最終話 希望のシュライバー

 その後の事を少し。


 完膚なきまでにやられた挙句に手ぶらで戻った俺を、誰も責めなかった。

 うどんちゃんも組合長も何も聞かず、むしろ何も話すなといった空気を醸していた。


 俺が皆の前に戻る頃には橘幻夜死去のニュースと、橘六花のニュースで世間は持ち切りだった。

 その事実が全てを代弁していた。


 仕事は成功した。しかし、目的は果たせなかった。

 ……いや、もしも六花を連れ帰る事ができたとして、目的を達成したと言えるのだろうか。

 俺にはわからなかった。


「六花ちゃんは六花ちゃんの人生を歩むわ。あの子は強い子だもの」

 千鶴さんは六花の話をする時、とても穏やかに微笑むのだ。

 その度に六花の心臓を打ち抜いた感触が蘇る。

 システムには異常がないのに、シュライバーの動きが鈍るのだ。そうして俺は六花の胸骨を砕いたあの感触をしばらく引きずることになった。


 だが、俺の日常は意外なほどすんなりと戻ってきて、元通りに時は過ぎていった。


 職安へ行き、仲間と駄弁り、うどんちゃんの隠し武器が増え、組合長の頭髪は減り、千鶴さんは俺のプロポーズを回答保留にした。これで3度目だ。


 季節が変わり、春が来て、そしてまた冬。


1年か……)

 こんな寒い夜だったと感傷に浸る俺の目に、六花の姿が飛び込んできた。


 もちろん実物ではなくテレビのニュース映像だったが、そこにいるのは紛れもなく六花だった。


 橘幻夜が死去して以降、副社長であった息子の橘幻煌が代理社長として橘製作所を運営していたのだが、この度正式に橘製作所社長に就任するという心底どうでもいい内容のニュース映像の最後に、六花が登場したのだ。


 副社長に橘六花が就任するという内容のそれは実に短いものだったが、そこにいたのは紛れもなく六花だった。

 長くて美しい黒髪も、端正な顔立ちも、スレンダーな胸元も、なにも変わらない六花がそこに居た。


 彼女はいかにも上等なスーツに身を包み、記者の前で何やら話をしていたが、音声は無かった。


 それを一緒に見ていたうどんちゃんは大して興味がないふりをしていたが、瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。そしていつもの調子で言ったのだ。

「元気そうだな。安心したぜ」


 組合長も千鶴さんも、きっとこのニュースを見て六花を想うのだろう。そして、胸を熱くするのだろう。

 みんな、六花のことが大好きなのだ。



 それから半年ほど経ったある日。橘製作所が「業務拡大における世界各地への支社の新設」というありきたりだが橘製作所の順調さ(また粉飾かもしれないが)を感じさせる発表をした。


 関係者でもなければなんて事のないお知らせなのだが、俺たちを驚かせたのはここjpにも支社を置く計画をしているというものだった。

 何が目的か知らないが、こんな治安最悪の無法都市に飛ばされる橘の社員が気の毒だと、みんなで笑った。

 

