第31話 影と楽しむ夏祭り

【文披31題】DAY31 「夏祭り」


「なあ、よう

「ン?」


 靴を履きながら、肩の上に乗る影に問いかける。


「お前、『夏祭り』自体は行くんだよな?」

「ウン。行く。なんか食わせろ」

「……たかりかよ」

「お前の余りで良いぞ」

「……良いヤツか」

「そう受け取るのはお前だけだと思う」

「そうか?」

「ウン」


 家の鍵をかけて、いつもの町を歩き出す。

 白い入道雲が遠くに見える。

 カラッとした空気の暑い日。


「なんか食いたいもんとかあるの」

「……りんご飴?」

「トマ」

「ぐぎゅぐえ……!」

「トみたいな見た目してるけど良いのか」

「それは平気」

「あっそ」


 特段歩みが遅くなることもなく、水上神社みなかみじんじゃの近くを目指す。

 神社そのもので行われるイベントもあるけど、メインはその少し手前からある屋台だ。

 いつもは猫ノ目書房を目指すけれど、今日は商店街を通る。

 この日はどの店もそれにちなんだ特別な商品を用意していたり、チンドン屋が通ったりする。途中でスーパーボールすくいをしていたり、おもちゃの入った氷が置いてあったりもする。浴衣に身を包んだ人がちらほらと見かけられて、夏休みの子どもたちが駆けていく。


