壱周目結→弐周目序
「
北の空に白い狼煙が三本あがっている。来年は、供物の娘が捧げられる日だ。
縁側で横たわっているタキが、掠れた声で今日もそう囁く。
人間の寿命は短いものだ。黒々としていた髪は俺の髪に似た白色になり、張りのあった白い肌はよく焼けた赤銅色に変わり、今では骨と皮ばかりになってしまった。
「もう、おいしくはないでしょうけれど……」
目を僅かに細めて、タキは笑う。こいつは、毎日飽きもせず同じことを言い続けていた。
人間を食うことは、嫌いだ。
あの赤い血だけでも口に含めば甘露よりも甘く、酩酊したかのように気持ちが高揚する。
「蛇神様……ね、お願いですから」
俺がただの
度重なる干ばつのせいで貧しい村だった。人間達は気が立っていたのだろう。不作の原因を俺という化け物に押し付け、そして村の者に隠れて度々俺に会いに来ていた娘を悪者にした。
蛇に憑かれたと因縁をつけられた娘は、俺が住む川岸に生きたまま張り付けにされ、石を投げられ、辱められていた。そんな彼女を助けるためにノコノコと姿を現わした俺を、人間達は矢で射り、槍で突き刺し、刀で切り付けた。
動けなくなったがそれでも、彼女がこれ以上辱められないのならそれでいいと思った。……化け物は人間に討伐されるのが運命なのかもしれない。それならば、このまま彼女と朽ちることは幸せな最後だろうと思ったんだ。
彼女の言葉を思い出す。「ねえ綺麗な大蛇様、私はあなたに死んで欲しくないの。生きて、そして……みんなを守る神様になってくれないかしら?」そんなことを微笑みながら言って、彼女は自分の腕を俺の口に突っ込んだ。
なんともいえない甘みが身体中に広がって、傷がどんどん癒えていく。
欲に抗いきれず、彼女を丸呑みにして、俺は生き延びた。
傷が癒え、口からは声にならない声が漏れる。川が渦巻き、風は吹き荒れ、霰混じりの雨は里の建物にたくさんの穴ぼこをあけた。
泣きわめく子供の声でようやく我に返り、逃げるように山へ入ったのだ。
何も食わずに死のうと思ったが、彼女が残した言葉だけが気がかりだった。みんなを守る神様になってくれだなんていう、人間に殺されそうになった俺にするにはあまりにも残酷な願い。
それでも。愛した人の願いは、叶えようと思った。
そして、俺は、神になった。
「タキ」
名前を呼ぶと、タキは口元をほころばせた。
「お前を食べるよ」
スッと細めたタキの目尻から一筋の涙が落ちて、彼女の乾いた唇が動く。
「ああ、うれしい。さいごに、わたくし、謝りたいことがあります」
「どうした? 食え、食えと毎日のように五月蠅くわめいたことを謝ってくれるのか?」
「いいえ、それは謝りません」
さっきまで弱々しく笑っていたタキが、きっぱりというものだから思わず笑ってしまいながら俺は彼女の手を持ち上げて自分の頬に触れさせる。
「強情なのはいつまで経っても変わらないのだな」
冷たくて血色の悪い手が、やさしげに俺の頬を撫で、彼女は再び穏やかに微笑んだ。
「蛇神様……。わたくしの名前、本当は、
胸の奥で、もう遥か昔に消えたはずのほの暗い怒りの炎が灯った気がした。
「供物のタキとしてこの生を終わらせること……ありがたく思います。ねえ、あなた様、瀧を喰らった蛇は……龍になったりするのでしょうか」
「ああ、そうだな。もしも、龍になったら……お前をゴミだと名付けた村でも滅ぼしてやろうか」
「いけません。そんなことをしたら、あなた様が穢れてしまいます」
唇に彼女の人差し指を伸ばした手が触れる。かさついた肌が俺の唇を撫で、彼女は悲しそうに眉を顰めた。
「ああ、それでも……もっと早くあなた様にわたくしの本当の名を打ち明けられればよかった。ずっと騙していて申し訳ありませんでした」
そんなことを最後まで謝らなくてもいいのに。俺は彼女の体に両腕を回して抱き起こす。
彼女が俺から体を離して、そっと麻の着物を脱ぎはじめた。
蛇の姿へ戻りながら、俺は思案する。最初の彼女を食ったとき、俺はとてつもない力を得た。
俺に願いを託した人間を食えば、俺はその願いを叶えるための力を手に入れることができるんじゃないか?
「その願い、俺が叶えてやろう」
驚いたように目を開いた彼女を、俺は頭から飲み込んだ。
途端、目に映る世界は歪み、流転する。
煮詰めた蜂蜜よりも甘い彼女の血が体の中で煮えたぎるようにぐつぐつと暴れ回る。
鱗が全て逆立つような感覚に身を任せながら目を閉じた。
「
いつかのような溌剌とした声を聞いて目を開く。
すると、そこには艶のある宵闇色の髪をした少女が張り付けたような完璧な笑みを浮かべて目の前に立っていた。
蛇神様と供物ちゃん 小紫-こむらさきー @violetsnake206
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