第三話 怖い話

 歩行用カプセルで研究施設の出口までやって来た。

 施設の玄関口で歩みを止めると、部屋を密閉し、海水を注入する。辺り一帯が海水で満ちた。

 こうなると、もうカプセルに入っている必要もない。カプセルから出て、海水の中をひと泳ぎし、背筋を伸ばした。いくら陸上で快適に過ごせるカプセルとはいえ、長時間入っていると、窮屈で仕方がない。


 ここからはカプセルではなく、ジェットスクリュー装置ガジェットを使用する。この装置には自動運転システムが組み込まれており、一度発進すれば、何もしなくても目的地に運んでくれるのだ。なんなら、眠っていたっていい。


 ふと、後ろを振り返り、研究施設を眺める。あの内部では今ごろ何が起きているだろうか。それぞれが殺し合いをしてるのかもしれないし、逃げ惑い、そのストレスで心身を喪失しているかもしれない。

 煽るような物言いをしたが、別にいたぶること自体が目的ではない。そんなことで得られる愉悦なんて僅かなものでしかない。

 この施設は全てが片付いてから清掃を入れる必要がある。そのため、ああやって挑発して追い詰めておけば、タイミングが少し早くなる場合があるのだ。この仕事をする上での、ちょっとしたコツである。

 嗜虐心の高鳴りを感じていたことも否定はしないけれど。


 装置任せで海中を進行していると、うつらうつらと眠気が襲ってくる。思ったよりも疲れていたようだ。

 それもそうか。実験を取り仕切り、その記録をひたすら取っていたのだ。

 このままひと眠りしたいところだが、その前に報告だけでもしておこう。


――キューン


 音波拡張機を使用して、音波を海中に送る。


――キュキューン


 すぐに返事が戻ってきた。それを聞いて、少し憂鬱な気分になる。

 それというのも、辺見瑠璃へんみるりとかいう意味のわからない虚構の塊のせいだ。


 いや、そもそもは尾野寺おのでら伝吉でんきちの靴に付着した血液のせいだといってもいい。あの血液が発端となって恐怖が広がり、その恐慌が辺見瑠璃なる得体の知れない怪人物を生み出してしまったのだろう。

 伝吉は必要なピースではあったものの、老人の扱いというのはこれだから厄介なんだ。肉体の培養が順調に進まず、皮膚や肉が裂けて失血することが度々あった。そのたびに治療し縫合する羽目になる。その頻度が高くなり、血液をいくらか放っておいてしまったのが間違いだった。

 履かせた靴にいつの間にか血液が付着してしまったのだ。


 せっかく研究成果が実を結び、大手を振って報告できるはずだったのに、余計なノイズが入ってしまった。汚れたままの記録では、提出しても使いえないデータの烙印が押されるだけだ。

 これから、採取した記憶を吟味し、真実とノイズを選り分けなくてはならない。


 そのことを考えると頭が痛かった。

 作業は緻密さを要求される。労力として億劫なことはもちろんだが、万が一選り分けをミスして誤った情報を伝えてしまうと、もう目も当てられない。

 汚染された記憶は、我々の群体にどれだけの不利益をもたらすだろうか。そして、失敗者という不名誉な事実とともに、個体名が永劫に伝えられることになってしまう。

 あんなケアレスミスのせいで、そんな失態を犯してしまうなんて絶対に嫌だ。


 事は慎重さと迅速さを必要とする。

 仕事をしっかりとこなすためにも、今は眠っておいた方がいいだろう。

 しかし、不安が感情の大多数を占め、眠りに集中することができない。休むこともままならず、ただ悶々とした意識を抱えたまま海中を進んでいた。


 そんな時だ。


 ガクン


 急にジェットスクリュー装置の動きが止まった。

 なんだ。何が起こった?

 装置の不具合を確かめようとしたが、その瞬間に尾鰭おびれに激痛が走る。何かが纏わりついているのがわかった。


 恐る恐る背後の様子を窺うと、ジェットスクリュー装置に、青紫の触手が絡みついている。装置はいとも容易く破壊されていた。

 さらに、その触手は尾鰭にまで伸び、食い込んでくる。吸盤がびっしりと並んでおり、一度吸い付いたら離れることはない。

 万力のようにゴワリゴワリと圧迫し、締め付けられる。ぶちゃっと音が鳴った。海水に赤い液体が混ざり合っていく。下半身がちぎれたのだ。


――キュイーン


 あまりの苦痛に叫び声が漏れる。

 怖い。これから何が起きるのか。想像することさえ恐ろしかった。


 しかし、これは一体何なんだ。まさか、これが辺見瑠璃だとでもいうのか。

 青紫の触手の先には、四角く金色に光る瞳孔と流線形の肉体があった。突起のような口からは黒い吐息が漏れている。

 おぞましい。これがあの辺見の正体だとでもいうのだろうか。

 いや、あれはただのノイズだったはずだ。記憶に入り込んだバグに過ぎないはず。


 まさか、あの妄言のような語りがすべてことだとでもいうのか。


 尾鰭のもがれた肉体は、なおも触手によってまさぐられ、引きちぎられ続けていた。触手の持ち主は引きちぎった肉を食らっているのだろう。

 そのたびに激痛が走り、のたうつが、鰭も失われており、舵も取れないままに明後日の方向に流される。

 吸い付かれる感触があった。残った僅かな血液が吸われる。意識がどんどん遠のいていくようだ。その感覚はこの痛みからの解放を意味した。


 今までの努力は無駄だったのだろうか。


 実験体を集め、蘇生し、記憶を再現する場を取り仕切った。モニタリングし、その一切を記録する。必要に応じて、馬坂ばさか熊猪知狼くまいちろうに指示を出して話し合いをスムーズに進行させた。

 すべてを操っていると思っていたんだ。それが幻想に過ぎなかったというのか。


 見る側のはずだった。まさか、見られる側だったというのか。


 ということは、この後、私が体験するものは何か。

 あのヒトたちのように別の記憶を植えられ、蘇生され続けるのだろうか。ただ、繰り返し記憶を再現し続けるために。

 

 私を待つのは永劫の時。それは死を越えて続く螺旋構造デスゲノム……。

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デスゲームで本当にあった怖い話 ニャルさま @nyar-sama

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