 どことなく町全体が浮かれているような気がする。


 いつもより人の多い商店街を通る間、ようは少し様子の違う町と人々をキョロキョロと見ていた。

 話しかけたら俺が変人になってしまうからなのか、影は何も言わない。

 食べたいと言っていたりんご飴屋を見つけると、目を合わせてから2つ買った。

 あまり人の居ない、路地の隙間に立って一つだけ開ける。


「ほら」

優史ゆうしは食べないのか?」

「後で食べるから」

「……お前それ、絶対食べないだろ」

「そのうち、食べるから」

「そうか?」

「そう。誰か来たら困るし、食うなら今のうちに食えよ」

「食べるぅ!」


 赤い舌を出して、ぺろりと器用に口に入れる。

 ゴリ、ゴリ、と食べる姿は流石にちょっと化け物感がすごい。


「……あと、なんか食いたいもんある?」

優史ゆうしの食いたいもん食え。余りでいい」

「俺は特にないんだよな」

「食に興味を持て」

「そう言われてもな……」


 興味あるし、味も想像できるけど、ただ口に入れるのがだるい。

 その後どうせ戻してしまうのに、食べる気にはなれないのだ。


「むぅ。なら片っ端から食うぞ! 全部巡る! どうだ、困るだろう!」

「別に。俺、金ならあるし」

「嫌なヤツだな」

「うるせぇよ、自分で稼いだ金だ。じゃあ一軒ずつな」

「おう!」


 元気な返事に口の端が少しだけ上がる。

 余りで良いなんて言ってるけど、本当は全部食べたかったのかもしれない。

 そんな事を考えながら、歩みを進めようとして立ち止まる。


「間に飯屋じゃない屋台あるけど、それは?」

「やる!」

「どうやって?」


 問いかけると、随分としていなかった人型に影が変わっていく。

 真っ黒な身体に、赤い三つ目。

 それでどうやって人混みに紛れるんだ。

 問いかけようとして言葉を失った。


「これでどうだ!」

「……最初からそれで来ればいいじゃないか」


 白い肌に黒髪の、浴衣姿の小柄な青年は、腰に手を当ててふんぞり返りながらそこにいた。赤い目は相変わらず三つあるけど、額の目は前髪で上手く隠れていた。


優史ゆうしの肩のが落ち着くからな」

「そうかよ」

「あ、コラ、待て」


 俺が先に歩き出すと、追いかけようとしてようがよろける。

 体格差があるので難なく支える。


「歩き方忘れたのか? 焦るなよ」

「バカにするな」

「してない。これからは人が増えていくだけなんだから、はぐれるなよ」

「……なんだ?」


 手を差し出しても意味が伝わらなかったらしく、首を傾げて俺を見る。


「はぐれないように手を繋ぐって言ってるんだ」

「そういうことか」


 そっと手を乗せて握ってくる。

 手も小さいのかよ。

 歩幅を少しだけ狭めて、合わせながら屋台の始まりの方を目指す。


「……デートみたいだな?」

「なんでそういう最低最悪の例えは知ってるんだよ」

優史ゆうしの部屋に置いてある漫画にあった」

「アァー……」


 ジャンル問わず色々お気に入りを置いていたのを思い出して、なら仕方ないと飲み込む。


「それは付き合ってるヤツとか、好き合ってるヤツに使うんだよ」

優史ゆうしの事、オレは好きだぞ?」

「ッ……そういう、好きじゃないんだよ」

「なんだよぉ!?」


 他意どころか何も考えていなさそうな、ストレートな好意に動揺しながら髪をくしゃくしゃにする。


「じゃあオレのこと嫌いなのか!」

「嫌いなやつならほっとく、俺は善人じゃない」

「……そっか」


 そこで手を強く握るな、やめろ。黙るな。

 ちょっと嬉しそうにするな、面倒な恋人か。


「全部回る、ってなると時間が足りないかもな。いろんなとこが気合入れてるし」

「じゃあ、ものすごく早く食べる!」

「……詰まらせるなよ」

「ウン!」


 そこからいろんな店を回った。

 案の定焦って詰まらせるし、熱くて冷たくて飛び跳ねるのを見守ったりした。

 今までステージに出るとか、店の手伝いなんかは沢山したけど、純粋に客として回るのは随分と久しぶりだった。

 ふと気がつくと、陽が落ち初め、辺り一帯が金色に輝いていた。


「……なぁよう。お前、外で夜になるとどうなるんだ」

「ン?」


 聞こえなかったのか、一口大のカステラを咀嚼して不思議そうな顔をした。

 もしかしたら、聞こえないフリをしているのかもしれない。


「祭り、夜もあるんだけど見てくのか?」


 見れるのか、とは聞かなかった。

 今度は口の中を空にして、楽しげに男は笑った。


「ううん、もうそろそろ行くつもり」

「えっ?」

「今まですごい楽しかった。ありがとうな、優史ゆうし!」

「随分急、だな」

「夜は駄目なんだ。だから、今のうちに」

「そっか」

「これからもちゃんと食って寝ろよ」

「お前は俺の親か何かか」

「ただの憑物だ、今日までな。じゃあ」

「えっ、オイ……!」


 手を振ると、そのまま影は姿を消した。

