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「……」
恨みがあるかどうかと言われたら、今の俺にはたぶんない。だけど、彼女を止めるために誰かがやらなければならなかったのだろう。せめて安らかに眠れるように、物言わぬ機械になったイザナミに向かって屈んで手を合わせた。
「なぁ、エイト」
暫くニーナと共に手を合わせたあと、後ろに控えていたエイトに声をかけた。
『なんでしょうか』
「これから、タカマガハラはどうなるんだ」
『制御するものがいなくなったのです。電力の供給などは止み、やがて全ての電子機器類が停止すると推測しています。……この移動都市も、やがてただの鉄の塊になるでしょう』
「そっか……」
そうであれば、あの神様に理不尽に殺されることは、もうなくなるのだろう。残るのは棺桶のようなこの巨大な移動都市だけ。けれど……まぁ何とかなるだろう。案外人間というのはしぶとくできているのだから。
そう思ってふらつく身体で立ち上がり、ニーナと手を繋ぐ。
「……外へ出ようか、ニーナ」
「うん」
心配そうな顔をする彼女に大丈夫だと笑って、もと来た道を歩き始める。
『……でしたら、先ほどと同じように非常用の階段があります』
「わかった」
俺と同じようにふらふらしているエイトの案内で、外に向かうための階段につながる扉を開ける。
そこは、最上層部へ来るときに昇った暗闇の中に生えた階段で、相変わらず方向感覚が狂いそうになる。それでも痛む足で一歩一歩進んでいく。先ほどよりも随分とゆっくりと鉄の音を響かせて、暫く階段を登っていけば、制水扉――バルブがついた鉄製の扉――があった。
『ここが最終地点のようですね』
「……ああ」
エイトに言われ、バルブに手をかけてひねると、幸いにも錆びついていなかったようで、案外簡単に動く。そのまま緩めてから、震える手で扉を押す。
重たい扉からは、今までの人工的な灯りとは異なる光があふれかえり、やがて……
――ああ……。
「そら、だ……」
知っているよりも、ずっと……ずっと、青い空がそこに広がっていた。突き抜けるような、宇宙との境目すら分からなくなるほどの、深くて濃い青。
「あぁ……」
今にして思えば、あの植物園の偽物の空を見たときから、この色が見たかったのは俺自身だったのかもしれない。憎らしいほどに明るい空の色は、ズタボロの俺とは対照的だ。もっと近くで見たいと思うが、限界を迎えようとしている身体は思うように動かない。だからニーナと繋いでいた手を離し、近くにいる相棒に声をかけた。
「エイト、ニーナ連れて、先に外に出てくれ」
『……承知いたしました』
俺の言葉にエイトは頷き、マニピュレーターを伸ばしてニーナと手を繋ぐ。俺の言葉に疑問を持ったのか、ニーナがこちらを見た。
「いち?」
「大丈夫、後で行くから。俺は……ちょっと休憩」
「……ん」
大丈夫だと手を振って、困ったような表情のニーナに外に出るように促す。彼女が外に出たのを確認してから、脇腹に触れていた手を見る。
手のひらにべったりと、赤い色がついていた。
あれだけ痛めつけられたのだから当たり前か。命の源が、傷口から溢れかえっていく。至るところがずきずきと痛むが、だんだんと感覚が麻痺していく。もう自分の怪我の状況が判断できなかった。この身体はもうすぐ機能を停止するのだろう。
それが分かっていたから、エイトにあの子を託した。ムラクモだったときから、何がなんでも守りたいと思っていた、次に繋がる小さなかけらだったから。
ずるずると鉄でできた扉にもたれかかり、憎らしいまでの眩しい空を見る。
怖いかと言われたら怖い。命の灯火が消えるのが、自分がもうすぐいなくなるという事が。でも、それよりも次につなげられたというのが、俺にとっては満足のいく終わり方だった。
――もう少しだけ、見たかったな。
心残りといえば、ニーナの笑顔が見れなかったことだけど……。
けど、うん……まぁ、概ね満足だ。だから、これでいい。
そう思って、重くなっていた瞼を閉じる。力が抜けて、腹の傷を押さえていた手はだらりと落ちる。
「いち……?」
遠くで、ニーナの声が聞こえた。
あぁ、もう少しだけ――
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