PM:AM
ヨルムンガンド
PM:AM
これは些細な勘違いが生んだちょっぴり不思議な話。
その日は日曜日。前日から夜通しネット麻雀に勤しみ、気づくと朝の三時。流石にまずいと思い、急いで歯を磨いて軽くシャワーを浴びた後に眠りにつくことにした。起きたら午前十時開店のカラオケ店に行き、日頃のストレスを発散させるつもりだった。ここでアラームをかけていたら、あんな出来事は起こらなかっただろう。
まさにがばっ、という効果音が付いてきそうなぐらい勢いよく掛け布団を上げながら目が覚めた。ベッド脇の台に鎮座しているのはデジタル式の時計。ディスプレイに表示されている時刻は『5:07』。まず直感的にやらかしたと思った。感覚としては大学の講義に寝坊したような。明らかに開店時間を大幅にオーバーしていていることに気づき、急いで身支度を済ませほとんど何も持たずに家を飛び出した。
日は完全に落ちかけているようで、空は茜色に染まっていた。梅雨が明けたばかりの少し蒸し暑さが残る気だるげな空気でも、意識だけは冴えていた。駐輪場から自分の自転車を引っ張り出し、カラオケ店へと漕ぎ出した。店の開店時間にはまだまだ余裕はあったものの、今までの予定が狂ったことで焦りを感じ、ペダルを踏みつける足は高速で回っていた。それでも、道中にあるコンビニで、のど飴とお茶だけ買っておく。その店は持ち込みが許可されているので、気兼ねなく声枯れ対策ができるので気に入っていた。
必死に漕いでいる最中でも、気づくことがあった。全く人が歩いていないのだ。いつものこの時間からは考えられないことだった。しかし、それよりも優先すべきはカラオケ。気になる気持ちを振り払うようにしてペダルを踏む力を強めた。
ほどなくして目的地に辿り着く。裏手から、店の駐輪場に入り愛車を停める。今日は何を歌おうか考える間もなく、先ほどからの違和感はさらに強まった。そこは怖いくらいに静寂に満ちていたのだ。人はおろか停まっている車すらない。これはいったいどういう事なのか、本気で考えることにした瞬間だった。
初めに出てきたのが『今日は特別な休日かなにかで、みんな家に籠っているのだ』という突飛な考えだったことから、当時の混乱具合を察していただきたい。道路に目をやっても数台の車が通るばかりで、大通りだというのに相変わらず人は見受けられなった。
「……かれ…………したー」
その声にどれほど安堵したか分からない。なんと声の主はカラオケ店から出てきていた。なんだやっぱり空いているじゃないかと一瞬思ったが、その人の格好は明らかに従業員のそれ。呆然としていると、もう一人、二人と同じ格好をした店員たちが同じ出入口から出てくる。最後の一人に至っては手に持っている鍵でなんと出入口を閉ざしてしまった。
結局、ますます訳が分からなくなった。スマホを出して営業時間を調べると明らかに営業時間内。しかし店名の隣には『営業時間外』の文字。
いよいよ、パラレルワールドに行ってしまったのかと思った。自分だけが別の世界線に飛ばされて『見えない孤独』を味わうことに、というところまで発想が膨らむといよいよ怖くなり、今度は元来た道を引き返すことにした。引き返すときの速度は自分でも驚くぐらいゆっくりだった。もしかしたら、深層心理で事態を整理してから帰りたいとでも考えていたのかもしれない。
家に着いて時刻を確認すると『5:42』の表示が。もう日は暮れてしまったと思い、カーテンを閉めてとりあえず心を落ち着けるためにYoutubeを観ることにした。時間が経てば悪夢のような世界は去ってくれると淡い期待を抱きながら。
その後は、だらだらと過ごし『悪夢』のことなどすっかり頭から消えていたが、夕飯を買いに行くことを思い立つと同時にその存在を思い出してしまった。時刻は『9:56』。きっとはもう真っ暗になっているだろうと思うながら、恐る恐るカーテンに手を伸ばし開けた。
目に飛び込んできたのは、溢れんばかりの光だった。生き生きと外の景色を照らし、梅雨明けを大いに感じさせてくれるような晴天だった。
状況を飲み込むのに数十秒かかった。今度こそ本当に何が起こっているのか分からなかった。デジタル式の時計とスマホを交互に眺め、どちらも同じ時刻と曜日を指していることを確認する。『日曜日 9:58』という文字列が頭の中でぐるぐると回りだし、そして三周ぐらいしたかと思ったときのことだった。
「あ」
全てが解決した。そういうことなら、今までのありとあらゆることの辻褄が合う。不可解なことなどは一切なく、ほんの僅かな勘違いをしていただけだった。馬鹿らしくなってしまうほど、なんてことはない誤解。
「午後5時じゃなくて、午前5時だったのか」
急いで身支度を行う思考に至るまで、そう時間はかからなかった。
PM:AM ヨルムンガンド @Jormungand
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます