大きく息を吐いて、イザナミを睨みつけた。俺の考えが切り替わった事に目の前の神様は一瞬だけ動きが鈍ったが、それでも俺に明確な殺意を持ってコードを伸ばしてくる。身体をひねって避けるが、別の角度から攻撃が飛んできた。

「ぐっ!」

 鋭利な先端で勢いよく攻撃され、俺の身体から血が噴き出す。反撃でコードを切り落とすが、また違う方向からコードが飛んできたので、防御できないと考えて転がって避けた。精密機器が多いためか、銃弾が飛んでこないのが不幸中の幸いだろう。けれど、イザナミの胎内というに相応しい、四方八方から容赦のない攻撃が飛び交い続ける。

 攻撃をぎりぎりで避けて、ナイフをコードに突き立てる。そのまま腕を動かせば、被膜が破れ、銅線がぶちぶちと嫌な音を立てて切断されていった。悲鳴すら上げないイザナミは、俺の攻撃など効かないとばかりに、左側面から攻撃を仕掛けてくる。

「いっ!」

 どうにか飛びのいて避けたが、一瞬反応が遅れたせいでわき腹がえぐられ血が流れ出た。じくじくと熱を持って痛み始めるそこを押え、たたらを踏みながら距離を取る。だが、そんな俺を逃すはずもなく、今度は背後から攻撃がやって来た!

 当然避けきれるはずもなく、思い切り頭を殴られる。幸い直前で身体を逸らしたおかげで大事に至っていないが、目の奥で火花が散り頭ぐらぐらと揺れた。その過程で何処か切れたらしくだらりと額から血が流れ、顔に落ちていく。

『いイ姿でスね』

「色男にしてくれて、どうもありがとう」

『どウいたシましテ

 でハ、もっといイ姿にしテあげましょウ』

 血を拭いイザナミを睨みつけてそう返せば、無機質な神はあざ笑い、再び攻撃を仕掛けてきた。避けきれるものは避け、反撃できるものはナイフで切るが、スタミナも体力もある有機体の俺と、スタミナが無限なロボットであるイザナミとでは分が悪い。

「がっ!」

 一つのコードを避けたところで、追撃とばかりに別の場所から攻撃が飛んでくる。腕でガードするが、勢いを殺しきれず身体は吹っ飛ばされる。床に叩きつけられ、痛みで呻くが、追撃が飛んできて俺の身体を貫く前にそれを切り裂いた。同じようにやって来たコードも切って、攻撃を殺していく。

「くそっ……!」


 切る、避ける。

 切る、切られる。

 切る、殴られる。

 切る、避ける、避ける、切られる。

 切られる。切られる。避ける。


 避けても避けても無尽に来る攻撃に、徐々に押され始めた。やって来た一撃をどうにかナイフで弾くが、刃こぼれしたそれはもう切る力もなく、ぎりぎりで弾く事ができているだけ。身体は傷だらけで、あちらこちらに擦り傷も切り傷もある。そこから血が溢れかえり酷い有様だ。防戦一方になりつつあるのが分かったのか、イザナミの攻撃は更に苛烈になっていく。

「はー……はーっ……」

 疲労で息が上がり、脳に酸素が行き渡っていない。血を流しすぎたせいか、くらくらする。床を見ると俺の身体から流れた赤い液体が染みを作っていた。

 これはヤバいなと一瞬別の考えをした途端、今までにない速度でコードが飛んでくる。

 避ける、という選択肢を考える間すらない。防御も攻撃も間に合わない。あ、と思った時には、コードは俺の胴体を貫くわけではなく、首に巻きついていた。


『捉えまシた……』


 嬉しそうな機械の声が響き、太いコードが徐々に絞まりぎちりと嫌な音を立て始める。

「ぐっ……!」

『終わリ、デス……お前ハ、私の手二よって死ヌのです。それガ最適、最高なのデスよ

 さア、虫のよう二、惨たらしク死になさイ』

 イザナミが伸ばしたコードは俺の首を確実に絞め上げつつも、どこにそんな力があるのか分からない程、いとも簡単に身体を持ち上げた。抵抗しても無意味だというようにつま先が持ち上がり、足がぶらんと宙に浮く。