 なんにせよ俺たちには関係のない事だ。

 みんなそんなニュースはすぐに忘れて、また同じような日常を送る……かと思われた、ある日。


「ハナ! すぐに事務所に来い!」

 秋も深まり、もうすぐ冬に差し掛かった寒い日だった。組合長が慌てた様子で俺に連絡を寄越したのだ。

「なんだよ、そんなに慌ててさ。石油でも掘り当てた?」

「六花だよ! 六花が来てんだよ!!」


 真昼間から酒の飲み過ぎかよ幻覚見てんじゃねーよと叱ってやろうとしたが、組合長は画像を送ってきた。そこには確かに六花がいた。

 長い髪を上げ、またしても上質そうなスーツを着ているが、その幼い顔立ちが大人の雰囲気を見事に中和している。

 間違いなく六花だ。


 俺はとるものも取らず組合事務所に向かった。

 事務所の前にはいつか見たように高級車が横付けされていたが、極道のものではない事は車種でわかった。


 その高級車の側に二人乗りの大型オートバイが停車した。うどんちゃんと千鶴さんだった。

「ハナくん! 組合長が、六花ちゃんが……!」

「ハナ! お前も来てたか!」

 その様子からして、千鶴さん達も組合長から連絡を受けて慌ててやってきたのだろう。

「と、とにかく行こう!」

 俺達は組合事務所の狭い入り口につっかえながら、その薄暗い階段を駆け上がり、廊下を抜け、事務所の安っぽい扉を勢いよく開けた。


「……」


 俺達も、事務所の中に居た数人も、無言で見合った。

 部屋の奥の応接テーブルには組合長と、A子ちゃん。

 その向かいに3人のスーツ姿の男と、同じくスーツ姿の紅蜂、そして六花が揃ってこちらを見つめていた。


 六花はすっと立ち上がり、丁寧なお辞儀をした。


 いかにも仕立ての良さそうなスーツと、丁寧に纏められた綺麗な黒髪が大人びていて、未だ少女然とした六花とのアンバランスさが微笑ましいが、俺は言葉にできないほどそれを美しいと感じた。


「おお、ハナ。千鶴にうどんも、よく来てくれた」

 組合長の声にいつもの張りがない。感動の再会に盛り上がっているかと思ったが……。

「六花のやつ変なんだよ。俺の事もA子の事も覚えてねぇってんだよ。千鶴やうどんの事もさ。はじめましてとか言うんだぜ? 頭でも打ったのか?」


 すると六花は俺を見てハッとした様な顔をし、近づいてきた。

「ハナさん? あなたがハナさんですか?」

 近くで見ると余計にハッキリとわかる。

 こいつは正真正銘、六花だ。


「あ、ああ、そうだよ」

「あなたの事は兄……いえ、社長から伺っています。とても優秀なマニピュレーターだと」

「そ、そりゃどうも……」

「失礼、申し遅れました。私は橘製作所副社長、橘六花です。よろしくお願いします」


 再びお辞儀をする六花。丁寧すぎて、こちらが畏まる。組合長は俺の耳元で「ほらな? 記憶喪失か?」と訝しむ。千鶴さんもうどんちゃんも困惑していた。


 しかし俺は薄々勘づいていた。幻煌はあの夜、心臓が止まった六花を『直す』様なことを言っていた。もしかしたらその際に……

「記憶が消された……?」

 俺がぽつりと呟くと、スーツが壊滅的に似合わない紅蜂がいつの間にか俺の側に立っていた。


「……そゆこと。まあ、リセットみたいな感じよ。てゆーか、みんなに話してないの? あの時の事」

 紅蜂は拳で俺の胸をポンポンと叩いた。

「やっぱ、話してないんだね」

 そんな紅蜂らしい口調と、いたずらっぽい表情はそれだけで、

「副社長、皆さんお揃いの様ですので、改めてお話を……」

 突然、大人の様な顔と口調で言うので驚いた。


 六花はやはりあの時一度死に、その後新たな心臓パーツを換装して生き返った。紅蜂の口ぶりからして、生き返りはしたが、記憶はそのまま引き継がれずに新たなものに更新されたという事なのか。


