18歳のワルツ

日笠しょう

18歳のワルツ

 腰を軽く捻り、右足の踵だけ少し浮かせて身体のラインに動きを出す。親指と人差し指を立てて銃のハンドサイン。そのまま両手を頭の上に、うさぎの耳みたいに持ってきて、ポーズ。


 はい可愛い。




 わざわざ炎天下のなか農業体験なんてせずとも、縁の下の力持ちである農家さんのありがたみは重々わかっているつもりだ。小さい頃は箸をつける前のいただきますを欠かさなかったし、ご飯粒一つ残したことだってなかった。

 それを偉い人はやれ今の若い子は自然を知らない昔を知らない社会の何たるかを知らないと勝手に世間知らずのレッテルを貼り、今の私たちがどんな流行りに興味があるかなんて針の先ほどの知識もないくせに自分の価値観ばかりを押し付ける。ちなみに今は10年ぶりのプチ裁縫ブームだよ。自分だけの編みぐるみを作るのが流行ってる。なんならちょっと上の子とか、教育方針を決めてるおじさんたちより針の使い方は上手いまである。

 味気のない東京からバスで揺られてそろそろ1時間。毎日ジャンクフードか野菜だけかの違いで、都会にいようが田舎にいようがそこに居続ければ刺激が減るのは変わらないと思う。むせかえんばかりの緑の匂いに心は躍らない。空気が綺麗だとも思わない。不意をつく肥やしの匂いはもはやテロでは?

 受験勉強に疲れた息抜きに、と先生方は我々受験生の貴重な1日をありがたくも農業体験なんて校外学習に充てがってくれたのだ。普段しないことを行うのがリフレッシュに最適と考えるなら普通に休みにしてくれた方が良い。珍しく、勉強しないで寝てみせるから。

 バスのなかのクラスメイトは思い思いの時間を過ごしている。まあいて当然と単語帳を熱心に読み耽る人、やけになったのかテンション高く笑う人。教室にいるときと変わらず、見てるのか見てないのか窓の方に顔を向けて全く動かない、後ろ髪が長く伸びた、私の好きな人。

 いつも何を考えているのか、教室で話しかけても、軽く肩に触れてみても、降ろした前髪が揺れて隠れていた両目が一瞬こっちを見たような気がするだけで反応はなし。友人らしき人たちと話している光景に出くわしたことあるけれど、やっぱり静かで、彼の表皮1センチのところまでは全部時間が止まっているみたいで、雪女ってそういう感じなのかなと思った。

 オールシーズン窓際の席に座っているイメージを持たれがちな彼だけど、実は席替えのたびに教室のあっちこっちに移動している。前の方の席の時はじっと黒板の上のスピーカーあたりに鼻先をむけているし、廊下側の時は壁の掲示と睨めっこしてる。後ろのときはわからない。わざわざ振り返るのはちょっと……。でもプリント配る時、ふと視線に入る彼はいつも俯いていた。

 一度だけ近くの席になったことがある。彼が窓際で、私がその斜め後ろの席だった。他のクラスメイトは誰が隣になったで大騒ぎなのに、彼は雪の積もった寒村のようにしんとして、少し怖いくらいに気持ちを感じることができなかった。

 友達に聞いても知らない、よく分からない、そんな人いた? の三拍子。全然近づけなくて、あなたの周りをワルツのようにくるくる踊るだけ。

 だから、今、この瞬間。生まれて、初めて、それくらい。どきどきが、止まらないのです。変な調子。

 たぶん誰かが邪推して。いらない気を利かせてバスの席決めのくじ引きを弄ったのだ。

 彼と私、2時間弱の隣同士。会話はまだ、ないみたい。

 喋った、気もする。朝バスに乗って、先に彼が座っていた。私は失礼、とか、ここいい? みたいに声を掛けた。彼の返事は全然言葉になっていなくて、息を吐いただけのように思えて、悲しすぎるので初めての会話にはカウントしないこととする。

