第3話
「メリシュー伯爵令嬢……?」
一瞬、彼女だと分からなかった。
深くフードを被り、僅かに見える髪はお世辞にもきれいに整えられておらず、目も泣き腫らしたかのようだった。
「お願いします、二人だけで、少し話をしてくれませんか?」
「……今じゃないとダメなの?」
「お願いします……!」
目を潤ませて必死に頼んでくる。……仕方ない。
「分かったわ。すぐに終わらせてね」
「! ありがとうございます!」
エイミーには目に見える場所で待機してもらい、メリシュー伯爵令嬢に連れられ、大きな階段の端に移動する。
「ここじゃないといけないの?」
「すみません、人通りが多いのはちょっと……。こっちならこの通り、人がまばらに歩いているので」
「……それで、用件は?」
すると、とんでもないことを言われた。
「ダミアン様と結婚して下さい!!」
「……なぜ?」
いきなりわけわからないことを言われて困惑する。
「正式に婚約破棄したから無理よ」
「あなたと婚約破棄したせいで私の実家にも慰謝料発生してるの! お義母様がすごい怒ってて……このままじゃ私、老人の後妻になるの!」
敬語が抜け、早口で捲し立ててくる。
それは大変だが、ことを大きくしたのはそっちだ。
手順さえ踏めば慰謝料は発生しても今のような金額ではなかっただろうに、考えもせずに
「そんなの知らないわ。それにダミアン様と愛し合っているんでしょ? なんとか結婚できる方法考えたら?」
「貧乏なんて知ってたら恋愛なんかしないわ!」
うわっ、今さらっと本音を吐き出した。家柄見て判断したのか。
最近社交界デビューしたのなら知らなかったのだろう。
「ダミアン様もこのままだと家にいれないの! 婚約破棄のこと後悔してるわ。だから許してあげてよ! ダミアン様のこと好きでしょ?」
「いや、政略結婚でむしろ嫌いだけど」
メリシュー伯爵令嬢が目を見開いている。でもさらに驚くべきことを知った。
この子は、例え人の婚約者でも好きなら奪う子だと。
「そんな……ずるいわ! どうしてあなたがギルバート様に求婚されるの!? 私だってギルバート様が好きだったのに……! なのに冷たくされて、優しくしてくれたのがダミアン様で……!」
そうか、この子もギルバートのファンなのか。確かにギルバートのタイプではないだろう。むしろ嫌いなタイプだろう。
いや、別にギルバートの好みを知っているわけではないが。
「私の方が若いのに! お願い、ダミアン様と結婚して。ギルバート様と結婚しないで!」
「少なくとも、ダミアン様の件は無理よ」
話してても埒があかないと思い、歩き出す。
「用があるのならファルト伯爵邸に手紙を出して。勿論、事前にいつ伺いますと連絡してね」
「まっ……! 待ちなさいよ……!!」
女の子なのに力強く、腕を掴まれてそれを引き剥がすと体勢が崩れた。
「あっ……」
下は確か、階段だ。
エイミーの叫ぶ声が聞こえる。
メリシュー伯爵令嬢が僅かに笑う。――もしかして、ギルバートとの婚約を阻止するために、わざと?
そこまで考えなかった自分の頭を呪う。もし、死んでしまったら――
無性に、会いたくなってしまった。
衝撃に目をおさえると、一瞬光り、誰かに抱き止められた。
「えっ……?」
「よかった、間に合った」
焦った声がするも、声は私がよく知る声で。
顔をあげると、ギルバートが安心したように息を吐いた。
「な、んで」
「僕は風の魔法使いだよ。ブレスレットを介してシュリーの身に危険が迫った時は転移できるようにしてたんだ」
「はっ?」
いやなにそれ。聞いてないんだけど。だからあの時、尋ねても答えなかったのか!
「さて、アリエル・メリシュー伯爵令嬢。今なにをしようとしたの?」
「え……そ、その……」
「ああ、答えなくていいよ。この場を目撃していた人たちが証言してくれる。だから、君は――騎士団に連行されていいよ」
ニコッと口角は上がっているものの、目はひどく冷めている。……これは、かなり怒っている。
「ギ……ギルバート様! わ、私、あなたのことが本当は好きだったんです! でもダミアン様からアプローチされてつい――」
「そんな話どうでもいいんだけど」
うわっ、告白を遮った。
「僕の目には一人しか写っていない。それに、君みたいな問題行動起こす子は僕、大嫌いなんだ。君がどうなろうが知ったことじゃない。――あ、でも一つ感謝してるよ? 君のおかげでシュリーはあんな男から解放されたから」
「…………」
放心状態となったのか、メリシュー伯爵令嬢は騎士団に連行されていなくなった。
数人の目撃者と一緒に、ギルバートが側にいるからとエイミーも事情聴取しに行った。
「大丈夫?」
「……大丈夫、ありがとう」
「僕はダミアン・ディミテリ対策で用意したんだけど、予想外だったなぁ。……シュリー?」
安心したからか、手が震えてくる。
もし、あのまま落ちてたら、後遺症が残らずにいられたのだろうか?