「おいハナ、わけわかんねぇぞ。六花といい、紅蜂といい。つーかお前、紅蜂と何話してたんだ? 何か知ってんのか?」

 うどんちゃんが耳打ちする。

 でも、この状況じゃ説明のしようがない。あんな出来事の説明なんて、千鶴さんの前で出来っこない。


 その千鶴さんは黙って六花を見つめて……というより、見守っているという様子だった。

 そんな彼女を見ていると拳がひりひりと焼ける様に痛み、心がざわついた。


 紅蜂は俺をチラリと見て少しだけ口角を釣り上げている。何が可笑しいんだ。相変わらず性格のひん曲がったヤツだ。

 あの様子だと、俺は余程酷い表情かおをしているのだろう。


「では、改めまして。今回弊社がお伺いしたのは先日の報道でもご存知かと思いますが、全世界進出の……」

 六花の話の内容は、この前ニュースで見た通り橘製作所が世界進出するんで支社を世界中に置きまくるよ的な内容で、詳細は脇に控えていた3人の男が説明した。

 彼らはこのプロジェクトのリーダーやら責任者やらを表現する肩書きを横文字で名乗り、この計画がいかに壮大で革新的で戦略的かを饒舌に語った。そしてこの計画を実行するにあたり、その承諾と協力を要請するために、ここいらの顔役である組合長を訪ねたのだと説明した。



