最終話 やっほいな夫婦

 その大声に、私の肩が跳ねた。同時に心臓もバクバクいい出す。


 どうして……どうして……?

 どうしてここに、あなたがいるんだろう?


「こんな怪しい奴についていくな! というか、知らない人にはついていかないこと! 司教はそんな基本的なことすら教えてやってないのか⁉」

「旦那様……」


 いきなりお客さんを踏みつけた旦那様が容赦なく怒ってくる。

 そしてまだまだ言い足りないらしい。


「俺もずっと我慢していたがな。きみはいつになったら俺の名を呼んでくれるんだ? ずっと待ってたんだぞ。もしかして、俺の名前を忘れたか?」


 その語気の強い疑問符に、私は目を何度もまばたきして。


 ――忘れるわけ、ないじゃないですか……。


 私はおそるおそる口にした。


「……リュナン、様?」

「あぁ、リュナンだ」


 ――やっほい。


 心が躍る。嬉しい。嬉しそうに微笑んでもらえて、すごく嬉しい。やっほい。


 もう二度と会わないつもりだったのに。

 まだお屋敷を出て半日くらいなのに。


 あっという間の再会なのに、私の視界がどんどん濡れていく。

 そんな時だった。


「それじゃあ、帰るぞ」

「えっ?」


 私はひょいっと持ち上げられた。軽々しく旦那様に縦に抱っこされる。

 た、高い⁉ 慌てて旦那様の首に手を回すと、眼下で立ち上ろうとするお客さんが睨み上げてくる。


「お、おい⁉ その女をどこへ連れてくんだよォ⁉」

「どこへも何も、俺のだから連れ帰るんだよ。ど阿呆」

「ハァ⁉ オイ、てめぇら。こいつを――」

「――やれ」


 旦那様が短く命じた直後。バタバタと倒れていくやさぐれなお客さんたち。

 私が三回まばたきすれば、代わりに執事服のセバスさんとメイド服のコレットさんがパンパンと手を叩きながらその場に立っている。


 そして何事もなかったかのように、コレットさんが唇を尖らせた。


「もう旦那様おそい~! コレットちゃんこの先の怪しげな集会所を燃やしちゃうところでしたよ~!」

「それはそれですぐ人を派遣しなきゃならんが……その前に、こちらが先だ」


 そのまま旦那様はスタスタと私を抱っこしたまま歩きだしてしまうから。

 私は慌てて声をあげた。


「あ、あの……私……」

「早急に結婚式を挙げよう」

「えっ⁉」


 驚く私をよそに、間近の旦那様の顔はとても真剣だ。


「王家顔負けの規模で盛大にやる。国内外の有力者全員に声をかけろ。もちろん、式場の一部は民間にも開放する。とにかく盛大にだ。金に糸目は付けん。派手にやるぞ」


 それはセバスさんたちに命じているらしい。


「王家なんてものは何より外聞を気にするもんだ。そこまでやれば、さすがに王家だろうと横取りはできんだろう。貴族の風習なんてものは利用してやるもんだ」


 そう、吐き捨てたあと。旦那様は「そうだった」と何かを思い出したかのように、私を下ろす。そして膝を曲げた低い位置から、その青い瞳に私を映した。


「ノイシャ」

「……はい、ノイシャです」

「昨晩と契約時の発言の撤回を求めたい。どうやら俺はきみが傍に居てくれないと落ち着かないらしい。これは、きみのことを愛しているといっても過言ではないと思う」

「……ただの、庇護欲のようなものでは」


 その真摯な申し出から、私は視線を逸らす。

 だって『愛している』とか『愛される』とか、私にはわからない。

 それらはずっと懺悔室の仕切りの向こうの、他人事で。

 だけど旦那様は私から視線を逸らさなかった。


「それは俺も考えたんだがな。だけど、もうどうでもいいかと思って。きみを守りたい。きみのそばに居たい。きみの笑顔を見たい。異性の女性に対するそれらの感情が『恋』だの『愛』だのでないなら、きっとそれらの言葉に意味などないだろう」


 どうでもいいと投げやりなのに。どう聞いてもその言葉が真面目だとわかってしまう。

 だって……私も旦那様の迷惑になりたくない。旦那様の笑顔が見たい。

 旦那様に対して、旦那様と同じことを思ってしまうんだもの。


「というか、もう面倒になった。きみの心配だけで俺は頭がいっぱいなんだ。愛している。もうそういうことで諦めてくれ。俺は腹を括った」


 そもそも俺は頭よりも身体を動かしている方が好きなんだよと、旦那様が苦笑する。


 その笑いじわが、とても――


 だけど、すぐに表情が引き締まる。


「だから、あとはきみの意思が聞きたい。俺が嫌なら拒んでくれて構わない。ただ、独り立ちしたいのだとしても支援だけはさせてほしい。正直、今のきみは危なっかしすぎる」


 結婚か。それとも独り立ちか。

 両方、少し前の私からしたら夢のまた夢、私とは無関係だった話だ。だけど、そのどちらかを……私が選んでいいんだとしたら。


 私は、唾を飲み込んでから尋ねる。


「あ、あの……結婚式は……三分で終わるものなのでしょうか……?」

「…………善処しよう」


 そう答えた旦那様の後ろで、コレットさんが半歩後ろ引いていた。


「いや、さすがに難しいんじゃないかと」

「どうにかしろ。世界で一番盛大な三分間の式を挙げるんだ!」

「んな無茶な~⁉」

「コレットちゃんは有能なんだろ?」


 にやりと笑う旦那様がとても楽しげに見えた。それに「もう、ずるいんだから」とむくれたコレットさんは、セバスさんと目を合わせて。二人は旦那様に向かって最敬礼をする。


『すべては主の思うままに』


 それに旦那様が「よし」と頷いてから、再び立ち上がった。そして当たり前のように持ち上げられる。腕すら伸ばされて……高い! 旦那様の桃色の頭よりも高い!


「俺と一緒に居てくれるということでいいんだな?」

「わ、私なんかで良ければ……」

「きみがいいんだ、ノイシャ」


 これは噂の『たかいたかい』というやつなのだろう。

 突如憧れのひとつだった『たかいたかい』にやっほい。旦那様の言葉にやっほい。なのにドキドキしすぎて、私は「はい、ノイシャです」と答えることしかできない。


 それなのに、旦那様がさらに提案してくるの。


「ノイシャ。屋敷に戻ったら、すぐ契約書に追記しよう」

「何を記載するんですか?」

「リュナン=レッドラ(甲)は、ノイシャ=アードラ(乙)を世界で一番幸せにする!」


 そのキラキラ笑顔に、私は思わず見惚れてしまった。


「俺の妻になってくれ――ノイシャ」

「……もうあなたの妻ですよ。リュナン様」



 私たちは屋敷に戻って、本当にすぐ契約書に追記した。

 先の文面の他に、あと一つ。契約終了期間は設けない――と。やっほい。




《3分聖女の幸せぐーたら生活〜生真面目次期公爵から「きみを愛することはない」と言われたので、ありがたく1日3分だけ奥さんやります。それ以外は自由!やっほい!!〜 完》

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3分聖女の幸せぐーたら生活〜生真面目次期公爵から「きみを愛することはない」と言われたので、ありがたく1日3分だけ奥さんやります。それ以外は自由!やっほい!!〜【Web版】 ゆいレギナ @regina

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