センパイにはあげません

 彼女のやや日焼けした手に触れたその夜、夢を見た。夕焼け色となった空の下で、少女が静かに空を見上げている。その場所はすぐに学校の屋上だと分かったのだが、少しばかり違和感を感じた。

 まだ下校時間を過ぎていないにもかかわらず、運動部の声や吹奏楽部の楽器音が聞こえないのだ。時間帯的に考えれば、まだ他に生徒が居ても不思議ではないはずだ。寧ろ、居る方が自然だと思えてしまうぐらいだ。

 そんな放課後となってまだ時間が経っていない屋上で、その少女はたった一人で空をずっと見上げている。声を掛けようとしたが、夢だからだろうか?すんなりと声を出す事も出来ず、手を伸ばしても届くかどうかも分からなかった。

 何故なら手を伸ばした途端、少女との距離が遠くなってしまったからだ。徐々に徐々に遠くなっていく少女の姿を追い掛けようとしても、いくら走っても追い着く事は無い距離。

 その先で少女が空を見上げるのを止めると、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。しかし、同時に視界でノイズが走り、まるで砂嵐にでもあったかのように視界が塞がれていく。

 だが少しだけ、少女の――いや、彼女の表情が見えた気がした。


 「――、――、――……」


 何か言っている。しかし、その声が届く事は無い。そのまま彼女の姿が消えていき、最後に現実へと引き戻されたのだった。目を開けたらそこは、見慣れた天井でしかない自分の部屋だった。

 だけれど、最後に見えた彼女の表情だけが、脳裏から離れる事は無かった……。


 ――翌日。


 休日で学校が休みの為、久し振りに一人で散歩をする事にした。昨日見た夢が、頭から離れないから気晴らしがしたかった。というのが本音である。適当に街を歩いて、適当にゲーセンに行き、適当に時間を潰した。

 同じ街、同じ学校に通っているというのに、彼女に会う事は無かった。もしかしたら、彼女の事を無意識に探していたのかもしれない。そういえば、連絡先も交換した事が無かったと今になって思い出したぐらいだ。

 我ながら、どうしてそこまで気になるのか不思議なぐらいである。


 「あれ? センパイじゃないですか?」

 

 そんな事を思いつつ、そろそろ帰ろうかと考えていた時だった。噂をすれば影、既に陽が沈み始めている時間で、彼女が小首を傾げて姿を現した。キョトンした表情で近寄り、こちらの顔の目の前で手を軽く振って「おーい」と呼んでいる。


 「何ボーっとしてるんですか? 危ないですよ? こんな所で」


 そう言いながら少し離れた彼女は、片手に持った水色の棒アイスを一度舐める。休日だというのに私服ではなく、制服に身を包んでいる。肩から下がっている学生鞄には、猫のキーホルダーがぶら下がっている。


 「ん、あぁこれですか? そこの駄菓子屋さんで買ったんですよ。 何ですか? センパイ、もしかして欲しいんですか? でも残念でしたね。これはもうあたしのですから、センパイにはあげません。……ぺろぺろ」


 飾られているキーホルダーの如く、棒アイスを舐める彼女は何処か猫を彷彿とさせる。最近になって良く会う事もあって、神出鬼没な彼女だからだろうか。自由奔放な動物の猫というのが、彼女にピッタリのように思えた。


 「あたしの顔をジロジロ見て、どうしたんですか?……センパイ。あ、もしかして、ダメですよ? いくらセンパイでも、あたしの食べかけなんですから! あげませんからね!? えっち、スケベ、センパイのヘンタイ」


 勝手に妄想され、勝手に怒られるとは理不尽だ。しかし、何か言ったら負けな気がした。だから何も言わなかったのだが、すぐに彼女は咳払いをしてから改まった様子で言った。


 「……とまぁ、冗談はさておきです。センパイと話したいのは山々ですが、あたしはこれから大事な用事があります。なので、今日はここでおしまいです。――またです! センパイ!」


 そう言って彼女は白い歯を見せて笑い、片手でピースをして帰ってしまったのである。



 ◇◆◇◆◇



 あなたと離れた夕陽は路地裏へと入り、肩を上下させながら夕焼けに染まった空を見上げた。そして壁に背中を預けた夕陽は、その場で座り込んで呟いた。


 「――ま、まだ……時間あるよね? センパイ」

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