第四話②
「加護とは、教会より皇室に生まれる方々のみに与えられる、一種のお守りのようなものです。帝国皇室ではお
礼拝での説教のように、穏やかだがよく通る声で、司教は語る。
「その起源は、かつて古代魔術が栄えた数百年ほど前にまで
そのため生まれたのが加護です。呪いは魂に作用する
「よく分からないな。そんな術があるなら、胎児ではなく既に生まれている人間に加護をかければいいだろう」
アドラスさんがもっともな疑問を投げかけるが、司教は首を振る。
「すでに成熟した人間の魂は、複雑かつ多様な構造をしており、加護を
呪術が廃れたのち、加護も存在意義をほぼ失いましたが、今も胎児への加護奉呈は帝国皇室にて行われております。奉呈はその年の宮殿祭儀長が取り仕切るのが通例です」
「それがなんだと言うのです。アドラスの真偽と、その加護とやらにどんな関係があると?」
しかしその疑問こそ待ち構えていたものであるようで、司教は一段と声を張り上げた。
「奉呈の儀の際には、必ず聖紋が胎児の体に刻まれます。通常ですと、紋は加護を授けてから数日ほどで胎児の体に馴染み、出生時には
「それで、俺にその聖紋とやらがあるかどうかを確かめに来たというのか」
「その通りでございます」
と司教は大きく首肯した。
「儀式に必要なものは、すべて揃えております。さあ、神の
そして、笑みを浮かべる。安らかで、優しげで──計算し尽くされた微笑みだった。
「だが先ほどの話では、聖紋とやらを確かめるのに、母親たちの胎に加護をかけた祭儀長の魔力が必要なのだろう。それは一体誰が……」
「私です」
真白く枝のように細い手を、司教は自分の胸に置いた。
「二十年前、クレマ妃の胎に加護を施した祭儀長は、この私です」
古代語が彫り込まれた銀器、聖獣の風切羽、月面鏡、そして聖水が張られた杯──
滅多にお目にかかれない希少な祭具の数々が、司教御付きの修道士たちの手によって、教会内に設置されていく。その様を、グレイン領の人々は
私はこっそり祭壇に近づいて、玉虫色の杯を
……確かに、これは聖水だ。かつて見た錬成薬など比べ物にならないほど純度の高い魔力が、朝霧のように水面から
濃縮された高容量の魔力は、常人の目でも観察することが可能だ。おそらくこの場にいる人々の目にも、この聖水は淡く輝いて見えることだろう。
それにしても、一
更に私の背後では、修道士の一人がせっせと祭壇を囲むように陣を描いていた。これも儀式のための準備だろうか。
「儀式が気になるのかい?」
「──っ!」
不意に甘やかな
まだ若い。年齢は二十を超えた程度だろうか。
「安心しなよ。持ち込まれた祭具は全て本物だし、細工もされていない。その聖水も、混ぜ物なしの本物さ」
青年は得意げに語り出す。その口調も、見た目通りに軽やかだ。
「あ、だからって飲んじゃだめだよ? 飲むと普通の人は、魔力酔いして世界が上下逆さまにひっくり返っちゃうからね」
「……あの、どちら様ですか」
口ぶりからして、帝都から来た教会側の人間なのだろう。だが、聖職者にも見えなかった。服装が違うし、修道士たちが
「ボク? ボクはベルタ・ベイルーシュ。知らない? あのベイルーシュ家の若君さ」
ベイルーシュという家名は知らないし、若君を自称する人物と遭遇するのも初めてのことだった。だがここで「知りません」と味気ない返事をするのも無作法かと思い、「まあ、ベイルーシュ」と驚いたふりをしておく。
「はじめまして、私はヴィーと申します。ごめんなさい、勝手に祭具に近づいてしまって」
「ああ、謝らないで。ボクは教会の人間ってわけじゃないんだ。ただ君が祭具に興味津々な様子だったから、声をかけただけさ」
やはり、聖職者ではなかったか。となると、
「教会の方、ではないのですね。ではどうしてこの地にいらしたのですか?」
「ボクは帝国議会の議員でね。この儀式を教会に依頼するにあたり、議会側の見届け人として派遣されたんだ」
「それは大役ですね。そもそも議会はどうして──」
「だけど本当は、これは君に巡り会うための運命だったのかもしれない」
芝居がかった
どう返答したものかと考えあぐねていると、その隙に彼は滑らかな動作で私の手を取り、花弁を包みこむように優しく握った。顔も無遠慮なほど、ぐいと近づけられる。
「あの、ベイルーシュ卿。顔が近いです」
「こうした方が君の顔が良く見えるんだ。ああ、美しい人。見届け人なんて、とんだ貧乏くじを引かされたと思ったけれど、まさか東部の辺境で君みたいな女性と巡り会えるなんて。さあどうか、ボクのことはベルタと呼んで」
「はあ」
教会でこの人は、何をやっているのだろう。
変な人に絡まれてしまった。困って周囲を見回すと、司教と話すアドラスさんと目が合う。彼は私に気づくと
「失礼、俺の客人に何か御用か」
アドラスさんは私の隣に立つと、頭一つ高い場所からベルタさんをむん、と見下ろす。
「……これはアドラス殿」
ベルタさんは薄笑いを浮かべ、わざとらしく肩を
「おっと、彼女は貴殿の関係者だったのか。でもご安心を。ボクたちは、ちょっとした世間話をしていただけですよ」
「……」
アドラスさんは無言で視線を下げた。そこには、私の手を包むベルタさんの右手。
ベルタさんはまたも「おっと」と言って、慌てて手を引っ込めた。
「これはあれさ。ちょっとした握手さ。ねえ、ヴィーちゃん?」
「そうだったんですか」
「さあ、そろそろ儀式の準備が整うみたいだよ? ボクも司教たちのお手伝いをしてみたりしなかったり」
意味のない台詞を口にしながら、ベルタさんはステップを踏むようにしてその場を離れる。彼の背中は、たちまち修道士たちのあいだに紛れて消えるのだった。
「なんだあれは」
「帝国議会から派遣された、儀式の見届け人だそうです」
「見届け人? あれが?」
アドラスさんは
「とにかく気をつけろ。君はどうも、面倒ごとを引き寄せる体質らしいから」
アドラスさんには言われたくなかったけれど。言い聞かせる声が真剣だったので、私は大人しくうなずいた。
聖女ヴィクトリアの考察 アウレスタ神殿物語 春間タツキ/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun
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