「……大丈夫、大丈夫。僕が側にいるよ」
「……バカ。仕事……サボったんじゃないの?」
「父上もシュリーが危なかったと話せば多分許してくれるよ」
「……その時は、私も一緒に謝るわ」
「ありがとう」
安心してしまう。ギルバートに手を握られるだけで。大きな手が、私を守ってくれるようで。
私の方が年上なのに。
メリシュー伯爵令嬢の言葉が反芻する。
『私の方が若いのに!』
どうしてギルバートは私を好いているんだろう。
小さい頃から好きだったというけど、好かれる動機が思いつかない。
「ギルバートは……私のどこがいいの……?」
ゆっくりと言葉を述べて尋ねてみる。
「んー。たくさんあるけど、一番嬉しかったのは、僕をただの子どもとして見てくれたことかな」
「どういうこと?」
ギルバートの言っていることがよく分からない。ただの子ども? 私より年下だから子ども扱いするのは当然なのに。
「ほら僕、風の魔法適性あるでしょう? 魔力を持っているのは珍しいから、昔から色んな目で見られてきたんだよね」
魔力――魔法という特殊な力を操れる力の源。
先天性の力で、魔力持ちは国の宝で大切にされる。
だけど同時に、普通の人間が持たない力を持つ彼らは色んな目で見られる。
「家族は僕を大切にしてくれたよ。でも周りの人は違う。大人は隠せても子どもは素直だからそれが見えるんだよね。羨望に畏怖、どちらも向けられてたんだ」
淡々と明日の天気を話すように話していく。もう、過去のことと割りきっているのか。
「でもシュリーは違った。父上の友人の子だから僕のことを聞いているんだろうなって思ってたけど、シュリーは僕を弟のように接してくれた」
確かに父からギルバートのことを聞いていた。魔力のことを聞いていても、年下なのは変わりないからかわいがっていた。
「弟扱いされたのは初めてだったけど、嫌じゃなかった。いたずらしたら怒ってくれて、一緒に遊んでくれて、本を読んでくれて、嬉しかった」
「それは、私も子どもだったから怒ったけど今はできないわ」
「そうかもしれないけど、嬉しかったのは変わりないよ。気づけば好きになっていった」
赤紫の瞳が私を見つめる。
「僕のこと、異性として見れない?」
「…………」
「僕を異性として見れないならそれでもいいよ。でも、せめて七年前に止まってしまった幼馴染の関係に戻れないかな?」
小さく、甘えるようにお願いするのは、かつて弟のようにかわいがっていた幼馴染。
でも、いつの間にか背は伸びて、手は大きくなって、私を抱き止めるくらい力を持つようになって。
落ちる時も頭をよぎったのはギルバートで。
あの時は自分の気持ちがよくわからないまま、異性として見れないと言ったけど、会えなくなるとギルバートのことばかり考えてしまって。
いつの間に、
「……幼馴染には、戻れない。だって……もうギルバートはあの時の小さい子どもじゃないもの」
「……そっか」
「だけど……ギルバートも男性なんだなと抱き止めてくれた時、思った。会えなくて……寂しかった」
七年間、関わらなかったら弟のように見ていた子は成長していた。
好き。そう考えると緊張して、声が枯れそう。でも、伝えないと。
「今更なんだって自分でも思うけど……ギルバートのこともっと知りたいって思うのはダメ……かしら」
「……それって」
「婚約破棄された女でもいいのなら……お付き合い……したいです……」
最後は声がすごく小さくなった。だけど言った瞬間、ギルバートに抱きしめられた。
「ありがとう。ありがとう、シュリー。よろしくお願いします」
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
交際期間がどれくらいなのかはわからない。
だけど、そんなに長くないと思う。そして、きっと私はギルバートの側にいるんだろうなと心の中で一人呟いた。
婚約破棄された直後に求婚された件について 水瀬真白 @minase0817
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