第三話⑨
大陸最大の都市、帝都パラディス。
その西側──対岸の宮殿地区に連なる区画には、高位貴族の邸宅が立ち並んでいる。
中でも一際
「──つまり、フェルナンドは素人を使って、アドラス・グレインを殺害しようとしていたというのか」
部下の報告を聞き終わったあと、座してため息混じりにそう話すのは、帝国議会副議長にして、この屋敷の主人であるオルドア・アルノーズ侯爵。
「はい。すでに四度ほど暗殺を試みて、全て失敗しているご様子です」
そして侯爵の前で分厚い報告書を
「あの愚か者め。あんな
侯爵は
やがて多少の苦々しさを紫煙と共に吐き出すと、侯爵はパイプを執務机の脇に置いた。
「それで。足はついていないのだろうな」
「はい。現地の無法者を雇っていただけですので。これで私兵を動かしていたなら、他の候補者に
「稚拙な方法が救いとなったか。……で、その無法者とやらは?」
「処分しております。こちらは、抜かりなく」
「うむ、ご苦労」
東部の貴族たちが『エミリオ皇子生存』の
議会で初めてクレマ妃の手紙とやらが読み上げられた時、侯爵は「この程度、気を
クレマ妃に対する貴族たちの評価は低い。彼女は庶民でありながら、その色香だけで側妃の地位に成り上がり、
そんな妃が書いた手紙を根拠に、エミリオ皇子生存を主張するなど不可能な話だ。こんなもの、ただの心を病んだ女の妄想だと言えば、それだけで話は済むと侯爵たちは考えていた。「我こそは真の皇族なり」と語る連中一人一人をいちいち相手にできるほど、帝国議会は暇ではないのだ。
しかし、もう一つの問題──東部連合とかいう田舎者たちの集まりが、予想外の勢いで結束を固め始めてしまったことは、全くの誤算だった。
この数十年近く、まともな協調性を見せてこられなかった東部の貴族たちが、『死んだはずの皇子』という象徴を得たことで、足並みを揃えつつあるのだ。
こうなっては、この件を無視することはできなくなる。事実、議会内でも「アドラスの出生の真偽を確かめるべきでは」という声がちらほら上るようになってしまった。
だからフェルナンドは焦って、祖父の忠告も聞かずにアドラス殺害に動いたのだろう。
「フェルナンド殿下のご懸念も、そう責められるものでもないかと」
控え目にナディアスは皇子を
「東部連合が近々、議会に陳情書を提出する可能性ありとの報告を受けました。その内容には、アルノーズ家による二十年前のエミリオ皇子暗殺未遂を疑う記載も含まれているとか」
「奴らめ。フェルナンドを
「そのようです。連中がいかに騒ごうと、継承権の移譲など不可能でしょうが、問題は──」
「この後の継承選への影響、だな」
現在皇帝は病床に
疑惑を引き
「このまま東部とアドラス・グレインを放置すれば、フェルナンド殿下の不利は確実なものとなります。危険ではありますが、いっそのこと、我々の手であの男を処分してはいかがでしょうか。お任せいただければ、すぐにでも片づけてご覧に入れます」
「いや、ならん。それは最後の手段だ。他の皇帝候補者たちも、本件に目を光らせつつある。第一皇子など、各貴族の動向のみならず、周辺国や地下街にまで網を張らせているらしい。間違いなく私の近くにも、あの若造の目が潜んでいることだろう。これでアドラス暗殺の証拠など
第一皇子。その名前を聞かされては、ナディアスは何も言えなくなる。最も玉座に近いと噂される対立候補にこちらの弱みを握られでもしたら、フェルナンドの即位は絶望的となるだろう。
しかし一族の人間を帝位に就かせることは、アルノーズ侯爵家長年の悲願である。そのために、彼らはこれまで手段を問わず、あらゆる手を尽くしてきた。
そう、二十年前も──
「確かに私は、エミリオの殺害を手配しました」
確信を持って、ナディアスは言う。
「遺体も葬儀の際に確認しております。ですから、アドラス・グレインがエミリオであるはずがありません。それなのに、野放しにせねばならないとは……」
「分からんぞ。少なくとも、東部が用意したクレマの手紙は本物のようだ。とすれば、あの男がエミリオである可能性も皆無ではない」
「閣下、それは」
「君の手抜かりを疑っているわけではない。だが、クレマは犬のように鼻の利く女だった。こちらの思惑を
侯爵は置いていたパイプを取り、灰をかき出し始める。その様子はいつもと変わりなく、声も穏やかだったが、口元には隠しきれぬ憎しみが浮き出ていた。
侯爵の娘──ナタリア妃は、クレマ妃に先んじて皇子を産もうと無茶を繰り返し、その負荷が
「何にせよ、あの男の真偽はさしたる問題ではない。だがこのまま、天に
「何かお考えがあるのですか」
「簡単な話だ。我々は正々堂々と、東部の手伝いをしてやればいい」
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