第44話 出会い・後編

 一年などあっという間。最初は早く過ぎてくれ、と思っていたが、今ではもっと遅くともと。それほどに居心地がよかった。

 城の出入り口に用意されている馬車。国王、セレーネ、バディドが見送りに。

「色々お世話になりました」

 レウィシアは頭を下げる。

「いや、こちらも迷惑をかけただろう」

 国王がちらりと見たのはセレーネ。かけられなかった、とは言わないが。それもいい思い出。

 手の掛かるセレーネと真面目なバディド

 バディドは残念そうな顔。セレーネはいつも通り。

「いつかグラナティスに来てくれ。案内する」

「はい」

 バディドに右手を差し出し、手を握る。

「お元気で」

「バディドも」

 手を離し、セレーネに向けて差し出す。セレーネも握り返してくれ。

 この手に引っ張られ、色々な所に行けた。グラナティスより自由に過ごせた。できないこともできた。大変な目にもったが。部屋で寝られた時などは驚き、迷ったものだ。

「元気で、と言わなくても元気だろう」

 レウィシアは苦笑。セレーネも笑い。

「シアも元気で」

 帰ればそう呼ぶ者はいない。手を離した。

「あ、これを」

 そう言って渡してくれたのは、小さな袋。

「お守りです。以前のような、生命力を吸い取るものではありません」

 いたずらっぽく笑っている。気づかなければ今頃どうなっていたか。

「ありがとう」

「肌身離さず持たなくていいですよ。危険だな、と思った時にでも持っていれば」

「持っている。さっきも言ったが、いつかグラナティスに来てくれ」

「ええ、楽しみにしています」

 笑顔で別れた。


 馬車に乗り、グラナティスへ。

「何を渡されたんです。お守り、とか言っていましたが」

 三人だけになると、早速アルーラが。

 レウィシアは渡された小さな袋を手に。袋を開け、中のものを手の平に。小さな丸い薄紫の石。セレーネの瞳と同じ色の石。袋に戻し、ポケットに。

 ガウラは何も言わない。セレーネがレウィシアの命を狙っていないのは、この一年でわかっている。

「王になればしばらくは忙しいでしょうけど、落ち着けば呼べますよ」

 アルーラの明るい声。

「身分もあるし、妃に」

 睨んだ。

「いやいや、だって国と国の結びつきを考えれば、いい話でしょう。セレーネ様は王にならないと言っていました。臣下が分かれるようなら、どこかに嫁ぐとも。それなら、うちでも」

「まずは国内だな。ユーフォル達は詳しく教えてくれなかったが、どうなっているか」

 国内で戦になっていないだろう。なっていればヴィリロにも聞こえている。叔父は真面目に治めているのか。レウィシアが出る前より良くなっているのか。悪くなっていないと信じたい。


 レウィシアの希望はグラナティスの城に着いた途端、打ち砕かれる。

 馬車から降りれば、臣下達が飛びついてきた。ユーフォルは落ち着けとなだめている。出る前よりせた、いや、やつれたような。

「やりたい放題です。不正ははびこり、金さえ払えば貴族、領主に。税も上げ」

 やつれるはずだ。代表して話すユーフォルを見た。

 叔父のいる玉座の間へ。城を出る前、父が治めていた時と変わり、中にはあちこち絵が飾られ、その場には似合っていない華美で大きな花瓶まで。

 辿り着いた部屋も様変わりしていた。叔父も。

 派手な服を着て、頭には宝石で飾られた王冠。以前見た時より宝石が増えている。しかし、代々受け継がれている剣は持っていない。グラナティスでは王冠よりあの剣、祖先から作られた、といわれている剣を傍に置いている。父も王冠より、あの剣を下げていた。父、レウィシアは鞘から抜き、振っていたが、叔父は触れるが、抜けず、忌々しそうに見ていた。壊すことはできない。捨てはしないと思うが。

