今までありがとう

 今日も今日とて日光浴。

 しかし、その時間は午前中で終わりだった。洗濯を終わらせ、部屋の掃除も済ませたマサミちゃんが「ルーサー、おいでー!」と、鼻歌まじりで私を抱え部屋へと入れてくれた。今日は窓際の指定席ではなく、奥のキッチンまで連れて行かれた。シンクの上でマサミちゃんと向かい合うなんて、ここへ来て初めてのことだ。


 いよいよが来た!


 楽しみにしていたし、覚悟もしていた。でも、どこか寂しくて、この日が来るのを先延ばししたい気持ちも芽生えていた。もうしばらく養分を蓄える時間をもらえるなら、より美味しいサボテンになってみせよう! って、女々しい言い訳まで考えるようになった。これも、マサミちゃんと過ごした濃密な日々によるものだと言えよう。


「ルーサー、いい?」


 この瞬間くらいは話せる能力を授けて欲しい、と神を呪った。しかし、喋れるようになったら、きっと未練がましく「もう少し一緒に過ごしたい」とか言ってしまう。人の心は植物よりも脆く、弱いものだ。今の私はサボテンだけど。


「どの葉も厚くて、美味しそう……だいぶパルミエとは違ってきたけど、じゅわっと甘い汁とか出てくれるかなぁ。ステーキで食べるのがオススメなんだって。バター焼きていうのっ! でも、ステーキだけじゃなくて、他にも色々と試してみるからね」


 私の体中を触りまくり、悦に入って話しを続けるマサミちゃんは、アジアンビューティーの域を超えてビューティフルだった。

 その瞳に奪われ、その唇に吸い付かれ、終には体内に吸収され、私は彼女と一つになる。そしたら、彼女は私のことを何と表現するだろうか……「美味しい」「甘い」「不思議」「柔らかい」「お肉みたい」「歯ごたえが好き」「ルーサーの汁が溢れてる」「パルミエよりもパルミエ」……私は想像の海に溺れた。


「じゃ、切るよー!」


 マサミちゃんが鋏を使って私を切ろうとした。しかし、持っている鋏では切りづらいようで、少しの間「うーん」と動きを止めて悩んでいた。いったん離れ、今度は小さめのナイフを手にして戻って来た。


「これなら綺麗に切れるかな」


 そうだね。ナイフの方が切りやすいだろう。

 マサミちゃんは私の片耳を摘まみ、根元の部分に刃を当てて「えーい!」と可愛らしい声を発してスライスした。戸惑うことなく振り切ったナイフ捌きに感動だ。痛みも無く、血と言えるような汁も出ず、綺麗に耳をカットしてくれた。

 次いで、もう片方の耳も「シュー!」とか言いながら綺麗に切り遂げた。残すはマサミちゃんとの思い出が一番詰まっている本体の葉だけとなった。ここを残しておけば、再び新芽が出てくる繁殖力も持っているのだが、彼女はそんな事などお構いなく本体の先っちょを摘まんで、土から出ている部分のギリギリのところに刃を当てた。

 本体の葉は、耳だったところよりも厚みがあり、ナイフをスライドさせる幅も広いので、ここを切るには彼女の力では時間がかかった。途中、動きを一休みさせて「痛いかなぁ? 痛かったらごめんね」と気遣ってくれたのが嬉しい。安心してくれ、耳のところも含めて全く痛みが走っていないから。



「今までありがとう、ルーサー!」



 私を摘まむ指の力が強くなり、止まっていたナイフが再び動き出した。

 相変わらず痛みは無かったが、私の意識というか体性感覚のようなものがスゥっと失われていく。このままでは、切られた後の楽しみまで失われそうだ。それじゃ駄目だと最後に力んでみたけど、もう何も感じることができなくなっていた。


 プツリという小さな音が聞こえた。

 そして私は、どこかへ旅立つ準備をしている夢を見ていた――。





















「――それと、このサボテンもお願い」

「かしこまりました」

「ここに食用って書いてあるけど、食べれるのかしら?」

「はい。パルミエのような味がするそうです」

「パルミエ?」

「パイ生地を好きな形に巻いて焼いたお菓子です。葉っぱやハートの形にしたものが多いですよ。この近くですと、駅前のポーラという店で売ってます」

「お菓子……ということは、甘いのかしら?」

「あの店のパルミエは砂糖が多めなので、甘いのが特徴です。是非、一度食べてみて下さい。それから、コレと食べ比べてみるのも楽しいかもしれません」

「わかったわ。駅前のポーラね」

「では、全部で七十ドルになります。はい……ちょうどですね。ありがとうございました! お気をつけて!」


 入荷したばかりのウチワサボテンが完売してしまった。一週間経っても残るようなら僕が買おうかと思っていたのに……しょうがない、次の入荷を待つとしよう。

 接客を済ませ、売れた場所の陳列を変えた僕は、スマホを取り出して『ルーサーとマサミ』のSNSをチェックした。彼女は何十年も更新を続けているベテランのインフルエンサーで、ウチワサボテンに関しての投稿が人気だった。すっかりお婆ちゃんだけど、柔らかい笑顔でサボテンと映っている投稿写真とかを見ていると、何故か僕の胸はときめくのだった。

