納は空飛ぶ円盤など見ていなかった。

 そこにあったのは――ただ光るだけの何か、としか言えない。


 では、ここで安納事件より以前の古くからの伝承にある天狗の姿について振り返ってみよう。


 天狗とは「あまいぬ」と記す。元々は古代中国で「流星」を意味するものだ。

 地表近くまで燃え尽きずに落ちてきた星を、あまを駆けおりるいぬに見立てて表現したのである。また、水怪としての天狗は川のあたりで飛び回る火の玉――「天狗火」として現れることもあった。

 火が輝けば、顕れるのは光だ。


 天狗には音の属性もある。

 山の中で迷い歩いているときに、突如、太鼓のような音が響いて人を惑わすことがある。祭りばやしの調子を頼りに道をたどっても、着いたところには何もない。この現象を「天狗ばやし」と呼ぶ。

 ここで思い出してほしい。天狗は元々は流星だったのだ。

 大気圏を突入し、地表付近まで落下してきた流星はしばしば大爆発を起こしていた。このときに発生する音はあまを駆けるいぬの鳴き声である――とも解釈されていたのだ。


 マスメディアによってセンセーショナルに報道された安納事件の衝撃は、こういった古式ゆかしい伝統的な天狗の印象を塗りかえるのには充分だった。


 安納事件で生まれた「空飛ぶ円盤」のイメージを決定的に定着させたのは、昭和28年に足立 丈二によって出版された『新・仙境異聞』である。

 この本は足立自身の天狗体験にまつわる告白を記したものだ。驚くべきことに、足立は昭和21年頃から何度も天狗を目撃していた。それどころか昭和27年には円盤から降りてきた天狗の眷属と会話し、天狗の持つ神通力を授けてもらったというのだ。


 神通力とは修験道における一種の超能力である。

 未来を見通す天眼通てんげんつうや、霊的な音を聴き分ける天耳通てんにつうを始めとした、六つの特殊な力を指す。人ならざる天狗と交信するためには他者の心を知る他心通たしんつうが必要となる、と本の中で足立は記している。


 この著書は世界的なベストセラーとなり、以降、「天狗と交信した」「天狗の眷属に円盤に乗せてもらい異界へと旅をした」と自称する人々が急増した。これらの人々は俗に「交信者カルラ」と呼ばれ独自のコミュニティを形成している。

 足立が撮影した天狗の写真はいずれも「空飛ぶ円盤」の形をしており、こういった円盤型飛行物体に搭乗した天狗(またはその眷属)とみられる生物――あるいは円盤そのものの形状をした天狗は、天狗マニアのなかでは「足立型天狗」と呼称されるようになった。


 天狗史を紐解いてみると、足立の体験はなにも珍しいことではない。


 江戸時代後期の国学者・平田篤胤あつたねが文政5年に刊行した『仙境異聞』も、そういった奇妙な天狗体験についての記録の一つである。これは文政3年の秋、突如として浅草の観音堂に出現した寅吉なる少年の証言をまとめた体験記だ。

 寅吉によると、7歳のときに常陸国(現代の帝国第三領)で天狗によって彼は異界へとさらわれた。行方不明のあいだ寅吉は仙界を訪れており、そこで修行することで神通力を身につけたというのだ。

 寅吉がある種の超能力をもっていたことは確からしい。当時の知識人はこぞって彼を質問攻めにした。このときの記録をまとめたのが『仙境異聞』である。本には寅吉が語る異界の住人やその風俗について、こと細やかに記されていたのだった。


 足立が著した『新・仙境異聞』はおそらく『仙境異聞』を意識して書かれたものだが、その中で特異な存在感を放つのはやはり円盤である。『仙境異聞』には「足立型天狗」のような空飛ぶ円盤は一行たりとも出てこない。

 足立の体験が安納事件において安納 毛根津が証言した「空飛ぶ円盤」イメージの強い影響下にあるのは間違いないだろう。安納事件より前では発光体として顕現していた天狗は、ここでは空飛ぶ円盤として表現されるようになったのだ。


 では、空飛ぶ円盤のイメージはどこから現れたのだろうか。


 ここで話をひっくり返すようだが、実は「足立型天狗」のような円盤は安納事件より前にも目撃例がある。それはいつかというと――驚くべきことに、なんと江戸時代にまで遡るのだ。


 享保3年のこと。

 ある海岸に円盤型の舟が漂着した。この舟は「虚舟うつろぶね」あるいは「うつぼ舟」と呼ばれた。舟は頑丈な鉄で出来ており、中には人間離れした容姿の美しい少女が乗っていたという。