「お久しぶりです、叔父上」

 レウィシアは一礼。叔父は顔を青く。傍にいるオリヴィニは眉をひそめて。

 こうして元気に戻ってくるとは思わなかったのだろう。見破ってくれたセレーネには感謝しかない。

「お言葉通り、一年間勉強してきました。こちらはどうです。少し聞いたところ」

「変わりない。わたしが治めているのだから」

 叔父の傍に控えている臣下は頷き、レウィシアの傍の臣下は苦々しい顔。

「そうですか。一ヶ月もすれば、私も二十歳。ヴィリロでは色々学べました。こことは違いもあります。補佐をよろしくお願いします」

 王に就くのは自分だと。叔父は隠しもせず顔をしかめ。

「失礼します」

 叔父側の臣下はざわつき。どちらにつくのが得か、考えているのだろう。

「ユーフォル、国内の状況を知りたい」

「戻られたばかりでしょう」

「遅くなると隠されるかもしれない。それに一ヶ月後いきなり、やれ、は」

 徐々にやっていかないと。

「わかりました」

 叔父とは別の部屋をレウィシアの執務室にした。


 翌日からは叔父と舌戦。ほとんどレウィシアが言い負かしていた。叔父の反論は決まって、

「うるさい、何がわかる、治めたこともないくせに」

 ならば、とつっこむと「黙れ、出て行け」と怒鳴るだけ。

 叔父から令嬢を紹介されたことも。戻ってからは挨拶に来る令嬢も大勢いた。味方を増やすためにも時間を作り、会っていた。

 セレーネは変わっていた、自由な姫だったのだと、しみじみ。今頃何をしているのか。国王、バディド、臣下を困らせているのか。もらったお守りは左胸のポケットに。いつも身に着けていた。


 一ヶ月などあっという間。誕生日に。しかし叔父は、まだ早い、未熟だと王の座を譲ろうとしない。臣下達も真っ二つに。

 誕生日には多くの貴族、領主が祝いと、叔父をなんとかしてくれ、早く王になってくれと。叔父に詰め寄る貴族、領主達に叔父はたじろいでいたが、オリヴィニは平然と。どちらが王か。あの女の言葉ばかり聞いている、と叔母がこぼしていた。


 誕生日が過ぎると、それまで城にいたガウラはダイアンサスと共に領地へ。叔父も視察に出る、と兵、魔法使い達を連れ、出ていた。アルーラは残り、レウィシアの護衛。

 視察に出ている間、まつりごとをやってみろ、と叔父から。ようやく認めてくれたのかと。

 城を出る前の叔父は上機嫌。視察というが、行った先で領主、貴族と馬鹿騒ぎでもするのか。そんなことをすれば叔父の人気はますます下がる。

 その日もいつものように仕事をして夕食を取り、私室に戻っていた。変わりない一日。そう思っていたが、突然行く手に炎が上がる。歩いていた使用人、兵は驚き、悲鳴をあげ。

 レウィシアを囲むように上がる炎。自然の炎ではない。

 魔法。

 それなら、これは魔法使いの仕業しわざ。周りを見るが、誰がこれを起こしている魔法使いか。レウィシアの傍にいた兵は「殿下」と言い、炎からかばうように。使用人も。

「魔法使いを呼べ! 怪しい者がいないか、見ろ!」

 炎の向こう側、混乱している者に向けて叫ぶ。煙を吸い込み、むせた。

 炎の向こう側は大騒ぎ。炎の勢いは弱まらず、レウィシアの逃げ場を奪う。

 誰がこんなことを。思い浮かんだのは、叔父の傍にいるあの女。まさか叔父がこんなことをしないだろうと、この時まで思っていた。

 迫ってくる炎。傍にいる兵や使用人はレウィシアをかばうように。

「早く魔法使いを連れて来い!」

 煙にむせながら怒鳴るも、今、魔法使いは城にそれほど残っていない。

 グラナティスには三人の将軍がいる。広いため、それぞれ担当がある。一人は城、二人は国内のいざこざ、魔獣退治など。

 手強てごわい魔獣が二ヶ所、別々の場所に現れた、というので二人の将軍が兵や魔法使いを連れ、出ていた。そして叔父が連れていった。

 炎が迫る。息苦しく、熱い。

 ここで終わるのか。



「上手くいった?」

 杖にはまった宝石を見ていた。水晶玉のような宝石。宝物庫にほこりをかぶり、あったもの。部屋には他にもいくつもの魔法道具が。

 あの愚かな王は気づいていない。いや、金目のもの以外は興味ない。こちらにしてみれば宝の山。これで色々試せる。禁呪だって。実験台はいる。金はあの王についていれば。失敗して国が滅んでも次に売り込みにいけばいい。これほどの魔法道具と魔法の知識があれば。

