第57話 橘 幻煌

 ………か細い電子音が聞こえる。


 シュライバーシステムが色々なエラーを起こしている様だ。


(……うるせぇ……)


 エラーは全部無視し、システムを生命維持に必要なもの以外は全て切り、状況把握に回した。


 ……自己診断の結果は「もうちょいで死ぬよ」的な状態だったが、言い換えれば今のところ死なないよという事なので安心した。

 それに節々が痛くてしょうがないが、立てないほどでは無い。


 出血もだいぶ収まっていた。とは言えかなり失血しているようで、全身打撲の痛みも手伝って気分は過去最悪だった。


(左腕が見当たらねぇ……)


 左腕がない事以外、動く事には問題ない。


 俺はゆっくりと上体を起こし、首を振って頭に積もった瓦礫や埃を振り落とした。

 この暗がりで、しかも瓦礫やらなんやらでとっ散らかった破茶滅茶な状況だ。左腕は諦めよう。


 あたりは実に静かで、夜の廃墟相応の静寂だった。


 紅蜂の呼んだ箱の着弾点から大きく地面が抉られ、あたり一面まるで爆心地だ。

 そんな瓦礫の中、少し離れたところに紅蜂がうつ伏せで転がっていた。


「おい、生きてるか」


 俺が問うと、彼女はむっくりと顔を上げて頷いた。


「……マジ、最悪」


 ボコボコにされ、手足を失った挙句にこんな目にあえば誰だって同じ言葉が出るだろう。

 まあとにかく、喋る事が出来れば大丈夫だろう。


 俺は六花を探した。

 目で見て探した。理由はひとつしかない。


「……ハナさん……」

 紅蜂が何か言いたげだが、俺は気にせず辺りを見回した。

「……なんで?」

 紅蜂は言葉を選んでいるようだ。らしくない。


 ふと見ると、暗闇の中で一際目立つ、白い肌……六花の手が見えた。

 そして腕、体……上半身は瓦礫や砂埃で覆われてしまっていた。


 歩み寄り、しゃがんでそれらを手でどけると、長い髪の美しい少女が姿を現した。

 その少女は静かに瞳を閉じ、深く眠っていた。


「……六花」

 それ以外、言葉が出てこなかった。


 大丈夫か? とか、寝てんじゃねえよ、とか言いたくても、言葉が出てこない。

 言ったところで反応がないことぐらいわかっているからだ。


「……」

 俺は六花の背中に手を回し、抱き上げた。

 軽い。とても軽い。

 まるで羽のようだ。


 彼女の背負った運命を思うと、その体の軽さと正反対の重たさに胸がむかついた。


 念の為確認したが、心音は聞こえない。


 六花は死んでいた。


 紅蜂もマイクで六花の心肺が停止している事を確認したんだろう。

 だから俺に聞いたのだ。

 何故? と。


 何故、殺したと。


「……」

 言葉も無い。

 何故、と聞かれても説明しようがない。

 説明しても……いや、紅蜂になら。


「……?」

 突然、嫌な感じがした。寒気と言ってもいい。

『悪寒』は天然のセンサーだ。

 そのセンサーが、俺のシステムに代わって警告アラームを鳴らしたのだ。


 胸や脚に、赤く光る点がちらついていた。

 夜の闇に映える鮮やかな赤い光がライフルのレーザーサイトだという事に気がつくまで、そう時間はかからなかった。

 俺は狙撃されようとしているのだ。


 生命維持以外のシステムを切っていたせいで、赤外線の感知が出来なかった。

 迂闊だった。


 今更だったが、シュライバーシステムを通常モードで再起動した。

 メインシステムが立ち上がった途端、待ってましたとばかりにアラームが鳴りまくる。

 ステータスは確認するまでもなく、銃火器照準の赤外線感知だった。


「……」

 俺は全身にライフルの照準に使われる赤外線の照射を浴びていたのだ。

 少なくとも10人以上から銃口を向けられている。

 完全に囲まれていた。逃げ場は無い。

 舌打ちがしたかったが、口の中が乾き切っていて上手く出来なかった。


 六花を抱えて立ち上がろうとした瞬間、それに反応した様に闇が動いた。


 闇は蠢く虫の様にもぞもぞと動きながら一気にヒトの形へと変化し、俺に向かって無言で駆け寄ってきた。その数ざっと20人。


 行動の速さと身のこなし、そして特殊部隊然とした真っ黒な装束と立派な武装が俺の気分を更に萎えさせた。