「がっ……はっ……」

 気道を絞め付けられて息ができない。視界はぶれて生理的な涙があふれ、徐々に暗転し始める。もがいても苦しいだけ……


 けれど、俺はそこで『勝ち』を確信した。


「っは……はは、ははは、ははははははっ!!」

『何ヲ笑っているノ、ですカ』

「いや……お前、案外人間の恐ろしさ、舐めてるなって……」

『何を……』

「よーく聞けよ神様……切り札っていうのはな、自分が有利になってから使うんだよ!!」


 神に向かって笑って、刃こぼれであちこち欠けてボロボロになったナイフから手を離す。金属を叩く音が床から聞こえて、俺は腰についていた別の金属の塊……小銃を構えた。

 それは下層部で拾った、店に置いてあった護身用の小銃だ。光線銃でも、エネルギー弾を出す銃でもない、雷管を叩き、鉛の弾を発射するだけの旧時代からあるただの銃。だが、俺を確実に殺すために、俺にわざわざ近づいたコイツの頭を打ち抜くには、充分な威力だ!


  ――ばんっ!


 至近距離から放たれた弾丸はイザナミの頭部に直撃する。あちこち傷つけられた身体は銃を撃った衝撃で悲鳴を上げるが、泣き言を言っている暇はない。初めてひるんだイザナミを見て、チャンスは今しかないと、俺は床に転がっている『フリ』をしていた球体に向かって叫んだ。


「エイト!!」

『承知いたしました』


 その言葉にエイトは反応し、壁面にコードで自分の身体を繋ぐ。じりじりという機械音がしたかと思えば――

『ぎっ!! ぎ、ぎぎぎぎぎぎぎがが、ががががががががががが……が、あああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああっ!!』

 ようやくイザナミから余裕が消えて、その代わりとでも言うように悲鳴が聞こえた。ムラクモの時でも聞こえなかったその声に、思わず笑みが浮かんでしまう。

 無機質な神が、震え、痙攣し、怒りをまき散らしながら、俺の相棒を見た。


『き、さマ! 一体、何ヲ送ったノですカ!!』

『貴方にプレゼントされたものですよイザナミ』

『まさカ、マさか……まさか、まさかまさかまさかっ!!』

『随分と手こずりましたが、当個体は二十年もの間、貴方に勝つために待ち続けていたのです……貴方を殺す毒を作ることなど、当個体には容易い!』

 前回ムラクモと八咫がやられたときに無く、今回あるもの……それはエイトが感染したマルウェアだ。イザナミが送り込んだそれは、エイトの中で駆除された。だが、アイツは何かあった時のためにと、自分自身でそのマルウェアを分析し、さらに強力なものに仕上げたのだ。


 それをイザナミに送り返しただけ。


 この部屋は言ってしまえば、全てイザナミという個体そのものだ。何処かしらにコードを繋げば、玉座に座るイザナミに自動的にプログラムが行くようになっている。

 だから俺たちはチャンスを待っていた。イザナミが俺を殺す事を逆手にとって、俺にしか視線がいかないタイミングで確実に殺せるように。

 下の階層でエイトが提案してきた策は、そんなカウンターのような内容だったのだ。無論、他に案が無かったわけではない。こっそり忍び込んでマルウェアを流す、武器を大量に持ち込んでから攻撃をする、なんて提案も当然出ていた。