 あの王も。兄を失ったばかりの頃は真面目に治めようと、兄より上手く治めようとしていたが。欲に負け。

「申し訳ございません。強運の持ち主のようで」

「つまり、生きている、と」

「はい。炎に包まれる瞬間、結界のようなものに護られていました」

「あの王子様は、魔法は使えなかった」

 目は宝石から離さない。映っているのは自分の顔。

 これさえあれば。

「ええ。魔法使いから何か渡されていたか、臣下が渡したか」

「余程の忠臣がいるのか、運がいいのか。ヴィリロで弱り、帰ってこられず、怒りの矛先ほこさきはヴィリロに、とはならず。ぴんぴんして帰ってきた」

 誰かが見破ったか、身内を信用できず捨てたか。一年かけず、半年、二、三ヶ月で生命力すべてを吸い取るようにしておけば。王子は始末でき、ヴィリロに攻め入る理由も。

 国内の不満は戦で解消すれば。戦になればこれらの魔法道具、魔法を試せる。

 そして今回。兵や魔法使いを遠くにやった。き者にするチャンスだった。

「しかし、顔に火傷は負わせました。完全に治せる治癒師が城にいるとは。それに、自分より先に巻き込まれた者を治せと。意識朦朧   もうろうとしながらも」

「自分より他人、か。立派だねぇ」

 そこで報告に来た魔法使いを見た。

「陛下には失敗した、と伝えておく。自慢の顔を傷つけた。嫁はこないだろう。かわいそうに」

 言葉とは裏腹に歪んだ笑みを浮かべる。

 疑心暗鬼となり、孤立してくれれば。杖から手を離し、次に手にしたのは白い鱗。魚の鱗より大きく、頑丈な鱗。



 気づいたのは私室、寝台。心配そうなユーフォルとアルーラの顔。いつもより視界が狭い。

 二人とも「大丈夫ですか」と。気を失う前を思い出し、

「他の、巻き込まれた、俺をかばってくれた者は」

 飛び起き、一気に話したので、むせる。あちこち痛み、顔を顰めた。

「落ち着いてください」

 ユーフォルが背を撫で、アルーラが水の入ったコップを。

「俺は、助かった、のか」

 あの炎。もう、だめだと。

「助かりましたが」

 ユーフォルは口ごもる。

「顔の、左側に火傷を。綺麗に治せる治癒師は、外へ出て」

 アルーラも言いにくそうに。

 視界が狭いと思っていたのは包帯を巻いているから。

「目は無事だと、医師が。治せるだけ治してもらいましたが」

 完全には治せていない。だから包帯を、薬をぬっている。

「他の者は」

 二人は黙る。助からなかった。それなのにレウィシアは。その者達が護ってくれたからか。

 アルーラからコップを受け取り、水をゆっくり飲む。

「誰が、こんなことを」

「探していますが、おそらく騒ぎにまぎれ」

 逃げた。

「殿下の叔父上なんじゃ」

 アルーラを睨んだ。

「証拠もないのに疑ってすいません。しかし、殿下がいなくなれば、今度こそ」

 王に。それほど邪魔だと。よく思われていないのはわかっていたが、始末したいほど。

「もう少しお休みください。私は目覚めたことを伝えてきます。アルーラを傍におきます。扉前には信用のおける兵を」

「ああ」

 頷くと、ユーフォルは一礼して寝室を出る。

「とにかく、無事でよかったですよ。ガウラには、なぜ身代わりにならなかった、と怒鳴られそうですが」

 アルーラは軽く笑う。

「そうだな」

 次に会えば説教だろう。あの時のように。

 ……。服を見ると、着替えさせられている。

「あの時の服は」

「あの時? ああ、襲われた時の、ですか。もう片付けられていると。ポケットに入っていたものは、どこか別にあるんじゃ」

「どこだ」

「はい?」

「どこにある」

「って、何しようとしているんです」

 寝台から出ようとして止められる。

「火傷は顔だけじゃないんです。体にだって。大人しくしていてください。居間を見てきますから。それでなかったら、使用人呼んで、聞いて」

 アルーラに寝台へと戻される。戻すと居間へ。

 じっとしていられず、レウィシアも居間へと。アルーラは呆れた顔。

「ひょっとして、お探し物はこれ、ですか」

