第2話 下
そんなある日のことだった。
手紙で、異民族がここ最近、領地に攻撃してくると。
近々、討伐することになると。
「……」
討伐となると、彼も参加するのだろうか。
戦争を嫌う彼にとっては苦痛だろう。
私が、側にいて支えられたら。
「……好き、なんでしょうね」
だから女の子たちが彼に集まると不快に思ったんだろう。
彼にとって、私は友達でしかないのに。
そして、その日がやって来たのは私とブルーノ、互いが十七歳の時。
手紙の内容は異民族討伐に参加すること、しばらく文通ができないと、簡潔に書かれていた。
それが、最後の手紙だった。
***
一年が過ぎ、私は十八歳になっていた。
未だに私には婚約者がいない。
お姉様は成人して間もなく婚約者ができ、十八歳で隣国に嫁いだから、そろそろ私にも婚約者ができてもおかしくない。
この一年、婚約者ができなかったのは、きっと私の落ち込み具合を知っているからだろう。
「……騒がしいわね、何かあったかしら?」
王宮全体が妙に忙しそうで侍女に聞いてみる。
「先月、リヒテンダー辺境伯が異民族を完全に撃退しましたよね? 今回はその報告で辺境伯様が来られるそうですよ」
「そうなの……ゲオルグが喜ぶわね」
いや、でも喜べないわね、と心の中で一人呟く。
異民族との戦いでリヒテンダー辺境伯側が勝利したのは喜ばしい。
でも、彼――ブルーノは行方不明だ。
生きていると思いたい。でも、生きているという保証はない。
ただただ、安全なところで彼の身を案じるしかできないのが歯がゆい。
「……約束、したのに」
今度こそ、貴方に勝つって――。
まだ貴方と対戦していないのに。
間もなくリヒテンダー辺境伯一行が王宮にやって来た。
挨拶するのは父上と母上と王太子であるお兄様で、私と妹は参加しなくていいらしい。
話が終わったら数日はリヒテンダー辺境伯は王宮に滞在するらしいから、ブルーノのこと聞いてみよう。
……正直怖い。でも、不安の中で過ごしたくない。
そんなこと考えながら廊下を歩いていると、視界の端に見慣れた黒髪が見えた。
……見間違えかと思った。黒髪は別段珍しくない。
けど、そちらの方を見てしまった。
王宮にある美しい花壇の花を見つめる横顔は、私が会いたくて堪らない人で。
思わず、走ってしまった。
「姫様っ!?」と後ろから侍女や近衛騎士の声がするけどそのまま走る。
ドレスに踵の高いヒールで走って痛い。けど今はそんなの関係ない。
行かないと。今、行かないと、後悔しそうで――。
やっとたどり着いたら彼はまだそこにいて、叫んでしまった。
「ブルーノっ!!」
「!」
彼――ブルーノは私を見て、目を見開いた後――逃げ出そうとした。
「待ってよ!! 私ヒールなのよ!? ここに来るまでに走ってもう走れないのよ!?」
しかもドレスだ。息切れしてしんどい。
私が叫ぶと、ぴたっ、と立ち止まる。
「ブルーノ……。無事で…本当によかった……」
「……エリザベス王女殿下」
ブルーノの声が聞こえて、顔を見る。
…あぁ、彼だ。よかった、生きてたんだ。
「お会いできて光栄です。ご心配おかけしました」
「行方不明って聞いてたのよ…。いつ…帰ってきたの…?」
「……異民族を完全に撃退して十日後です。最後の戦闘で崖から落ちて、傷を治しながら息を潜めてました。その後、完全に撃退したと聞いて帰ってきたんです」
「そうだったの……。……なら、無事なことくらい手紙で伝えてくれてもよかったのに……」
この一ヶ月、ずっと不安だったのに。手紙くらい書いてくれても、と思う。
「……もう、手紙を出す資格がないと思ったんです」
「……どういうこと?」
資格がないって、どうして?
「……生き残るためとはいえ、僕は何人もの人間を手にかけました。……この手はたくさんの血がついていて、その手で尊き王女殿下に手紙を書くのは無礼だと思ったんです」
「ブルーノ……」
……確かに、彼は争いが嫌いだった。それなのに、討伐に参加するはめになって苦しかっただろう。
きっと何人もの人間を、というのも事実だろう。
でも。
「それは貴方の私欲のためにしたこと? 違うでしょう? 大好きな領民を、領地を守るために剣を持ったのでしょう。――貴方は、守るもののために戦ったのよ」
堂々と言う。彼は大切なものを守るために戦ったのだから。
「何度でも言うわ。貴方は守りたいもののために戦った。それを侮辱する者は私が許さない」
「……王女、殿下……。……でも、僕は王女殿下の手紙を…なくしてしまいました」
「え、手紙?」
予想外の言葉に戸惑う手紙って、私の手紙よね? ええ、今言ってたもの。
私の手紙を……戦場に持っていってたの?
