第9話 対峙
翌日、天ヶ瀬によって事件の関係者が集められた。突然のことだったのに呼び出した全員が集まったのは、真犯人が分かったと伝えたからだ。世間では樋口が犯人だったと騒いでいる中で、そんなことを言われれば興味を引かれるのも当たり前である。
場所は蒜山に協力してもらい、警視庁にある会議室を使う流れとなった。最初は僕達の家にする予定だったが、人数が人数だったために、広い部屋にした方がいいと判断した。
集められた人達は、みんな不安そうな戸惑いの表情を浮かべている。誰を集めるのかは伝えなかったので、部屋にいる人達の共通点が分からず困惑しているのだろう。それぞれが一定の距離をおいて、天ヶ瀬が来るのを待っていた。
呼び出した時刻よりも遅くに行ったのはわざとだった。集まった人達の様子を見てみたいと天ヶ瀬が考えたからだ。扉の隙間から様子を窺って満足すると、あえて大きな音を立てて中へ入った。
「お待たせ致しました。お集まりいただきありがとうございます」
こんな状況にはそぐわないぐらいに明るい声で、ことさらゆっくりと歩いていく。その姿を多数の視線が追った。
用意してもらった部屋は会議室の一つなのだが、刑事ドラマでよく見るタイプである。ホワイトボードの前に長テーブルが二つくっつけられていて、そしてそれに向かい合うように一定間隔で長テーブルが並べられている。集められた人はそちらに座っていた。
そして天ヶ瀬、その後ろに僕、蒜山が続いてホワイトボードの前にある長テーブルの方に座った。天ヶ瀬が入ったことで、何人かが立ち上がりかけたが手で制す。
「みなさん、すでに知っていると思いますが、先日樋口浩三さんがお亡くなりになりました。その際の状況から、彼が連続殺人事件の犯人だと考えられています。しかし、私はそう思っておりません」
その言葉に反対する声が出た。しかし、それも天ヶ瀬は手を軽くあげて制した。
「落ち着いてください。話をする前に、まずはみなさんの紹介をしましょう。お互いに誰が誰だか分からない状態ですと、話に集中が出来ないでしょうから。すでに察していると思いますが、ここにおられるみなさんは今回の事件の関係者です」
天ヶ瀬が呼び出した人は、全部で七人。伊藤哲、小松未央、篠原澪、三宅晴香、レイラこと安達あかり、高橋瞳、宮川朋子。見知った顔もあるが、初めて見る顔もある。おそらく高橋瞳だ。彼女は公園で絞殺された片岡薫のストーカーをしていた疑いがあり、容疑者の最有力候補だった。しかしアリバイがあったため、逮捕には至らなかった。ここにいる中で一番、自分がどうして呼ばれたのか分かっていない。体を小さくさせて、何とか存在を消そうとしている。
高橋は、とても可愛らしい女性だった。一度も染めたことが無さそうな黒髪をツインテールにし、フリルをふんだんに使った太もも中間までの短さのワンピースを着ていた。目元を赤く染めた化粧は、まるで泣いたあとのようだった。可愛いが、どこか危うい雰囲気がある。見た目で判断するのは良くないとしても、ストーカー気質を感じた。
片岡が殺された事件は、天ヶ瀬によって連続殺人事件とは関係なしと判断したはずだ。呼び出す時も、蒜山が本当に高橋にも連絡するのかと何度も確認したが、取り消されることは無かった。
そういうわけで七人を呼び出して、それぞれの名前を簡単に紹介した。誰だか分かったところで、自分達が集められた理由の全てを把握したわけでは無い。不安が解消されない中、天ヶ瀬はほだらかに話を始めた。
「さて。ここにいる人の名前が分かったところで、さっそく本題に入りましょうか。私はまだ事件が終わっていないと考えています。そして今から、全ての真相を解き明かしましょう」