 アルーラの手にあるのは、小さな袋。セレーネからお守りだと渡されたもの。

「左胸のあたりを握り締めていたので、苦しいのかと、と医師が」

 いつもそこへ入れていた。

 アルーラから受け取り、袋の中を見ると、石は二つに割れ。

「これのおかげで助かった、のか」

 無傷、とはいかなかったが、命は助かった。

「お礼に何か贈ります?」

 アルーラはレウィシアの背を押し、寝室へ。

「誕生日には花を贈ってくれていましたね」

 忙しくて招待状を送れなかった。

「その前に、早いけど誕生会だと」

 令嬢達も呼ぶのかと思っていたが、セレーネ、バディド、レウィシア達の五人で。祝ってくれた。

「考える時間はあるでしょう」

 大人しくしていろ、ということか。

 大人しくしていたのも、二、三日。仕事はまる一方。叔父は帰ってこない。包帯を巻いた状態で仕事をしていた。

 顔の包帯がとれれば、一部の貴族の態度は一変。特に令嬢達。レウィシアの顔を見ない、すぐ目をらす。鏡を見て納得。叔父の薦めていた令嬢、結婚が決まりかけていた、叔父との関係が少しでも良くなるのならと。毎日のように来ていた令嬢は来なくなり。叔父は叔父で帰ってきても「大変だったな」の一言。そして手段を選ばなくなった。毒、暗殺者。仕返しを恐れてか、叔父は度々たびたび城を出るように。戻って来てはいるが十日もいない。すぐ出て行く。

 そして。

「最近どうだ」

「以前と違い、あちこちの令嬢から手紙が来る、会いに来るで大忙し」

 笑い合っているレウィシアと同年代の令息達。レウィシアがいるとは気づいていない。

「殿下があんなんになった途端。以前は俺達に見向きもしなかったのに」

「親は傷心の殿下をなぐさめ、妃の座に、と考えているが、本人達が、な。その前に条件のいい、顔のいい相手を必死に探している。殿下と結婚が決まりかけていた令嬢も、別の相手を探している。いや、強引に結婚しようとしているみたいだ」

 ある意味清々  せいせいした。わずらわされることがなくなる。

「……」

 セレーネも、同じ反応をするのか。笑顔を引きつかせ、レウィシアを見ない。

 いない者のことを考えても仕方ない。割れてしまっても、お守りは持っていた。出そうと思っていた手紙は忙しさで出せていない。


 ヴィリロから戻り、一年経ったある日、叔父が国を二つに分けた。度々たびたび出ていたのは味方を作る、境を作るため。レウィシアを簒奪者さんだつしゃだと、いくさに。戦などない平和な? 国だった。

 将軍達に任せて城にいてください、という者が大半。そんな中、一人の貴族が「陛下が出れば兵の士気も上がるのでは」と。

 魂胆は見えている。素知そしらぬ顔、味方のふりをして叔父の手の者がまぎれ込んでいる。あの手この手で命を狙われ続けた。信じていた者に裏切られた。

 父のように、ヴィリロ国王のように治めたかったが、上手くいかない。

「そうだな」

 前髪を伸ばし、火傷痕を隠すようにもなった。

「では、お前も出ろ」

「は? わたしが、ですか」

「お前以外誰がいる。叔父の手の者でないと言うのなら、出ろ。それとも叔父と共謀して俺を戦場に出させ、無き者にしようと」

「い、いえ、ですが、わたしなど」

「盾くらいにはなれるだろう。望み通り、出てやる。お前も兵をひきいて出ろ」

 男は真っ青。飛び火を恐れた者は何も言わない。目を合わさない。

「本気、ですか」

 執務室に戻れば、アルーラが尋ねてくる。

「何が」

「戦場に出ることと、あの貴族、ですよ。どう考えても」

「罠、だろう。剣を向けてくれば斬る理由になる」

「わかっていて」

「士気が上がるのも確かだろう」

「……無茶はしないでくださいよ」

 大きな息を吐かれた。


 代々受け継がれてきた剣を持ち、戦場へ。レウィシアがいるためか、士気はこちらが高い。対峙する兵の中に叔父はおらず。叔父が剣を振っている姿など。この剣も捨てようと。レウィシアの手元にあるのは、ユーフォル達がこの剣を護ってくれていたから。

