蛇神様と供物ちゃん

小紫-こむらさきー

壱周目序

蛇神へびがみ様! わたくし、今日こそ貴方様に食べて頂きたいのです」


「タキ……またお前か」


 畑仕事をしている間は人間に近い姿をしている方が都合がいい。のんびりと小さな畑に生えている雑草たちを抜いていると、門の方からやかましい女の声が響く。

 人里遠い険しい山の中だ。普通の人間は寄り付きもしない。しかし、こいつときたら何度人里近くへ連れて行っても戻ってくる。呆れたものだ。

 艶やかな黒髪を後ろで一つにまとめた女が、慣れた足取りでこちらへ近付いてくる。女はくりくりとした鳶色の目でこちらを見上げてにっこりと笑う。


「つららから紡いだような透き通る色の御髪おぐし、こめかみから真っ直ぐ伸びた宵闇色の御角おつの、蓮の花びらに似た華やかで美しい目元に嵌め込まれた、空と山々の豊かさを閉じ込めたような宝石のようなお色の瞳……スッと通った鼻梁びりょう、紅でも差しているかのように艶やかで控えめな大きさの唇、ああ、それに……蛇神様……目視しているというのに神罰で目を潰さないお優しい御心みこころ、わたくしは早く水神様に相応しい供物になれるよう精進致します」


「何度も言ったろう? 俺は人間を食ったりせぬ」


 こいつは、北の麓にある村から捧げられた供物だった。

 俺は元々ただの妖怪あやかしで、退治されかけたところをたまたま生き延びてしまい、力を付けただけの存在だ。

 俺の命の恩人は「みんなを守る神様になって」なんて呑気な願いを託して死んだ。だから、馬鹿な俺は憎いはずの人間の役に立とうと川から畑に水路を掘ったり、村を襲いに来た他の妖怪あやかしを食ったり追い払ったりしていた。

 その結果、いつの間にか俺は敬われ、感謝をされて社を建てられ、いつのまにか神として崇められるようになったのだ。


「ですが……わたくしはあなた様の供物になるためだけに育てられたのです。蛇神様に美味しく召し上がっていただくことがわたくしの幸せ!」


「俺なぞ妖怪あやかしあがりのチンケな神だ。あんたの人生を捧げるほどじゃあねえ」


 俺は生まれついての神々と違い、信仰の力を得ねば力を奮うことが出来ぬ力の弱い神だった。

 強く畏怖されなければならない。そう考えた俺は、自らの力を保つため、五十年に一度だけ人間の娘を寄越せと北の麓にある小さな村に約束を取り付けたのだが……。


「わたくしは、貴女様に食べられるために育てられたのです。見て下さい! この引き締まった四肢、艶のある肌!」


「供物は求めたが、俺は人間よりも漬物を食らう方が好きなんだ。信仰を受け取っただけで肉は食わねえと伝えただろう」


 人間を食ったりはしないと決めている。だが、人間は愚かだ。どんなありがたい力でもただでくれていればいつかは信仰を忘れてしまう。

 少しだけ、懲らしめたい気持ちもあった。俺の命の恩人は、あいつらに殺されたようなものだから。

 供物として村の女を一人捧げられるようになってから、俺の力は増していった。雨を操ることが出来るようになったし、妖怪あやかしだけではなく邪な欲望を持つ神も退けられるようになった。

 力というのは、ないよりもある方が便利なものだ。

 だが、人間の肉を喰らうつもりはない。だから捧げられた供物は遠くの里へ逃がしていたのだが、此度の供物は断固として俺に食べられたいのだという。


「蛇神様はお優しいので至らぬわたくしめに食べる価値すらないことを直接おっしゃってくれないのですね! わかりました! 私、もっと美味しく食べる価値のある供物として努力いたします」


 山から降ろしても、こいつは異常な脚力を発揮して数日の内にここまで戻って来る。

 この前など、全身擦り傷だらけで申し訳なさそうに家にまでやってきて「山の獣相手に不覚を取ってしまいました」と言うものだからおどろいた。

 人間というのは、俺の記憶ではもう少し脆くて、儚い存在だと思ったが。


「……他の供物たちは食われないことを喜んでいたものだが」


「そのようなことをおっしゃって信仰を試そうとしても無駄です。わたくしは、あなた様に美味しく食べて頂くために育てられましたので」


 かぶりを振って呆れて見せても、牙を剥いて唸って見せても、真の姿である大蛇に戻って脅してみても、この女はそう言うばかりだった。 

 最近では勝手に近くに寝床を作ったのだと胸を張ってのたまってくるじゃないか。

 何を言っても聞く耳を持たず、かといって無理矢理にでも里へ下ろせば怪我をして帰ってくる。

 どうしたものか……と額に手を当てて思案していると、俺よりも頭一つ分くらい背の低いタキが、ピョンと近寄ってきて顔を覗き込んできた。

 呆れ半分に睨み付けるが、無意味だった。

 怖がったり、怯えた方がまだマシだ。両方の口角を僅かに持ち上げ、血色の良い柔らかそうな唇が孤を描き、目を細めて眉を下げる。その微笑みは如来像のように完璧で、だからこそ薄気味が悪い。