優雅に頭を下げて、人々の反応を見た。全員、天ヶ瀬から目をそらさずに、どんな話をするのか待っている。しかし反論をする気満々なのが伝わってきた。すでに、樋口が犯人ということで結論を出しているらしい。これから、どんな余計な話をするのかと、どこか呆れまじりに見守っていた。
「私がこの事件に関わるようになったのは、第五の事件が起こった後でした。隣にいる蒜山刑事から詳細を聞いて、どこか違和感がありました。それは、事件が進んでからもずっと変わることはなく、むしろどんどん大きくなっていったのです」
今回の事件では、ずっと天ヶ瀬の様子はおかしかった。いつもと違う行動をすることがあり心配していた。それが事件のせいだとも分かっていてもだ。
「事件が起きて、すぐに有力な容疑者が見つかりますが、その人達は全員、犯行時刻に完璧なアリバイを持っていました。あまりにも完璧すぎて怪しいぐらいでした」
「なんだ? それじゃあ、俺達が怪しいって言いたいのか?」
天ヶ瀬の話に反応したのは伊藤だった。今日は仕事が休みなのか、それとも辞めたのか私服だった。ヨレヨレのポロシャツにすりきれたズボン。無精髭が伸びていて、髪もくしでとかしていなさそうだ。落ちくぼんで淀む目で睨みつけながら、口元を歪めた。ここが警視庁でなければ、飛びかかっていたかもしれない。しかし蒜山がいるから、文句を言うだけにとどめている。
「俺のアリバイが嘘だって言うのか? 犯人はお偉い先生だったんだろ。現行犯だったのに、なんで犯人は違うって思うんだよ。難しく考えようとして、ひねくれているんじゃないのか? こっちにも迷惑がかかるから勘弁してくれよ」
天ヶ瀬が、意味もなく場をセッティングしたとばかりに非難してくる。怒らせる作戦の成果だ。何をしても否定的に受け止められてしまう。伊藤の非難に便乗するように、様子を窺っていた人達も口を開いた。
「あなたには随分と失礼なことをされたけど、さすがにもう少し頭のいい人だと思っていたわ。でも、私の買いかぶりすぎだったみたいね」
未央は、こちらと協力関係にあったことは隠しておくつもりらしい。わざわざ自分の立場を不利にする話を言ったりしないだろう。元々打算的な人だったから、何も不思議なことではない。そして責める気もない。こちらも完全に信頼をしていたわけではないから。未央の冷たい視線に、天ヶ瀬は微笑みを返した。
「みなさんの訴えはごもっともです。今の状況では、私が無駄なことをしているように捉えられるでしょう。何故か、みなさんにはずっと嫌われていまして。誤解があるみたいで悲しいです」
誤解も何もという空気が広がる。しかし天ヶ瀬は気にしない。まるで文句など言われなかったみたいに話を続けた。
「さて。言い争っていても、それこそ時間を消費するだけです。完璧なアリバイを持っている方々が、こんなにもたくさんいらっしゃるとは。偶然だとしたら、みなさんはとても運のいい方々です。もしアリバイが無ければ、もう少し生活が煩わしいものになっていたでしょう」
「アリバイがあるから怪しい? 本当にひねくれているな」
篠原は鼻で笑った。彼も協力関係だったことを隠すつもりらしい。今日で関係を断ち切るだろう。天ヶ瀬を敵として見ている。
話をするたびに、どんどん嫌われていく。当事者ではないから、こうして冷静に観察していられるが酷い状況だ。七人からの嫌悪のこもった視線を向けられて、平常心でいるのは天ヶ瀬だからこそだ。むしろこの状況を楽しんでいる。視線を向けられれば向けられるほど、注目が集まっていると前向きに考えられる思考回路のおかげである。
「落ち着いてください。私の話を全て聞いてからであれば、どんな非難でも受け入れましょう。まずはお付き合いしてもらえますか?」
