金曜日の二十一時
尾崎中夜
金曜日の二十一時
登場人物
●隆盛……無職の彼。二十五歳。
●里見……隆盛の恋人。二十四歳。来月誕生日。社会人。
舞台設定
●隆盛の部屋(男の一人暮らし。本やCD、DVDなどが多く見られる)
SE、ドライヤー(十秒ほど流してから、舞台明るくなる)
舞台は、隆盛の部屋(男の一人暮らし。本やCD、DVDなどが多く見られる)
舞台中央に座卓(卓上には、テレビのリモコンと里見の腕時計が置いてある)
座卓の傍には里見のバッグ。
隆盛、下手側に座っている。本を読んでいる。
里見、上手袖から登場。彼女の手には、缶ビールとカップサラダ。
お風呂上がりのようで首にタオルを巻いている。
里見「……ふぅ。さっぱりした」
里見、タオルで髪を拭きながら、隆盛の向かいに座る。
缶ビールを開けて、美味しそうに飲む。
里見「はぁ。生き返る。この一杯で、全てが……(恍惚とした表情)」
隆盛「お疲れ様。美味そうだね」
里見「うん。美味しいよ。堪んない」
缶を軽く振りながら「へっへぇ」と笑う。それから缶の水滴にキスする。
里見「月並みな言葉だけどさ」
ビールをまた一口飲み、タオルを卓上に置く。
里見「『労働』って言葉は、この一杯のためにあるよね」
隆盛「耳が痛い」
里見「わざと言ってるからね、痛いこと」
隆盛「はは……」
里見、カップサラダを食べ始める。
隆盛「それ、サラダ?」
里見「うん。見ての通り」
隆盛「足りる? それで」
里見「ぶっちゃけ足りない。でも、我慢しないと。この頃飲み会続きだからさ、若い体がカロリーの暴力に晒されてるの」
隆盛「言うほどある?」
隆盛、里見のほうにそーっと手を伸ばす。里見、その手をパチンと叩く。「ちょっと!」
里見「どこ触ろうとしてんの!」
隆盛「え、二の腕」
里見「フニフニは駄目。今、『フ』に丸がついてるから」
隆盛「そう…………あのさ、飲み会とかってやっぱ大変?」
里見「うん。そりゃあ、ファックだね」
隆盛「ファックね……」
里見「いや、実際大変なんだって。お偉いさんにお酌お酌でのんびり飲んでられないし、酔ったフリしてセクハラまがいのことしてくる不届き者もいるし。時々、鉄拳振るいたくなるね。タカはそういうことしちゃ絶対駄目だかんね」
隆盛「そんなことせんよ。てか、そもそもそんな機会ない」
里見「まぁ、そうだけどさ」
里見、テーブルに突っ伏す。
隆盛、また本を読み出す。
しばらくして、里見、顔を上げる。本を読んでいる隆盛を見つめて
里見「タカさ、本を読んでるとき、唇の端がこう、上がるよね」
隆盛、本を閉じて「そう?」
里見「うん。なってる。本とか映画とかって楽しい?」
隆盛「楽しいよ。色々と」
里見「私、そういうのにあんまり触れることないからさ、よく分かんないんだよね。作られた世界の楽しさってのが」
隆盛「そこはまぁ、人それぞれってことで」
里見「ふぅん。楽しいか……」
隆盛「まぁ、ぼちぼちと」
間。
里見、サラダを食べながら話す。
里見「今日、金曜だね」
隆盛、一瞬考えて「そうだね」
里見「今週ハロワ行った?」
隆盛「……まぁ、ぼちぼち」
里見、隆盛の顔を覗き込む。
隆盛「何?」
里見「行ってないでしょ?」
隆盛「行ったよ」
里見「どうせ、求人見てただけでしょ?」
隆盛「…………うーん。あぁ。まぁ。そうとも、言えるかな」
里見、溜め息をつく。
里見「ねぇ、二十五歳」
隆盛「何? 二十四歳」
里見「タカは、私のこと好き?」
隆盛「好きだよ」
里見「どのぐらい?」
隆盛「『里見』って書いて『幸せ』って読むぐらい」
里見「ありがと」
里見、カップサラダを食べ終えて……。
里見「嬉しいけどさ……でも、何か、前ほどときめかないね」
隆盛、頬を掻き
隆盛「無職だから? 俺が」
里見「自覚あるんだ」
隆盛「もちろん。そりゃあるさ。寝てるだけでも腹は減るし、ぼんやりしてても貯金は減ってく」
里見「貯金あとどれぐらいあるの?」
隆盛「二十万ちょい」
里見「なかなか微妙なラインね」
隆盛「うん。そろそろ本格的にまずい」
里見「にしては、あまり悲壮感ないよね。呑気な顔しちゃってさ」
里見、隆盛の頬を指でつつく。
隆盛「性分だから」
里見「知ってる」
間。
里見「ねぇ、先のこととかって考えてる?」
隆盛「つまり――」
隆盛、里見と自分を指差す。里見、頷く。
隆盛「考えてる。考え過ぎるぐらい考えてるよ」
里見、ビールをぐびり。絡むように言う。