「王女殿下のおっしゃるとおり、僕は守りたいもののために戦いました。領民を、領地を、弟妹を守るために、剣を取りました。…でも、臆病な僕はやっぱり辛くて、怖くて。だから、辛い時は王女殿下の手紙を読んで自分を奮い立たせていたんです。……でも、最後の戦闘で崖から落ちて手紙は川に流されて……申し訳ありません」
「そんな…いいのよ手紙くらい。何通なの?」
「三通です」
「三通!? そんなことで落ち込まないでよ!」
手紙をなくしたくらいで落ち込むなんて……。
ブルーノは真面目だけど、そんなことで気にしないでほしい。
「手紙は気にしないで。だから、私と文通をしましょう」
「しかし……王女殿下もそのうち婚約者ができるでしょう。それならいっそこれを機に文通は――」
「――嫌よっ!!」
大声を出してしまった。はしたない、ときっとあとで怒られる。
でも、今はそんなのどうでもいい。
「嫌よ! 婚約者のことなんて言わないでよ!! ――貴方のことが好きなのにっ!! どうしてそんなこと言うのよ!?」
「えっ」
「ゲオルグから貴方は裁縫が得意で女性的な人が好きだと聞いたから裁縫を練習したの! より洗練された淑女になるために努力したの! 全ては、貴方にそう見られたいために! なのにどうしてそんなこと言うの!?」
こんなこと、言うつもりはなかった。
だって、ブルーノは私のことを文通相手兼友達としか見ていないだろうから。
でも、好きな人に婚約者の話をされることがどれだけ辛いかわかる?
初対面の時、きつい言い方してしまったことにどれだけ後悔したか、貴方はわかっている?
ポロポロと涙が溢れてくる。
「最低っ! 最低よブルーノ――!?」
ぎゅっと誰かに抱き締められていた。
いや、わかる。だけど、脳が上手く反応してくれない。
家族以外に抱きしめられたことはないし、力強くない、たどたどしく抱きしめられたのは初めてだ。
「泣かないでください、王女殿下……。胸が苦しくなります」
好きな人の声が頭の上から届いてくる。
「夢、ではないのですよね? 貴女様が僕を好いてくれているなんて」
「……夢ではないわ。私は……ずっと貴方が好きだったもの」
そう言うと、さっきより少しだけ強く抱きしめられる。
「僕も、エリザベス王女殿下が好きです」
「……えっ?」
言葉が理解できない。……好き? ……ブルーノが私を?
「貴女のおかげで自信を持てた。貴女のおかげで強くなれた。貴女のおかげで生き残れた。戦場で辛い時、貴女の手紙が弱気で、臆病な僕を励ましてくれた」
「えっ、ちょ、待って」
顔をあげてブルーノの顔を見る。
「貴女は僕の希望だった」
――顔を見るべきではなかった。こんな饒舌にしゃべるなんて。
「好きです、愛してるんです」
「……私も、好きよ」
どうにかそれだけは言ってみせる。
「好きなだけですか?」
「あ、愛してるわよ!」
悲しそうな顔で私を見ないで!! 思わず恥ずかしいこと言ってしまった。
「よかった」
ふにゃりと笑う顔は、まるで犬のようできゅんとくる。
「……エリザベス王女殿下。僕は辺境の人間です。王都のような華やかさはないし、交通の便も王都と比べたらよくないです。……それでも、貴女を望んでもいいですか…?」
不安そうな顔で私の顔をじっと見つめてくる。なんだそんなことか。
「――私、積雪現象を見て、雪遊びしたい。辺境伯領にある湖で魚を釣りたい。貴方の大好きな領民たちを見たい。――それで、貴方の側にずっといて支えたい」
私の思う気持ちを精一杯伝えてみる。
「私を望んでよ、ブルーノ」
ブルーノを抱き締め返す。
「私と一緒に父上にお願いして」
「――はい、エリザベス様」
「ええ!」
笑顔で返事すると、後ろから複数の人の気配がした。
「それがお前の答えか、エリザベス」
「! 父上! 母上にお兄様……それにユリステア!」
父上の声がして振り返ると家族に辺境伯、そしてゲオルグがいた。
「ふむ、お前たちを見てユリステアが飛び込んできてな」
妹を見ると彼女の近衛騎士であるローランの後ろに隠れる。
父上に目を向け、はっきりと宣言する。
「はい、父上。私は彼――ブルーノを選びます」
「……陛下。突然の無礼をお許し下さい。リヒテンダー辺境伯の嫡男、ブルーノ・リヒテンダーと申します」
「うむ、此度の討伐ではよく働いた。で、エリザベスを望むのか」
「……はい」
ふむ、と父上が顎髭を触る。
「――よかろう。此度の貢献に対し、褒美を考えていた。エリザベスが望み、お主も望むのなら二人の婚姻を認めよう」
父上の言葉に私が見つめると、父上は目尻を柔らかく下げる。
「エリザベス、幸せになりなさい」
「――。ありがとうございますっ! 父上!!」
「ありがとうございます……!! 陛下……!!」
「よい。さぁ、書類や話があるからこちらへ来なさい。辺境伯、もう少しいいか?」
「は、はっ! 陛下!」
そして私たちは王宮内に入っていった。
***
それから私たちは無事婚約した。
今は結婚の準備で忙しいが、楽しくて仕方ない。
「エリザベス」
「ブルーノ!」
ブルーノに抱きついてしまう。
「おっと…怪我したら危ないよ」
「大丈夫よ。ブルーノが受け止めてくれるでしょう?」
「でも万が一、君を怪我させたらお爺様が怖いよ」
「あら大変」
クスクスと笑いが込み上げる。
ブルーノの顔を見る。
もうすぐで、私は大好きな人の元へ嫁ぐことができる。
「ブルーノ」
「ん? どうしたの?」
「私、幸せよ」
ポツリと呟くと、ブルーノが一瞬驚いた顔をするけどすぐに微笑む。
そして、私の耳元で囁く。
「ありがとう。でも、君はこれからもっと幸せになるんだよ。僕が絶対にしてみせるから」
なんと宣言された。
「ありがとう。楽しみにしてるわ。――あっ、でも、絶対剣の試合では勝ってみせるから覚悟してね?」
「待っているよ」
二人で微笑みあう。
この笑顔がいつまでも続いていくことを願いながら。
武闘派第二王女の文通 水瀬真白 @minase0817
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