 その立派な武装……全員のシュライバーから、橘製作所の識別信号が隠す事もなく発信されていた。

 俺を狙撃しようとしている奴等からも橘の識別信号が垂れ流されている。

 スナイパーが自分の存在を隠そうともしていない所に、如何に俺が劣勢であるかを思い知らされた。


 兎にも角にも、あっという間に完全包囲された上に銃口を突きつけられまくる俺と正反対に、紅蜂には救護班の様な奴らが駆け寄っている。その頃には辺り一面が照明に照らされていた。

 ……こいつらがであることは、最早疑いようがない。


「……丸腰だよ」

 俺の自己申告は全く信用されず、兵隊たちは誰ひとりとして銃を下ろしてくれなかった。

 ふと横目に、武器を持っていない隊員が近づいてくるのが見えた。

 ゴーグルで顔は見えないが、体格からしてどうやら女性の様だ。彼女は俺にジェスチャーで六花を寄越すように促している。


「……」


 言葉が本当に出てこない。

 まだ六花に息があれば話は別だったのかもしれない。


 俺は無言のままで彼女に六花を預けた。

 すると彼女はすぐに俺から離れ、六花を抱えて即席の救護所に駆けて行った。


 俺は軋む体に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がった直後、後頭部に強い衝撃を受けた。

 銃底で殴られたのだ。


 六花を引き渡した途端、兵隊達は暴力で俺を制圧したのだ。

「……クソっ!」

 なんて手際の良さだ。抵抗する隙が全く無い。

 俺はあっという間に組み伏され、右腕を極められて身動きが取れない状態にされてしまったのだ。


「は、ハナさん?! ちょっと待ってよみんな! その人は……」

 紅蜂が抗議するような声をあげた瞬間、俺を拘束する手が突然緩んだ。


 それは単に彼らが紅蜂の抗議を聞き入れた訳ではない。

 誰かがそういう命令をしたか、或いは何かに気がついて自発的にそうしたのだ。


 何故なら、皆が一斉に同じ方向を向いて姿勢を正したからだ。

 紅蜂は違ったが、ただ、震える声で一言だけ呟いた。

「幻煌様……」


 なにか、よくわからない威圧感がゆっくりとこちらへやってくる。


 靴の音からすると革靴。

 衣擦れの音は化繊のそれでは無い。

 もっと上等な材質の音だ。


「下がれ」

 声の主は若い男のものだった。

 まさに鶴の一声。隊員達は一斉に一歩下がり、俺は拘束を解かれ、声の男は俺を見下ろすように立ち止まった。


 顔を上げ、その顔を見てハッとした。

「お前が……橘、幻煌……」

 確かに六花と似ている。

 そいつは六花と同じ様に端正な顔立ちの、背の高い男だった。


 ふわりとした黒い髪が優男の印象だが、眼光は驚くほど鋭い。

 しかも感情を表に出さない類の男の顔だ。

 苦手なタイプだった。


「……」


 橘幻煌は俺を一瞥しただけでほぼ無視し、救護班が用意したマットの上で処置を受ける六花の側へと向かった。

 そして救護隊員から短く報告を受け、数回頷きそれに対する指示をすると俺の前までやってきて、目線を下に向けたまま言った。


「お前がハナか。ご苦労だった」

 それだけ言うと隊員を率い、その場を去ろうとしたので俺は思わず声を上げた。


「待てよ!」

「……?」

 妙な沈黙があり、幻煌の側に居た隊員が俺に向かって銃を構えようとしたが、幻煌が彼に軽く手をかざしてそれを制した。


「……何か?」

「てめぇ、何か言うこと無ぇのかよ」

 幻煌は俺の問いに僅かに思案する様な間を置き、言った。

「報酬は既に振り込んである。明朝、お前の口座に入金される手筈だ」

「違う! そうじゃねえ!」

「労いの言葉か? ……ご苦労様」

「ふざけてんのか!!」


 再び全ての銃口が俺に向いたが、幻煌が一歩前に出ると一糸乱れず全員が銃を下ろした。


「……六花の事か」

 核心を一発で貫かれた。

 幻煌にもそれは十分すぎるほど伝わった様だ。

 彼は無表情のまま続けた。


「お前への依頼は紅蜂の救出だ。そしてそれは遂行された。だからお前はそれでいい。六花の心臓は停止したがバックアップシステムは作動している。本社の研究室で新しい心臓パーツと交換すれば問題ない」

「お、お前……!」


 まるで六花を車や飛行機の様に扱うこの男が心底ムカついた。

 だが、幻煌にこれといった感情の変化は窺えない。

 この男は本気でそう言っているのだ。


「……私からもひとつ質問をいいか?」

 本気で殴りかけていたその時だった。幻煌が発した次の一言で俺の思考は停止した。

「何故、心臓を狙った?」


 予想もしなかった質問だった。

 だが、それはを貫き通す鋭さがあった。

 俺が意識しない様にしていた、或いは恐れていた鋭さだった。


「お前の腕前とブラックジャックがあれば、六花の無力化など他にもやりようはあったはずだ。なのに何故心臓を打った? 打てば只では済まないと分かっていただろう。なのに、何故だ」

「っ……」


 俺の絶句はそのまま返答をしているのと大差がない。幻煌はそれをわかっていて訊いているのだ。


「……哀れんだか」

 幻煌の声は重い。だが、それは『遺族』のそれでは無い。

 これは懺悔だ。

 俺はこれから、自分の心のうちをあらわにしなければならない恐怖を覚えた。


「お前は六花を哀れんだのだ。自然な死を奪われ、自然な肉体をも奪われた六花を哀れんだのだ。だから心臓を打った。殺そうと、殺してやろうと考えた。確実に命を奪うならそれが賢明だ。だからお前は狙いすまして心臓を打ったのだ。……六花を楽にしてやろうと考えたか? 解放してやろうとでも思ったか? 何からだ? 何から解放する? 死ねば楽になるのか? 何を根拠に? 本人がそう言ったとでも?」


 幻煌は声のトーンさえ変わらないものの、暗かった。

 突然、彼は俺の胸ぐらを鷲掴みにし、そのまま俺を引きずり起こしてしまった。

 ものすごい腕力だった。


「答えろ。お前はどうして六花を殺した?」

「……あんたの言う通りだよ。あのまま生きてても六花は……きっと、辛い思いをする」

「辛い思い? 何を根拠に?」

「……六花あいつはもう人間じゃねえだろ! お前らが作ったシュライバーじゃねえか! お前は人間だった六花をシュライバーにしちまったんだ!」

「それが何か?」

「な、何かってなんだ?!」

「六花はシュライバーになれて幸せだろう。シュライバーになることで健康な体を手に入れ、人生を謳歌できよう。それに対し、お前は何か不満でもあるのか?」


 唖然とした。

 こいつは、本当に本心で言っている。


 この男は、俺の持っている常識の外にいる。


「何かじゃねえだろ! そんなの六花が望むか? そこまでして生きたいとか思うか? あいつがそう言ったのかよ! あんたも橘流の剣士ってやつなんだろ? だったら六花の気持ちが分かるんじゃねぇのかよ!」


 俺の右手が幻煌の胸ぐらを掴み返す。しかし幻煌がそれを気にする気配は無かった。


「六花の意志は関係ない。元より、六花は自分の意思で話す事も出来なかった。シュライバーとなる前の六花が出来る事は眼球と限られた指先を動かす事だけだった。それも自分の意志で動かしていたのか定かではない」

「なっ……?!」

「六花は生まれつき脳に重い障害を負っていた。そして併発した様々な病に冒されていたんだ」


 言葉を失ってしまった。

 そんな情報こと、俺は知らない。


「……六花が『せい』というものを認識していたかどうかもわからない。橘家わたしたちがそんな事すら知る事もなく、六花は二度と目を覚まさなくなってしまった。だが、私は六花に生きて欲しかった。目を覚まして欲しかった。会話がしたかった。それが六花をシュライバーとして蘇らせた理由だ。……本人の意思がどうあれ、本人以外の人間の『生きて欲しい』という心からの願いが有れば、それは生きるべきだ。その願いがシュライバーの根源だ。それが本当の六花かどうかなんて関係ない。生きているなら、それは六花だ。少なくとも、私にとっては六花なのだ」



