第10話 真相と終わり


 未央の自白もあり、とりあえず七人はそのまま警察で拘束された。動機も方法も、おおよそ天ヶ瀬が考えていた通りだった。ほとんどの人が未央と同じように、自身の犯行を認めた。いくら復讐という理由があったとしても、人に手をかけた事実を正当化出来ない。きっと、今でも夢を見ているはずだ。


 こうして、前代未聞の殺人事件は解決した。天ヶ瀬がいなければ迷宮入りしていたかもしれない。蒜山は感謝しきっていたが、対する天ヶ瀬はあまり喜んでいなかった。

 むしろ、あれからずっと塞いでいる。特に依頼がないので、一日のほとんどを椅子に座り外を眺めて過ごしていた。まるで魂が抜けてしまったみたいだ。事件が、彼になにか影響を与えたのは確実である。

 このまま、抜け殻のようになってしまうのではないか。そう心配しながら見守っていた時、突然天ヶ瀬は覚醒した。

「……もう少し、この事件を弔うために話をしましょうか」

 話が長くなりそうな気配に、僕は紅茶を用意した。すでに天ヶ瀬は飲んでいたのだが、冷めてしまったので二人分だ。用意していても文句を言われなかったので、動くのが面倒だったのかもしれない。

「事件はもう終わったのに、まだ何かあるのですか?」

 お茶を飲んで一息つく。抜け殻だったのが嘘かのように、彼は静かにだが興奮している。容疑者が捕まり、事件は終息したはずだった。しかし、まだ話が残っているらしい。あの時話せなかったことが。僕だけにしか聞かせないのは、きっとそういう理由なのだ。

「あの後、蒜山刑事からこちらが渡されまして」

 そう言って差し出されたのは、たくさんの花が描かれた表紙の手帳だった。ローマ字でDIARYと書かれている。

「これは誰の日記ですか?」

「雫石茂子さんの日記です。樋口聖子さんの部屋を片付けている際に見つかったもので、随分と巧妙に隠されていたせいで発見が遅れてしまったそうです」

「わざわざ見せてくるということは、中に凄いことが書かれていたわけですね」

「はい。大事な部分には目印をつけてありますので、そこを読んでみてください」

 手渡されたそれには、たくさんの付箋で目印がつけられていた。僕は促されるままに手帳を開く。


 今日は右手の調子が悪い。痺れて物を持つのが難しい。手のひらにある傷のせいだ。ずっと昔の傷なのに、こうして時々痛みや痺れを訴えてくる。

 この傷をつけられた日のことは、よく覚えている。悪ふざけをしていただけと言えばそれまでだ。しかし、哲君が振り回していたハサミが、私の手のひらを切り裂いたのも事実だった。血がどくどくと流れて、それでも私は泣くことが出来なかった。哲君の方が驚いて泣いてしまったから、先に慰めるしかなかったのだ。そのせいで手当が遅れた。今でも痛む。その時は、哲君の顔が浮かんだ。思い出したくないのに。


 近所に住む佐々木さんと、ゴミ出しでトラブルになった。私の言っていることが正しいのに、向こうは大きな声を出してうやむやにしてくる。嫌な人だ。前にも同じことをする子がいた。

 朋子さん。彼女は学級委員をしたり、授業中も積極的に発言したり、真面目な子なのだが癇癪を起こすと手がつけられなかった。大きな声を出して、こちらが何を言おうと聞く耳を持たない。そうやって、自分の言い分を無理やり押し通すことが何度もあった。まるで女王様。


 町内会で意見が合わず揉めてしまったのだが、みんな私ではなくて向こうの味方をした。理由は分かっている。彼女が美人だから。美人は得だ。味方をしてもらえる。男は単純。微笑まれるだけで、命を差し出せるぐらいに夢中になってしまうのだ。

 あかりさんの時がそうだった。彼女は面倒なことを全て、いつも周りを取り巻く男の子にやらされていた。上目遣いをすれば、なんでも言うことを聞かせられた。あまりに酷かったから、一度それとなく注意した。