 昼間より人が増えていて、より賑やかになった通りで、俺は急に一人になった。

 今まで隣にあった涼しさがなくなって、日が傾いているとはいえ暑さが纏わりつく。


「なんだよ、それ。……まあ、出会いも突然だったか」


 少しだけ寂しさを感じながら、この一ヶ月は直接正面から入ることのなかった水上神社みなかみじんじゃの方へ向かう。

 灰色の鳥居の前で一礼して、真ん中を避けて中へ入った。


「えっ……?」


 正直言って騒がしいぐらいだった音が、消えた。

 先程まで沢山居た人の姿は見えず、ひんやりとした空気に満ちていた。

 ふわり、と宙に少しだけ浮いた青年がそこにいた。

 黒い髪に青い目の、夏の中学生の制服みたいな白いシャツと黒いズボンで、俺の方をまっすぐ見つめていた。


「俺の真似事をしているから、どうなるのやらと思って見ていたが。これは予想外だった」


 凛としてよく響く、だがさほど低くはない声で彼は言った。

 話しかけて良い相手ではないのかもしれない。

 そう思ったが、特段俺は俺自身に執着がないので口を開いた。


「……貴方は?」

「ん? 俺か? むかーし『夏祭りまでを条件に人と遊んだ亡霊』だよ」

ようの親戚?」

「残念ながら、アレと俺は在り方が違うな」

「そうなんですか」

「そうなんです。ただ、そうだな。今回の件は俺にも責任がありそうだなと思ってさ、こうしてなんとか間に合わせて来たってわけ」

「もしかして、成仏なさってます?」

「違う違う、逆。って言っても話長くなるし、俺の事は解決してるから、必要な話だけ簡単に説明するよ」

「はぁ」


 突然増えた登場人物に困惑しながら、他にできることもなさそうなので聞くことにした。

 この町に住む人外が、言葉が足りないのなんていつもの事だ。

 俺の近くを浮遊しつつ、足を組んで顎に手を当てながら神社の亡霊は語る。


「亡霊時代にようとは良く喋ってたんだけど。俺が『夏祭りまでを条件に遊んで変わっていく』のを見てたんだよ。それを真似したんだと思う」

「真似、ですか」


 亡霊時代ってなんだ。今は亡霊とは違うのか。

 何がどう変わったんだ。

 色々突っ込みたい事はあるが飲み込んだ。


「ああ。けど、俺とはちょっと現状のままじゃ結末が違うんだよな」

「どういう事です?」

「押しと伏線が弱い」

「はい?」


 意味のわからんことを言いだした。

 頭の奥が痛くなるような気がするのを抑え込む。


「あれじゃあ、どうしたらいいかわからないだろ」

「どうしたらって……もしかして。俺が、ですか」

「そう、キミが。あれで本当に『終わり』だと思うのか?」


 結末としては、正直俺の中では違和感がある。

 でも、人外との関係なんてそんなもんじゃないだろうか。

 今、目の前に居る亡霊だって、勝手に関わってきっと勝手に去っていくのだ。


「夜が来る前に、お前の傍から『逃げるように消えた』意味はなんだろうな。寂しそうな顔してさ」


 どこから見てたんだこの亡霊。

 ようの近くにいた俺でも、消える直前に少しだけ見えた気がして勘違いかもしれないと思った顔だ。

 頭の中で、何かが繋がりそうになっているのを分かっているのか、目の前の亡霊は笑う。


「知ってるか。『夏の嵐』はそもそも悪意の塊ってわけじゃないし、今もそうじゃあないんだぜ。いつの間にか通るだけでも脅威に、自然と『そうなってしまった』んだ」


 その話を今、俺にしてどうするんだ。

 思わず睨みつけてしまうと、相手の身体が先程より薄くなっているのに気づいた。


「おっと、それなりに準備はしてきたけど、そろそろ時間切れが近いらしい。大したヒントは出せなかったけど、分かるだろ?」


 分かる訳ねぇだろ!

 と叫びかけた口は次の言葉で消えた。


「『分かってた』んだろ『白鳥しらとり』の。最終局面だ」


 赤い方の片目を指さされて、『何をするか』だけを理解する。

 想像していた最悪の結末が頭を掠めて、歯を食いしばると、亡霊は笑った。


「落ち着け青少年。『何をするか』は決まっていても、『どう使うか』はお前次第だろ。だから『我々』は『夏の嵐』をやり過ごすんだ。白と黒で世界は出来ていない。間にあるものを視ろ。夜は急に朝にはならないんだ」


 難しい話をしてくれるな。

 どこから試されていて、どこから予定から外れたのかもこっちはわからないんだ。

 判断に困っていると、亡霊は俺の手を掴んで軽々と持ち上げる。


「何っ……!?」

「閑話休題、時間の流れはそう簡単には止まらない」

「あのな、話が難しいんだよあんた達は!」

「テンチョウと一緒にしてくれるなよ、もうちょっと分かりやすいだろ。あ、そうだように会ったら伝えておいてくれよな」


 ぐるりぐるぅりと世界が回ると、砲丸投げみたいに投げ飛ばされていた。

 浮遊感で気持ちが悪くなりそうになる中で、頭の中に直接声が響いた。


 ――ミコトは元気にしてるってさ!


 自分で伝えろくそったれ!!

