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 また愛し合う女と女の間に挟まってしまった。

 最悪だ。もう完全に癖になっている。カケルは少し目を離すとすぐ何かの隙間に詰まると、姉からはよくそんな叱られ方をされた。どんなんだそれ。なんでも風の強い日に顕著で、きっとテンションが上がりすぎちゃうんだろうとかなんとか。

 完全に自己紹介だった。姉の。今になって気づくのも間抜けな話だけれど。

 彼女は言った。春は恋の季節だなんて嘘だと。恋は夏だ。天気予報の告げる台風、その到来を布団の中でじっと待つ夜の、あの〝不安への期待〟ほどに恋らしい時間を他に知らない、と。

 しゃくな奴だと思った。ゴリラのくせに急に詩人みたいなことを言う。詩人だったのかもしれない。でなきゃなんかそういう生き物とかだ。自然の中、勝手に湧いたり消えたりする変な妖精の類。たぶんいものではないと思う。そういうのはあまり長いこと見つめていると、精神ごとあっちへ持っていかれたりするから。

 自由で、無体で、隙あらば弟に歪んだ知識をねじ込もうとする怪物。歳が七つも離れていたのもあるけど、とにかく滅茶苦茶な生き物だった。なんだアレ。何をどうしたらこの世にあんな破滅的な人格が生じうるやら、年齢が追いついた今でさえ理解できそうにない。

 あの頃、もう七年も前になるけど、大学生というのはずいぶん大人に見えた。

 十四歳の夏のことだ。姉は二十一の大学三年で、背が高くて髪も長かったから、実はそこそこモテたのだと後になって聞いた。彼女からだ。この〝カノジョ〟は代名詞ではなく交際相手を意味する方のそれで、ちなみに言うと「俺の」じゃない。姉のだ。当時の、そして、最後の。

 ちょうどピッタリ同じ背丈で、髪に至っては姉よりも長く、なのに性格だけが綺麗に正反対の女。内気で、引っ込み思案で口下手で、なのに中二の男子を挟むことには一切の躊躇がなかった。どうかしている。実際どうかしてたって自分でも言ってた。まあそうだ。夏休み、ほとんど毎日我が家にお呼ばれしてきて、親の居ぬ間に自室で姉といちゃつくならまだしも、なぜかリビングの俺を巻き込もうとするのだからまったく悪趣味な話だ。

 怖い。愛し合う女と女が俺を挟んでいる——と、そんな認識は一切ない。

 なかった。だってふたりとも「大事なお友達」って言っていたから。その自己申告を頭から信じてしまう、当時の俺はどんだけ純朴だったのと今にして思うが、でも仕方ない。素直なのだ。生来、姉を持つ弟というものは。

 例えば無愛想で、生意気で跳ねっ返りでぶっきらぼうな、そんな自己像をいくら演出しても無駄だ。ただひとこと、「ねえちゃん」呼び一発で全部ぶち壊しになる。にわか仕込みの「あねき」はあまりにも空々しく響いて、当人から笑われるまでもなく封印した。齢まさに十四、一番尖っていたあの中二の夏でさえこの有様なのだから、きっと一生こうなのだと思う。

 あれから、七年。いよいよ年齢が並んだ今となっても、未だ俺の中の姉は「ねえちゃん」のままだ。

 大人だ。あいつの方が、まだ全然。この世にはまだ俺の知らないことの方が多くて、問いや惑いは年を追うごとに増えて、むしろ余計にねえちゃんのことがわからなくなった。なんだアレ。本当にどういうアレだったのあの無茶ゴリラと、夏が来るたびそう思う。

 別れそのものは真冬の出来事、例の夏休みからおよそ半年後のことで、でも違う。姉は夏だ。エアコンをバリバリに効かせたリビング、三人で団子みたいになってゲームに興じたあの思い出と、あとは単純に時節的なもの。お盆。がんへと旅立った者ががんに里帰りする季節。家族の中で俺だけが知っているのだけれど、実は毎年こっそり来ているのだと、それはもちろん姉のことじゃない。

 ——また愛し合う女と女に挟まってしまった。

 今年もいた。身内の墓参りに重ならないよう、ちょっと早めのタイミングで。

 例のカノジョ。こういうのも「元カノ」と言っていいのか、とにかくあの夏に俺を挟んだうちの左側の方だ。義理堅い人だと思う。それとも単に情念が深すぎるのか、いずれにせよありがた勿体無い話だ。あんな勝手気ままな破滅ゴリラなんぞのために、七年もの間、一度も欠かさずの墓参りだなんて。

