雲一つない晴天。

 宇宙との境目が分からなくなるほどの濃い青。

 その青いキャンバスの中を、名前も知らない鳥が自由に羽ばたいていく。

 時折頬に吹き付ける風は冷たいが、何処か心地よい。


「生きてる……」


 宙に届くほどの青い空の下で、そんな事を呟く。

 ボロボロだったはずの傷は綺麗に治療されていて、怪我一つないような状態である。正直なところ、既視感を感じて仕方ない。

『生きていますとも』

 途端に相棒の皮肉が飛んできて、思わず苦笑した。

 エイト曰く、俺が倒れてからは大変だったらしい。イザナミによって痛めつけられた傷は食堂で負ったときよりも酷く、それ故に俺が死んだと泣き喚くニーナを叱咤しつつ、動かない身体を無理やり動かし、置きっぱなしの荷物を執務室まで取りに行き、重い俺の身体をどうにか動かして治療を施したのだとか。ついでに言えば、俺はそんなことも知る由もなく、丸々三日間も眠りこけていたため、気が気じゃなかったらしい。おかげですこぶる体調がいい。

「いや、今回こそマジでダメだと思ったわ……俺の悪運もここまでかーってさ」

『……死ぬのであれば、当個体を直してから死んでください。イザナミとの戦闘で部品が破損したにも関わらず、貴方を救護したのですから』

「ははっ」

 最下層で会った時に同じことを言われたのを思い出して苦笑する。何処か呆れたような口調は、俺の言葉を冗談だと捉えているからだろう。実際生きていると思わなかったが、二人のおかげで戻ってこれたようなものだ。


『酷い相棒だと思いますか?』

「なんで?」

 そうして暫く空を眺めていると、エイトが話しかけてきた。どこか戸惑ったような物言いに何故だと返す。

『貴方が傷つく事を知りながらも、あの提案をしたのですから』

「あぁー」

 イザナミとの戦闘の際に俺が囮になった事を言っているのだろう。けど、正面突破なんてできなかったし、あの内容が一番最適解だったはずだ。それに、提案をしたエイトがイザナミへのカウンター役という一番重要な役割だったせいで、下手に動けず悔しい思いをしただろう。だから、エイトを見て自分の考えを言葉にする。

「いや、あれで良かったと思うよ

 結果的に俺は生きているし、イザナミの暴走は――遅すぎたけど、止めることができた。だからこれでいい」

『…………』

 黙ったままの球体を小突いてから口を開く。

「あんがとな」

『それはニーナにも言ってください』

「うん」

 照れ隠しのように視線を逸らされてしまえば、それ以上は何も言えなかった。エイトにも考える事があるだろうと頷く。


 よいせ、と立ち上がり、屋上の柵に掴まりながら空を見るニーナに近づいた。いつもであれば、すぐに飛び込んでくるはずの女の子は俺に見向きもしない。一体どうしたのかと屈んで彼女に目線を合わせると、何故か金色の瞳はそらされた。

「どしたん」

 少しばかりのショックを感じつつもニーナに話しかけると、不貞腐れたように彼女は口を開く。

「いち」

「うん」

「しのうとした?」

 俺が倒れた時のことを言っているのだろう。確かに肉体は限界を超えていたし、死んでもおかしくはなかった。俺自身ももうダメだと思っていたが、それでも決して死のうとは思っていなかった。

「死のうとはしていないよ、そんなつもりもなかった……でも結果的にニーナには心配させちゃったな」

 言い訳のようにニーナに伝えると、暫く口をもごもごとした後、風に乗ってささやかな声が聞こえてくる。

「……いち」

「うん」

「にーなは、いちにいきてほしい」

「うん」

 金色の瞳にめいいっぱい涙をためて、それでもこぼさないようにと堪えるように言う女の子の願いに、俺も頷いて答える。

「俺も、ニーナには生きていてほしい」

「いっしょだ」

「そうだね」

 ふふ、とお互いに笑いあう。ニーナも俺も、エイトだって、大切な人に生きていてほしいという願いがそこにはあった。

「ありがとうな、ニーナ」

 彼女にようやくお礼を言って両手を広げると、彼女は掴まっていた柵から手を離し俺に飛び込んできた。そのままニーナを抱き上げると、話が終わった事を察したのか球体がふわふわと浮いて近寄って来た。いつも通り淡い光を点滅させて、平坦だけど、感情のこもった機械の声で俺に話しかけてくる。

『一花』

「なんだよ」

『貴方を縛るものは全て無くなりました。ここから先は何をするにも自由です』

 エイトの声に思わず目を見開く。

 俺のルーツを知るという目的も、ニーナと共に空を見るという目的も――ムラクモとしてのイザナミを殺すという役目も終わった。それは、この広くて狭い都市の中に居なくてもいいという事。

「そっか……」

『それで、これから如何いたしますか?』

 相棒に言われて思いはせる。広がる空の下、この終末を向かえた世界は、どんな風になっているのだろう。たとえ滅んでいたとしても、たぶん何処かに誰かがいるのだろう。

 だって、世界は広いのだから。

「そうだな……世界を見に行きたいな……どんな人がいて、どんなロボットがいて、どんな風に暮らしているのか

 知らない事ばかりだから、いろんな場所を旅をしてさ」

 そこで、俺が生きた軌跡を残せればいい。

「んで、エイトはこれからどうするんだ?」

 聞いてきた本人に問いかける。答えは分かっているが、それでも聞きたくなるのが人間の性というものだ。

『当個体は自動追尾型支援ユニット、通称コードエイトでもあり、戦闘支援ユニット八咫でもあります

 随従し、他者を支援をするのが当個体の役目です……それに、手のかかる相棒の世話をしなければならないので』

「そっか」

 相変わらずのツンデレな答えに苦笑して、ふと視線を動かす。腕の中にいる女の子は、期待に満ちたきらきらとした目でこちらを見ていた。

「ニーナも行くだろ」

「うん!」


 俺の提案に頷いたニーナの顔は、今まで見たことのないくらい綺麗な笑顔で――ようやく彼女の笑顔を見れた、なんて唐突に思い出したのだ。

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しゅうまつ異世界の歩き方 中華鍋 @chukanabe

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