下手に出ているようで有無を言わさない。相手が肯定の返事をするまでは、引き下がるつもりは無さそうだ。今回は、相手が諦めるのが早かったので、大きなトラブルには発展しなかった。ただ単に、嫌がらせをするために呼び出したつもりではないと伝わったらしい。
「完璧なアリバイがあること。そして初めて会った時のみなさんの様子で、疑いを持つようになっていました。話をするみなさんの中には、不安がほとんど感じられませんでした。自分が疑われていると分かっていながらも、絶対に安全だという自信を持っていました。例えば、被害者に対する動機になりえそうな負の感情を隠そうとしないところです。やましいことがあってもなくても、普通ならば隠そうとするでしょう。嫌いあっている証拠もありました。アリバイがあるからこそ、知られても構わなかったわけです」
「わ、私が殺したと言っているのですか? 確かに夫には暴力をふるわれていましたけど、殺すなんて……そんな恐ろしいこと」
顔を青ざめさせた晴香が、涙を耐えながら反論した。初めて会った頃と比べると、随分と強気になった。自分の意見を言えるようになり、成長を感じさせる。事件のおかげで一番変化があったのは彼女かもしれない。しかし今の状況だと、その変化が良かったものかは判断できなかった。
「そこです。今回の事件でおかしかったのは、違和感があったのはそこなのです。アリバイがあるのももちろんですが、自身の近しい人を殺したにしては罪悪感を持っていないところが不思議でした。全く無いわけではなくても、とても小さかった」
殺したと考えているのは否定せず、天ヶ瀬は一人一人の顔をじっくりと見る。睨む人もいれば、視線をそらす人もいた。
「アリバイは完璧です。崩せるものでは無いので、無駄なことはやめましょう。おそらく一つの隙もないでしょうから。しかし別の視点から事件を考えてみれば、また違う面が見えてきます」
「違う面? どんなおかしな幻覚が見えたのかしら。ぜひ教えてもらいたいものね」
天ヶ瀬の視線に怯まなかったあかりが、電子タバコを片手に睨み返す。最初は煙草を吸おうとしていていたが、蒜山に全館禁煙だと注意されて、仕方なく切り替えた。吸わない身としては、どちらも同じようなものだ。しかし電子タバコすらも禁止すれば、あかりがそのまま帰ってしまいそうな気配があり、やむなく許可した。あまり美味しそうではない姿に、そこまでして吸う必要はあるのかと微妙な気持ちになる。僕には分からない価値観だ。否定する気は無いが。
煙を吐き出したあかりは、わざとらしく大きなあくびをした。そして、目尻にたまった涙を指先で拭うと首を傾げる。クラブの薄暗い照明の下ではなく、蛍光灯の明かりでも変わらず綺麗だった。化粧は薄く、ほとんどすっぴんに近い。前に予想していた通り、こっちの方が幼く見える。しかし今は目をつりあげているので、美人が怒ると怖いといった言葉のとおりになっていた。苛立ちを隠さずに、鋭い視線を向けてくる。
「あかりさん。今日もお美しいですね。先日お会いした際は、素晴らしい時間を過ごせました。またこうしてお会いできて光栄です」
「私はもう会いたくなかったけど。相変わらず口だけは達者ね。さっきからべらべらと煙に巻く言葉ばかり。もっと意味のある話をしてくれない? 退屈で寝そうだわ」
また大きく口を開ける。涙が出ていなかったので、今度はわざとだろう。そんな挑発を天ヶ瀬はものともしない。
「リクエストにお答えして、そろそろ私の推理をお話しましょう。みなさんは交換殺人を行ったのではないですか?」
誰かが息を飲む音が聞こえた。僕の隣に座っている蒜山が、勢いよく天ヶ瀬を見た。きっと詰め寄りたかっただろうが、邪魔をしないという約束を思い出して我慢する。挑発をしたあかりは、その言葉に電子タバコを吸って視線をそらす。
「交換殺人? なにそれ?」