 とは、舌を噛みそうだったので言えなかった。


 ドサリ、と見覚えのある町中に尻もちをついて着地する。

 高く飛んだはずなのに、全然痛くない。

 祭りとは関係ない通りだからか、喧騒は遠くに聞こえ、辺りに人の姿はなかった。

 そこにいるのは、テンチョウと人の姿のままのようだけだ。


優史ゆうしの元を離れたら、『曼珠沙華』のマスターの所へ行くのかと思っていたが。ようやく決心がついたか。よう?」

「……だんだん間隔が短くなってるんだ、来年はどうなるかわからない」


 俺に気づいているのか居ないのか。

 二人は猫ノ目書房の店先で、少し離れて向かい合っていた。

 それがよく見えるが、一応隠れることはできる角の向こう側に俺は居た。

 説明不足の神社の亡霊は、どうやらこの『最終局面』とやらに間に合わせてくれたらしい。


 テンチョウの声はひどく冷たく、その視線は獲物を狙うケモノのようだった。


「そんなの最初から分かっていただろう。お前は胡乱なモノで、どれだけごまかしたって流されていく。そもそもが人間を襲う為に」

「そんなの分かってるよ! でも嫌だから、嫌、だから……! 自分で終、わらせに来たんだ」

「そうか。私は優しくはないが、それで良いのか?」


 テンチョウの手に、この前のハサミが握られているのに気づく。

 赤と青の混ざり合う薄紫色の空が、もうすぐ夜が来ることを示していた。

 突然、ようが胸元を押さえて崩れるように膝をついた。


「……だっ、て……それしか、な、い……ッ!」


 真っ黒な液体が頬を伝ったかと思うと、ヘドロのような何かがようの身体から少しずつ溢れていく。

 軽蔑するような目で見下すと、テンチョウはハサミを持って近づいていく。

 どろどろと表面から吹き出していく真っ黒な得体の知れない何かに身体が震える。


 あれは、まずいものだ、近づくな。


 人間としての理性ではなく、動物としての本能が警鐘を鳴らしている。

 歯を食いしばりながら地面に手をつく影は何かに耐えているように見えた。


「ク、ソッ……! 早、く、しろよ……!!」


 テンチョウは何も言わず、近づいてもそれ以上動かない。

 今なら、間に合うんじゃないのか。

 震える足に命令を下し、無理矢理立ち上がって角を飛び出した。


「……本当に、これでいいのか?」


 急に穏やかになったその声と視線は、ようではなく俺でもなく、まるで『別の誰か』を見ているような気がした。


「良い訳あるか!!」


 思ったより大きな声出るじゃん、俺。

 昔から歌唱力に関して『声量おばけ』だなんて称されたのは伊達じゃなかったらしい。ヘドロにまみれたようなようが、かろうじて見える赤い目でこちらを振り返った。


「なん、で……」


 俺だってわかってないんだよ。

 出来れば面倒事なんて大嫌いだし、関わりたくない、首なんて突っ込みたくない。

 けれど、人間も人外も、傷つくのは嫌だ。


 石を投げたときも、後の事なんか考えてなかった。

 俺一人で助かるなら安いもんじゃないか。

 なんてそんな事を考えて、食わせてやろうとしてた。

 それなのに、思ったより痛そうにするから。

 教えてくれ、と言った時は楽しげに笑うくせに。

 責められるのがつらそうに見えたから。

 ついその真っ黒な手を掴んでしまっただけだ。


 中途半端に手を差し伸べて救ったつもりになるぐらいなら、最初から関わらなきゃ良い。


 そんな人間が、俺は大っ嫌いだから。


 ようの意思ではないんだとわかる、黒いヘドロのようなものが俺に飛んできていても仕方がないと思った。纏わりつくそれは今までとは違い、不快感に満ちた『何か』だった。


 目の前が真っ暗になる時、テンチョウが口の端を上げて笑ったのが見えた気がした。


 ◆


 音が消える。

 光はない。

 どちらが上で下なのか分からない。


 ああ、これで終わるのかも知れない。

 自業自得だと自嘲気味に笑いながら、謎の浮遊感に身を任せる。


 このまま意識が途切れていく。


 ……のかと思えば、逆にはっきりとしてきて。


