おじさんと私

 女の人のとなりはぽかぽか暖かくて、声は穏やかでやさしくて、古本屋の店先なのにとてもここちよかった。


「そのかさの言い伝えを知って、調べに来たのがあなたのおじさんよ。まだ学生のころだったわ。ほこらの前でぱしゃぱしゃ写真をいっぱい撮るからすごく気になっちゃって、何をしているのって声をかけたのが始まり」

「おじさんって、そのときから変わってたんですね」

「そうね。でも、そこがおもしろくって、よく話すようになったの」


 おじさんが学生、と言われても想像がつかない。私が生まれたときから、おじさんはおじさんだった。でも、隣の女性があまりにも懐かしそうに話すからちょっと気になってきてしまった。


「すごく楽しかったな。……でも、ある日からあの人はほこらに来なくなったの」

「おじさんが?」

「そう。……軽い冗談のつもりだったの、ちょっぴり本気だったけど」

「ケンカでもしたんですか?」


 まるで、おじさんとこの人がケンカしてしまったかのような口ぶりだ。女性は首を横に振って、下を向いた。うつむいてしまうと、帽子に隠れてしまって女性の表情がよくわからなくなってしまう。


「――人をやめてみないかって聞いたの。私だけ残されたらさびしいから、ずっと一緒にいてくれるとうれしいって伝えたの。でも、ごめんと言われて、それきり」

「え……」

「それから、あの人がつくもがみをつくろうとしてるなんて聞いたわ。つくもがみって、新年、節分の日に生まれるのよ。だから、あなたのおじさんは落ち着いていなかったみたい。でも、それってどういうつもりなのかしらね。何のためにそんなことしようなんて考えたのかしら」


 思わず一歩あとずさると、靴のかかとが金魚鉢を置いているいすにぶつかって音を立てた。抗議するように、金魚鉢の水面からぴちょんと水がはねた。女の人から離れたせいか、ぴゅうぴゅう冷たい風でとたんに体がふるえる。

 秋のときのことを思い出した。つむぎちゃんがチョウにされてしまったこと。それは、魚沼くんと仲良くなるためだった。


「お、おじさんを、つれていかないでっ」


 声がちょっとふるえてしまったのは寒いせいだ。

 じっとにらんでいると、女性は不意にふふっと笑った。その笑顔はちっとも怖くは見えない。


「怖がらせて、ごめんなさい。話せて楽しかったわ。それじゃあね」


 女の人、おそらくかさの神様は、ベレー帽をちょいっと手で持ち上げて、そのまま行ってしまった。ぼうっとその背中を見送っていると、清夏と聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。


「清夏、遅かったから心配したんだぞ。寒かっただろう? はやく中に入りなさい」


 お店の扉から、大黒を抱えたおじさんが顔をのぞかせていた。とっさに、先ほどまでそこにいたベレー帽をかぶった女性の後ろ姿を探したけど、もうどこにもいなかった。

 おじさんは大きく扉を開いた。


「ほら、おいで」

「うん……」


 おじさんに言われて、古本屋の中に入るとやっぱりちょっとほこりっぽい。でも、外よりもずいぶんと暖かい気がした。


「おじさん……」

「どうした? 元気がないな。そんなに寒かったか。すぐに牛乳を使ってココアをつくろう」


 そう言って、おじさんが私の手からビニール袋を受け取った。

 カウンターの向こうでは、魚沼君がお帰りと手をふっている。ぽん子はあいかわらずストーブの前で丸まっている。いつもの風景だ。

 でも、まだちょっと寒い気がして、奥に行こうとしていたおじさんの背中のシャツをぐっと握って引き止めた。ふりかえったおじさんに質問する。


「おじさんは、どこにも行かないよね?」

「どうしたんだ? 急に消えたりしないよ、大丈夫」


 ぽんと頭に手が乗せられた。その手はひんやりと冷たい。あの女の人のとなりにいたときの温かさとは全然ちがう。おじさんの手だ。


「ほら、ココアをつくるから、手をはなしなさい」

「……おじさんって、何のためにつくもがみをつくろうとしてるの?」

「本当に今日はどうしたんだ?」

「いいから、教えて」

「前にも言っただろう。研究のためだよ」

「それ以外に理由はないの?」


 私がもう一度聞くと、おじさんは口をとじてしまった。そして、大黒を大切そうになでる。


「……そうだな。さびしくならないようにと、思ったのがきっかけかもしれない」

「私だって、おじさんがいなくなったらさびしいよ!」

「急に消えたりしない、約束する。安心しなさい」

「うん……」


 私がシャツから手を離すと、おじさんは行ってしまった。だれがさびしくならないためなのか、ということは聞けなかった。なぜなら、お店の扉が勢いよく開かれたか

 あの女の人がさびしくないように、おじさんはつくもがみをつくっているのかな。もしおじさんがどこかへ行ってしまったら、どうすればいいんだろう。

 のろのろとマフラーやコートをぬぎながら、カウンターの中にもどると、座っている魚沼君が不思議そうな顔をして見上げてきた。


「どうしたんだよ、半間。元気ないぞ」

「うん」

「うんって……何かあったのか?」


 何かはあった。でも、どうすればいいいんだろう。ストーブの前に座りこんで、冷えたひざを温めていると、ちろりとぽん子が片目を開けた。


「不安なら、見張っていなさい。ああいうふらふらしたやつは、だれかが見てなきゃだめなのよ」

「……ぽん子は、でもあの人の友達なんでしょ」

「そうよ。でも、あんたのこともかわいいの。だから、あたしは何もしないわ」


 ぽん子はそう言って、また眠ってしまった。

 見張るって言っても、私が学校にいる間にどこかへおじさんが行ってしまったら?

 ストーブの赤い光を見つめながら、ふくろはぎを何度も手ですっていると、魚沼君が声をかけてきた。


「あのさ、半間、何を悩んでるのかわかんないけど、何でも俺に言えよ。助けになるかはわかんないけど、絶対に手伝ってやるからさ」

「……手伝うって言っても」


 でも、そうだ。一人じゃどうもできない。そんなときは助けを呼べばいいって、おじさんに教わったんだった。

 そのとき、引き戸が開いて、お盆に上に湯気の立ったカップ2つとお菓子のお皿をのせて、おじさんがもどってきた。


「ほら、ココアのおかわりを持ってきたぞ。それからお菓子も食べなさい」

「ありがとう……」


 おじさんからお盆を受け取って、お盆を魚沼君との間に置く。すでに私専用になった花柄のカップを手にとって、こっそり魚沼君に耳打ちする。


「約束だからね、手伝ってよ。かわりばんこで見張るんだからね」

「え、うん……見張るって何やるんだ?」

「とにかくやるのよ」


 魚沼君から離れて、私はすましていれたてのココアを飲んだ。おじさんのココアは、家で飲むものよりもずっとあまくておいしい。


「おじさん、またいれてね。次も、その次も、ずっとココアつくってね」

「言われれば、いくらでもつくるよ。本当にどうしたんだ?」

「なんでもなーい」


 豆せんべいを一つつかんで、ぱりとかみくだいた。

 いつまでもずっとこのままでいられますように。

 その願いが叶ったのか、大黒はその日つくもがみにならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

古森書店のあやしいものがたり 運転手 @untenshu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