「どこも痛くないし、お前を食うつもりはない。だが、まあ、ここにいるのなら草むしりくらいは手伝っていけ」


 ぼろぼろにすり切れた着物の袖を捲り上げ、背中を向けようとするタキを思わず呼び止めた。

 不思議そうに首を傾げてこちらを見ているタキは、畑を指している俺の指へ目を向ける。


「供物として出来損ないのわたくしにも慈悲をくださる蛇神様は本当にお優しいのですね」


 いそいそとした足取りで畑へ向かったタキは早速小さな草を摘み始めた。

 人間の寿命は短いというが……こいつは死ぬまで俺につきまとうのだろうか。

 次の娘が来るまで、こいつが生きていたら「食べていただけないことをありがたがるなんて」と無駄に憤りそうだな。


「おい、草むしりが終わったら井戸から水を汲んで撒いておけ」


 考えるのも馬鹿らしい。俺はタキに仕事を申しつけると縁側に寝転んだ。

 夏でもこの山に届く陽の光は強くはない。心地よい熱に照らされながら目を閉じて微睡んでいると、遠くから言い争うような声が聞こえてきた。

 まったく。あの女が来てから面倒ばかりだ。

 上体だけ起こして辺りを見回しても、騒動の原因は見当たらない。

 仕方なく立ち上がり、声のする方へ歩いて行くと、錫杖を手にした二人の僧侶がタキとなにやら言い争っていた。


「蛇神様……」


 こちらを見たタキが縋るような声を上げたのと同時に、二人の僧侶が俺を見る。

 非常に面倒だ……と思っていると二人は俺に話しかけてきた。


「……人間の娘をかどわかしてどういうつもりだ?」


 低く警戒するような声。刺すような視線。

 うまく言いくるめて、タキを引き取っては貰えないだろうか。


「わたくしはかどわかされてなんていません! 供物としてあの方に食べて頂くために日々こちらに通っているだけです」


 僧侶の一人が、眉間に深い皺を寄せながら錫杖で地面を叩くと、シャンという澄んだ音が響いた。

 蓮の花に似た模様が僧侶二人の足下に浮かび上がり、白色の光を放った。この程度の法力は脅威では無いが……。


「貴女はダマされているのです。ボロボロのみすぼらしい姿で働かされ、このような立派な屋敷があるというのに貴女は獣の寝床以下の場所においやられているではありませんか」


「穴ぐら……だと?」


 このままこいつらにやられた振りをすれば、タキも俺を諦め、こいつらと里へ下りていくのではないかと考えていたのに、思いもよらぬ言葉を聞いて思わず声を出してしまった。


「あれだけ妖気に満ちた穴ぐらをとぼける気か?」


「獣の寝床以下なんて失礼なことを言わないでください。供物になる人間たるもの、どこでも眠れるようにという村長むらおさ様からの教えに従っているだけです」


 俺が何かを答える前に、怒った様子のタキが思いきり僧たちを突き飛ばした。

 驚いて尻餅をついた二人の僧侶は、目を丸くして、それから今度は戸惑ったような表情で俺を見つめてきた。

 そんな顔をされても、俺だってこいつが何を言っているのかわからない。

 力なく首を横に振った俺を見て、僧侶達はもう一度タキの方へ目を向けた。どうやら俺が邪悪な妖怪あやかしではないとバレてしまったようだ。


「……こいつは本当に可哀想な娘なのだ。俺だって可能ならばこいつを人里へ返したいが、何を言っても聞きやしない。里へ送り届けても、その度にここへ戻ってきてしまう」


 立ち上がった僧侶たちが俺へ向ける視線には、もう敵意のようなものは浮かんでいなかった。


「わかりましたか! このお方はとても優しいのです。わたくしは好き好んでここにいるのですからさっさとお帰りください」


 両腰に手を当てて胸を張りながら、タキは僧侶たちにそう言い放つ。

 何も言い返せなくなったのか、僧侶達は慌てるように早足で帰ってしまった。


「まったく、困ったものだ」


 俺の言葉は届いていないのか、遠ざかっていく僧侶達を見送ったタキは何事もなかったかのように畑仕事へ戻っていく。

 あの様子では、討伐隊を組んだり、戻ってくること、里で俺のことを言いふらすこともないだろうが……。

 溜め息を吐きながら、俺は門を閉じて、畑に水を撒いているタキを見た。

 意に介していなかったが、はだけた胸元、ところどころちぎれている袖、土色に汚れてすり切れた袴……みすぼらしいと言われてみれば確かにそうだとようやく気が付いた。


「……。今度里へ行くときに着物でも買ってやるか」


 またここへ迷い込んだ人間に勘違いされるのも面倒だ。その穴ぐらとやらも潰して、この家に住まわせてしまおう。

 ほだされたわけじゃない。俺の家でまとった気配を辿られて、人間に居場所がバレることが面倒なだけだ。

 決して穴ぐらに住んで平気なことを哀れんでいるわけでもない。

 ここに住めと言えば、あいつはまた気味悪い笑顔を浮かべて喜ぶのだろうが、背に腹は代えられない。

 俺は額に粒のような汗を浮かべて働いているタキに声をかけた。

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