 ……言葉も無い。

 だが、理不尽な怒りはふつふつと湧き上がり続ける。

 あまりの傲慢さに寒気すらした。


「てめえ、勝手にも程があんだろ……神様にでもなったつもりか?」

「お前は何をそんなに怒っているんだ。大体、お前こそ六花の何がわかる。血を分けた兄を差し置いて、自分勝手で薄っぺらな死生観を喚き散らして……お前こそ、神になったつもりか?」


 ――キレた。


 俺は突き離すようにして幻煌の胸から手を離した。

「……六花がお前の事を嫌ってた理由がよく分かったよ」

 そしてシュライバーの安全装置を全解除した……途端、その場にいた全ての隊員の銃口が俺へと向けられた。


 その時、銃を向ける隊員をかき分け、大慌てで紅蜂が俺と幻煌の間に割って入った。

「ちょ、ちょっと待って、待ってって!」


 彼女は救護班が用意した医療シュライバーを装着していたので上手く動けないながらも、幻煌に縋り付く様にして懇願した。


「幻煌様! ストップストップ! 落ち着きましょ? ね?」

 そして俺のところに駆けて来て、耳打ちした。

「バカなのアンタ!? 状況考えなよ! それに幻煌様に喧嘩売るとかあり得ないし! 殺されるよ?!」

「うるせえ。お前は引っ込んでろ」

「ハナさんのために言ってんだよ?! 取り敢えず落ち着いてって!」


 俺はもう頭に血が上っていて、自分でもわかるほど短絡的になっていた。

 対して、幻煌は特に変わった様子はなかった。それがまたムカついた。


「……紅蜂。下がれ」

 幻煌がそう命じた瞬間、紅蜂の表情が凍りついた。

 しかし彼女も百戦錬磨。飲み込みかけ言葉をなんとか紡いだ。


「幻煌様! ハナさんは決して悪気があったわけじゃないんです! ただちょっと単細胞っていうかアホっていうかバカっていうか、ついカッとなりがちっていうか……」

 口八丁手八丁でなんとか幻煌をなだめようとするが……

「もう一度言う。下がれ」


 幻煌のそれは、とても低くて冷たい声色だった。


「はいッッッ!!」

 紅蜂は突然、跳躍するようにして俺から離れた。


 そしてあっという間に他の隊員達の列に混じり、事の成り行きを見守る事に徹した様子だった。


 そしてなんというか、悲しむような、憐むような視線を俺に向けていた。


「……お前の気が済むようにしたら良い」

 拳を構えた俺を前に、幻煌は眉一つ動かさず言った。


 左腕が無いことなんてもうどうでもいい。

 全身が痛くて痛くてしょうがないのも、いい。

 とにかくこいつをぶん殴りたい。張り倒したい。


 その一心で、俺は突っ掛けた。


「――ッッッ!」

 安全装置を全解除したシュライバーは設計以上の負荷による自壊を考慮せず、最大の力を吐き出す。

 ダンサーインザダークは趣味のシュライバーを遥かに超えたスピードで幻煌の懐に侵入し、ブラックジャックもまた医療用シュライバーとはとても思えないパワーで俺の拳を幻煌に叩き込むが……!


(躱したっ?!)


 確実に命中する筈の拳は空を斬り、続く拳も同じく何も捉えられなかった。


「チッッッ!」

 それでも俺は更に詰める。懐深く踏み込み、矢継ぎ早に打つが……命中たらない!


 スピードもパワーも限界以上まで引き上げて尚、幻煌には俺の何もかもが全く届かないのだ。


 打てるだけ打った連打ジャブも、連続技コンビネーションも、全てが幻煌の衣服にすら触れられない。

 まるで霧か煙を相手にしている気分だった。


「……悪く無い」


 幻煌がぽつりと呟いた直後、顔面にものすごい衝撃を受けた。

 打たれたのだ。


(〜〜ッッ!?)


