32話 君だけが
◇◇◇◇
朝。
シャツをかぶってズボンを履いただけのだらしない格好だったけど、シトエンを起こさずにそっと寝室を出ることに成功した。
そのまま二階の廊下を、あくびをしながら歩く。
「あら」
階段を上がって来たのはイートンだ。
盥とタオルを持っているということはシトエンを起こしに来たのかもしれない。
「シトエンならまだ寝てる。昨日寝るのが遅かったから……もう少し寝かせてやってくれ」
「まあまあ。リビングを退席された、あのお時間からずっと眠っているのに? 寝るのが遅かった?」
「うぐ……っ」
「お風呂の準備がいりますかしら」
「……う……うむ」
答えるのにちょっと躊躇した。「あらあら」とイートンはまた言いながら階段を下りていく。なんか……俺の顔が熱い。いや……まあ、いる……よな、風呂。
俺も水風呂でも浴びようかな。
そんなことを考えながら階段を降りる。
わしわしと頭を掻いたら、結構な寝癖に気が付いた。えー……。俺、どんな寝方してたんだよ。
一階に下りると、交代時間なのかもしれない。眠そうな顔の団員が数人、固まってなにか申し送りをしていた。
「団長、おはようございます」
「おはよう、ご苦労」
挨拶を返したら笑われた。ん? と思ったら、寝癖のことらしい。
「風呂入るわ」
「そうした方がいいっす。あと、もろもろ確認を」
「ん? ああ」
え。そんなにひどいの、俺。ひげ? ひげのこと?
風呂、風呂。ラウルまだ寝てんのかな。
昨日、夜にみんなで飲んだり騒いだりしたリビングに顔を出すと、ヴァンデルはソファに座って、窓の景色を眺めながらコーヒーを飲み、ラウルがテーブルで何か書いている。
「おはよう」
声をかけると、ふたりがこちらを向いた。
「おはようございます」
「おはよう、親友。すごい寝癖だな」
ヴァンデルがカップにソーサーを戻しながら笑った。
「そうなんだよ。ラウル、風呂に行きたい」
「はいはい。ちょっとこれだけ書いてから……」
ぱちぱちと算盤を弾いている姿を見、それからヴァンデルが眺めていた景色に顔を向けてふと思い出す。
昨日の夜、満月を見ているシトエンを見て感じたことを。
「なんなら、一緒に風呂に行くか、サリュ」
立ち上がって抱き着いてこようとするヴァンデルを「朝からうぜえ」と言って突き返す。
「ゆっくり眠れたようでなによりだ。公務中はシトエン妃の警護等で気も抜けなかっただろう。この別荘だけでものんびりすればいい」
ぴん、と俺の寝ぐせを指ではじくヴァンデルを睨みながらも、「そう……なんだよな」と思わずつぶやいてしまう。
今後もシトエンが狙われるかもしれないというこの状況は変わらないわけで……。
シトエンがいなくなる。
消えてなくなってしまう。
そんなことは絶対にさせないのだけど。
その過程でもし。
もし、俺が死んでしまったら……。
そしたら、シトエンはどうなってしまうんだろう。
理由はわかんらが、どうしても思考がそこから抜け出せない。どうにもこうにも執着してしまう。
そんな不安に突き動かされるように、俺は口を開いた。
「なあ、ヴァンデル」
「なんだ」
「もし俺になにかあったら、シトエンを頼むな。ラウルも」
「は?」
顔を上げて問い返したのはラウルだ。ヴァンデルは眉根を寄せて俺を見ている。
「いや、なんとなくさ。シトエンってずっと狙われているじゃないか。そりゃ俺が守ってやるけど……。その過程で俺が死ぬこともあるだろう? そうなったら」
「ばかやろう!」
「がふんっ!」
いきなりヴァンデルに顎を殴られた。
「な! なななな」
「あんぽんたん!」
「だうっ!」
ラウルが帳面を投げつけてきて、まともに顔面に当たる。
「なんという短絡的な男か。お前のことは僕やお前の騎士団が守ってくれる。だからお前はシトエン妃だけ守っとけ!」
いつもおちゃらけているヴァンデルが珍しく目に怒りを湛えて睨みつけてきた。
「そうですよ、なに言ってんですか。団長がシトエン妃を守っているように、ぼくたちだって団長に何も起こらないように守ってるんですからね。勝手に死んでもらっちゃ困りますよ。あと、その帳面拾って、団長」
