2日目 朝陽が昇る頃

「如何して、私の名前を?」


彼女の声が空気を震わせ、やがて僕へと伝う。


「ほら、鈴木龍磨。昔よく一緒に遊んだはずなんだけど、覚えてない...かな?」

僕は全く面倒な男だ。全身が透き通る程に白く、水の様な彼女と濁り切った苦いと僕じゃ釣り合うことすらない。忘れられていても仕方がない。こころの中では解っていたはずなのに。思い出してもらえないショックはもう一度大きく頭を揺さぶった。


「ごめんなさい。昔のことを思い出せないの」


彼女は若干微笑み、何か含みのある言い回しで僕に話しかける。ちょうど朝陽が顔を出し彼女の姿を少しばかり照らす。


「ねぇ、龍磨くんだっけ。」

沈黙が破られる。彼女が零す声は水面に広がる波紋の様に美しい。





彼女は僕の名前を呼んだまま前をそっと見つめた。太陽の方を。

「此処の景色、好き?」


言葉の真意は解らない。しかし、確かにそこには昔と変わらない、彼女には日向の様な暖かみがあった。その笑みに照らされるように蘇る昔の記憶。



佐藤美春。僕の唯一の幼馴染にして僕の初恋の人。僕が彼女と出会ったのはまだ親父が元気にしている頃だった。

いつもの様に近隣の公園へ向かい、彼女と顔を合わせる。互いに両親は付いておらず子供、二人きりで砂場の上で他愛もない話をした。


しかし時が経つにつれて環境は変化するもので、僕を取り巻く環境も目まぐるしく動き始める。



ある時を境に親父が仕切りに僕に謝る様になった。何も悪くないのに。僕は親父の変化に首を傾げることしかできなかった。




数日後、親父は縄で大きな輪を作ってそこに首を通した。当時、親父がこれから何をしようとしているのか。そしてこれから自分がどの様な環境に置かれるのか幼過ぎる僕には理解する術なんてなありはしなかった。


曇天の日だったことをよく覚えている。葬式が執り行われたのは。周りの人間、親族の啜り泣く声。僕は何が起こったのか理解できず、もう冷たくなってしまった親父の顔を触りそこに人肌が無いことを漸く理解した。




亡骸が焼ける音。何故だか涙は流れなかった。




丁度その頃だっただろう。彼女、美春が僕の前から姿を消したのは。いつもの様に公園に向かい彼女の姿を探した。一人ベンチで砂場に座り彼女が来るのを待った。


が、結局僕の前に彼女が姿を表すことは無かった。近隣の人間に話を聞いても分からなかった。


彼女ともう、会うことができない。そう理解した時僕の眼には涙が溢れていた。近親者であった父親の死、初恋の人との別れ。


僕が人との接し方を改める様になったのはおそらくここからだろう。


「ん...大丈夫?」


その瞬間、美春が僕の顔を覗き込んでいることがわかった。距離が近くてドキドキしてしまう。

一度物事を考えると周りのことをシャットアウトしてしまう、これは僕の悪い癖だ。



強く息を吸い込む。朝の新鮮な酸素が肺を満たす、折角彼女に逢えたんだ。


思考で何かを汚して本当の気持ちを伝えることを今で避けてきた。怖かったんだ。何が思いを口にするのが。


でも、彼女になら。



「好きだよ」


「そっか」


嘘偽りない言葉。彼女の白い帽子が風邪に吹かれてよふわりふわりと飛んでゆく。



「またね。龍磨くん」



またこの場所に来ることが出来るのなら。彼女に逢うことが出来るかな。僕はそんなことを思いながらこの場から立ち去る彼女を見送った。


最後にベンチに残ったのは僕と少しばかりの彼女のぬくもりだけだった。

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ワンモアジャーニー! 最上仮面 @mogami_kamen

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