ぼうしの人

 レジ袋をがさがさ揺らしながら、いつもの横道を入った。おしゃれな美容院の前を通って、ぽん子お気に入りのお茶屋さんの前を横切ると、周りと比べてひときわ色あせた建物、おじさんの古本屋さんが見えてくる。

 お店の前に誰か立っている。

 ベレー帽をかぶった女の人だった。お店の横にある金魚鉢を見つめている。あれは、春に魚沼君が持ってきたちょっと奇妙な代物だ。それを見られたら、大変なことになる、かもしれない。


「あのっ」


 焦った私が声をかけると、女の人はこちらを向いた。その瞬間にぴちょんと金魚鉢の水面が揺れた。私は、なんとかごまかそうと女の人に駆け寄った。


「うちのお店に何かご用ですか?」


 女の人はちょこんと首をかしげて、にこにこ笑った。


「お店には、用はないの。ただ、ちょっと気になったから来てしまって。コイも元気そうでよかったわ」

「こい?」

「魚のコイのことよ。この金魚鉢に住んでいるお魚のこと」

「え、えっと……」


 金魚鉢の動く魚模様を見られてしまったらしい。ビニール袋を右手から左手に、そしてまた左手から右手に何度も持ち変えてドキドキする心臓を落ち着ける。そっと見てみると、金魚鉢には大きな魚の影が泳いでいる。そういえば、あの魚ってコイだったんだ。わからなかった。

 なんて言おうと頭を悩ませて、ふと目の前の女の人が、器の絵の魚が動いていることに全然驚いていないことに気づいた。

 初対面のはずなのに、女の人はすごく親しげに話しかけてくる。


「清夏ちゃん、だよね? あなたがぽん子って呼んでるたぬきの子からよく聞いているわ。あの人のめいっ子さんなのよね」

「……ぽん子と、おじさんのおともだちなんですか?」

「そうね。二人のことはともだちと思っているわ」

「そうなんですか……」


 つまり、人じゃないっていうことだ。なんだとちょっと安心する。


「清夏ちゃん、あなたのおじさん、今日はどんな様子だった?」

「様子ですか? なんかぼうっとしてて、私たちの話もよく聞こえてないって感じでしたけど」

「ふうん、そっか……」


 女の人は私の話を聞いて、ありがとうとお礼を言った。気になるのなら、お店の中に入って、直接おじさんと話せばいいのに。

 ぽん子もこの女の人も、おじさんがどうして今日変なのか知っているみたいだった。


「あの、おじさん、どうして今日は変なんですか?」

「今日だけよ。明日にはいつもどおりだわ」

「理由が知りたいんです。だって、心配だから」


 ぎゅっとビニール袋を握りしめていると、女の人が私を手招きした。招かれるままその人の隣に立つと、なぜか毛布にくるまったようにじんわり温かく感じた。

 おどろいて顔を上げると、女の人は微笑んだ。


「ちょっと長い話になるから、ここにいてね。こうしたら寒くないでしょ」

「えっと、はい」

「よかった。それじゃ、どこから話しましょうか」


 白い指をあごにあててうーんと悩んだ女の人は、ぽんと手をたたいた。考えが決まったみたいだ。


「そうね、この町のちょっと不思議な話からね。線路を渡った向こう、小学校も超えたずっと先に急な坂があるのを知っているかしら。その坂のふもとに小さなほこらがあるの。見たことある?」

「いえ、見たことないです」


 そちらの方面は通学路でもないし、特に遊び場があるわけでもない住宅街だ。そっちの方面から来てるクラスメイトの子もいるけど、その子の家に遊びに行ったことはないので道すら通ったことがない。

 知らない私に、女性は身ぶり手ぶりで形や大きさを伝えてくる。


「本当に小さい、これぐらいのほこらなの。それでね、そこに何があるかっていうと、小さなわらでできたかさなの。あ、かさって言っても現代の雨が降るときに使うような感じじゃないの。かさじぞうってお話は知ってる? ぼうしみたいなあのかさよ」

「かさじぞうなら、読んだことがあります。そのかさがほこらに置いてあるんですか」

「そう。なぜか、そのかさがほこらで大切にまつられるようになっちゃったの」

「それって、すごく特別なかさなんですか?」


 そう聞くと、その人は風を切る音がするぐらい大きく手を振って笑った。


「ただのふつうのかさよ。でも、言い伝えでは特別になってるかな」


 それはここが町ではなくて、村だったときになってしまうほど昔の話らしい。

 村に一人のかさづくり名人がいた。ある日、村長からたくさんのかさをつくるようにと頼まれた。夏の農作業で、人々が暑さで倒れないようにとのことだった。名人は注文どおりにすばらしいかさをたくさんつくり、できたばかりのかさを村長の家へ渡しに出かけた。しかし、道の途中で名人は奇妙なものを見た。髪も肌も白くて、村では見たことがないような人が道端にしゃがみこんでいたのである。その人は通りがかりに声をかけて、暑さでまいってしまいそうなのでかさを一つくださいと言った。名人は、これは神様のたぐいに違いないとよろこんでかさを一つ差し出した。

 しかし、村長の屋敷にて名人はかさの数が足りないことをひどく怒られた。そのあまりの勢いに、名人はつい神様にかさを一つ渡してしまったんだと言った。かさができなかったことをごまかすためのうそだろうと村長が言われた場所へ見に行くと、そこにはちゃんとかさが一つだけ置いてあった。しかし、神様の姿は見えない。なんだとかさを持ち上げると、白いヘビがその下からにょろりと現れた。村長はびっくり仰天した。白いヘビといえば、村でまつっている神様だったからだ。

 かさをくれたことへのお礼か、その年の村はおどろくほどの豊作だったという。


「――そして、そのかさはほこらで神様のようにまつられるようになったの」

「じゃあ、やっぱり特別なかさですよ」

「それがそうでもないの。本当はね、かさづくりの名人がかさを運ぶ途中で一つ落としてしまったの。村長から数が足りないって言ったときに、つい神様にあげたってうそをついた。それで、村長が確認しに行って、道の途中でかさを見つけて、その下からヘビが出てきたことまでは言い伝えと一緒。でも、そのヘビはふつうのヘビだったの。村長は高齢で目が悪かったし、あの日は日差しが強かったから光のせいで白く見えただけ。その年に豊作になったのは、ただの偶然よ。かさは本当にふつうのかさだった」

「そうだったんですか。じゃ、うそから神様が生まれたんですね」

「そうなの。人っていいかげんよね」


 その人はその昔の人に対して怒るように、むっとした顔をしている。今目の前にいない人に対して腹を立てている姿がおもしろくてつい笑うと、女性も怒った顔からふふっと笑い出した。

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