別式女、早桃

林海

第1話 別式女、早桃

 別式女、すなわち武をって身を立てた女のことである。

 別式女は、熊女、猪女と蔑まれようとも、強ければよい。

 武の道は厳しい。「女だから男には負けた」などという言い訳が、誰に対しても許されるはずがない。武とは、身体の大小、歳、性別を超えて、なお勝たねば意味がないのだ。



 父母が虎列刺コレラで急死し、娘独り残された早桃さももは、泣く間もないままに立花の家の断絶処分の知らせを受けた。

 養子の手続きも間に合わず、跡継ぎがいない下級武士の家としては、あまりに当然のことである。


 だが、早桃という娘個人にとっては、覚悟していたとはいえ生死に関わる問題であった。

 家柄が良いわけではない。歳も二十歳を超え、行き過ぎつつある。器量もようやく人並み。家が豊かであるはずもないから、琴や書などの秀でた技も習い持ってはいない。これでは、乞われて玉の輿に乗ることも叶わぬ。

 唯一、亡き父から初歩のみを手ほどきされた剣術は筋が良いと褒められたが、これとて、武家に生まれた娘として最低限の嗜みであり、世辞にも「強い」とは言えない。

 


 それでも早桃は葬儀、初七日と悩んだ末、女の身でありながらも身を立てられる一つの道筋を見定めた。

 そのために早桃は家財のすべて売り払い、その金の力をって山中の一軒家に籠もった。そして、ひたすらに打物、弓、水練に小具足と、日夜鍛錬を重ねた。

 御家断絶で残された身、今まで暮らしていた藩宅には住めぬ。なので、このようにせざるを得なかったのだ。ただただ、「お前は筋が良い」という亡き父の言葉だけを頼りに、である。その父とて、御門番衆の一人に過ぎず、決して藩有数の手練と認められていたわけではないのだが……。

 とはいえ、それでも御門番衆は城の守りの最前線である。武門の門たる父は、折りに付け早桃にその心得を語って聞かせていた。その顔は物騒な内容とは程遠く穏やかで、娘に対する慈しみに満ちていた。早桃が息子であったら厳しい顔を見せたのかもしれないが、養子の話もちらほらあがっていたほど早桃に弟はできなかったのである。


 もはや、詮無きことを言っていても始まらぬ。

 早桃はその父の慈しみの表情を糧に、別式女としての生を目指したのだ。別式女の召し抱えについては成算があった。

 藩では、4人の別式女が勤めていた。この度、そのうちの1人がお役目御免になったことから、新たなお召し抱えが望めるかもしれないと早桃は考えたのである。


 新たなお召し抱えがなかった場合、またお召し抱えがあっても、他の者が召し抱えられた場合は早桃は路頭に迷う。そうなったら、最悪、藩内の宿場町で飯盛女という未来も容認した決断であった。

 安寧に生きる選択をするのであれば、自由になる金を尼寺に布施し、同時にそこで出家した方が食いっぱぐれはない。ただ、それは武門に生まれた早桃の意地が許さなかった。

 たった一度の試みでよい。早桃は、己の力で生きるために足掻きたかったのだ。



 別式女の勤める所は奥である。

 藩主以外は男子禁制の場所である奥は、当然そこにいる女性が外敵と戦い守ることになる。

 その侵入してくる外敵は男が想定されるから、それに勝てねばならぬ。なので、別式女は奥女中に武芸指南を行いながら、自らも戦い抜くために鍛錬を重ね、勝つ方策を磨かねばならぬ。

 

 早桃の読みでは、奥のお手付きの女中が身籠っている今、別式女を減らしたままとは思えない。それでも藩財政が厳しい折り、生まれた赤子が姫であったら別式女の人数はそのまま三人に据え置かれるかもしれない。男子が生まれることを、早桃はひたすらに祈った。



 血反吐を吐く思いの鍛錬の七ヶ月が過ぎた頃、桃の花に合わせるように奥で赤子が生まれた。結果として男子だったことから、ついに別式女の推挙のお声掛りが早桃にあった。御家断絶後の早桃の身の振り方は、それなりに藩内で噂になっていたのだ。

 武門の誉れと称える者もいれば、女の身で愚かしいと貶す者もいた。ただ、同じ武士の家の者たちである。わらう者だけはいなかった。あまつさえ、父と同輩の御門番衆とそのかしらは、早桃の推挙のために御家老に働きかけてくれていたのだ。



 あとは藩剣術御指南役と立ち会い、腕を認められればお召し抱えである。

 さすがに指南役に勝てとは言われていないが、無様な戦い方だけは見せられぬ。そして、そこには早桃の器量も家柄も、御家断絶の悲劇も考慮されることはない。

 生まれたばかりの若君をお守りできない別式女を推挙したとなれば、藩剣術御指南役としても面目が立たぬからだ。


 数日後、藩家老臨席のもと、天幕をはられた城中本丸広場に早桃はいた。他にも一人、推挙された娘がいる。

 籠城に備え、城に植えられている木は食せるものに限られる。松とて、その皮が食せるから植えられているのだ。今は桃が盛りを過ぎつつあり、本丸広場には花びらが風に舞っていた。