 目の前にほんのりと、蛍の光のような淡い輝きを感じてゆっくりと瞳を開ける。

 テンチョウによく似た顔の、でももう少し髪が短く整えられた、茶髪に丸メガネの青年がそこにはいた。


「……やぁ、やっと会えたね」


 気の抜けた声で、男は穏やかに微笑みながら言う。

 言い方は柔らかいけれど、それは完全にテンチョウと同じ『声』だった。

 先程の亡霊のように少しだけ宙に浮いていた男は、ゆっくりと着地する。

 周りは真っ暗闇だが、男の周り2m程は淡い緑色の暖かな光で包まれていた。

 ここがどこかはわからない、俺も立っているのだから『地面はここにある』のだ。


「キミは随分と、察しがいいね。『ある』のを受け入れるのはすごいことだ」

「そうしていかないと、見失うので」

「うんうん、なるほど。自分がどこに在るのか、だね。いい心がけだ」


 テンチョウとよく似た仕草で、でも嫌味がなく、そして笑顔に胡散臭さもなかった。

 今日二度目の質問を、警戒すること無く問いかける。


「……貴方は?」

「ん? 挨拶するのが早すぎたかな、さっきしたんだけど……キミには聞こえてなかった?」

「俺には『やぁ』、からしか」

「そうか。それは失礼したね」


 眉根を下げて困ったように笑いながら、テンチョウと同じ服を身に着けた青年は続けた。


「私はキミが『テンチョウ』と呼んでいる人物の友人で、『猫ノ目書房』の店主」

「……あの人、雇われだったんですか?」

「うーん、そうなるのか。キミ、面白いね。私は雇ったつもりはないから、代打、かな」


 どことなくふんわりとした回答に、テンチョウとこの人の間で連携が取れているわけではない気がした。

 質問をしようとすると、ガタン、と『地面』が揺れる。


「本当は沢山の話をしてあげたいのだけれど、そうも行かないんだ。ほら、ここ狭くなってきてるだろう?」

「えっ」


 店主が指さした方を見ると、真っ暗闇との境界、淡い光が本当にほんの少しだが小さくなっていくのが分かった。


「さて、時間も限られているから、簡潔かつ明瞭にまず目的を伝えておこうか」


 神社の亡霊と会っていたせいか、不思議とこの説明不足の展開にも動揺せずに居られる。

 さっきは苛立っていたのに、今は自分でも驚くほど、頭の中はクリアだった。


ようから『私の記憶を消してほしい』んだ」

「……はい?」

「何を言ってるのかわからないだろうね。私は胡乱なモノから『よう』に定義した。でもね、私自身が今はもう、化け物なんだ」


 穏やかな顔で本当に何を言ってるんだ。

 化け物がこんなところで、まともに人間に話をしているというのか。


「うん、いい顔するね、キミ。もっと時間のある時に会いたかったな」


 テンチョウみたいに、でもどこか穏やかで優しそうな雰囲気が違う店主は勝手に頷いてから続けた。


「キミはもう知ってるだろう? 『テンチョウ』が常に手元に置いている『店主の本』。彼がキミを囮にして襲わせ、再び封印した。あの理性すら無い『化け物』、その残り滓。それが私だ」

「……は?」

「ははは、本当に良い反応をするねぇ。でも理解できなくてもいいんだ。それでね、その『私が定義してしまった』から、ようは私に引っ張られている。あの子と私の縁はどうしても深い、だから」


 正しく理解できているのかは正直わからなかった。

 けれど、亡霊の残した言葉がやるべき事を、次に言われるのが何かは理解してしまった。


「それをキミに残らず『断ち切って』欲しい」


 赤い方の目を思わず隠す。

 真っ直ぐに見つめたまま、真剣な表情で店主は話を続ける。


ようの中に私が残っている限り、あの子は闇に飲まれやすくなってしまう。元々はただのケモノだとしても、今の在り方がブレやすい。私がまともだった頃は、私が彼の『そういう所』を抑えていた。その名残で今、残り滓はここに在るんだ。そして、その効果が仇となってきている。あの子はあの子なりに自分を抑える事ができる様になっているんだけど、私からの悪影響が強い。というのが理由なんだけど、理解は出来なくても良いんだ」