 次の日、何故か私が理不尽に責めたことになっていた。同僚の男性も、あかりさんの味方だった。謝罪をするまで、この状態が続いた。私の中にあった何かが壊れた気がした。


 こんな年になっても、変に執着されることがあるのか。町内で変人と避けられている田中さん。中学生に絡まれていて、たまたまその場に通りかかったので助けた。特に他意はない。しかしそれから、家の外からじっと見てくるようになった。こういうのをストーカーというのだろう。あまりに気味が悪いので、交番に行って相談してみたのだが、実害がないとどうにも出来ないと言われてしまった。今のところは見ているだけかもしれないが、いつそれが暴力に変わるか分からない。向こうは理不尽な考えしか持っていないのだから。

 瞳さんのことを思い出す。彼女もストーカー体質だった。少し優しくされると、自分の理解者で救世主だと思い込む。担任になったのが運の尽きだった。普通の生徒と同じように接していたはずなのに、何を勘違いされたのか好かれてしまった。

 それからは最悪だった。どこに行くにも後ろをついてきて、ただただじっと見つめてくる。誰に相談しても、好かれてよかったじゃないかと言われ、訴えを真剣に取り合ってもらえなかった。その次の年に、学校を異動できたから助かったけど、そうじゃなかったらと考えると……好かれるのもいいことばかりではない。


 誠意のある謝罪が欲しかっただけなのに。久しぶりに外で食事をした。ショッピングモールに用事があり、予想よりも時間がかかってしまった。あまり外で食べるのは好きではないけど、家に帰ると中途半端な時間になってしまうと思い、フードコートに初めて行ってみた。色々な種類のお店があって、迷ったがおそばの店に決めた。注文を受けている際の店員の態度が気になったけど、アルバイトだから仕方ないと我慢した。注文が終わり空いている席を見つけて待っていたのだが、いつまで経っても料理が来ない。そうしている間にも、私より後に店に行った人の注文の品が次々と出来上がっている。さすがに遅い。そう思い、まだかと聞きに行った。信じられないことに、店員は私のことを覚えていなかった。注文時の態度を含めて注意していると、反省した様子もなく面倒くさいとばかりに聞いていた。その態度が良くない。段々と強い口調に自然となってしまい、責任者を出してほしいと伝えれば、何故かサービス券を渡そうとしてきた。これでいいでしょとも言ってきた。その時の衝撃といったら、今でも怒りがおさまらない。本当に信じられなかった。

 澪君を思い出す。私の子供を……お腹にいた子を、不注意だったとはいえ、廊下を走っていたせいで殺した。いきなりぶつかってきた時、何がなんだか分からなかった。お腹の痛み。すぐにそれが襲ってきたからだ。病院でお腹の子がいなくなったと聞かされた時、全てがどうでも良くなった。赤ちゃんと一緒に、私の心も空っぽになった。この事件は完全に澪君のせいだった。それなのに、大した謝罪もせずに慰謝料を渡して終わらせようとしたのだ。別に許すつもりだった。事故だったのだから。しかし、その瞬間一生忘れられなくなった。一生許さない。お金も突き返した。もしも会うことがあれば、私は……


 被害者ぶりたいのなら勝手にしてほしい。こちらの差し伸べる手をとろうとしないくせに、何もしないと非難の目を向けてくる。こちらが悪いことをしていると言いたげな顔をして、助けを申し出るのを待っている。しかし決して、状況を変えるつもりはない。弱者である自分に酔っているのだ。可哀想な自分、悲劇のヒロイン、同情されるのが快感になる。近所に引っ越してきた島田さんは、明らかにDVを受けていた。暑い日でも長袖を着て、本人は転んだと言っている顔に青あざが出来ていたこともある。絶対に旦那さんに殴られているせいだと噂が立った。私達は、何度も島田さんに警察に行くべきだと勧めた。しかし彼女は困ったように微笑むだけだった。彼は悪くない。本当は優しい、いい人なんだ。典型的なDV被害者の言葉だ。当人に救われたいという気持ちがなければ、こちらも段々と付き合うのが苦痛になる。勝手にすればいい。そう思って心配するのを止めれば、その途端これみよがしに怪我を見せつけてきた。しかし助けようとすると、また拒否する。堂々巡りだ。前にもこんなことがあった。