「言葉の通りですよ。自分達が殺したいと思っている人を、お互いに交換して殺す。そうすれば、自分のアリバイを作ることが出来ます。さらには、交換したおかげで、誰かを殺しても疑いの目はすぐにそらされます。殺す理由がありませんから。初対面の人を計画的に殺すなんて、そのようなことを普通は考えもしないでしょう」
交換殺人。それなら完璧なアリバイを持っていたとしても、殺人が不可能ではなくなる。しかし、それでも謎は残る。
「あの。それなら、どうして私が呼ばれたんですか? 集められたのって、連続殺人事件の関係者なんですよね。薫君が殺されたのは模倣犯? って人の仕業だから、私がここにいるのはおかしいでしょう」
おずおずと手を挙げてはいるが、はっきりと高橋瞳は自分が無関係だと主張する。そうだ。たとえ交換殺人だとしても、公園での事件はあまりにも手口が違いすぎる。凶器だって、これまでのものとは異なっていた。
しかし天ヶ瀬は、彼こそが違う点を指摘したのにも関わらず、同一の事件として分類しているらしい。
「何もおかしくありませんよ。公園の事件は非常に重要なものでした。この事件のおかげで、あなた方の目的は達成出来たといっても過言ではないでしょう。つまり必要なものだったのです。関係ないとは言えません。そうですよね?」
「……交換殺人とか意味が分かりません。ここにいる私達のうち、誰と誰が交換したって言うのですか? どうやって?」
高橋は首を振る。言葉を否定すると、説明を求めてきた。自信のある様子は、まだ追い詰められていないのを意味する。まだ、天ヶ瀬は決定的なことを言っていないからだ。
「私の考えでは、輪になるように交換したと思います。言葉で説明しても分かりづらいでしょうから、順番はホワイトボードに書きますね」
そう言って、初めてホワイトボードを使った。きゅっきゅと軽い音を立てて、まるで印刷されたような文字が現れる。彼の字は美しいのに、見ていると不安になる。しかし僕は好きだ。ずっと眺めていたい。これが慣れたせいなのか、僕の価値観が元々おかしいのか判断に困る。とにかく今重要なのは、書いてある内容だ。
①被害者:樋口聖子←犯人:伊藤哲
②被害者:丸山武夫←犯人:小松未央
③被害者:小松真央←犯人:篠原澪
④被害者:篠原麗奈←犯人:三宅晴香
⑤被害者:三宅正樹←犯人:安達あかり
⑥被害者:白井恵子←犯人:高橋瞳
⑦被害者:片岡薫←犯人:宮川朋子
⑧被害者:宮川剛←犯人:樋口浩三
「こういった順番で殺していったのでしょう。そうすれば全ての人が犯人もなり、そして死んでほしい人を殺してもらえます。全員が同じ立ち位置にいるので、裏切ることもないです。仲間意識すら芽生えたでしょう。いえ、仲間意識はすでに芽生えていたのかもしれませんね」
「ちょっと待ってください。それはおかしいですよね。確かに一周する形になっていますけど、あなたが勝手に説明できる形で作り上げているだけじゃないですか。それに樋口浩三さんは死んでいるんですよ。事件現場で。私の息子を殺した後に。それが犯人という確実な証拠でしょう。彼のアリバイは崩れたと聞きました。彼が犯人で間違いありません。あなたの考えは間違っています」
朋子がテーブルを手で叩いて立ち上がった。そのまま帰りそうな勢いだったが、天ヶ瀬の言葉に止まらざるを得なかった。
「樋口さんは殺されました。あなた達全員によって」
彼女だけではない。一時停止ボタンを押されたみたいに、全員の動きが止まった。その中で、まっさきに回復したのは朋子だった。
「あなたは本当におかしなことを言いますね。樋口さんが死んだのは事故でした。人を殺したばかりで怯えていて、私が帰ったことでパニックを起こし、階段から足を踏み外して転んだ。これが事故ではなく殺人だと言うのなら、あなたはそれこそ頭がおかしいです。何でもかんでも事件に結びつけて。物事はもっと単純よ。樋口さんが全ての事件の犯人。ただそれだけ」