 この笑顔は知っている。

 自分はどうなってもいい、誰かが助かれば良い。

 身勝手な自分を鏡に写したような、穏やかすぎる表情だった。


「……縁が深いって、ようにとって、大事な存在なんじゃないんですか」

「だと嬉しい。けど、だとしても断ち切らなくてはならない。あの子がこれ以上苦しまないように、断ち切ってほしい」

「残り滓だとして、それをしたら今ここに居る貴方はどうなるんですか?」

「おそらくだけど、封印されているのと合流するんじゃないかな。私はそれだけのことをしてきたし、特に問題はないんだ」


 本当に『後悔はない』という笑顔。

 そして、瞳を閉じて柔らかく俺の思考まで見越しているかのように男は言う。


「キミが想定しているような、ようの存在そのものを断ち切る事はないんだよ」

「……わかりました」


 意識を集中させると、赤い光が右手の中に浮かび上がる。

 ああ、飯食ったり寝たり、いつもよりしておいて良かった。

 この後、来るだろう反動を思い出して、胃液が上がって来そうになるのをこらえる。

 光が輪郭を描いて、テンチョウが持っていたよりも小さな、手に馴染むハサミが手の中にあった。

 思ったよりも小さい事に驚いたのか、店主は目を見開いたがすぐに頭を下げた。


「ありがとう。ようを通して見ていたけど、キミは本当に優しいね」

「……見てたなら、聞いてませんでしたか」

「え?」

「『俺は善人じゃない』って」


 口の端を上げて、この暗がり――ようと目の前に居る店主の繋がりを赤い方の目で『見極める』。

 太く絡まる沢山の『繋がり』を閉じたままのハサミで間違って切ったりしないようにしながら、解いて指先であやとりでもするかのように選別する。

 あくまでも直観、確証なんかまったくないけれど、指で触って気持ちの悪い感覚のするものを見つけていく。


「ちょっと待って! キミ、一体何を……!」

「よし、『視えた』!」


 切らない繋がりを遠ざけて、切るモノだけを左手で掴む。

 正直久々だし、全部上手くいくとは限らない。

 でも、変わってしまったからと言って、全てを断ち切る必要はない。

 手に持ったハサミを開いて、少しだけ緊張しながら間に切るべきものを入れる。


 ジョキッ、と布を切ったときのような音がして、切った場所からバラバラと崩れて行く。

 それと同時に、淡い緑の光が小さくなるのが早まった。


ようの記憶からも消えて、自分のせいで苦しむことはない、後は幸せを願うだけ……なんて結末俺は許さないんで。きっとようは、どっかで何かが足りないって気づきますよ?」

「どうして、私の考えていた事がわかるんだ……?」

「俺がそういうの、憧れてたんですよね。だから、『そうかも』って思っただけで。分かったわけじゃないです」

「人間の命は短いんだ。そんな終わりを『大切な相手の記憶から消えて、幸せになってほしい』なんて望む事ないと思うよ?」

「短いとか長いとか関係あります? 俺は身勝手で悪いヤツなので、全員俺の望んだ幸せにしてやるんです」

「……なるほどね」


 イタズラに成功したような気分で、意地悪く笑うと店主は瞳を閉じて楽しそうに笑った。


「キミ、人間ってだけで彼――『テンチョウ』と同じなんだ」

「はい?」

「物語をかき回して、自分の望む結末を作り上げようとする、登場人物」

「じゃあ、貴方は何者なんですか?」

「私は内側からどうこうするんじゃないんだ、作家だから」


 光の壁が闇に押されるかのように狭まる中で、何故か穏やかに会話が出来ている。場所も無くなってきていて、正面を向いたまま近づくわけにも行かないので、自然と背中合わせになる。

