1. 喋る猫 ①


 契約書の内容を確認し終えたため、その契約書のデータファイルをメールに添付する。私がいる法務部では、契約書の確認や作成については、全てダブルチェックを行うよう徹底されているため、「ご確認をお願いします」と一文を添えて係長へメールを送信した。そのまま受信メールボックスを開くと、赤に色付けされた未読メールが一件だけ目に入った。送信者は事業部の明菜あきな君となっている。


 内容を確認しようとしたところ、私の席と隣席の間に置かれてある電話機が鳴った。ワンコールが鳴り終わる前に、隣の席の小塚こづかさんが手を伸ばし、受話器を取る。彼女の声を何気なく耳にいれながら、メールを開いた。内容としては、契約書の作成依頼のようで、末尾に後で「電話します」と書かれている。


阿兼あかねさん、事業部の秋菜さんから電話よ」


 電話に出てくれていた小塚さんが、送話口に手を当てたまま私に向かって言った。私は「はい」と返事をし、差し出された受話器を受け取って耳に当てる。


「お電話代わりました、法務部の阿兼です」

「阿兼さん、度々すみません。事業部の秋菜です」


 受話器越しに朗らかな声が耳に入った。秋菜君と私は入社同期だ。だからなのか、仕事の依頼はいつも私にメールをしてくる。本当は係長にもメールを送って、平等に仕事の分配をしてもらうのが望ましいのだが、係長も結局は私に任せてくるので許容している。話を終えて電話を置くと、小塚さんがにやけた顔をして私を見ていることに気付いた。


「いつも阿兼さんをご指名よね。それにメールだけでいいのに、わざわざ電話までしてきちゃって。随分気に入られてるのね」


 気に入られていると言えばそうなのかもしれないが、そこに同期ということ以上の感情はないと思う。


「うーん、同期だから言いやすいんだと思います」


 何であれ頼ってもらえることは嬉しかった。ふと壁にかかった時計を確認すると、すでに七時を回っている。今日こそは早く帰りたかったが、まだまだ帰れなさそうだ。


―――――――


 仕事を終えて、急ぎ足で街灯の少ない路地を歩いていると、十字路に大きな看板が立っているのが目に入った。今まで気付かなかったが、最近置かれたのだろうか。看板に書かれている文字をなんとなく読む。


「事故多発注意・・・・・・」


 角の家は塀が高く、車側も歩行者側も見渡しが効かないのかもしれない。私も注意をしなければと思いながら、看板から目を離そうとしたとき、猫の鳴き声が耳に入った。この辺りは野良猫が多いことは知っている。


 気にする必要もないだろうと歩みを進めるが、遠くなるはずの鳴き声は近いままで、離れていってくれない。もしかすると、私の後に付いて来ているのではないだろうかと思い、立ち止まって後方を振り返った。予想は当たり、白に黒の斑模様をした猫が、私から三メートル程の距離を取って立ち止まり、こちらを伺っている。


「私に何か用?」


 なんて、猫に声をかけても仕方がない。私は再び歩き出すも、暫くするとまた猫の鳴き声が聞こえた。振り返ると、また同じ距離を保って立ち止まり、私を見上げている。間違いない、私の後を付いてきている。


 私は猫の側に近寄り、少しでも目線を近付けるように屈んだ。人間が近付いても逃げないなんて、とても人間慣れをした野良猫のようだ。


「どうしたの? 私に付いてきても、飼ってあげられないよ」


 猫は残念そうに俯いている。言葉が分かっているかのような反応だ。そんな顔をされても、私が借りている部屋はペット不可だから、連れて帰る訳にもいかない。


「もしかしてお腹がすいてるのかな。ご飯を見つけるのが不得意な子なのかもしれないね」


 食べ物を与えるくらいならいいだろうか。しかし私が食べ物を与えたとしても、結局明日にはまたお腹をすかせて彷徨うことになる。ここは放っておくことが最善なのだと自身に言い聞かせるが、私を頼ってきている猫を目の前に、見て見ぬ振りはどうしてもできない。


「また会えるかわからないし、今回だけになるかもしれないけど、それでいいかな?」


 そう言うと、猫は顔を上げて瞳を輝かせた。本当に言葉が通じているみたいで、何とも不思議な猫だ。


「じゃあおいで。近くのコンビニに行こうか」


 私が手を広げると、一度躊躇したかのように顔を背けてから、ゆっくりと私に近付いてきた。足元まで来ると、脇下に手を入れて持ち上げ、顎を肩に乗せるようにして抱きかかえた。

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私の隣には、猫の君がいた 甘烈なかぐろ @nakaguroguro

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