 あまりの恋愛ベタに女子高生として自信を失いそうになるが、恋に時間捧げるJK業は数ヶ月ほど休業しているので仕方ない。受験勉強が憎い。

 私の、きっとかけがえのない時間を将来のために使わなくてはいけないのだって、社会の仕組みとしては理解しているけれど、本当に元が取れるのか、それこそ自信がない。今この瞬間の1秒が、この先50年を引き換えにしても割に合わないような、そんな気だってするのだ。いつか遠い未来、後悔するに決まっている。ここでしなかった決断が、これから全ての私にのしかかって、雨が降った後のローファーの中みたいに嫌な気持ちを引きずっていくのだろう。

 ただ、どちらの選択が後悔になるのか、それが分からない。

 彼の席の横を通りがかったとき、偶然進路希望届を見てしまった。いや、言い訳はやめておこう。もしかしたら見られるかもとあえて横を通ったのだ。目論見は成功した。見なきゃよかったと思った。

 そんなに頭が良いとは知らなかった。私がもう2回くらい高校生をやり直しても到底入れないだろう、日本で一番頭の良い大学の名前が書いてあった。

 たぶん何もしなかったら、私とあなたの人生は交わることなんてないのだろう。それは良いことなのかもしれない。だってきっと、辛いだけなのだ。

 気まぐれにJK業を再開した放課後のマックで、友達に今から始める恋愛についてたずねた。未来はあるのか、明るいのか。それともなかったことにしておいたほうが身のためなのか。

 誰も答えてくれなかった。後半は私を慰める会だったから。

 未来がないとか、不毛だとか、そういうのは関係ない。そんなことを考えていたら、受験勉強だって同じじゃないか。

 きちんと勉強して、襟を正して、時々嫌なことに目をつむって。そうして大通りを歩いたほうが概ね上手くいって幸せになれることは知っている。それに逆らうつもりもないし、一発逆転を狙って茨道をショートカットする度胸もない。

 だけと好きなお店を見かけたときに、少し寄ってみるくらいのゆとりはあってもいいんじゃないかと思う。私は別に地図をつくっているわけじゃない。ただ歩いて距離を測って、振り返ってああまっすぐだったって。それはごめんだ。

 たとえこの後に悲しいお別れが待っているのだとしても、悲しいかどうかは今後の二人次第ではあるけれど、もしかしたら続くのかもしれないけれど、まあ若い二人が社会に出てそれはないとは思うけど。

 今、動かないのだけは違うんじゃないかな。

 編みぐるみが流行った裏にはJK界のご多分に漏れず恋愛がらみの話題がある。好きな人の編みぐるみをつくって渡して、自分に似せたのも持ってペアルックするのがいじらしくてかわいいねと、大ウケしたのだ。車輪を再発明してついでにデコるのが私たちなのだ。

 窓の外を見る、彼を見る。

 改めてとはなるけれど、これからもちゃんと農家の人々に感謝してごはんを食べると思う。こんな機会をつくってくれてありがとう。今じゃなきゃ、私は永遠にこの編みぐるみを鞄に忍ばせたままでした。卒業してからも、ずっと。押し入れの中に鞄をしまい込んで、その奥底に編みぐるみが眠ってしまって、忘れた頃に思い出して、甘酸っぱい思い出だったと懐かしむのだろう。何もしなかった自分を慰めるためだけに美化するのだろう。

 あなたのために、髪を巻いてきたんです。どうせ昼過ぎには落ちちゃうと思っていたけれど、しっかり化粧もしてきたのです。内緒でお母さんの香水もつけちゃったんです。鏡の前で何回も見直して、だけど自信がつかなくて。渡せるかな、受け取ってもらえるかなってぐるぐる回って。それより何より話しかけられるかなって。


 あなたは一度も私を見ないけれど、それが照れ隠しだったらいいなって、ちょっと思っている。目、合わなすぎだよ。普通、合うと思うよ。ねえ、少しだけ話そうよ。せっかくだから、ね。


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18歳のワルツ 日笠しょう @higasa_akira

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