ラウルが俺の足元に落ちた帳面を指差して命じた。
「お前が大事なシトエン妃は、お前が守る。お前が大事な僕たちは、お前を守る。それがずっと続くだけだ。そうだろう?」
ヴァンデルがふん、と鼻を鳴らした。
「それに、勝手に自分を守って死なれることのほうがシトエン妃もつらかろうに」
ぐさり、と。
胸に刺さった。
そうだ。
シトエンが前好きだった奴。
シトエンを庇って死んだんだっけ……。
その結果、シトエンはずっと悔やんで悔やんで……。
「そうかも……。ありがとう、ヴァンデル。……そうだよな、俺……なんか先走ったな」
俺は笑ってヴァンデルの肩を叩く。
「もしお前に命の危機が迫ったら俺が助けてやるからな!」
「なんと嬉しい言葉か……っ」
「ハグはいらんっ! 首に顔を近づけるなっ!」
「あ」
「なんだよ」
一瞬動きを止めるから、その隙にヴァンデルの腕から逃れ出る。
「はあああああ……。もうやってられんな」
ヴァンデルが演技かかった仕草で首を横に振り、どすん、とソファに座り込んだ。
「おい、ラウル。サリュに風呂を用意してやってくれ。もう見てられん。昨日奥方に随分と愛されたらしい」
「はああああああああ⁉」
「あ。団長、ここキスマークついてますよ。あーあー、もう。他の団員に気づかれる前に服を着替えて風呂に……。あー……。もう朝から世話のやける……」
ラウルが面倒くさそうに立ち上がったとき、開けたままの廊下をバタバタとモネとロゼが走る音がした。
「おはよう」
声をかけると、モネは盛大にため息をつき、ロゼは腕組みをして俺を睨みつける。
え。めっちゃ攻撃的じゃないか。
「あのねー、王子。朝からもう、ややこしくしないで」
「なんだよ、俺が……」
なにしたんだ、と言いかけたら、モネがぐい、と持っていたシトエンの衣装らしきものを広げた。
「今日はこのお召し物を着ていただこうと思っていたのに……。王子がシトエン様の身体中にキスマークつけるから」
「うぐ……っ」
「服を選びなおしだよ、もう!」
「今日は暑くなりそうだから、襟ぐりの開いたものがいいかな、って思ったのにあれは……。プールも無理でしょうね」
「かわいそー、シトエンさま」
「シトエン様、皮膚が弱いって言ってるのに……。信じられない」
吐き捨てるように姉妹は言い放ち、俺はいたたまれない気持ちで口をぱくぱく開閉させる。
「あーあー、もう。あっちゃこっちゃで迷惑かけて。ほら、行きますよ、水風呂」
ラウルが立ち上がった時、パタパタパタと軽い足音が近づいてきた。
「あ」
おもわず声が出た。
シトエンがシーツみたいなものを頭からすっぽりかぶり、イートンに付き添われて移動している。
「あ……」
目が合うとシトエンが真っ赤になって目を伏せ、シーツを深く被った。
「ほらほら、こんなエロ冬熊とあんまり目を合わせてはいけません」
「シトエンさま、一緒にお風呂行こうねー。エロがうつる」
モネとロゼが馬鹿にするから怒鳴りつける。
「なんだ、人を病原菌みたいに!」
「そうだ! ぼくの大親友になんてことを言うんだ!」
「お前はなんで抱き着いてくるんだ、うっとうしい!」
「あーあーあもう……。面倒くさい……」
ぎゃあぎゃあと、怒ったり、笑ったり。
気が付いたら別荘中が大騒ぎだ。
うっとうしいし、そもそもなんでこんなことになったんだとも思うし。
面倒くさいなと思うこともあるけど。
でも。
そんな日々の中で、シトエンがずっと幸せに過ごせたら。
イートンたちに連れられ、廊下に消えていくシトエンを眺め、強く願う。
今世でも、来世でも。
君だけが、大事で。
君だけを、幸せにしたいんだ。
君のことは絶対に守る。
俺の命にかえても。
だから。
シトエンをつけ狙うやつら。
そろそろ、決着をつけねばならん。
【2章 完結】
隣国で婚約破棄された娘を嫁にもらったのだが、可愛すぎてどうしよう 武州青嵐(さくら青嵐) @h94095
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