朋子は、あくまでも殺人を認めようとしない。それは彼女だけではないが。その様子に、天ヶ瀬は小さく笑った。出来の悪い子を前にして、仕方ないとどこか馬鹿にしている顔だ。いや、あれは馬鹿な子ほど可愛いか。
「あなた達が一番殺したかったのは、樋口浩三さんだったのでしょう。今回の件は、全て彼への復讐のためだった」
また、場を静寂が包み込んだ。今度はなかなか誰も回復せず、顔を見合わせてどうしようかと様子を窺っている。彼らの気持ちが固まるのを待つことなく、天ヶ瀬の推理は続く。
「みなさんは、ずっと昔から樋口さんのことを知っていたのでは無いですか? そして、ある目的を達成するために集まって共犯関係を結んだのでしょう」
「ある目的とは?」
他に質問する人がいなさそうだと、代表して蒜山が尋ねる。黙って成り行きを見守るのも、我慢の限界だったのだろう。
「そういえば、以前篠原さんに聖子さんについて調査してもらったのですが、気になる点がありまして」
そう言いながら、持ってきていた資料をパラパラとめくる。篠原に頼んで作成してもらったものだ。最初から最後までめくり終えると、音を立てて閉じた。
「ここには、聖子さんが教師だった頃の経歴が一行も載せられていません。いくら何でも不自然です」
「そ、それは、ただ単に事件と関係ないと思って」
突然、自身に矛先を向けられ、慌てて篠原は弁解を始める。
「別にいいだろう。そこは、あまり調べられなかったんだよ」
「おや。それはおかしいですね。この前お話した時、自分達と関係がないか、聖子さんがいつどこで教師をやっていたのかを調べたと言っていたじゃないですか」
「資料を作った後に調べたんだ」
「何故教えてくださらなかったのですか。別に追加の情報はいらないとは言わなかったでしょう。あえて隠したのではありませんか? あなた達にとって、聖子さんが教員だった頃の経歴は、私には知られたくなかったのです」
蒜山が立つ。そしてホワイトボードの前にいる天ヶ瀬と場所を交代した。手には何かを持っている。それを、磁石を使って貼り付けた。写真だ。人を写したものだが、初めて見る顔だ。
七十歳ぐらいの女性で、花壇の前でシャベルを持ちながら、カメラに向けて微笑んでいる。写真を通しても、この女性が善人なのが伝わってきた。しかし誰だろう。今ここで急に写真を出すなんて、どれほどの重要人物か。
反応を確認するため見てみると、天ヶ瀬が核心をついたのだと分かった。ここで知らないのは、僕だけらしい。みんなどこか余裕を持っていたのに、その仮面が剥がれ落ちた。お互いの様子を窺うことすらも出来ていない。
「この人のために、あなた達は樋口さんを殺した。そうですね?」
「し、知らない。誰よ、その人」
言葉をつまらせながら、あかりは電子タバコを吸おうとした。しかし手が震えて上手くいかない。動揺している。それでも必死に隠そうと、自分を落ち着かせていた。その粘り強さは素晴らしい。もっと他のところで発揮するべきだった。
「知っているはずですよ。もう調べはついています。この方は、
そこで、事件でマフラーを凶器として使用していた理由を知った。
「樋口浩三さんとの関係は、もしかして……」
「君が考えている通り、茂子さんの死因には樋口さんが関係しているようです。茂子さんは教員を辞めた後、経験を活かして子供達に勉強を教えていました。そこでトラブルがあり、精神的に病んでしまった。鬱になった彼女は、かつての同僚の夫に診てもらうことにしました。相談の最中にどんなことがあったか不明です。しかし、逆に彼女は塞ぎ込む結果となりました。そして半年後、亡くなった。お察しの通り、彼女を診ていたのが樋口さんだったというわけです」