 晴香さん。彼女は目立つグループに所属していたが、友達ではなく虐げられる立場だった。悪口を言われたり、物を隠されたり、やりたくないことを強要されたり、どう見てもいじめられていた。私は彼女を一人呼び出して、何度も聞いた。間に入ることで険悪な関係にならないために、慎重に助けようとした。しかしそれを、一番拒んだのは晴香さんだった。私は大丈夫です。何も問題はありません。そう言って拒むくせに、見守っていると非難の視線を向けてくる。どうしてほしいのかと、詰め寄りたくなった。そんなやりとりを一年ほど繰り返して、学年が上がった時に別のグループに入ったから良かったけど、この時期はずっと胃薬が手放せなかった。こんなことを考えるのは性格が悪いかもしれないが、本当に面倒くさかった。


 たとえ悪意がなかったとしても、人を傷つけたら罪だ。私はそう思う。私には子供がいない。旦那とも仕事のせいで別れた。仕事は好きだった。子供も可愛かった。天職だったと自信を持って言える。しかし、私だって人間だ。完璧なロボットではない。それを分かっていない人が多い。何を言っても優しく受け入れてもらえると、そう思われている。どちらかと言えば怒らない方だ。しかし限度はある。その場では、本人の前では我慢して抑えたが、決して許したわけではなかった。むしろ思い出すほど、彼らに対する感情は強くなっていく。仕事を優先していった結果、私には何も残らなかった。この歳になって、子供も孫もいない。教え子達からは、時々手紙などの連絡は来る。とても嬉しい。それと同時に虚しくなる。私と恩師だと慕っていてくれたとしても、思い出してくれる時間は少ない。毎日でも一緒にいてくれる人なんていないだろう。その事実が、私の全てを捧げてきた結果だと考えると泣きそうになる。もう取り戻せないが。

 先生は子供がいなくて寂しくないの? そう聞かれたことがある。随分と複雑な家庭環境だったから、気にかけていた生徒だった。病気のお姉さんの面倒を見るしかなくて、色々なことを我慢していた。溜め込んで爆発しそうで、暇な時間に吐き出させる目的で相談に乗ってあげた。どういう話をして、そんな流れになったのかは覚えていないが、私が昔結婚していて子供はいないことを話した。それでも、みんなといられるから幸せだと言った。しかし未央さんは顔をしかめた。私は、そんなの無理。結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築きたい。先生は、子どもがいなくて寂しくないの? と。寂しいに決まっている。我が子をこの手で抱きたかった。自分の子供が欲しかった。その場では当たり障りのない言葉でごまかした。それから、ずっと私の胸に言葉が突き刺さっている。彼女に悪気はなかったのだろう。例えそうでも、一番許せなかった。私の人生を否定された。馬鹿にされた。……駄目だ。考えると、どんどん気持ちが落ち込む。嫌な思い出ばかり蘇ってしまう。辛い。気分転換したくても、動くことすらおっくうだ。このままだと良くない。誰かに相談してみよう。病院で診てもらうのもいいかもしれない。そういえば、ちょうど聖子さんの夫が精神科医だったと聞いた。知り合いの方が話しやすいかもしれない。


「天ヶ瀬……これは……」

 日記の中身を読んだ僕は、信じられない気持ちで天ヶ瀬を見た。予想通りの反応だったらしく、彼は小さく頷く。

「それが、事件の全てですよ」

「つまり、みなさんが選ばれたのも復讐のうちだったと?」

 標的は樋口だけではなかった。いやむしろ。

「その中で名指しされていたのは彼らだけでした。つまりはそういうことです。日記は、ここだけのものにするつもりです。公表したところで、どうなるのか結末は目に見えていますから」

