第3話 寒戸の婆

「あんたがあの神隠しにあった、とかいうサダさん!?」

「どこにいた!? どう帰って来た!?」


 刈り入れ前の季節にもかかわらず大量の布をずるずると巻き付け、異様に伸びた髪も真っ白な老女を迎え、梨の井の者達は声を上げた。その姿の尋常じんじょうでなさに彼等はたじろぎながら、昔を知る者を探して強風の中、人をやろうとする。

 しかし、


「皆に逢いたくて帰って来ました。では、また参ります」


 サダは短く告げるとその場を去った。梨の井に彼女が懐かしむべき顔はもうない。激しくなるばかりの風雨を浴びてまで彼女を追う者はなかった。

 嵐にさらされる衰えた体は鬼門へ向かって踏み出すのも難しい。雨に濡れる程に衣は重く、彼女の望みをはばんだ。そうする内に吹き荒れた風がサダを飛ばした。まれるように流され、彼女は夢中で手に触れたものをつかむ。

 それが梨の枝と気付いたのは異界へ飲まれる瞬間だった。


「そなたがさだか?」


 懐かしい声音が耳をでる。

 もたげたサダの頭からつややかな黒髪が流れ落ちた。その髪をそっとすくった男の指がほおに触れ、ぬくもりが伝う。


難儀なんぎをしたようだ。もう来ぬかと思った」


 業良なりよし親王はサダの顔を汚す泥を袖でぬぐい、目を細めた。その後ろにまだ若い梨の樹が実を一つつけている。


「お会いしとうございました。お目にかかる前に飽きが訪れていなければ良いのですが」

「それは私が案ずべきこと」


 親王はサダを抱き寄せ、ささやいた。


「しかし、あきうれうは満ち足りてこそ。共にふゆの戸をくぐり、はるを迎え、時過さだすぐをも寿ことほごう」


 その庭の梨は健やかに育ちながら、二人がこの世を去るまで再び実ることはなかったと言う。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カコイナシ 小余綾香 @koyurugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画