「……それが動機。茂子さんが殺されたことに対する復讐ですか」
「その通りです。ここにいるみなさんは、かつて茂子さんの教え子でした。学校自体はバラバラだったので、その共通点は気づかれませんでしたが。おそらく彼女の死を聖子さんから教えられ、さらには復讐の計画を持ちかけられた。そういった経緯なのでしょう」
恩師を間接的に殺された復讐をするため、ここにいる人々は自らの手を汚した。邪魔な人間を殺しつつ、一番憎い樋口を排除する。もしも天ヶ瀬がいなければ、樋口が犯人のままで事件が終了していた可能性もある。完璧だったはずの計画は、天ヶ瀬が介入したことで終わりを迎えたのだ。
「聖子さんが主導し計画を立て、そして長い時間をかけて準備をした。全ての事件で手口や凶器が完全に一致したのは、そのおかげでしょう。準備を終えると、それ以降は一度も会わなかったはずです。捜査の際に繋がりがあるのを知られないために」
「でも、それは、おかしいでしょう」
「どこがですか、朋子さん?」
「先ほどから勝手に進めている話がです。その女性のことは知りません。それにあなたの話は、明らかに矛盾しています」
「矛盾ですか。一体どこがでしょう」
怒りを抑えきれない様子で、朋子は机を指で一定の間隔で叩く。プレッシャーをかける目的があるようだが、もちろん効果はない。
「樋口聖子さんは最初の被害者だったんですよ? 意味が分からないじゃないですか。まさか、自分を殺させたって言わないですよね」
「そのまさかです。聖子さんが最初に殺されることも、この事件に必要なものでした。樋口さんを巻き込むために」
「ありえない。自分を殺させるなんて、そんな人がいるわけないでしょう。いくら復讐をしようと考えたって、自己犠牲がありすぎるでしょう。それに、こんなことをする前に警察に訴えれば良かった話じゃないですか」
否定をしながらも、どこか話を受け入れた上で言っている。本人には自覚が無さそうだが。
「樋口さんが原因で茂子さんが亡くなったと証明するのは難しいでしょう。直接危害を加えたわけではないですから。仮に警察に訴えを出したところで、ろくな罪にはなりません。それが我慢ならなかった。司法に任せるのではなく、自分の手で裁きたかった。樋口さんを事件に巻き込むため、彼女自身が殺される以外に思いつかなかったのでしょう」
天ヶ瀬の推理に、いつの間にかみんなが雰囲気に呑まれて口を閉ざしていた。朋子さんも、机を叩くのを止めて耳を傾けている。
「樋口さんは不倫していました。そのため、聖子さんの存在が邪魔でした。離婚をしなかったのは、彼女の財産が惜しかったからです。お金を所持しつつ、不倫相手と一緒になる。聖子さんが死ねば、それが一気に解決します。そう伝えたのでしょう? おそらく、樋口さんに接触したのは朋子さんのはずです。息子の剛さんと一緒に病院に行って、そこで計画を進めていったのでしょう。あなたが相談をするのに一番適任でしたから」
名指しをされたにも関わらず、否定はなかった。邪魔をしないためか、それとも呆れすぎて声も出ないのか。ようやく諦めたのかもしれない。
「あなたの計画に、樋口さんは乗った。交換殺人というところに魅力を感じたのでしょう。聖子さんを排除したいと思っても、逮捕されたくなかったでしょうから。そうして本来の目的を教えずに、仲間に引きずり込んだ。きっと、最後まで自分が騙されているのに気づかなかったはずです。死ぬ瞬間まで。事故となっていますが、階段で転ぶように細工をし確実に殺そうとした。そして成功しました」
「証拠は? 今までの話はあなたが言っているだけ。証拠がなければ、ただの妄想よ。私達があなたが言ったことをした、確かな証拠を見せて。そうしたら認めてあげるかもしれない」