 そこで何故か、店員さんから聞いた事を思い出して問いを形にしていた。


「物語に関わるなら、『幸せに綴じるものさ』ってもしかして……」

「本当に察しが良いね。そう、それは私の信条なんだ。彼が店だけでなく、そこまで引き継ぐとは思わなかったんだけどね」

「そっか……なら、いつか貴方も『化け物』から戻さないとだ」

「それが出来たら本当に大団円、というやつなんだろうね」

「人生短いから早くやらないと」

「え、キミそれ、本気で言ってる?」

「もちろん」


 ああだめだ、やることが増えていく。

 ただちょっと、影に石を投げてしまっただけなのに。

 端的に終わりに向かう物語だと思っていたのに、どうやらこの話は長い。

 楽しみにしている自分が居るのが怖い。

 好奇心とスリルが俺に高揚感を与えるのを思い出してしまう。

 いよいよ、緑の光も薄くなって闇に侵食されそうな時に、もっと早く聞いておくべきだった事を口にした。


「ところでなんですけど」

「何かな?」

「ここから俺って、戻る方法あります?」

「ああ、それなら安心して」


 光が完全に薄れて消えていく中で、穏やかな店主の声が響いた。


 ――キミは十分すぎる縁をもう、あの子と結んでいるから。


 ◆


 何かが頬を触る。

 顔に雫が落ちてくる。

 耳障りな音がする。


 やめろ、俺は誰かが泣くのは嫌いなんだ。


 身体が揺さぶられている。

 頬に触れていただけのものが、段々と叩くという表現に近くなってくる。

 何度も名前を呼ばれて、気だるさの中からゆっくりと目を開ける。


「ごめ、ごめんなさ……ゆうし、たべちゃった、ぼく、ぼくが……ッ」

「うるせぇ……なっ!?」


 目を開けると、そこには顔をぐちゃぐちゃにして泣くようが居た。

 ヘドロで真っ黒だとか、原型を留めていないとか、そういう意味じゃない。

 涙と鼻水で、お前どうやったらそんなに汚く泣けるんだよ。ってぐらいの顔をして俺を見ていた。


「ゆう、し?」

「お、おう……そうだけど」

「いきてるの?」

「生きて……え、いや? ここがどこかによる」

「おや、久々の説明をご所望かな」


 先程まで会話をしていた店主とよく似た、でもどこか鼻にかかる上になんとなくムカつく雰囲気の胡散臭い声がした。


「ここは『猫ノ目書房』、色んな物語を扱うお店」


 聞き慣れた店の名前と、見慣れた本の山にホッとする。少し前まで見かけなかった『あの本』も、テンチョウの傍らにあった。


「……胡散臭いなテンチョウ」

「泣きじゃくって離れない黒うさぎと一緒にキミを店の中に入れて面倒見ていた相手に、それは失礼じゃないかい?」


 目を真っ赤に腫らして、違う、元々こいつ目が赤いんだ。まだ涙も鼻水も止まらなさそうなようをとりあえず抱き寄せて頭を撫でながら、冷たい空気が無くなったテンチョウに淡々と答える。


「いや頼んでないです」

「ああ、そう来る? 酷いなキミ」

「いや、だってこれ、最初からテンチョウが仕組んだ物語でしょう」

「もう少し驚いてほしい所なんだが、結末までは読めなかったとも」

「張り紙もそうだし、ハサミまでご丁寧に用意していたくせに」

「まあねぇ。準備は周到な方が良い」


 笑顔でこちらを見るが、やはりとても胡散臭い。

 姿形は同じなのに一体何が違うんだろうか。

 と、先程会った誠実な店主を思い浮かべては思う。

 一度目の前の青年と向き合い、黒いまんじゅう姿の時にしたように頭を撫でながら確認する。


「お前は大丈夫なのか?」

優史ゆうしが、悪いもの全部受け止めてくれた、後、僕は楽になった……」

「そっかそっか。なら良かった」

「キミが寝てる間、こっちは大変だったんだよ?」

「こっちも大変だったんですけどね?」

「ははは、そうだろうねぇ」


 心が全く籠もってない笑いに苛立ちながら、聞きたい事をぶつけた。


「……テンチョウ、最初っからようのこと全く嫌いじゃなくて、俺に『切らせて帰る』為に縁を作らせたんでしょう」

「ああもう、本当にキミは察しが良いな。私から説明する楽しみを奪うなんて」

「説明したかったなら、飲まれそうになる時に笑うのは演技力不足ですよ」

「ははは、手厳しいね、さすが役者もできる元アイドル」

「なんとでもどうぞ。店主もようも、貴方にとって大事だったんでしょう」

「……その通り。『彼』が残したモノはすべて、私にとって大切な物なんだ。だから猫ノ目書房は続いていくし、ようも縁さえ切れれば店に置くつもりだった」

「へっ?」


 物語の展開が何も分かっていない小柄な青年は俺を見てびっくりした顔をして、三本の耳が上にぴょこん、と出ていた。おい、変身解けてきてんぞ。


「でしょうねぇ。そして、出来るならその『本』も開きたい、と。そのためなら人間一人ぐらい犠牲にしてもいいと?」

「思ってないからようと過ごすのを容認してたんだ。縁を強くしておく必要があった。言ってるだろう、私は君のことを気に入っているんだ」

「はー、だったらもう少し説明してくれても良かったんじゃあないですかね。ようと出会うよりも結構前から店でも飯と睡眠を取らせてたのも、成功率上げるためだったんでしょう」

