ノイズキャンセラー
白江桔梗
ノイズキャンセラー
「でさー、彼氏が……で……」
この世は雑音で満ちている。
どうでもいい会話は耳を
エレキをかき鳴らして全てを塗りつぶしてやりたいが、下手をすれば雑音が大きくなるだけ。ノイズキャンセリング機能をオンにし、やや大きいヘッドフォンで大音量の歌を流す。最近では、ノイズキャンセリング耳栓なんて使うヤツもいるらしい。
突然、視界の端に手が映る。それはこちらに合図を送り、何かを訴えようとする。
「……なんだよ」
ヘッドフォンを着けたまま、必要最低限のコミュニケーションをとる。
「曲」
合図を送った主は耳を指しながら、そう言う。……正確には辛うじて聞こえる声と口の動きを見て、だが。
ああ、音が漏れていたのか。勝手にそう解釈し、スマホを伏せたまま、音量を下げる。
「……ん、これでいいか?」
ソイツは首を振る。
「そうじゃなくて。その曲誰の?
「……は?」
今まで話したこともなかったその女は、強引に外したアタシのヘッドフォンを見ながら、確かにそう言った。
◆
「……それ信じろって言うのか?」
「そんなに疑うなら、試してもいいわよ」
無音になった教室でアンプを繋ぐ。課題もせず、何をやってるんだと内心思いながら歌い始める。伸びた前髪で楽譜が見にくいが、学校でこんな大きな声を出しながらエレキをかき鳴らすのは気持ちが良かった。
「んで、どうだよ」
「んーと、課題やってなかったの? それに前髪、せっかく良い感じなんだから切るのは
「……ははっ、マジかよ」
聞いた瞬間は信じられなかった。だが、これではっきりした。コイツが言っていた、
「じゃあ、さっき貴女が聴いていた曲、誰のものか教えて貰える?」
「嫌だと言ったら?」
先ほど聴いていたのは自作の曲だ。調整箇所を探すために聴いていたが、結局未完のまま終えても良いとは思っている。
「あら、意地悪なのね。なんだかんだ教えてくれるくせに」
真面目にそう言うコイツに呆れながら、渋々答える。別に減るもんでもないしな。
「……アタシんだ」
「ええ、知ってるわ。だって、それだけ渋るなら想像がつくもの」
ソイツはじっと眼を合わせながらそう言う。アタシは大きく溜め息をつく。じゃあ、なんでわざわざ訊いたんだよ。
「てか、お前のその……力? どんな風に見えてんだよ」
「簡単に言うなら、歌声に字幕が付いているイメージよ。色やフォントが違くて、そこから判別できるの」
イマイチイメージが湧かないが、特殊能力ってそんなもんか。
「じゃあ、信じてもらえたところで、私にその曲聴かせてちょうだい。私の秘密を知ったんだから、これで平等よね?」
「はあ!? アタシもさっき教えたんだから既に平等だろ!」
再びヘッドフォンを奪われる。二度も不覚を取るとは思わなかったが、なぜか抵抗する気はなかった。ソイツはアタシのスマホをいじり始める。
「これかしら?」
「はあ、ちげーよ。よりにもよって有名な奴と間違えんな。これだ」
自分でも何やってるんだと思いながら、非公開にしている未完の曲を聴かせる。
「……素晴らしいわ。ええ、思った通りよ」
「あのなあ……、褒められんのはありがてえが、アタシより良い奴はいっぱいいるだろ」
「いいえ。私、歌は聴かないもの」
つい、首を傾げる。んな奴、いんのか? そう問う前にソイツの口は動いていた。
「言ったでしょう? 私は歌を聴いても、声を介して別のものが見えるの。綺麗な歌詞に見合わないドロドロとした感情、共感を求めているくせに、薄っぺらい思慮……とかね。それがはっきり目に見え過ぎてしまうと、存外気持ち悪いものよ。常に耳を塞ぎたいくらいにはね」
ふふっ、とソイツは笑う。流石のアタシでもそれは嘘であること、つまり喜楽から来るものではなく、自身を
「だから私は好きよ、貴女の曲。良い意味でも悪い意味でも真っ直ぐで」
「……そうかよ」
「だから、
ソイツは耳に何かをかぽりと嵌め、この場を去る。扉が閉まる音がやけに大きく響く。
「好き放題言いやがって……」
紙の五線譜を取り出し、鉛筆で汚れないようにパーカーの袖を捲る。ホントは楽譜制作もデジタル派だが、PCもろくに使わないこの学部でPCを出すと面倒なことになるため、ここでは紙での下書き程度に留めている。筆が乗り、想像以上に作業が進む。
「…………あー、やめだやめ」
だが、カエルになる直前と言わんばかりに元気に跳ね回るオタマジャクシ達を見て、筆を置く。
彼らに似合う明るいリリックしか浮かばない自分が恥ずかしくなり、やけに上がる口角を隠すように、フードを
「ちっ……ノイズキャンセリング機能、切れてんじゃねえか」
ぐるぐると頭に回るアイツの言葉を消そうと流した音楽は、その言葉の
「まあ……存外悪くねえかもな」
その日から、ソイツと話す時はヘッドフォンを外す癖がついていた。
ノイズキャンセラー 白江桔梗 @Shiroe_kikyo
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