第3話 ホムンクルスと錬金術師③
扉を開けてまず目に飛び入って来たのは、『地上』へと続く『階段』だ。階段。そして地上。それってつまり、僕が今までいたところって『地下』だったってこと!?
僕はそのひらめきに急いで階段を登って、今いた場所を見下ろそうとしたけれど、その石階段はちょっと傾斜がきつくて小さな僕には両手両足を使って一段一段登るのが精一杯なものだった。
すると、その様子を見ていた錬金術師は僕を軽々と抱きあげて、なんの苦もなくそれを登りきる。
僕はその様子をただ見下ろして不満げに思っていたけれど、その不満も外の景色が広がるにつれてなくなっていった。
階段の先は大通りへと続いていた。大きな『アパートメント』だろうか、集合住宅のような、大きなひとかたまりの建物に囲まれた道は、細かい石を敷き詰めたような『石畳』で出来ている。通りの建物によって長く細く切り取られた『空』は青く、澄み渡っている。遠くでは時刻を知らせるためだろうか、『鐘』の鳴る音が聞こえていた。
僕はあたりをキョロキョロとあたりを見渡していると、すぐに目に留まった『看板』を指さした。
「あれは、なんてかいてあるの?」
その形は僕がよく知るものだった。僕がずっと見てきた形、フラスコだ。
「薬屋メルクリウス、と書いてある」
「メルクリウス?」
「俺の名だ。普段はここの1階で薬屋を営んでいる」
メルクリウスは僕を地面に降ろしながらそう言った。
「薬屋?薬師ってこと?錬金術は?」
「それは裏の顔…とでも言おうか。まあ、あまり大っぴらに言うような職業ではない」
そうなんだ…。錬金術ってもしかして『禁術』的なもの?僕がそう思案しているとメルクリウスはもうすでにずっと前にいて「おいてくぞ」と言うものだから、僕は考えるのをやめて、駆け足で彼のあとについていった。
大通りはめまぐるしいものだった。僕は周りのものすべてが気になって仕方がなかったけれど、それには目もくれず、メルクリウスの背中を追いかけるのに必死だった。
というのも、彼に着せられた大きなローブが歩くたびに足元にまとわりつくので僕はついていくのがやっとだったのだ。
ついに僕はそれを思いっきり踏んづけてしまって、次にくる強い衝撃を予感する。『転ぶ』…!
僕は転び方の対処法を知らなかったので、思わず目をぎゅっと閉じてしまったのだけれど、ぽすり、と変に空気が抜けたよう音と、ついぞ感じることのなかった衝撃が来ないことに驚いて、恐る恐る目を開けた。
いつまに近くにいたのだろう、僕はメルクリウスに支えられたということを理解した。
「…待ってほしいなら、待ってほしいと言ってくれ」
メルクリウスはぶっきらぼうにそう言うと僕の手を握り、さっきよりもずっとゆったりとした足取りで再び歩き出した。
僕はすれ違う人たちの中に、僕たちと同じように手を繋いでいる『親子』や、並んで歩く『家族』を見つけると、メルクリウスの背中を見つめた。
僕たちも他の人たちからは親子のように、家族のように見えているのだろうか。
僕はメルクリウスの硬い手の中の熱を確かめるように感じていた。
メルクリウスは通りの店には目もくれず、慣れたように脇道に入ると見知った場所なのだろう、ドアのベルを鳴らした。
「親父さん」
「へい兄ちゃんいらっしゃい!………って、兄ちゃんあんた子持ちだったのかい?」
「ああ、アルヴィトル」
メルクリウスは僕の背中をそっと押し出し前に出させる。
僕はどうして前に出させられたのかがわからなくてメルクリウスを見上げると、「挨拶」と促されるので僕はこれであっているのかと不安になりながらも、目の前の男に挨拶をした。
「こんにちは」
「やあ、こんにちは、俺はベルノルトって言うんだ、雑貨屋の店主をしている。坊やの名前は?」
「僕は、僕の名前は…アルヴィトル」
ベルノルトという男は髭面の快活そうな男で、ちょっと萎縮してしまったけれど、メルクリウスに「かわいらしい子じゃあないか」と声をかける調子の良さそうな声を聞いて僕はほっと胸をなでおろす。
「親父さん、以前成人した息子さんの子供の頃の服を処分するって言ってなかったか?よかったらそれを譲って欲しいんだ」
メルクリウスが懐から何かを取り出そうとしているのに気がついたベルノルトは慌てたように彼を止めた。
「いらんいらん、金はいらんよ。どうせ処分しようと思っていたものだし、売れるような品じゃない。そんなものに、うちのイルマにも良くしてもらっている先生から金を取ろうっていうんじゃ天国のかみさんにも怒られちまうよ」
雑貨屋の店主は僕の方に向き直ると「うちの末の娘のイルマは風邪っぴきでねえ、先生にはよくお世話になるんだ。年も近いだろうから仲良くしてやってくれるとありがたい」と、声をかけた。
僕は早速譲ってもらった古着をベルノルトに着させてもらっていると、先程噂していたイルマという子だろう一人の女の子がくまのぬいぐるみを引きずりながら店の奥から顔を出す。
「おお、イルマ、起きてきたのか丁度いい。先生んとこの息子のアルヴィトルくんだ」
イルマという少女は起きてきたばかりのようで、眠そうに目をこすりながら僕の目の前までやってくる。
「あるくん?」
「…こんにちは」
イルマは僕のこんにちはには返答をせず、メルクリウスを見上げると
「ねえわたし先生のところ、先生しかみたことないよ。あるくん、あるくんのお母さんは?」と言った。
『お母さん』? お母さんは…、僕はイルマにつられてメルクリウスを見上げた。メルクリウスはイルマに目線を合わせると「いないよ、アルヴィトルにお母さんはいないんだ」と僕の代わりに優しい口調でそう答えた。
「あるくんもお母さんいないの?」
「うん…、いないみたい…」
「イルマと、一緒だね」
イルマはそう言って笑ったけれど、それはどこか哀愁が漂うものだった。
「ねえ、あるくん。あるくんのところにも、くまさん、きっとくるよ」
帰り際、イルマが僕の袖口を引っ張って耳元でささやく。くまさん? 僕はどういう意味なのかがわからず振り返ったけれど、僕はメルクリウスに手を引かれ、遠くなる店先で僕たちを見送るイルマの姿をずっと見ていた。
僕はホムンクルス はなぶさ @hanabusato
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