この場にそぐわない微笑を浮かべて、朋子は椅子に深く寄りかかって足を組んだ。まだ諦めていなかった。どこまでも強気で、これは犯人だと確定する証拠を見せなければ、絶対に認めなさそうだ。だいたい何が起こったのかは分かったので、そろそろ証拠を見せる頃合いだろう。
「残念なことに、みなさんはとても優秀でして。念入りに自分達に繋がるものを消しています。私が持っているのは、今話した状況証拠だけです。そして、これだけでは認めてはもらえないのでしょう?」
まさかの切り札なしだった。ありえない、ありえなさすぎる。何もなしに呼び出して、今まで推理を披露していたなんて。馬鹿か。喉まで言葉が出かかったが、飲み込んだ。
蒜山も我慢しようとしながら、そのこめかみには青筋が見えた。状況が状況なら、手を出すのもやぶさかでは無さそうだ。
さすがにこの答えは予想していなかったようで、朋子は天ヶ瀬が企みを持っているのではないかと怪しんでいたが、本当に証拠がないと分かると笑みが深くなった。
「やっぱりあなたの妄想だったわけね。もしかして私達が罪を認めるのを期待していた? ふふ。随分と楽観的な人ね。確実な証拠がないなら、そろそろ帰ってもいい? あなたと違って、くだらないことに時間を割くほど暇じゃないの。剛の葬式の段取りをしているところなのよ。悲しませてもらう時間もなくて、呼び出されたと思ったら、犯罪者呼ばわりをさせられるなんてね」
上がってしまう口元を手で覆い、朋子は自身の勝利を確信した。このままでは犯人を取り逃す、しかし証拠がなければどうすることも出来ないと諦めかけた。そんな緊迫した中で、天ヶ瀬だけは一人冷静だった。この状況が分かっていないのかと心配するぐらいに。
「そうですか。それでは、もう少しだけ私の話にお付き合い下さい。せっかく集まっていただいたのですから。……絞殺は大変だったでしょう。抵抗もされたはずです。自分の手で人が死んでいく感覚。すぐには忘れられるものではありません。毎日毎日、人を殺す瞬間を夢に見ていませんか。手を洗っても洗っても、自分の手が汚れているような。そんな気持ちになっていませんか。復讐といって正当化しようとしていますが、人殺しは人殺しです。それに変わりはありません。あなた達は、そのことを本当に分かっているのですか?」
「証拠が無いからって、泣き落とし? 良心に訴えかけようとでもしている? そんなの無駄無駄」
鼻で笑う朋子に、罪悪感というのはみじんもなかった。彼女の良心に訴えても無駄だった。しかし、天ヶ瀬の標的は彼女ではなかった。それ以外の人だ。
「もう嫌だ!!」
突然の叫び声。あげたのは未央だ。顔を手で覆い隠して、机に突っ伏す。肩は震え、おえつをこぼしている。隣に座っていた篠原が慰めようと手を伸ばした。しかし顔を見ずに、未央はそれを振り払った。彼女が何を嫌だと言ったのか。気がついた朋子はすぐに止めようとした。その時には手遅れだったが。
「私が、私がやりました。私が、この手で人を殺しました」
それは、まごうことなき自白だった。泣きながらではあるが、殺したという言葉ははっきりと聞こえた。僕達にも聞こえたのだから、他の人にも当然耳に入った。
「あ、あなた何を言っているの? この人の言うことなんて、気にしなくていいのよ。プレッシャーをかけられて怖くなった? そうよね。それで訳が分からなくなっただけ。ね?」
未央に近づいた朋子が必死に声をかける。なんとか、未央が取り乱しただけの方向に持っていこうとしていた。他の人達も、ゆっくりとだが近づく。その様子は、計画が破綻してきている証拠だった。落ち着かせるためにした行動だったはずだが、逆効果なのに気がついていない。
