おにのいないさと
碧月 葉
おにのいないさと
※この物語の冒頭には、残酷描写及び性暴力描写がございます。ご注意ください。
∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗ ∗∗∗
(あっ)
首が飛んていった。
血飛沫をあげて小さな身体がパタリと倒れる。
つい先ほどまで、野辺の花を摘んではしゃいでいた幼い妹は、その手に白いハコベを握ったまま真っ赤に染まっている。
妹を抱きしめるとか、逃げだすとか、何かしら行動を起こさねばならない筈なのに、まるで体が動かない。
具足をつけた男たちが、目をぎらつかせながら押し寄せてきた。
村のあちこちから悲鳴が聞こえるが、綾は声をあげることすらできない。抗うことができぬまま、彼女は引き倒され、のし掛かられ、痛みと恐怖に支配された。
(苦しい、苦しい…… 誰か私を救って……)
神でも仏でも、いっそ鬼でもいい。
綾はぎゅっと目を瞑り、襲いかかる苦痛から解放される事だけを願っていた。
「鬼……」
その時、ひと言呟いて男は動きを止めた。
生温かい何かが綾の頬に落ちてきた。そこで恐る恐る目を開くと、男のこめかみには羽の付いた棒が刺さっていた。
蹄の音がする方に顔を向けると、憤怒の相を浮かべこちらへ迫る女武者の姿があった。
(……あれが、水無瀬の姫さま……?)
綾は意識が遠のく中、夜叉から慈愛に満ちた天女の表情に変わった女武者と目が合った気がした。
∗∗∗
数年の月日が流れた。
盗賊の襲撃により家族を失った綾は、救援に駆けつけた水無瀬の姫こと紅羽御前の元に引き取られ、そのひとり息子である紅若丸に仕えていた。
今日は墓参りで、数年ぶりに故郷の村を訪れていた。
綾の隣には可憐な容貌の少年が立っている。
村は紅緋色に金糸を散りばめた錦のような木々にに彩られ、閑やかな表情を見せていた。
「へぇ、良い村だね、綾」
紅若丸は、そう言って綾に微笑みかけた。
「ええ。辛い思い出もありますが、家族と過ごした良い思い出も沢山ある…… やっぱり故郷ですね。ひとりでは勇気が無かったので若様、一緒に来て頂いてありがとうございます」
「俺も綾の育った場所を見てみたかったしさ。ご両親に『綾にはすごく世話になっている。ありがとう』ってお礼が言えたし。来れて良かったよ。…… ねぇ、綾はさ、このままここに残る方が良いんじゃない?」
紅若丸は軽い口調とは裏腹に、真剣な眼差しで綾の方を見た。
「若様、意地悪を仰らないでください。ここに未練はありませんよ。貴方の側から離れる気はありません」
「本当にいいの?」
紅若丸は眉を顰める。
「はい。私は若様から離れることなんて出来ません。側にいないと息ができないのと同じくらい辛いんです」
大袈裟ではない、小さな頃から成長を見守ってきた紅若丸は弟のように愛しい。
それに、今こそ長年の恩に報いる時だ。
綾は拳をぎゅっと握りしめた。
(…… 盗賊に襲われた後、私はもう幸せになることはない、自分の人生に意味はないと感じていた。けれど、御前様は時に優しく時に厳しく私の将来に可能性を示してくださった。お陰で今がある。私は、御前様に託された紅若丸様を何としても守らねばならない)
「これからも俺たちと一緒にいるのは危険だよ。綾も聞いているだろう? 都では『水無瀬に鬼女が住み、村々を襲っている』と噂になっている。そして、遂に朝廷は母上を『鬼』と認定したらしいって」
紅若丸様は渋面を作って腕を組んだ。
「都には愚か者しかいないのでしょう。都人は何でも『鬼女が都に攻め上って来る』と慌てているようですね。そんな事あるはず無いのに」
「…… 母上は才があり過ぎる。だから都でも疎まれた。今はこのような山奥にいるとはいえ、勢力を広げている事が朝廷には目障りだったのだろうね」
紅若丸の母である紅羽御前は、かつて都で官女をしていたが、無実の罪で流され水無瀬の里にやってきた。
里では都からやってきた美しく才気溢れる姫君として敬愛され、読み書きや薬草の知識を教える外、都の文化を伝え里の振興に努めていた。
紅羽御前の評判が高まるにつれ、里には学をつけたい者、病を癒したい者、身寄りを無くした者、戦で落ち延びた武士など様々な人々が集うようになっていた。
「無能な役人が盗賊などの悪党を野放しにするから、御前様が代わって周辺の村々を守ってこられただけなのに……。それを危険な武装勢力と見做すなんて、どうして真実はこんなにも曲げられてしまうのでしょう」
「母上は賢いけれどお人好しなんだ。困っている者を放っておけない性格というか…… それでも東国の乱の残党などは里に迎えては駄目だったんだ。それでは都に警戒されてしまうよ。それに、今更だけど朝廷の地方統治のあり方を問う声が高まっているらしい。そんな時に『鬼退治』というのは、朝廷の権威を高めるにはもってこいの事柄なんだろうね」
そう言って紅若丸様は深いため息を吐いた。
「朝廷にとって都合の良い事だけが『真実』としてまかり通るんなんて、悔しいですね」
「だがこうなっては仕方ないよ。信濃守に『水無瀬の鬼女討伐』の命下ったというから、俺たちはもう逃げられない。でも、里から犠牲者は出したくない。せめて俺と母上の首で収まると良いのだけれど」
紅若丸は幼さの残る顔にやるせ無い微笑みを浮かべた。
それに対し、綾は感情を抑えることが出来なかった。
一筋の涙が、すうっと綾の頰を滑り落ちていった。
「…… まさか、今日なのか?」
「申し訳ありません」
僅かに震える声で尋ねた紅若丸に対し、綾は深く頭を垂れた。
「母上っ」
馬に飛び乗ろうする紅若丸の腕を綾は掴んだ。
「いけません。若様が現れれば見逃すことはできないでしょう。理不尽な討伐である事を信濃守様もよくご存知です。無益な戦いはせず、首
「そんな、今ごろ、母上はたったひとりで…… やはりこんな所にいる訳には」
なおも里に戻ろうとする紅若丸を、綾は制した。
「『復讐など無益、動くなら人々の為になることを。貴方は強い、貴方が健やかである事をいつも祈っています』そう言付かっております。生きることこそ孝行になります。どうか」
綾の言葉を聞いた紅若丸は、プイと後ろを向いた。
「俺は強い」
「ええ」
「泣いてもいいか?」
「ええ」
紅若丸は肩を震わせた。
傾いた陽に照らされた山々は、燃えるような赤に染まっていた。
∗∗∗
朝廷より鬼退治の命を受けた信濃守は、250騎の手勢を引き連れて北上し、紅羽御前と対峙した。
激しい戦いの末、信濃守は別所観音より下された降魔の剣をもって紅羽御前の首を落としたという。
こうして里から鬼はいなくなった。
そして、それからというもの里に災いが降りかかろうとする時、どこからともなく2人の天狗が現れて人びとを助けたと言い伝えられている。
さて、都で「鬼女」として恐れられた紅羽御前だが、地元ではその後も「貴女」として伝えられてきた。
鬼のいなくなった里では、今でも彼女を偲ぶまつりが催され、水無瀬の姫は時を越えて多くの人々に愛され続けている。
おにのいないさと 碧月 葉 @momobeko
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