第2話
「あの日は、いつも通り近くの食堂に昼ご飯を食べにいこうとしてたんです。交差点で信号待ちをしていたら、隣に誰かがいるのに気づいて。先に信号待ちしてたOLが近づいてきたのかってそっちを見たら、何かがいました。シーツみたいなので首から下を覆って、顔に赤黒い紙を貼り付けているのが。それも一体じゃなくて沢山。交差点、10人くらいの人がいたんですけど、その一人一人にぴったり寄り添うような感じで。最初に気づいた一体はOLの
その場から逃げようとは思わなかった。どうせ一度現れてしまったら止められないのだ。
「で、周りを見たら車の中にもいるんですよ、それ。しかも何か運転手の耳元でぼそぼそやってる。そしたら次の瞬間、それの乗ってた車が凄い勢いで発進して、交差点に入ってきた車にぶつかりました。その後ろから来た車も全然スピードを落とさず突っ込んでいく。それどころか止まっていた車も飛び出す始末です。その全部にそれが乗っていました」
こんな事態になっているというのに、周りの人間は叫び声1つあげない。皆一様に口をだらりと開けて、事故の現場を虚ろな眼差しで見ていた。
「結局、僕が逃げ出したのはそいつらが前触れもなく消えて辺りが騒然とし始めてからでした。あれが何者で、なんであんな事をしたのかなんて本当に分からないんです」
当然映像にあれの姿が映る事はない。テレビで繰り返し流れていた監視カメラの映像では車が次々交差点に進入し衝突していく様と、それを突っ立って眺めている通行人という異様な光景が映し出されていた。
「正直かなり堪えました。今までこんなにたくさんの人が被害にあう事はありませんでしたから……。生きているだけで他人を傷つける自分は死んだ方がいいんじゃないかとまで思いました」
「でもあなたは生きている。聖人ぶってみてもやはり死ぬのは怖いのですなぁ」
クックと笑われる。今までの優しい声からは想像も出来ない邪悪な音だった。
「そう、かもしれませんね……。手首を切ったまでは良かった……いえ、手首を切るなんて自殺には向かない方法を選んだ時点で僕は最初から死ぬ気なんて無かったんです。だって血が噴き出した時点で大騒ぎして、しっかり包帯で止血した上でこんなところにいるんですから」
死のうと思えばもっと早く死ねたはずだ。結局僕はそういう人間なのだ。これから先、どれだけ周りの人間に被害が及ぼうと、その中に大切な人が含まれていようと、僕は言い訳を重ねて図々しく、のうのうと生きていくのだろう。
「でも、どうしても知りたいんです。なんで僕は奴らを引き寄せてしまうのか。どうにかそれを避ける方法はないのか。こうやって来た……来てくれたあなたになら、何か分かるんじゃないですか? こんな機会、おそらく二度とないんです。もし分かる事があれば、何でもいいんです、教えてください!」
相当イカレていると自分でも思う。こんな事を、それもこんな相手に頼むだなんて。どう考えてもまともな精神状況ならそれをするべき相手ではないのは分かり切っている。
畑中さんの首がしばらくの間傾いた後、満面の笑みでこう答えた。
「分かりました。面白い話を聞かせてもらったお礼も兼ねて、あなたにかけられた呪いを1つ解いてあげましょう。しかし、代わりに別の呪いもかけさせてもらいます」
呪い? 何のことだ? 困惑する僕に対する答えは、あの笑い声だった。
「1つ、あなたは自分の存在が彼らを引き寄せていると思っているようですが、そんな事はありません。世界ではあなたが知らないだけで珍妙な事件が数多く起きている。そのうちの数件がたまたまあなたの周りで起きたと言うだけです。その程度の事なら、数千人単位で経験しているでしょう。ですが彼らが"視える"というのは確かに珍しい。それ故に興味を持ったものが近づいてくるという事もあるでしょうな。しかしそれはあなたが"視える"ために起こる事であって、あなた自身に彼らを引き寄せる何かがあるわけではない」
私だって、ふらふら
「つまりあなたがいようがいまいが今回の事件は起こっていました。他の事件だってそうです。小学生の時の件はあなたが気づいたのが発端でしょうが、軽率な行動で大きな事件・事故を引き起こるなんて誰にでもある事です。だからあなたが気に病むことは全くない。……さぁて、ここからが本題」
それはそのまま言葉を繋ぐ。
「例え話をしましょうか。霊感が無いどころか、そういう霊的現象を感じることすら出来ない人というのがいます。そういう人は霊感が強い人が行ったら気分が悪くなるような場所でも平然としている。ですがそれは霊に攻撃されないという事ではない。ただ鈍いだけなんです」
鈍い……だって?