 僕の手から日記をとると、そっと表紙をなぞる。壊れ物を扱うような手つきに、僕は少し考えた。

「これが公表されるのも、復讐の一つだったのでしょう。いえ、そうすることで完成となります。聖子さん、茂子さん、二人だけの復讐が」

 拘置所にいる彼らを思った。自分達が駒の一つだったと知らず、ある人は苦しみ、ある人は復讐を達成したと勘違いして満足している。そう考えると苦しくなった。

 公表しないと言ったが、いつかこの事実を彼らが知ることになる。そんな予感がした。

「あの、質問してもいいですか?」

「いいですよ。なんでも聞いてください」

「……天ヶ瀬は、いつからこの事件を操作していたんですか?」

 この質問は、口に出す瞬間まで聞くかどうか迷っていた。しかし、聞かないと僕の中で消化不良のままで終わってしまう。

「どういう意味でしょう?」

 僕の質問に気を悪くした様子もなく、いっそ不気味なほどに笑っていた。逆にこちらがひよりそうになるが、これも小説のためだと自分を奮い立たせた。

「最初から、ずっと天ヶ瀬は変でした。いつもだったら、解決するのにこんなにも時間がかかるはずがありません」

「それは買いかぶりすぎでしょう。私だって、上手くいかないことはあります」

 おかしい。こんなふうに自分を下げて言うのも。ますます僕の中でおかしさが膨れ上がった。最初から最後まで、ずっと変だった。

「そんな消極的なことを言うなんて珍しいですね。しかし、本当に今回の事件に関しては、天ヶ瀬の能力が半分も発揮されていませんでしたよ」

「半分でも事件を解決した私はすごいと思いませんか?」

「茶化さないでください。本気で話しているんです。事件が交換殺人だったことに、早い段階で気がついていたのではないですか? それこそ、関係者に話を聞いている時にはすでに。それなのに止めなかった」

「君は何が言いたいのでしょう」

「こうなるのを予期していて、そしてその手助けをしていたと、僕は考えています」

 そう考えれば、色々なことの辻褄が合う。すぐに事件を解決しなかったことも。人を煽るだけ煽っていたことも。事件に関わる重要な発見があっても、それについて詳しく考えようとしなかったことも。樋口さんが死ぬまで待っていたことも。その全てが納得できてしまう。

「私が、人が死ぬのを見過ごしていたと?」

「そういうことです。どうして、そんなことをしたんですか? もっと早く止めていれば、こんなに人が死なずに済んだはずです。苦しむ人も減ったはずなのに」

 自然と責める口調になった。不満を訴えるように視線を向ければ、彼は眉を下げた。

「……もしも、私が認めたら君はどうするつもりですか」

「理由しだいですね」

 しばらくの間、答えはなかった。どう言えば穏便に終わるのかと、そう考えていたのかもしれない。ごまかされるかとも思った。そうなったら、すぐにでも彼の前から立ち去っただろう。

「……私は、聖子さん、茂子さんのために、この事件を最後まで進めたかったのでしょうね」

 彼はどこか他人事のように、結局本当のことを言った。悲しげな表情は、僕が糾弾すると覚悟しているからか。

「そうでしたか。復讐を達成させたかったのですね。分かりました」

「……それだけ、ですか?」

「それ以外に何かあります?」

 首を傾げると、天ヶ瀬が困惑する。その様子が珍しくて、思わず笑ってしまった。

「蒜山刑事にこのことを話したりは」

「話したところで困らせるだけでしょう。きっと聞かなければ良かったと後悔させるだけですよ」

「責めたりはしないのですか?」

「少し勘違いしていますね」

 僕は天ヶ瀬の手を握った。そして視線を合わせる。

「僕は天ヶ瀬を一番に思っています。あなたがしていることを、僕は全て受け入れるつもりです。それでいいでしょう」

「君は、本当に私を驚かせますね」

 僕が本心から言っていると伝わったようで、天ヶ瀬は体から力を抜いた。

「紅茶を飲みますか?」

「はい、ぜひ」

 これで話は終わりだという合図だった。立ち上がった天ヶ瀬は、紅茶を淹れるためにキッチンへと向かう。その後ろ姿を眺めながら、僕はテーブルに置かれた茂子さんの日記に視線を移す。彼女は、この結果に満足しているのだろうか。すでに亡くなっているが問いかけたくなる。しかしどんな答えだとしても、僕は満足しないだろう。


 この小説を読んだ後に、天ヶ瀬のやったことを非難しようとしても無駄である。すでに終わっていることだ。それに、ここに書いたことの全てが真実だとは限らない。余計な考えを持たないよう、最後に一応忠告しておく。

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殺意の環 瀬川 @segawa08

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