 戦場に出るよう進言した貴族は叔父の手の者。中から崩そうとしていたのだろうが、最前列に出させ、崩せないようにした。

 戦中、自棄やけか自信があったのか、レウィシアに向かい、斬りかかってくる。軽々かわし、表情を動かさず、ためらいもなく、斬った。

 男は返り血に汚れたレウィシアを見て「化け物」と。

 心が、感情がこごえていく。使用人、令嬢、臣下、貴族達も同じことを陰で。あることないこと。叔父の手の者が吹き込んでいるのだろう。疑心暗鬼になるように。叔父の手の者とわかると斬り捨てていた。理由もあるのに、気に入らなかったから斬ったと言う者も。

 ユーフォル、アルーラ、ガウラ達は信用している。しているが言い方がきつくなる、話を聞かないことも。レウィシアの心情をんでくれているのだろう。呆れず、愛想を尽かさず傍にいてくれた。

 叔父のようになりたくはなかった。しかし実際治めているとわかってくる。すべての責任がのしかかってくる。レウィシア一人の発言が多くの者の生活、命すら決めてしまう。

 叔父は失敗すれば、人になすりつけていた。見ているだけの時は何をしている、自分の発言くらい責任を持て、と考えていたが、今は重圧に押し潰されそうになることも。一挙手一投足を見ている。隙がないか見ている。

 この頃から、玉座に一人でいる夢を見るように。暗い玉座に一人。誰もいない。実際、離れていく貴族もいた。叔父につく者もいれば、つかない者も。

 叔父はヴィリロにも働きかけていた。遅れてレウィシアも協力を求めた。返事はなかったが、叔父につかれても、隣国と組んでグラナティスに攻めてこられても。レウィシアも間者かんじゃを送り込んだ。叔父の間者とわかれば始末しろ、と言って。

「セレーネ様の結婚相手が決まったそうです」

「……そうか。叔父側に嫁ぐのなら」

 感情のない声で答えた。

「いいえ。グラナティスではない隣国です。そこの第三王子」

 レウィシアにも叔父にも手を貸さず、沈黙、静観。叔父につかれる、攻めてこられるよりは。こちらに攻められることを考え、隣国を選んだか。

「いいんですか」

「何が」

 素っ気なく答える。

 ヴィリロにいたあの頃と変わった。変わり果てた。セレーネもレウィシアの噂くらい聞いているだろう。何度も戦場に出て、傷だらけ。両手も汚れている。セレーネもバディドもおびえた目で見るだろう。だから考えないようにしていた。考えることは他に山ほどある。ありすぎる。

 アルーラは小さく息を吐き、執務室を出て行く。

 手を握り、引っ張ってくれたあの温かい手は別の者と手を握る。レウィシアと違い、きれいな手を。

 決着が着けば、着かなくとも、どこかの貴族令嬢と形だけの結婚。地位、金目当てで寄ってくる者はいる。だがその者達もレウィシアを見ない。近づくと離れ、一定の距離をとる。

 握って案内したかった。グラナティスはいい国だと。今の状態をいい国だと言えない。

 約束は果たされない。冷たく、汚れたこの手を握ってくれる者など。

 窓からは暖かく、心地よい日差し。眠くなってくる。やるべきことは山積みだが、少し、少しだけと目を閉じた。


 温かい何かがレウィシアの左手に触れている。いつの間にか机につっぷして、眠っていたようだ。どのくらい眠っていたのか。左手に触れているものは。もしかして、ユーフォルが温かい飲み物をそっと置いてくれているのか。