 ありがとうございます、と声をかけて、そして「ヒッ!?」って返された。引かれた。身を、こう、びくりと竦めるようにして。

 ——人違いだった。

 他人の空似。結論から言えばまあそういうことになるけど、でもこのときばかりは本当に腰を抜かすかと思った。

「……ねえちゃん?」

 と、思わず声に出していたほどだ。もちろんねえちゃんのはずがないのは知ってる、でもそれはどう見ても姉だった。背丈も、髪も、姿勢の良い立ち姿まであの頃のままで、なにより「まあお盆だしな今」というのがでかい。いやお盆だからってこの世の夭折した姉という姉、そのことごとくが墓下よりウジャウジャ這い出てきたらこの世はきっと滅茶苦茶になるけど、でも仕方ない。素直なのだ。生来、姉に先立たれた弟というものは。まして俺の場合は人生で一番多感かつ繊細な芽生えの時期のこと、夢枕に何度願ったかしれない。せめてもうひと目だけでも会えたら、と、そんな安直で都合のいいお仕着せの奇跡を。

 ——おかえり、ねえちゃん。話したいことがいっぱいあるんだ。

 そう告げ、抱き寄せ、そしてその髪を優しく梳く。その一連の動作を実行に移す前に、でも一息ついて踏みとどまることのできる、そんな歳になってしまったことが少しだけ悔しい。

 ——姉じゃない。確かに背格好はほぼ記憶のままだし、顔の系統も近いといえば近いけど、でも違う。死者は帰らない。そんな都合のいい奇跡はない。つまり非常によく似た赤の他人を、でも姉の墓前に連れて来てしまえる、そんな人間はまずひとりしかいない。

 例のカノジョ。あるいは、元カノ。もうややこしいので左側って呼ぶ。

 車に何か忘れ物でもしたのか、遅れて俺の背後からおたおた駆けてきて、おかげでまた挟まれる形になった。前門のニセ姉、後門の左。愛し合う女と女の間に割り込んでしまう、そういう星の下に生まれたのだと思う。好都合だ。実際、当時も言うほど嫌じゃなかった。表面上はうんざりした風を装っていたけど、でも本当に嫌なら俺ひとりだけ、自分の部屋に引っ込めばそれで済む話だ。

 一年ぶりの左側と、そして初めて見るその連れ合い。いつからの関係かは知らない。まして「お友達です」などという、そんなわかりやすい大嘘を真に受けることもない。だってお友達ならこんな風に先立たれた交際相手そっくりに仕上げる必要ないよねという、そのひとことをすんでのところでグッと飲み込む、それくらいはできるのが二十一という歳だ。

 大人だ。姉ほどではないにせよ、俺も少なからず成長はしていたようで、だから言えない。怖い。あなた知らず知らずのうちに死者の身代わりにされてますよと、だいたいこのひと俺の関心を姉から引き剥がすために自分の身を使うような女ですよと、だからここは俺に任せてあなただけでも逃げてと、そう力いっぱい叫んでみたところで、でもあの夏休みに戻れるわけじゃない。帰れない。失ってしまった遠き日々と、そこで人の気も知らずにギャハギャハ笑っていた無神経ゴリラと、でもそのゴリラをまるで競い合うみたいに愛した、不器用な十四の男子と二十一の女子には、もう二度と。

 ——寂しかった。あの夏休み、初めて交際相手を家に連れてきた姉の、そのどこか気恥ずかしげな横顔が。

 そんな顔をするような女じゃなかった。だって、ゴリラだ。滅茶苦茶なやつだ。歳の離れた姉というのはほとんど台風みたいなもので、でもそれが当たり前のように俺以外の誰かを愛して幸せに笑う、その事実をうまく軟着陸させるだけの心の余白がなかった。思春期だ。性徴真っ只中の精神こころは面倒で、厄介で、苦く重たくいつでも息苦しいもので、なのに破れかけの自分の殻の隙間から覗く、新世界の広さとそこに満ちる光のまばゆさといったら! まるで遠慮を知らない真夏の太陽のようで、だからアスファルトの上で焼かれてのたうつ蚯蚓みみずの、その死の苦しみを俺は手足の成長痛に感じた。ぎしり、ぎしりと、軋みながらも必死で余白を伸ばそうとするやわい心の、その日除けにそれまでなってくれていた姉なるものの、庇護の下に辛ければまだいつでも戻れるのだという、その安全を俺から奪わんとするものすべてが敵だと思った。

 今ならわかる。いやわからんけど、でも同じ女に惹かれた者同士だ。人は危険な台風にこそ心惹かれ、身を焼かれながらもなお太陽に手を伸ばす。七年前、カノジョは敵意もそのままに俺の左側に張り付いて、それに簡単にドキドキさせられたのは事実だ。否定のしようもない。中二の男子とはそういうものだ。そも姉に対しての情はではなかったから、その点においては最初から俺の負けだったわけだけれど、でも違う。終わりじゃない。子供の欲には際限がなく、見るものすべてを自分のおもちゃ箱にしまおうとする。俺のだ。全部。性的には左手の彼女を、庇護役としては右手の姉を。一挙両得、つまり愛し合う女と女に挟まるという行為は、そのいずれもを我がものとする覚悟があればこそのこと。