 それを選ばなかったのは、過去に試した手段ばかりだったからだ。誰もが思いつく手段で倒せるのであれば、こんなに血は流れなかった。

 だから、俺が傷ついてでも確実に倒せる手段を選んだだけ。


『何故、何故、何故ダ!! 八咫! 死こソが、最モ美しイというの二!』

『残念ながら当個体には感情も、美術的な感性も備わっていません。ですが、これだけはわかります

 すべてに平等な死をなど、真に美しいものを否定するなど――くそくらえ、です』

 エイトが反論すると、激昂したのかイザナミの締め付けが更に強くなる。今までよりも気道が圧迫され、息すらできない。

「ぐ……あ」

『せメて、せめテ、お前だケでモ……!!』

 イザナミの怨嗟の声が響くが、俺を仕留めるのを止めるようにエイトの声が響く。

『同じ轍は踏みません……ニーナ!』

「ん!」


 小さな声と共に、閃光が走った。

 白い髪と白い肌、金色の瞳……おとぎ話から飛び出してきたような美しい女の子が、上から舞い踊るように落ちてくる。


 そのまま首を絞めていたコードを切り裂いた。解放された俺の身体は自由落下し、床に叩きつけられる。ごきりと嫌な音が身体の中で響いたが、せき込みながらどうにか手をついて身体を起こす。だが流石にダメージが酷いのか、ふらふらとよろけてしまう。そんな俺を見て慌てたニーナが駆け寄ってきて支えてくれた。

「いち!」

「げほっ……大丈夫」

 傍から見たら顔面どころか体中血が出ているうえに、首には絞められた様な跡がくっきりと浮かんでいる。正直こんな状態じゃ、どう見ても大丈夫ではない。けれど、止まる訳にはいかない。

『が、ぎ……がっ!!』

 エイトが送りつけたマルウェアはイザナミの中を駆け巡っているのか、動きが途端に鈍くなる。それでも尚、俺を殺そうと触手のようなコードを伸ばした。だが、先ほど俺を簡単に傷つけたほどの威力はなく、ニーナにあっさりと切り裂かれてしまう。

 同時並行でマルウェアを処理しているのか、先ほど俺が撃った弾丸がダメージになっているのか、それとも両方か……。イザナミの身体に限界が来たのかオーバーヒートをはじめ、バチバチと音と煙を立てて辺りには嫌な臭いが立ち込めた。

 チャンスは今しかないと、ニーナに支えられるまま身体を動かして小銃を構えた。

「死の国に――黄泉平坂へ帰れ、イザナミ」

 もう一発、頭部に弾丸を撃ち込む。ずがんっと火花と共に銃声が聞こえ、バイザーが吹き飛び、やつの頭部に風穴があいた。

『い、ぎ……が、がががが……いやだ、いやだ……いヤだ、私ガ、こんナ、こんな虫けラどモに!!』

 自重を支える力もないのだろう。先ほどまで脅威と感じていた力はなく、生きとし生けるもの達に死を振りまいていた神は、とうとうだらりと床に倒れこむ。

「平等に死を……なんて、きっとあの時の誰もが考えた事だけど、それは間違えているよイザナミ」

『なぜ、なぜ……なぜ……、死は……うつく……しイ!』

 『何故』を繰り返す神に、頭を振って答える。

「アンタの言う事は、わからなくはない……けれど」

 完璧なる幸福を願った無意味な大戦は、誰もが最終的には死を願っていたのかもしれない。だけど、残されたもの達の――少なくとも俺たちの答えは違っていた。

『が……ががガ……が、な……ぜ』

「答えは簡単だ。俺たちが、生きたいからだ」

 イザナミにそう告げて、小銃の引き金に手をかける。そのまま彼女の頭部に銃口を突き付けて――撃ち抜く。


『…………そウ、ですカ』


 その言葉は、どこか納得したような、それでいてほっとしたような声に聞こえた。伸ばされた人を模した腕は俺の頬に触れて……やがて力尽きたように、イザナミの身体が倒れこみ、エラー音のように小さな音が鳴り響く。

『イザナミ、沈黙を確認』

 その絶命の音を聞いて、エイトは淡々と声を発した。

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