「いやー、いきなり言われてもなぁ……」

 組合長は更に薄くなった頭頂部をコリコリと掻いて眉を下げた。

「俺は確かに組合の長ではあるけど、jpのボスってわけでもねえからなぁ……」


 組合長の言う事は尤もで、うどんちゃんもその通りだと頷いている。千鶴さんはさっきと変わらず、六花に真剣な眼差しを向けていた。


 組合長は暗に丁重なお断りを申し上げているのだが、男達はそこをなんとか、と譲らない。このままでは埒があかないと悟ったうどんちゃんが、

「お前らなぁ、ムリなもんは無理だって言ってんだろ。いい加減にしねえと……」


 おもむろに右手を挙げた。つまり仕込銃スリーブガン出現の合図なのだが、銃身が飛び出る前に六花が立ち上がって男達に向かって言った。

「少し外して頂けませんか? 私が直接お話しします。それに、突然この様な話をされては組合の皆さんもお困りでしょう。それに、あなた方の説明の仕方は性急すぎます」


 意外な申し出に、男の中で1番上席そうな男が反応した。

「いやしかし副社長、これは社長からのご命令で、今日中に必ず話を通して来いと……」

「責任は私がとります。それにこれは今日明日に結果を出せる計画ではありません。ですからどうか、お願いします」


 深く頭を下げる六花に男達は戸惑った。

「……ですが、副社長。お一人になられると言うのは……なんというか」

 男は俺達をチラチラ見ながら言葉を選んでいる。要するにこんな治安の悪い場所で1人になるのは危なくね? とでも言いたいのだろう。全くもって、正しい判断だ。


 そこでこほんと可愛らしくてわざとらしい咳払いがした。紅蜂だった。

「私がご一緒いたします。副社長専属SPの私がお側に居れば、心配はいらないと思いますが?」

「べ、紅蜂さんがそう仰るなら……」

 男はどこか怯んだ様子で引っ込んだ。

「では、そう言う事なので」

 紅蜂はその小さな体で男達をずいずいと押しやり、ついに部屋の外へと押し出してしまったのだった。


「……では、副社長」

 紅蜂が促すと、六花は背筋を伸ばし、俺をじっと見つめた。

「それでは改めて。我々の計画の概要をお話し致します」


 凛とした表情は六花のままだ。だが、この六花は別人だ。別人になってしまったのだ。

 俺は唐突に空虚な気持ちになってしまった。

 そんな喪失感に襲われそうになったその時だった。

「その前に……」

 六花は突然腰を落とし、身を捻り、俺に向かって拳を放ったのだ。


 ざっ、という衣擦れの音まで清々しい所作だった。

 彼女の拳は俺の胸に触れるか触れないかの寸止め。

 それはスーツ姿の女性らしからぬ、力強くも美しいフォルムの『ストレートパンチ』だった。


「……」


 言葉を失う俺を見て、六花ははにかむような笑顔を見せた。

「あの時のお返しだ」

 そして一歩下がって背筋を伸ばし、右手を後頭部へとやり、長い髪を纏めていた髪留めを外して自慢の黒髪を解放した。


 ふわりと空気を孕む様に広がった長い髪はすぐに集結し、その主人と同じような、真っ直ぐな姿へと落ち着いた。


「……久しぶりだな、ハナ。静馬さんにA子さん、うどんちゃん、千鶴さん……会いたかったぞ」


 みんなの顔がみるみる明るくなっていく。

組合長は手を叩き、うどんちゃんはクールに微笑み、A子ちゃんは瞳を輝かせ、千鶴さんは六花に駆け寄ってなりふり構わず抱きしめた。


「……え?」

 取り残されていたのは俺だけの様で、そんな俺を見かねた紅蜂が呆れたように笑っていた。

「感動の再会だねぇ〜」

「は? え? なんで覚えてんの? 紅蜂おまえさっき、六花の記憶は消されたとかなんとか」

「消されたよ。ハナさんのお察しの通り、心臓入れ替えた時に記憶も書き換えてね、全部忘れさせたの。1年くらいはそのまま大丈夫だったんだけど、少しづつ思い出しちゃったらしくてさ。半年前にはぜーんぶ思い出しちゃったんだって。所詮作り物の記憶……いくら最先端の人工知能プログラムとはいえ、人間なまみの脳みそには勝てなかったってワケね」


 六花の脳は人工培養で再生されたものだ。しかし、脳としての機能は果たすがヒトとしての意識を獲得できなかった。そこで幻煌はAIを駆使して人格をプログラミングしたという。

 記憶も当然プログラムの一部となるのだろうが、それと並行して「脳」そのものが記憶プログラミングしていたという事なのか。


「……六花」

 皆と再会を喜び合う彼女に俺が近づくと、六花はいつもそうだった様に、希望に満ちた眼差しを俺に向けた。

「ハナ」

 1年半前、敵同士として対峙したあの日から引きずっていた重たい何かが、俺の体から剥がれ落ちていく心持ちだった。

「ハナ……それにみんな、お願いがある。私を手伝って欲しいんだ」

 手伝う? 突然の申し出に皆が傾注した。


社長にいさまはまたしても暴走を始めている。橘製作所は社長の指示で義肢屋の枠に囚われず、さまざまな分野に事業を展開しているのは周知の通りだが、近頃それがつとに酷い。不動産関係はバリアフリーだのなんだのでまだわかるが、今後は飲食業やゲーム業界にまで打って出るそうだ。流石にそれは……と思っていた矢先に今回の無鉄砲な世界進出計画だ。しかし私にとってこれはチャンスとみた。私はみずからjpを志願し、ここから兄様に反旗を翻す事にしたのだ! そして橘製作所を取り戻すのだ!」


 拳を握り瞳を輝かせる六花。対照的に、紅蜂の瞳はどこか諦めムードだった。

「だからしばらく記憶が消えたふりして様子見て、んで今日のコレよ。敵を欺くにはまず味方からとか言ってさ。止めても聞かないし……そんな矢先に六花ちゃん専属のSPの辞令がでちゃったもんだから、仕方なしに六花ちゃんに協力してるってワケ」

「動機はどうあれ紅蜂おまえの実力は兄様のお墨付きだ。期待しているぞ!」

「はいはい。サラリーマンですもの。上司の命令には従いますよー」


 姉妹の様な2人の様子に思わず吹き出す千鶴さん。うどんちゃんもA子ちゃんも組合長も、嬉しそうだ。

「というわけでハナ! よろしく頼むぞ!」


 差し出された六花の美しい右手。それはある意味で究極のシュライバー。

 もしかしたら、俺の求めるシュライバーはこういうものなのかもしれない。

 人の心を動かす事のできる、不思議な魅力を持ったシュライバー……。

 俺は迷わず彼女の手を取った。


「……お前の兄貴には借りがあるからな」

 俺が笑うと、六花もパッと花が咲いた様な笑顔を見せ、声を張った。


「さあ、忙しくなるぞ!」




                 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻肢のシュライバー 〜自由気ままな近未来改造義肢装着者達の便利屋ぐらし〜 おしやべり @osiyaberi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画