 姉の恋を、そのカノジョの想いを、ふたりの仲睦まじい様子をただ遠くからすがめる、そんな外野に成り下がるつもりは毛頭なかった。どんなに彼女たちが俺にとって好ましく、またその恋の成就を応援する気持ちがあろうともだ。自分の身だけを安全地帯に置いて、色恋のリスクやコストをまるで支払うことなく、ただ他人の営みを覗き見して悦に入るような、そういう下世話だけはすまいと誓って生きてきた。昔、「恋は戦争」と言った人がいる。ならばいくさにあって、それを真に語る資格を持つのは、飛び交う剣戟の下にその身を曝した者だけではないのか?

 ——結果として、予期せぬ不幸がすべてを奪い去ってしまったけれど。

 でも、後悔はない。あの苦い夏の戦いがあればこそ、俺はまだこうして彼女の前に立てる。向こうも同じだ。二十八になったはずの左側は、でもあの頃と何も変わらない。見た目や雰囲気はともかく、根っこの部分はまだあの夏に置いたままにしてあると、そう理解しあえる程度にはやり合ってきた。こうして見ると魅力的な人だ。なんかじっとりした圧があるけど芯が太くて、なるほど姉が惹かれたのもわかると今更ながらに思う。向こうが俺をどう評価するかは知らないけれど、でも少なからずあんな大胆なちょっかいをかけてきた以上、そんな嫌悪されているとかではないと思う。それでもなお、この世に置いてけぼりにされた負け犬ふたり、決して傷の舐め合いをしようとしなかったのは、何か最後の意地みたいなものだったのだと思う。

 宿敵たるお互いに対しても、また、勝手に先立ったあの馬鹿ゴリラに対しても。

 一年ぶりの再会。知らぬ仲ではないとはいえ、でも挨拶は簡素だった。毎年そうだ。もともと、お互い、そうおしゃべりな方でもない。なにより俺たちの間に横たわっているものは、いずれもそう簡単には語り得ぬものばかりだ。

 ただ、今年は初めての第三者、明らかに「お友達」では収まらないお友達さんの存在もあって、お祝いの言葉くらいは言うことができた。よく考えたらただのお友達の何が「おめでとう」なのかって話だけれど、でもそこは向こうも素直に「ありがとう」と返して、そしてひとつ、なにかこう、七年目にして、ようやくのこと。

 胸の奥が、少し軽くなったような心地がする。

 これで最後だ。きっと、来年からはもうないのだと思う。こうして彼女が姉に会いに来ることも、また、そこに俺が挟まることも。次に俺が挟まるとすれば違う隙間、まったく別の女と女の間だろうし、そして左側の方は——どうだろう? まあ少なくとも姉そのものではないお友達さん、新生されたジェネリック姉と幸せに生きていくのだろう。ちなみに興味本位で聞いてみたところ、どうやらお友達さんは全部承知のようだった。姉のことも、その不幸な別れも、そして自分がその代替品として徐々に作り替えられつつあることも。今日は高めのヒールを履いているけど、本当は少し足りない背丈をどうやってクリアするか、骨延長手術がもっとお手頃になればいいのにと、そう笑顔で語る女にかけるべき言葉を俺は知らない。

 お似合いだと思う。その愛があればきっと太陽まで届くよと、曖昧に目を逸らして流せるようになったのは成長だろうか。二十一歳。姉の最後の夏と同じ歳で、俺がずっと「大人」の基準にしてきた年齢。

 ——この先。

 毎年、きっちり、ひとつづつ。俺は、あの人を置いてけぼりにする。

 してやる。少しずつ開いてゆく歳の差は、でも「お前が悪い」としか言いようがない。先に俺を、いたいけな十四歳の弟を、あの終わらない夏休みに置き去りにした罰だ。すぐ追いかけようと思った夜もないではないけど、でも駄目だ。信念にもとる。不可抗力による離脱ならまだしも、いまなお続く戦争の最中にあって、それを放り出して逃げるのは卑劣の極みだ。愛も死も、到底語り得ぬものを語る資格を得るために、きっと我々は生まれ、苦しみ、それでもなお生き続けるのだと思う。

 再び雁首突き合わせるいつかの彼岸で。

 恥じることなく、胸張って語る。愛なんててんで大したことなかったぜって、ただそのためだけに俺はこの太陽の下、まだふたつの足でこうして立っているんだ。




〈はさまれ 情欲の百合 了〉

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はさまれ 情欲の百合 和田島イサキ @wdzm

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