「あなたはひどく鈍感な人間なようだ。まぁ鈍感というだけなら珍しいとはいえ居ない事もないが、視える上にこれほど鈍感な人には初めて出会いましたよ。あなた、あの時自分の傍にも彼らがいて、耳元で囁かれている事も気づかなかったでしょう?」
なぜだ、このまま聞いていてはいけないと強く本能が訴えている。目の前の男の笑顔が歪んで見える。こんな事初めてだ。どんな恐ろしい姿をしたバケモノを見てもこんな感覚にはならなかったのに。
「……怖い」
「あなたは自分は絶対に危害を加えられないと言っていましたね。それが大きな勘違いです。自分で言ってたでしょ? ああいうのはそこにいるだけで人に害なんだって。彼らからしてみれば、あんなのは何かした内には入らないんです。ただ自分が視える人間に興味を持って、あるいはあなたなんか最初から眼中になく戯れで偶然あなたの周りに……ちょっかいを出していただけです。あなたはとんでもなく鈍いから軽いちょっかいなら気にも留めません。でも、彼らがもっと直接的にちょっかいを出そうとしたら? あるいは悪意を持ってあなたを害そうとしたら? その時はあなたでも無事ではすまないでしょうな……こういう風に」
畑中さんの指がゆっくり持ち上げられ、僕の顔を指さす。その時初めて、周りに倒れている何人もの人と同じように、鼻からとめどなく血が流れ出ているのに気づいた。
「油断してたでしょ。慢心してたでしょ。だから私ともこうして話をしていられる。普通の人間はね、私みたいなのがいたら恐怖で喋れなくなるんだよ。でもあなたは違う。おかしいと思わないか? すぐ近くで車が衝突する事故が起きてたら、巻き込まれるかもしれない、だから逃げなきゃと思わなきゃおかしい。でもあなたは逃げなかった。下手に動かず目立たない事を優先した。どうせ自分は絶対傷つかないと高を括っていたから。今まで無事だったのは全部偶然、幸運の産物だったのにな。でももうそんな傲慢は許されない。あなたはこれから先、いつ私たちの牙が自分に向けられるかと怯えながら生きていかなくちゃならない。私たちの気まぐれ1つであなたの人生は容易にぐちゃぐちゃになる。下手に視える分、あなたは常にそれを意識し続けないといけない。辛いよなぁ。苦しいよなぁ。見ないようにしても無駄だよ、案外そういうのは感じられるからな」
そう告げて、それはとても楽しそうに笑う。ゲラゲラと、邪悪に笑う。
では私はこれで。せいぜい良い人生を。そう言うと、それは操っていた病衣の老人を背中の大きな穴に放り込んだ。
「あ、あの……! そ、その人は返してあげてくれませんか……? 僕とは何の関係もない人ですから」
咄嗟に呼び止める。それは僕の方を見て太い首をぐるりと動かしたかと思えば、再び畑中さんを穴から取り出し細長く鋭い指をその体に突き刺した。ビクリと彼の体が震えると、能面のような顔を持ち上げてこちらを見る。
「私の話を聞いた後でもそう言えるとは、なかなかどうして
どうしてもというなら、あなたの体を使ってみてもいいのですよ? 最後にそう言い残して、それは去っていった。8本の足で器用に倒れた人を避けながら。
「……」
僕はしばらく呆然としていた。鼻血は大分収まり、キレの悪い蛇口のようにポタポタ垂れている。それでも血を流し過ぎたせいか、目の前が霞んできた。
(まぁ、いいか)
この惨状の中、1人だけ無傷だった説明をしなくて済む。それに今は何も考えたくない。これからの事は起きたら考えよう。それでいい案が浮かぶとも思えないが。
ぐるりと視界が回り、頭に強い衝撃を感じたところで僕の思考は途切れた。
<了>
今までの呪い、これからの呪い 白木錘角 @subtlemea2
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