「キミが不健康すぎて心配だったのも、もちろんあるんだよ」

「でも下心もあった、と。本気で死ぬかと思った! ま、別にそれでも良かったんですけどね」

「良くない!!」


 俺の溢した本音に、被せ気味にようが叫んで俺の服を強く握る。止まりかけた涙がまた、だばだばと瞳から溢れだしていた。

 今まで気づいてなかったけど、ちゃんと透明で、黒くない事にホッとする。


「そうだな、ごめん。良くないな」

「ウン、良くない……」

「……ねえキミ、ちょっと性格悪くなってないかい?」

「それは違いますよ」


 ああ、こんなに自然に――悪どく笑えるのは、何時ぶりだろうか。


「元々こういう人間なんです、俺は」

「いい笑顔するじゃないか」

「元アイドルですからね」


 テンチョウに応えながら、ようの涙と鼻水をティッシュで拭う。

 とりあえずポケットに入れとく習慣つけといてよかった。


「ゆ、優史ゆうし……?」

「店員としてようも雇うつもりだったんでしょうけど、ちょっと展開を読み誤ってますよ、テンチョウ」

「ほう、どういうことかな?」

「……お前の心配はもう晴れたんじゃないか。一緒に来たらどうだ」

「え、えっと……?」


 何を言われているのか理解できないらしい。

 まあうん、展開が唐突すぎるとついていけないのは、今日だけで二回体験させられているから、その気持ちはわかる。

 助けを求めるような視線を受け止め、宥めるように頭を撫でながら優しく伝えなおした。


「お前は人を襲うのが怖かったんだろ。だったらもうその心配はなくなったんだよ。だから、ようが嫌じゃないなら……俺んとこ来ないか?」

「ウン!」

「なんだいその、どこかの半島でのフェスを感じるような、プロポーズみたいな」

「違いますよ。奴隷契約です」

「……あ、ぼ、僕、それでも良いよ?」

よう、あとでちゃんと話しような、良くないから」


 かなり時代遅れのまずいボケを、頬を染めて嬉しそうに肯定しようとする青年の目を真っ直ぐ見た。

 わかった、と言いながら頭の上の耳が左右にゆっくりと揺れている。

 どうやら上機嫌、らしい。


『断ち切る』のに使ったことで少し痛む目をごまかすように閉じて、先程別れた時に伝えていなかった事を思い出す。


「あ、そうだ。よう

「なに?」

「実はお前に言い忘れてた事があるんだけど」

「ウン? なぁに?」

「この祭り、3日間あるんだよ」

「ウン!?」

「毎年町に来てるっていうから知ってるかもと朝まで思ってたけど……やっぱり知らなかったんだな?」

「えっ、えっ? じゃあ、夏祭りまでって……」

「実はまだ、終わるにはそもそも少し早かったんだよ。で、俺は今ちょっと体調が良くない。けど、支えてくれるなら明日。また出かけられるかもなー、なんて」

「す、する! 僕、なんとかするよ!」


 身体の前に拳を作って一生懸命にアピールする。

 うん、お前キャラ変わってない? そんなだったっけ。

 今は突っ込む気力も少し足りていないから、後で考えることにする。

 二人でまた祭りに行く話をしていると、諸悪の根源は便乗しようとしていた。


「いいねぇ。今日は疲れたし、明日は私も一緒に行こうかな」

よう、よーく聞け。あれを『お財布』って言うんだ」

「おさいふ!! 僕、知ってるよ! 都合の良い時に金を出してくれる人だね!」

「そう、あれがお財布だ。思う存分たかろうな」

「ウン! 一杯遊んで食べてたかる!」

「キミたち、本当に仲良くなったね……?」


 お財布扱いそのものを一切否定しなかったテンチョウは、本当に翌日ついてきて中身を大放出してくれた。

 説明していなかったことへの罪悪感か。

 それとも俺を気に入っているのも、ようを大事にしているのも事実だとでも言いたいのか。

 理由はわからないけれど、人の金で食う飯はうまい。

 屋台の焼きそばを頬一杯に詰め込んで、必死に食べるのを横目に見ているとよりおいしい気もしてくる。


 お祭りはまだ、続く。


 それより後も、この日々はまだ続いていく。

 いつもと違う出来事が起きて、それでも同じ家に帰っていく。

 生きているだけで億劫になるような、一人の日常ではない。


 今までよりは少し楽しそうな未来に、口元が緩むのと同じ時。

 目の前を跳ねるように歩く青年が振り返った。


「次! 次、あれ食べよう! 昨日なかった!」

「お前、よくそんなの覚えてるな」

「だって昨日、全部たのしかったんだもん!」

「……そうか」


 長い長い屋台の続く道を、浴衣でゆっくりと歩いていく。



 ――今度は、ように手を引かれながら。

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猫ノ目書房のなつやすみ 佐久良銀一 @ginichi_sakura

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