「未央さん、落ち着きましょう。大丈夫ですから」
そう言って、そっと背中に手を置き慰めたのは晴香だ。
もしも、天ヶ瀬が良心に訴えかけようとする作戦をあらかじめ知っていたとしたら、初めに耐えきれなくなるのは晴香だったと予想しただろう。実際は、朋子と同じで晴香には全く響いていなかった。場を乱した未央に対して、口では慰めつつも目は軽蔑を浮かべていた。それは、裏切り者に向けるものだった。別の場所なら、危害を加えていたかもしれない。それぐらいの冷たさがあった。未央はたくさんの人に言葉だけで慰められていたが、彼女の心はさらに閉ざされた。誰の言葉も届いていなかった。
「未央さん」
しかし一人だけ違った。天ヶ瀬が名前を呼ぶと、ようやく未央は顔をあげる。目を真っ赤にさせ、頬に涙のあとがあり、髪がぐちゃぐちゃになっていた。取り繕う余裕もないほど追い詰められ、天ヶ瀬を見る目はうつろだった。それでも、助けを求めているのだけは分かった。
「未央さん。ずっと眠れなかったのでしょう。丸山さんを殺した後、お姉様が殺された後、あなたは後悔していたのではありませんか? ずっとずっと苦しんでいたのでしょう。ここで選択を間違えれば、あなたの苦しみは一生残ります。今なら、まだ間に合いますよ。やり直せるチャンスがあります。未央さん、よく考えてください」
近づきこそしなかったが、とても優しく説得を行った。先ほどの自白だけでは、まだ足りない。全員を裁けない。もっと話を引き出さなければいけなかった。それが分かっているからこそ、天ヶ瀬の好きにはさせられないと考える人が、この場には大勢いた。未央の姿を隠すために立ちはだかり、こちらを鋭く睨みつける。一番前にいるのは朋子だった。これ以上は話をさせないという気迫がある。
「……今、私は未央さんと話をしていたのですが」
「彼女は酷く混乱しています。訳が分からなくなって、自分でも言っている意味を理解していないのです。長い話に疲れてしまっているので、もう話をするのは止めてください」
未央が余計な話をする前に、口止めをするつもりだろう。排除はしないと思いたいが、それに近いことはありそうだ。つまり、この機会を逃したら、二度と事件の真相は闇へと消えてしまう。そして、天ヶ瀬はチャンスをみすみす逃したりはしない。
「それを決めるのはあなたではありません。未央さん自身です」
今まで遠くで眺めていたが、一歩一歩踏みしめるように人が集まっているところに近づく。天ヶ瀬を警戒して、四方を取り囲みガードをし始めた。しかし彼の敵ではなかった。
「未央さん。今、あなたの周りにいる人は、本当に仲間ですか? あなたの助けになってくれますか? ここで守られて、あなたに残るのは、あなたが失うものは。それをよく考えてください。苦しみを無くすには、どう行動するのが一番か、もう分かっていますよね? あなたが最良と思う行動をしましょう。誰に何を言われたとしても」
遮られても声は届いた。周りは未央に必死に話しかけたが、そちらの声はもう決心した彼女に届くことはなかった。
「……分かりました。全て、全てお話します。私達が犯してしまった罪を……私の手が、どうしようもないぐらいに汚れきってしまっていることを」
その言葉に、もう止めるのは無理だと悟り、何人かは張っていた気を抜いた。一番に耐えきれなくなったのは未央だったが、他の人が良心の呵責に耐えられなくなるのも時間の問題だった。しかし、朋子と晴香だけは違った。肩の荷がおりて涙を流す未央を、どこまでも冷めた目で見つめていた。おそらく、この出来事を一生許さないだろう。そんな気がした。
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