 先ほどのお客さんに「パルミエのような味がする」と説明したのも、マサミさんの受け売りだった。これまで数多くのサボテンを食レポし続けてきた彼女が、若かりし頃に初めて食べたウチワサボテンの味がそれだったらしい。

 もちろん、当時のアーカイブも残っている。僕はお気に入りに格納してある過去の動画から、それを引っ張り出して再生した。自分より少し歳上の女性が、ウチワサボテンをフライパンでバター焼きにしていた。これがマサミさんだった。

 彼女は、僕が暮らしている国で言うところのアジアンビューティーだ。色艶の良いセミロングの黒髪に澄んだ黒い目、何よりも声がいい。甘く澄み透った声が、僕の脳をジンジンと痺れさせる。


「ルーサー・バーバンクは、何度もサボテンに話しかけ、この棘の無い品種を作ることに成功しました。私もこの子を買ってから、たくさん話しかけてきたんですよ。名前もルーサーって付けてね、うふふ。最初は美味しくなーれっとか、ありきたりな言葉ばかりかけてたけど、調べてみたら食べる人によって味が変わるような事が書いてあったので……それなら、いっそのことパルミエみたいな味になったら良いなって思ったんです。その後は美味しくなーれっじゃなくて、甘くなーれっとか、パルミエが食べたいっとか、もっと具体的にお願いするようになりました。なんか、植物相手にお願いするって変ですよね(笑) あ、もういい感じになってきたかなー? じゃ、火を止めまーす」


 最初にこの動画を見た時、サボテンの葉っぱがパルミエの味になるとはとても考えられなかった。しかし、彼女のSNSを見続けているうちに「マサミさんが言うなら間違い無い」と思えるようになった。

 いつかは、彼女の住んでいる国へ行ってみたい。お会いして、色々と話もしてみたい。そのために、日本語の勉強も欠かさずやっている。もちろん、初めて会った時の挨拶は「パルミエ!」だ。人種や年齢の垣根など関係無い……マサミさんと会えたなら、僕は迷わず彼女をギュッと抱きしめる。根拠は無いけど、きっと彼女も喜んでくれるはずだ。


「んー! おいひい! うん、甘いよ。食べたことありそうで無さそうなフルーツの味って文献とかには書かれてありますが、ほんと、その通りって感じ。不思議な甘さです。バターを使ってるせいか、後からフワッと香るんですよ。あっ! これって焼きたてのパルミエかも?」


 さっきまでサボテンが植わってたであろう鉢に向かい「すごいよ、ルーサー! 本当にパルミエだよっ!」と嬉しそうに語り掛けるマサミさん。僕はその映像を見るたびに、不思議と心が震えていた。


 動画を終了させると、新着の通知が「ピコン!」と鳴った。たった今、マサミさんが記事を更新したようだ。僕は店に誰もいないことを再確認してからそれを開いた。

 今日は涼し気な着物姿だった。品のある様子がまた良い。もはやアジアンビューティーを越えて、ヤマトナデシコの域だった。静かに微笑んだ彼女は、一礼した後「今日も暑いですねぇ」と言って、手にしていたウチワでそよそよと扇ぎ始めた。それはなんと、ウチワサボテンの葉だった!


 ――「なんと風流な!」

 ――「正しくウチワ!」

 ――「扇子よりハイセンスw」

 ――「涼しそうですぅ。あたしもやってみよー!」

 ――「そこからのー! パクってやつですね(笑)」


 フォロワーのコメントが賑わっている。

 恥ずかしながら、僕は一度もコメントを投げたことがない。マサミさんの国へ行きたいとか、ギュッと抱きしめたいとか思っていても、結局は彼女に対して何もアクションが起こせない臆病者だった。でも、それで良い。静かに彼女を見守ることが、僕の性に合っている気がするのだ。



 だから今日も僕は……ポチっと『イイね!』を贈ってアプリを閉じた――。



『意識は前世の記憶を引き継いでいる。しかし、人間は忘れる生き物だ。生まれたばかりの頃は前世の記憶を覚えていたとしても、歳を重ねる度にそれは少しずつ消えてしまうものだ』(ジム・タッカー)

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ルーサーは食べられたい 愛宕平九郎 @hannbee_chan

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