里見「でも、履歴書の一枚も書かないんだ。求人検索してるだけで満足して。ねぇ、それ誰に向けてのポーズ?」
隆盛「…………」
里見「黙んないでよ」
隆盛「悪い」
里見「謝んないでよ」
里見、声を和らげて
里見「何かしたいこととかないの?」
隆盛「したいこと……」
里見「特にない、と?」
隆盛「(頷いて)ただ、営業はもういい。仕事自体は嫌いじゃなかったけど、たぶんまた体壊すだろうから」
里見「……じゃあ、デスクワーク?」
隆盛「出来たらそっち方面がいい。でも俺、それ系のスキルも経験もないから。どうにもこうにもって話で。はは」
里見「そんなの若さで押し切れるって。まだ二十五じゃん」
隆盛「うん。まぁ、そうだけど……」
里見「前々から思ってたけど、タカさ、行動する前に色々と考え過ぎじゃない?」
隆盛「そう?」
里見「うん。もうちょい人生楽に考えなよ。亀みたいにおっかなびっくり手足引っ込めてないでさ、出たとこ勝負でいいじゃん。それで案外どうとでもなるって。ほんと」
隆盛「うん」
里見、一息つく。毛先を指でくるくると巻きながら
里見「私はさ、その、タカとずっと一緒にいたいって思ってるよ。それは本当。女からこういうこと言われるのって、男からしたらちょっと重いなって思うかも知んないけど、私が言ってること……分かるよね?」
隆盛「分かるよ。分かり過ぎるぐらい」
里見「ありがと。でもね、今のままじゃ私達先細りで、こういうこと言うの、あまり好きじゃないって言うか、ぶっちゃけ嫌いなんだけど、私もほら、来月で二十五だから。二十五になっちゃうからさ……ああ、やっぱこういうのやだなぁ(髪を掻き回して)何か女のエゴ丸出しって感じで」
隆盛「そんなことないし、当然だよ。里見が言いたいこと大体分かってるから。言っちゃって」
間。
里見「私のためにも、働いて」
隆盛「うん。そろそろ。そろそろだよな」
里見、乾いた笑みを浮かべて
里見「そろそろそろそろ。いつもそればかり。本当に分かってる? 時々不安になるんだけど」
隆盛「分かっては、いるつもりなんだけど……」
間。重い空気。
里見、不意に隆盛の頬を力いっぱい抓る。
隆盛「いて! いてて! いててて!」
里見「何となく抓ってる」
隆盛「いでで! 痛いって!」
里見「何となく抓りたくなった」
隆盛「何となくにしては、い、痛いんだけど。爪も喰い込んでる!」
里見「それも何となく」
里見、ビールの残りを飲み干す。隆盛の頬から手を離し、それから次第に俯く。
隆盛、頬を擦りながら
隆盛「酔った? もしかして」
里見、急に笑い出す。
里見「止めた止めた。深刻なの、やっぱ柄じゃないや! こんなの笑うしかないよね。笑わないとやってられないもん。ね?」
隆盛「はぁ」
里見、散々笑ったかと思えば、涙ぐんでしまう。
間。
隆盛「少し、抱き締めてもいい?」
里見「そんなの、いちいち訊くな。この馬鹿……」
隆盛「じゃあ」
隆盛、そろりと移動して里見を抱き締める。
里見「もっと」
隆盛「こう?」
背中に回した手に力を込める。
里見「うん。まぁ、そんな感じ」
間。
隆盛「いつもごめん。そりゃ不安になるよな。二十五歳、無職。こんなのが彼氏じゃ。……駄目だよな、こんなんじゃ」
里見「うん。駄目」
隆盛「でも里見にはどこにも行ってほしくないな。こんな体たらくでワガママ言ってるみたいだけど、それは困る。とても困るよ」
里見「だったら、しっかり掴まえといてよ。どこにも行かないように」
隆盛「うん」
里見「……タカがヤな奴だったらよかったのに。そしたら悩まないでいいのに。ず、ずるいよね。やっぱり、やっぱ私、ちょっとぐらい不安でも、好きでいるしかないじゃん」
隆盛「ありがと。里見」
里見「褒めてるけど…………薬、ちゃんと飲んでる?」
隆盛「ちゃんと飲んでるよ。分量もきっちり守ってる」
里見「これからもちゃんと守ってよね。前みたいなの、本当に嫌だから」
隆盛「あんな馬鹿なこともうしないよ」
里見「約束出来る?」
隆盛「出来るよ。嘘ついたら針千本でも飲むよ」
里見「破ったらその十倍だから」
隆盛「そりゃおっかない」
里見、隆盛の胸で泣きじゃくる。
隆盛、彼女が泣き止むまで背を優しく叩き続ける。
里見「タカにはちゃんと働いてほしいけど、無理だけはしないでね」
隆盛「気をつけるよ。うん、無理はしない。収入とか世間体以前に、里見を泣かせちゃ元も子もないもんな」
里見「……なら、許したげる。今日、金曜日だしね」
隆盛「金曜……? のわぁ!」