 寝ぼけた目で見ると、幼い子供がレウィシアの左手に触れている。なぜ子供が。レウィシアと同じ金髪。汚れを知らない蒼い瞳で見返してくる。

「レネウィ、お父様の邪魔をしない」

 女の声。レウィシアの知っている令嬢と違い、落ち着いた静かな声。

 子供は「うー、あー」とい、机を手で叩いている。

「お父様の真似まね? そんなに急がなくても、大きくなったら嫌でもできるわよ」

「将来が楽しみですね」

 ユーフォルの穏やかな声。久々に聞いた。いつもは硬い声、表情なのに。それもレウィシアのせい。ぴりぴりしているから周りも。

「あら、起きました。ほら、レネウィが邪魔するから、お父様が起きたじゃない」

 お父様? 誰のことを言っているのか。この子供は、女は。

「ほら、レネウィ」

 優しい声。傍に来た女を見た。

 なつかしい白髪、薄紫の瞳。ここにいるはずのない女性。

「お疲れのようですね。うたた寝なんて珍しい」

「セレーネ?」

 なぜここにいるのか。覚えているより大人びている。

「はい」

 笑顔で返してくる。

 叔父と対立したのが夢で、まだヴィリロにいるのか。それとも夢を見ているのか。いつもと違う、温かい夢。

「もしかして、まだ寝ぼけています」

 乱れていたのか、前髪を優しい手つきでいてくる。

 寝ぼけて。

「ほら、レネウィ。お父様の邪魔をしない」

 机にいる子供に声をかけている。子供はレウィシアへと手を伸ばして。

「お父様がいいの?」

 うー、あーとレウィシアへと小さな手を伸ばし、まっすぐ見てくる。レウィシアと同じ色をした子供。

「少し早いですけど、お茶にしましょうか。シアも寝ぼけているようですし」

 懐かしい呼び方。

 ユーフォルは返事をし、用意のために部屋を出た。

「セレーネ」

 再び呼ぶと「はい」と笑顔で返してくる。

 ゆっくりと思い出してくる。今までのこと、苦しくも幸せな日々。セレーネから手を握ってくれた。ヴィリロにいた時のように。こんな手を。

 子供、息子は机を小さな手で叩いている。何をしているのか。

「シアの真似、ですよ。書類に印を押しているでしょう」

「ああ」

「なんでも手形を押さなければいいんですけど」

 確かに。重要な書類に子供の手形がついているのは。

「大きくなればうちの娘と結婚する、なんていうのに押せば」

「……」

 机から、生まれて十ヶ月は経つ息子、レネウィを抱き上げる。レネウィは上機嫌。以前は泣かれることも。顔の火傷痕を不気味だと、幼いながらに思っているのかと。

「抱き方がいけないんですよ。顔も。不安な顔をしてどうするんです。笑って」

 セレーネの指摘。両頬をつままれ、笑顔の形に。

 抱き方を工夫していると、良いところで笑顔に。今は慣れ、機嫌が悪くない限り、泣かれはしない。

「そうなっても、お母様が大事な息子の一大事、とその貴族の邸に忍び込んで、燃やしてくれる。頼りになるお母様でよかったな」

「私をなんだと。そしてシアは何もしないんですか」

「そういうことは俺より得意だろう。気を引く、くらいはできるが。出せ、寄越よこせと罪もない貴族に剣を向けるのは」

「私だって剣は向けませんよ」

「気づかれず始末するのなら、セレーネが得意だろう」

「得意って」

 呆れた顔をされた。一つ息を吐き、

「でも、そういう心配も減るかもしれませんね。いえ、逆で増える、でしょうか」

「どういう意味だ?」

 息子が生まれ、結婚する貴族がさらに増えた。狙いは次の王。

 セレーネはにっこり笑い、

「家族が増えますよ。男か女か、わかりませんが」

「……」

 レウィシアは固まり。

「本当、か」

 しぼり出した声。

「はい。レネウィの弟か妹、ですよ」

 レウィシアが抱いているレネウィの頬をつん、と。レネウィは嬉しそうに笑っている。

 夢なら覚めないでほしい。このまま眠っていたい。暗い玉座に一人いる現実より、温かな夢を見続けていたい。

 考えを読んだかのようにセレーネはレウィシアの両頬を引っ張る。

「こちらが現実ですよ。夢じゃありません。シア」

 あの時と変わらぬ笑顔で。

「ああ」

 現実でも、夢でも、このままで。温かい世界で。

 レネウィを抱え直し、片手はセレーネの手を取った。

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王の守護妃 @3bsvc

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