第四話①
グレイン領に到着してから数日が経過した。そのあいだ、アドラスさん、リコくんと共に町をぐるぐると回ってみたものの、やはりマルディナさんの霊を見つけることはできず。私たちは、次なる手段を講じる必要に迫られつつあった。
「──となると、そろそろ帝都へ向かう準備をした方がいいかもしれないな」
昼下がりの、
「帝都、ですか」
対照的に、リコくんの声は暗い。彼は表情を曇らせたまま、ナイフで器用に林檎の皮を
一つ手にとってかじると、甘く酸味のある果汁がしゃくりと口の中に広がる。
リコくんは私が食べる姿をしばらく眺めたあと、静かに首を振った。
「僕は反対です。帝都はアドラス様を邪魔だと思っている連中で、
「だが、このまま領内に引きこもっていれば、俺は東部連合の首領にされてしまう。先日屋敷に招いた貴族連中も、全員連合への加盟を了承したらしいしな」
「でも……」
「帝都に行くのは難しくありませんか。グレイン
リコくんに代わって発言すると、私は食堂の入り口へ目を向けた。そこには、じっとこちらを見つめる兵士たちの姿がある。
彼らはアドラスさんの護衛だ。グレイン卿は「お前の身を守るため」と言ってアドラスさんに二人の兵をつけたけれど、アドラスさん
アドラスさんには、前科がある。グレイン卿もアドラスさんの前では寛容なふりをしているけれど、内心では彼を閉じ込めてしまいたいと思っているに違いない。
「ま、なんとかなるだろう。俺にも協力者はいる」
「協力者?」
「ああ。東部連合に懐疑的な人間は大勢いるんだ。いくら中央の横暴が気に入らんといっても、それを理由に中央と
と言われて、検問所で出会ったあの兵士の姿を思い出す。確かに彼は、アドラスさんの事情に詳しい様子を見せていた。
「ですが、帝都へ行ってどうするのです? クレマ妃の霊を探すなら、王宮入りは
「王宮に頼めばどうにかなるんじゃないか」
「……なるほど」
「ヴィーさん、ここは怒ってもいいところですよ」
リコくんがすかさず口を挟む。
「怒らないとこの人、今度は王宮で神殿と同じことをしでかしかねません」
別に怒りはしないけれど、よく分かった。アドラスさんの
「アドラス様、こちらにいらっしゃいましたか!」
突然、落ち着きのない声が飛び込んでくる。
見れば使用人らしき人物が、食堂の扉に手をかけ、肩で息をしていた。かなり慌てて走ってきたようだ。
彼のただならぬ様子に、アドラスさんはすっと立ち上がった。
「騒がしいな。どうした」
「州軍が……」
息も絶え絶えに、使用人は声を振り絞る。
「帝国東方州軍より派遣された使者が、領内に到着しております! アドラス様が皇子であるかどうか、直接確かめるとのことです!」
「確かめる、だと?」
アドラスさんの表情が、たちまち険しくなった。けれども使用人はそれ以上のことを知らないようで、困惑気味に首を
「とにかく、すぐにご同行をお願いいたします。すでに領主様も、使者の方とアドラス様をお待ちです」
「分かった」
アドラスさんは一度こちらを振り返ると、使用人と食堂を出た。私とリコくんも、彼らの後を追いかける。
たどり着いたのは、教会の礼拝堂だった。
騒ぎを聞きつけたのか、教会の周囲には町民が集まって、中の様子をうかがおうと首を伸ばしている。そんな彼らを、これまた大勢の兵士たちが「見世物ではないぞ」と言って押しとどめていた。
雑踏をかき分けながら、私たちは教会の扉をくぐった。アドラスさん、私と進み、最後にリコくんが中に入ったところで、扉はばたりと閉じられる。
教会の中は飾り気がないものの、広く清潔だった。入り口から主祭壇にかけては、まっすぐと身廊が延びている。その両脇に石材のアーチで仕切られた側廊が走り、内部には先日見かけた東部の貴族や警護の騎士、兵士たちが多く詰め掛けていた。不思議なことに、誰も中央の身廊へ足を踏み入れようとしない。
「アドラス、来たか」
グレイン卿が人々の中から顔を出す。彼は戸惑いと少しの
示された方向を見やれば、修道士の僧衣に身を包む人々が十名ほど、主祭壇を守るように囲んでいた。その中心には、こちらに背を向け、祈りを
アドラスさんの到着を察したのだろう。その人物はやがてゆっくりと立ち上がり、私たちの方へ振り返った。
「──お待ちしておりました、アドラス・グレイン様」
年齢的にも装い的にも、彼が高位の聖職者であることは容易に見てとることができた。
「帝国教会の聖職者とお見受けするが、あなたは?」
アドラスさんの問いに、老人は穏やかな声で答える。
「私は帝都第三教区の教区長を務めます、司教ラウザと申します」
リコくんが「ええっ」と
驚くのも無理はない。帝国教会の司教──しかも教区長とは。文句なしの大物である。周囲を見渡せば、様子を見守る何人かの人が、リコくんと同様に口をあんぐり開けて驚愕していた。
しかしそこは、主席聖女を前にしても
「俺は州軍の使者が来たと聞いてここに呼ばれたのだが、なぜ司教殿が? 教会は軍属ではないだろう」
「それは伝令の方が誤解なさったのでしょう。確かに帝都から州軍駐屯地を経由してこちらに赴きましたが、私は軍の使者ではございません。
「議会が、教会に要請?」
「はい。『アドラス・グレイン殿が誠にエミリオ殿下ご本人であるのか、それを確かめてほしい』と」
その言葉に、東方貴族たちがざわめいた。アドラスさんも、表情を引き締める。
「確かめる? それは願ってもない話だが、なぜ議会がそんなことを教会に依頼する」
「アドラス様は、皇族にのみ与えられる〝加護〟をご存知ですか」
アドラスさんは首を振った。グレイン卿やその家臣たちも、ぽかんとしている。あまり一般的な知識ではないようだ。もちろん、私も知らない。
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