「まずは、立花早桃殿」

 進行役にそう呼ばれて、木剣越しに指南役と相対し、瞬の間に早桃は己の敗北を悟っていた。

 もはや、打ち合うまでもない。

 剣の厚みが違う。風格が違う。積み上げてきたものの絶対量が違う。

 この七ヶ月の間、常に身体に寄り添わせてきた手中の枇杷の木剣が、ただの爪楊枝ほどの頼りなさに堕した。


 己の力量では、いかな姑息な手を採ろうとも決して届かぬいただきがそこにあった。

 この七ヶ月で一を十にしようとも、百に対しては全くの無駄な努力だったのだ。

 亡き父の言った「お前は筋が良い」という言葉、娘に掛けたその優しい言葉の残酷さを早桃は思い知らされていた。


 早桃は大きく飛び退り、礼法に沿って木剣を己の右側に置いて平伏した。


 周囲からの、「期待外れな……」という呟きが早桃の耳朶を打つ。一合だに打ち合わぬまま全面降伏し、平伏したその姿に周囲からは白眼が向けられ、あまつさえ嘲笑すら湧いていた。卑怯と臆病は武門の名折れである。嘲笑されることは武門最大の屈辱ではあるが、この早桃のさまでは当然のこととも言えた。

 早桃は下唇を噛んで耐え、無言で平伏を続けた。


「次、千代女殿っ!」

 進行役も早桃に苛立ったのだろう。平伏する早桃を追い立てる言葉には険があった。


 次の千代女と呼ばれた者は、女だてらに魁偉、男と見紛うばかりの体躯であった。前歴は女相撲の大関を張っていたらしいが、女相撲が禁じられ相撲小屋の取り払われたのを期に、その贔屓筋ひいきすじからの推挙があったらしい。強さだけは間違いない、と。

 指南役と向き合うなり、裂帛の気を発し打ちかかっていく。だが、音高く木剣を弾き飛ばされ、呆然と立ち尽くした。

 これをって、試武の立会いは終わった。


「さて、間をおくまでもない。これより合議に入り、召し抱える者を決定する。そのままこの場で待つように」

 藩国家老の言葉に、その場にいた者すべてが礼で応えた。


「立花は山籠りまでしたと聞いたが、全くの期待外れ。

 あれでは物の役に立たぬ」

「恥を知らぬ、なかなかに良い土下座っぷりだったではないか。

 それに対し千代女殿のあの体躯、御指南役と一合とはいえ打ち合いし腕、最早決まりであろう」

「相撲は武道の源流とも言うし、千代女殿の別式女志願は相撲小屋を取り払われ、路頭に迷う女相撲の力士を食わせるためとも聞く。その心根が天晴あっぱれではないか」

 ざわざわと、下馬評が声高に交わされる。これは、早桃に聞かせるために他ならぬ。

 屈辱の追い打ちに、早桃は蒼白な顔色のまま下唇を噛んだ。これでは、この先城下に住まうことすら叶うまい。恥知らずと嘲笑され続けるのであれば、飯盛女としてすらここでは生きられぬのだ。



 四半刻も掛からぬ後、藩家老と剣術御指南役が現れた。日の位置すらほぼ変わらぬ。やはり、結論を出すのに時間は掛からなかったらしい。

 ざわめきは一瞬で消え、藩家老の言葉を待つ。早桃は、覚悟を決めざるをえなかった。


「立花早桃殿、三日後より勤められたい」

 ざわっ、と空気が動く。この決定に、不審を感じている者が多いのだ。

 早桃自身も耳を疑っている。


「なぜでございますか?」

 これは千代女、自ら発した問いである。

「相対し、相手の力量が読めぬは話にならぬ。

 わしは、そなたと打ち合ったのではない。ただ、その木剣を叩き落としただけのこと」

「お言葉では御座いますが、なんの手向かいもせずでは若君をお守りできず……」

 と、さらに千代女が言いつのるのを、指南役は厳しい声で圧した。


「立花はわしから離れて平伏し、決して後ろ襟を見せるような真似はしなかった。これは座礼をしている時も視野を確保し、頭から背を斬られないための油断なき残心である。

 つまり、千代女が別式女でわしが賊であれば、瞬時に千代女は斬り伏せられ、その次には若君であるということだ。

 だが、立花が別式女であれば、わしの腕を見抜くなり他の女中衆を盾にしてまでも、若君をお抱きして足の続く限り逃げたであろう。

 別式女の勤めは、まずは勝つことである。だが、それが叶わぬときは卑怯の誹りを受けようとも、どんな手をとっても幼き若君をお守りすることである。御前で犬死することではない。残念だが千代女、これは決して動かぬことぞ。とはいえ、立花は立花で、奥勤めの傍らさらに腕を磨く必要があるがの。

 なお千代女、城下の焼きものの窯師が薪割りを所望している。国家老殿のご厚情により希望する女たちはそこで働けるとのことゆえ、それで満足せい」

 広場は、水を打ったように静まり返っている。


「家中にも、武門の意地と自らのお役目の重さを勘違いしている者が少なくないようじゃ。役目を果たしてこその意地ぞ。御国家老殿も同意とのことゆえ、皆も自戒するが良い」

 指南役の言葉は、さらに続いた。


 それを聞きながら、早桃の目から涙が溢れた。それを隠すように、あらためて平伏する。武を語る父の穏やかな顔が、早桃の脳裏には浮かんでいた。

 その背には、桃の花びらが絶え間なく降りしきり続けている。

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