 いつ、どんな風に間合いを詰められたのか全く分からない。だが、確かに俺の顔面には幻煌の拳が叩き込まれていた。


 しかもそれは軽いジャブに似た縦拳たてけん一発だったが、何かとてつもなくでかいモノに衝突したような衝撃で、俺をその場に崩れ落とさせるには十分な威力があった。


 どさりと膝を突き、受け身をとる暇もなく俺は顔面から地面に突っ込んだ。


 天地が逆転して回転し続ける。

 脳震盪はこれまで何度も経験して来たが、ここまでキツイのは初めてだった。


 立っているのか寝ているのか、わからない。俺にできることはただ芋虫の様に悶えるだけで、失神しないように意識をつなぎとめることに必死だった。



「これが雲雀返しだ。覚えておけ」

 幻煌は見下した声色でいう。

 紛いのものと本物との差を示したいのか。わざわざそんな事を言わなくてもよかっただろうに。


「……雲雀返し? なんで俺が雲雀返しを使ったこと知ってんだよ……」

 俺が地面に頰を擦り付けながらも呻くと、幻煌は意外そうな声で言った。

「ほう、雲雀返しを喰って口が利けるのか」

「質問に答えろよ……なんで知ってんだよ……」

「六花の会話記録だ。お前と六花が雲雀返しについて話をしていることは、当然把握している」

「会話記録? ……まさか、お前ら……!」

「察しの通りだ。六花の事は逐一モニターしていた。どこで何をしているのか、誰とどんな事を話しているのか、我々は当初から全て把握している」

「……クソ野郎……ッ!」

「話は終わりだ。そのまま寝ていろ、クズ



 全ては幻煌の掌の上で弄ばれていたという事か。

 六花の覚悟も、六花の悲しみも、六花の希望も、全てはこの男のシナリオ通りだったとでも言うのか。


 拳は握ることが出来ても、それを振り上げることすら今の俺には出来ない。

 ただ、去っていく橘幻煌に向かって声を張り上げる事だけは叶った。


「待て! 把握してたんならどうして六花をすぐに保護しなかった?! 何故ブラックジャックを回収しない?!」


 去っていく橘幻煌とその手下達。俺の言葉など無視するように遠ざかっていく……かと思われたが幻煌だけが立ち止まり、振り向いて言った。


「それをお前に話して、私に何かメリットがあるのか?」


 完全に突き放され、更に返す言葉もない。

 俺は自分が憐れですらあった。


 しかし、その通りだ。

 もう、俺のするべき事は何もない。


 俺の仕事は終わったのだから。


 ……しかし、幻煌は直ぐにその場を立ち去らず、無様そのものの俺をじっと見つめ、呟いた。


「……全て、お前の察しの通りだ」


 哀しげだった。

 そこに尊大な態度は無かった。

 ただ、ひたすらに淡々とした冷徹さがあるだけだった。


 『分かってくれ』と言われている気がしたのは、俺の錯覚だろうか。


 と、思ったのも束の間。

 幻煌は再び尊大な態度に戻り、俺に吐き捨てた。

「……お前は人としては問題外だが、装着者マニピュレーターとしては中々だ。我が社では常に有能な人材発掘に注力している。出自も経歴も問わない。食い詰めたらここに連絡するといい」


 幻煌は自分の名刺を一枚取り出し、それをひらりと放ると俺の前から立ち去った。それに続き、他の隊員も次々に引き上げていく。


 そして、あっという間に俺一人が残された。


「……畜生……っ!」

 意識が遠のいて行くのが分かった。

 ダメージは思ったよりも深刻らしい。


 何もできなかった。

 何もしてやれなかった。

 悔しくて、虚しくて、泣けてきた。


 俺はこのまま気を失い、気がついたらきっと夜は明けているのだろう。


 そうしたら、その頃には六花の努力がすべて無駄になり、彼女がそれを知る事も、思い出すことも無くなるのだろう。


 忘れるのではない。消されるのだ。

 俺達の記憶と一緒に。




 翌朝、橘幻夜死去のニュースが世界を駆け抜けた。


 そして、ブラックジャックは橘幻夜に触れる事も無く、単なるガラクタになったのだった。

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