里見、隆盛のシャツで顔を拭いている。隆盛、慌てるもされるがまま。
里見、顔をすっかり綺麗にしてから話し出す。
里見「金曜ロードショー観てると、許されてるって感じがするんでしょ?」
隆盛、里見の言葉に「ん?」と首を捻る。そして思い出す。
隆盛「……あぁ。いつぞや言ったね、そんなこと」
里見「『いつぞや』じゃなくて、つい最近の話だけどね。無職さんは、金曜日の夜になると気が楽になるんでしょ?」
隆盛「なるね。ほんのちょっとだけど。……里見も無職になれば分かると思うよ、この気持ち。無職は肩身狭いよ。色んなものに対して。世界の回転から取り残されてる感じがする」
里見「だろうね。ちなみにそんな気持ち、私はノーサンキューで」
隆盛「はは――あ、もう一つ思い出した。そう言えば俺、あのとき里見に蹴られまくったっけ。『プーの彼氏を持つ私のほうが肩身狭いんじゃ~!』って」
里見「そんなことした?」
隆盛「やっぱ覚えてないか。酔ってたし」
里見「鬱憤溜まってたんだろうね、相当。ま、鬱憤云々は過去形じゃなくて、現在進行形だけど」
隆盛「……不甲斐ない彼氏で申し訳ない。来週から頑張りますので」
里見「うむ。頑張りたまえ」
隆盛「来週、とりあえず履歴書ぐらいは出してみるよ。生活もそろそろ本格的にまずいから」
里見「一応言っとくけど私、ヒモとかは絶対やだからね」
隆盛「もちろん。それは俺もやだ」
里見「履歴書は最低二通ね」
隆盛「う、頑張ります……」
里見、嬉しそうに笑う。
里見「じゃ、一緒にロードショーでも観る?(腕時計に視線を落とし)そろそろ九時になるし」
隆盛「もうそんな時間か。……ん、一緒に観るの?」
里見「うん。それが何か?」
隆盛「いや、珍しいこともあるなぁって」
里見「今日、確か『千と千尋の神隠し』だから」
隆盛「まーたジブリの酷使か。……あれ、里見ジブリとか好きだっけ?」
里見「別に。ただ、『千と千尋の神隠し』だから(ニヤニヤと笑っている)」
隆盛「……あぁ。なるほど。タイムリーだ(苦笑い)」
里見、隆盛の耳元で叫ぶ。
里見「ここで働かせてください! ここで働かせてください!」
隆盛「でかい。声でかいですよ、里見さん」
里見「あんなちっちゃい子ですら働いているんだから、タカも頑張らなきゃね!」
隆盛「釜爺も苦笑いだ。俺みたいなのじゃ」
里見「なーに言ってるんだ、チミは!」
里見、隆盛の肩を叩きながら「あはははは!」と大笑いする。
隆盛「里見、やっぱ酔ってるでしょ?」
里見「うん。酔ってる。だって、酔わなきゃやってられないもん。泣いたり笑ったり怒ったり忙しいからね。――だからね、こんな感じ!」
隆盛「とと」
里見、隆盛に甘える。
隆盛、恋人が甘えてくるのは嬉しいけど、どうしたものかと困ってる。
里見、テーブルの上のリモコンを手に取って
里見「ねぇねぇ、ビールとかってまだある?」
隆盛「あるにはあるけど、節制するんじゃなかったの? カロリーの暴力は?」
里見「知~らない! タカの就活と一緒。節制は来週から」
隆盛「(苦笑い)……分かったよ、まだあるはずだから、ちょい待ってて」
隆盛、上手袖にはける。里見、体がゆらゆらと揺れている。気持ちよさそう。
テレビをつける(テレビは観客席側にあると想定)
SE、賑やかなテレビ。
上手袖に向かって
里見「おつまみとかある?」
隆盛「6Pチーズでよければ」
里見「それでいいよ。あ、ほら、ハリーハリー。早くしないと始まっちゃうよ」
隆盛「はいはい」
缶ビール二本とおつまみの6Pチーズを手に、隆盛が戻って来る。
隆盛「はい、どうぞ」
里見「ありがと。じゃあ、乾杯」
カツン、と缶の当たる音が心地いい。
里見、隆盛の胸にもたれる。
里見「ふふ」
隆盛「ん?」
里見「こういうの、何かいいよね」
隆盛「うん。いいと思う」
里見「こんな感じでもさ」
隆盛「うん。いいと思う」
里見「くふ。やっぱりいいね。こういうの」
隆盛「酔ってるね」
里見「でしょ? ――ねぇ、タカ」
隆盛「ん?」
里見「……あー、やっぱ何でもない」
隆盛「そう」
二人、見つめ合う。隆盛、照れて目を逸らす。
嬉しそうに笑う里見。
里見「あ、始まるね」
隆盛「そうだね。始まるね。そろそろ……そろそろ…………」
舞台徐々に暗くなる。
――終わり――
金曜日の二十一時 尾崎中夜 @negi3
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