 「うつぼ舟」は異界のものが現世と行き来するのに使う乗り物だったとされている。この舟は海を渡るだけではなく、空を浮かび、雷鳴と共に天の裂け目を駆け抜けたらしい。そう、ここでも現れるのは光と音だ。この円盤がもし天狗の乗り物だったとしたら……。

 奇妙な符合はそれだけではない。舟が漂着したのはなにを隠そう常陸国――そう、くだんの寅吉少年が異界へと拐かされた、かの因縁の地だというのだからたまらない。


 さて。


 ここで『新・仙境異聞』以後の天狗史を語るにおいて、避けては通れない話題がある。

 それは天狗にまつわる陰謀論だ。


 「五十一番地」という区画がある。

 これは軍の機密である航空機開発の拠点としてつくられた実験区だ。

 帝国府がその存在を公式に認めたのは今から9年前になる。

 この「五十一番地」では墜落した円盤から回収した生物の遺体を収容している――という噂が以前からあった。


 ことの始まりは昭和22年。

 奇しくもこれは安納 毛根津が例の発光体を目撃したのと同じ年になる。

 帝国軍司令部は帝国第一領・高尾山近郊の牧場で、墜落した飛行物体を回収したと発表した。公式記録ではこれは観測用の気球だったとされている。ところが昭和53年、天狗研究者として有名な古戸 坦人が「このとき軍が回収したのは気球ではなく空飛ぶ円盤だった」と公の場で暴露したのだ。


 軍が飛行物体を回収した高尾山といえば古来より山岳修行の場として知られていた。

 一説には、天狗とは魔縁に魅入られ天狗道へと堕ちた修験者が変化するものだという。天狗がしばしば修験者や山伏の恰好をした怪物として描かれるのはそのためだ。こういった経緯もあり、修験道と縁がある高尾山には数多くの天狗伝説が残されている。


 また、帝国府はすでに極秘裏に天狗と交信をしているという説も存在する。


 戦後の異界開発競争において、我が国は他国を大きくリードする成果を果たした。

 太陽計画で六度にわたる「有人仙界着陸」を成し遂げたのが人類最大の偉業の一つであることに異論はないだろう。

 現代では仙界着陸を収めた記録映像は映画監督の円谷英二によるフェイク映像だったという与太話もあるが、この映像が間違いなく事実であることは数多くの識者によって検証されている。

 そう――人類はすでに異界へと到達しているのだ。ならば、異界に住まうとされる天狗と遭遇した人類が、もしも何らかの取引をしていたとしたら……?


 過激な陰謀論者によれば、天狗から供与された技術は我々の生活にもすでに浸透しているという。


 陸軍洛陽学校(旧・京都帝国大学)のゲノム医学研究科の権威・鞍馬教授による「抗老化処置手術イモータリティ」は、すでに実用化されている技術のなかでも最も偉大な発明の一つに数えられるだろう。

 「抗老化処置手術イモータリティ」によって、人類は事実上「老衰」による死を克服したのだから。(もっとも現時点では、その恩恵を得られるのが高額な医療費を払い続けられる一部の富裕層にかぎられるという課題はある)


 陰謀論者の「交信者カルラ」のあいだでは「抗老化処置手術イモータリティ」は人類が異界の天狗から手に入れた「仙丹」なる不死の霊薬を元にしたものである、という荒唐無稽な説が飛び交っているようだ。

 当然のことながら「抗老化処置手術イモータリティ」は地道な研究成果の蓄積によって生まれた、高度な医療技術の結晶である。

 断じて異界からもたらされた魔法の如き代物ではない。ましてや、そこに天狗などが介在する余地があるはずもなく。


 このように、まことに天狗というものは摩訶不思議なものであり、それに触れることで自らの常識というものはたやすく揺さぶられ、幻惑の淵に立たされることになる。

 なぜ人は天狗を空飛ぶ円盤だと思ってしまうのか。

 円盤はどこから来たのか。

 天狗とは何者なのか。

 その謎もまた一筋縄ではいかないことがわかっていただけただろうか。


 それでは最後に珍説中の珍説を一つ。

 ある陰謀論によると、天狗の正体はなんと宇宙人(!)だという。

 つまり空飛ぶ円盤は異界と現世を渡るものではなく、宇宙からこの星に来訪するために作られた乗り物だというのだ。

 宇宙人、なんていうと思わず失笑が漏れてしまうが……発想としてはなかなか面白い。あまりに絵面がひどいので、せいぜいが子供向けのファンタジーか、B級SF映画のようなものにしかならないだろうが。


 ともあれ、陰謀論との付き合いは程々に。

 賢明なる読者諸君においては、あくまで己の知的好奇心を満たす娯楽として愉しめるよう、用法・容量を守って正しく距離を取ることをお薦めしよう。


(了)


 以上

 昭和97年7月29日 月刊マヨヒガ 夏の特別増刊号より抜粋

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